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2010年8月13日 (金)

被爆者と放射線被曝  直接被曝

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 8 月 13 日 被爆者と放射線被曝(直接被曝)

被爆者へは被爆者健康手帳が交付されます。
医療の給付や手当の支給は被爆者健康手帳の交付を受けていることが条件です。
被爆者対策は、大空襲ほかの一般の戦争被害者とは異なる特別の対策です。
それは、放射線被曝による障害が戦後いつまでも発生し得るという特別の状況があるためです。
原爆の熱線の影響や爆風の影響は遥か遠方まで及んでいますので原爆による被害の範囲は広いのですが、法的に被爆者を定義する場合は、原爆放射線を「被曝」した可能性がある範囲の人に限定されます。
被爆者援護法における被爆者は、次の4つのいずれかです。

一 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者
二 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内に在った者
三 前二号に掲げる者のほか、原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
四 前三号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者

第一号の被爆者は、爆心地から数キロ以内で原爆放射線(ガンマ線、中性子線)を直接被曝した可能性がある人と、やや遠方で放射性降下物(黒い雨)によって被曝した可能性がある人です。
放射線は、湿度の高い日本の夏においては大気中の水分に吸収されて急速に減衰し、2キロ以遠まで到達した放射線はわずかですが、それでもゼロではありません。
放射線の到達は物理現象ですので、爆心地からの距離や遮蔽条件により、理論的に被曝線量を推定することができます。
放射性降下物による被曝線量についても、不確定要素が多いとはいえ、多くの研究者が推定被曝線量を算出しています。
これらの推定に数十%前後の誤差はあり得ますが、数十倍、数百倍の誤差ということはないでしょう。
被爆者健康手帳を交付された被爆者であっても、遠方の被爆者の推定被曝線量は自然放射線や医療放射線の被曝線量以下なのですが、わずかでも原爆放射線を被曝しているのであれば、一般の人よりもその分だけ発がんリスクが高いということができます。
被曝線量が近距離被爆者の1000分の1で自然放射線量以下の被曝だとしても、近距離被爆者の1000分の1の確率で発がんの可能性があります。
実際に遠距離被爆者が発がんした場合、それが原爆放射線の影響であるか否かを見極めることは困難ですが、健康管理手当は支給されます。
被曝線量が多いと推定される場合は原爆症と認定されますが、審査会の判断と裁判所の判断とは異なっています

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

コメント

>日本はアメリカに賠償をもとめない。
>半島は日本に賠償を求めてやまない。

そして「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」って
誰が誰に言うとんじゃ、さっぱり解かりませぬ。

かささぎさんが口蹄疫問題でいっぱい矛盾やいかりや疑問を感じたように私も戦争報道には同じ思いです。
良いことは隠し悪いことだけあばき賠償金をせしめられることへの怒り、誰の一存で支払うんですか?

原爆投下の解説ここがとてもわかりやすいです。
         ↓

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-975.html

広島の爆心地は原爆ドームでなく、病院(外科の島病院と十字路斜向かいの皮膚科・泌尿器科の清病院)の真上でした。
通常の爆撃でも、病院を狙えば批難されますよね。

広島は「実験」のためにずっと空爆せずに温存されていたと聞きます。
地形的にも、数キロ四方が平坦に広がり、新型爆弾の効果を評価するのに最適だったと。
同様の条件の「実験」地として小倉が選ばれていましたが、当日、雲が厚かったので、急遽予定を変更。
長崎は地形が複雑なので「実験」地としては不適でしたが、なぜ、あえて長崎を選んだのかはよくわかりません。

拾ってきました。
ネットは便利。

1945年4月27日、第一回「目標委員会」。17都市が候補に。
5月10、11日、第2回目標委員会。条件は、地形、人口集積、軍事目標。
・ターゲットAAは京都と広島
・ターゲットAは横浜と小倉
・ターゲットBは新潟
この5都市への焼夷弾攻撃の禁止が決められる。
東京と大阪は、既に攻撃済みだったために外される。
5月28日、第3回目標委員会。ターゲットAの横浜と小倉が外される。
翌日、横浜大空襲。
京都、広島、新潟の空襲は禁止。

その後、軍事目標に乏しい京都が外され、小倉が復活。
長崎も、突然浮上。

7月25日、原爆投下命令。広島、小倉、長崎、新潟が目標とされる。
8月3日、テニアンから遠い新潟が目標から外される。
8月6日 広島を第一目標、小倉を第二目標。第一目標へウラン原爆投下。
8月9日 小倉を第一目標、長崎を第二目標。前夜の八幡空襲による煙で小倉上空の視界が悪く、第二目標へプルトニウム原爆投下。

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コメント

ただいまTVQの懐メロ番組視聴中。
「里の秋」の歌詞に興味あり。
    ↓

   ↑
ここのコメント欄から拾った幻の歌詞。

明るい明るい里の道
白木の箱の父さんを 
ああ母さんとただ二人 
迎えに行きます里の駅

たどっていくと元歌は軍歌であるものが多いですよね。
吾は海の子もそうです。

いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。 

この「里の秋」は童謡のなかでもわたしの好きな歌で子どものころからよくくちずさんだものです。いまでも、風呂場で歌うことがたびたびあります。
この歌は小学校の文部省唱歌として学校で習ったものではなかったでしょうか。ただし歌詞は二番までしかなかったと記憶しています。ものがなしさを子供心に感じたのは、二番の歌詞によって父親のいない母と子が田舎でむつまじく暮している風景を描いていたからであろうと思います。この歌が生まれたきっかけを知ってますますこの歌がわたしの十八番になりそうです。

ところで、コメントにあった乙さん紹介の歌詞。どうやら替え歌のようですが、切なくて元歌の歌詞よりぐっとくるものがありました。

里の秋、いい歌ですね。なぜか、この歌を聞くと、
すもももつこのみなはだかむし
って江戸時代の付け句をふしぎと思い出します。

戦地からの父親を待っている歌だったとは知りませんでした。
待つこころは、あたたかいものですね。だけど、そんなにして待っていたのに、白木の箱でかえってきた父さんもたくさんいたのですよね。こんなに澄み切った明るいメロディーで、こんな歌詞を歌われたら、なみだがでます。
小学校のころ、谷川陽子ちゃんという子がこの歌と、「みかんの花咲く丘」をなんどかみんなの前で歌ってくれたのを覚えています。とっても感動しました。

「放射線被爆と湿度の関係」検索の一頁目に出ます。ここ、見られています。なにをかんがえて?

ありがとう。
ここ、いいですね。

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