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2010年8月 3日 (火)

高齢者医療制度改革会議(10)               高齢者の患者負担

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 8 月 3 日 高齢者医療制度改革会議(10)

中間とりまとめ(案)

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(5)高齢者の患者負担

○ 高齢者の医療費の増加に伴い、公費、高齢者の保険料、現役世代の保険料はいずれも増加せざるを得ないが、高齢者の患者負担については、負担能力に応じた適切な負担にとどめることを基本とする。

○ 特に、70歳から74歳までの方の患者負担については、現在、2割負担と法定されている中で、予算措置により1割負担に凍結しているが、個々の患者の負担の増加と各保険者の負担の増加の両面に配慮しつつ、そのあり方について引き続き検討する。

○ 高額療養費については、所得再分配機能を強化する観点から、所得の高い方の限度額は引き上げ、所得の低い方の限度額は引き下げる方向で見直すべきであり、現役世代を含む高額療養費全体の見直しの中で引き続き検討する。

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医療の財源は、公費と保険料と患者負担の3つしかありません。

医療費の総額が膨らめば、3つとも膨らまざるを得ませんが、どれかの増加を抑制すれば、他の財源にしわ寄せが行きます。

なお、公費財源に限りがあるのは自明ですので、公費へのしわ寄せは、消費税率を欧州の福祉国家並みにアップしない限り、現実的議論とはなりません。

患者負担を増やすか、保険料を増やすか、という二者択一であれば、リスク分散の観点から、保険料を増やしたほうがいいでしょう。

保険料の議論と患者負担の議論とは、セットで考えなければなりません。

どちらも抑える、というのでは医療の維持ができません。

(保健医療経営大学「学長のひとりごと」)

▼かささぎの独り言

かささぎ院に見える患者さんで割に多いのは一人親家庭のかたがたです。
その人たちは保険料のいかほどを公費補助されておられるのだろうか。
今一人親家庭と同じなので、そんなことを思う。
もっと不遇な人たちはたくさんいらっしゃるだろう。
さて。
年金と医療保険のどちらを先に納めるかといえば、保険料です。
年金は自分の将来用だけど、保険料は今をいきるためのもの。
というより、払わないと保険証が使えなくなりますからね。

コメント

『ロシア大統領府は25日、メドベージェフ大統領が同日までに、日本が1945年に第2次大戦の降伏文書に調印した9月2日を「第2次大戦終結の日」に制定する法改正案に署名したと発表、改正法が成立した。』(時事通信/7月25日)

・・・終戦は日本のポツダム宣言受諾表明の8月15日正午かと思ってました。

<日本の「終戦直前」の主な動き>
8月15日未明 一部の将校グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろみ宮内省を襲撃。奪還ならず。
<日本の「終戦直後」の主な動き>
8月15日午後 厚木基地の一部将兵が徹底抗戦を呼びかけるビラを撒き、停戦連絡機を破壊。
8月15日以降数日間 停戦連絡機の派遣等により、順次、イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と武装解除。沖縄や南洋諸島では、しばらく局所的な戦闘が散発的に続く。
<日本の「戦後」でロシアの「戦中」の主な動き>
8月18日 満州国皇帝愛新覚羅溥儀の退位。侵攻してきたソ連軍により身柄拘束。
8月22日 樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け沈没。
8月28日 ソ連軍が択捉島に上陸し、占領。同日、米軍も厚木に上陸し、占領開始。
9月 1日 ソ連軍が国後島に上陸し、占領。
9月 2日 日本政府、対連合国降伏文書へ調印。
<両国の「戦後」の主な動き>
9月3日(~4日) 南樺太、千島列島で大規模戦闘。歯舞、色丹が占領される。
1946年3月 北方領土内の通貨が日本円からソ連のルーブルに変更される。

・・・以上、学校で教わらなかったことばかり。
終戦記念日がいつか、というのは北方領土問題と絡んでいるのですね。
ソ連の分が悪い歯舞、色丹は、ここだけ返還してチャラにするような話がありましたね。

ところで、こんな大事な話に、日本政府はロシアへ正式抗議をする動きなしです。
(それどころか、9月2日終戦を容認する重要閣僚もいます)

上の日本の終わりさんの記事に連句的に付け足します。
句の引用は姫野恭子著『石橋秀野ノート』、事件の引用は「暇つぶしウィキペディア」からです。

▼松江騒擾事件

松江騒擾事件(まつえそうじょうじけん)とは、1945年昭和20年)8月24日未明、島根県松江市で青年グループ「皇国義勇軍」数十人が武装蜂起し、県内主要施設を襲撃した事件である。死者1名。

松江騒擾事件という名称は取締当局によるものであり、皇国義勇軍事件[2]、島根県庁焼き打ち事件とも呼ばれる[1]

この事件を深くしることが、日本の終わりさんの書かれたことをわかるための参照資料となるでしょう。
http://yomi.mobi/wgate/%e6%9d%be%e6%b1%9f%e9%a8%92%e6%93%be%e4%ba%8b%e4%bb%b6___sharp___.E6.A6.82.E8.A6.81/a

時間のない人は、石橋秀野の句を頭に入れて置いてください。

前書(まえがき)のある句です。
(昭和二十年)
師走某日、この日判決下りたる島根県庁焼討事件の被告たちの家族、徒歩にて刑務所に帰る被告を目送のため裁判所横の電柱の陰にたたずめるに行きあひて三句

網笠に須叟の冬日の燃えにけり   石橋秀野
冷さの手錠にとざす腕かな       〃
凍雲や甲斐なき言をうしろ影      〃
   

このわずか三句を読んだだけで、石橋秀野という類まれな俳人の受けた教養、義侠心、あついこころ、がわかります。

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コメント

去年だったか、たかじんさんの番組で辛坊さんが言ってました。
100歳以上の半分しか生存が確認できていないと。
死体を隠せば生存を装うのは可能だが、うまく隠せたとして、やがて長寿日本一になりそうな時に困りますね。死亡届をあらためて提出するには新鮮な死体が必要となります。
身寄りのない認知症老人がモテモテとなる黒物語が書けそうです。

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