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2010年8月31日 (火)

戦争の話(17) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 8 月 31 日 戦争の話(17)

<橋爪一郎従軍記>
   犬の飯(メシ)の余りはうまいの巻
 兵隊になって、丸一年たてば成績の良い者は三ッ星の上等兵になります。私は別の進み方で行きますので、丸九ヶ月の十月十日に上等兵に進級出来ました。昨日まで一しょだった一等兵の友達も、今日からは号令、命令で連れて行けることになります。上等兵になると、あちらこちらへ自由に行ける事が多くなって楽しみもふえ、また仕事と苦労も多くなります。腹は一等兵なみに減ってペコペコです。
 私と一しょに入隊して、体の調子が悪くて軍用犬係りになった江崎という者がいました。少しはなれた所にいて、会うことがありませんでしたが、上等兵になってやがての時でした、何げなく通ったそこに江崎がいて「敬礼」しています。「おお江崎」「やあ、橋爪・・・・上等兵殿・・・か。」その時、江崎はまるまる肥え太った二等兵でした。その後の話しをしているうちに、犬にかまれた話や犬の飯の話しになり、「犬の飯が余って困る」ということです。配給分を食わせないとたたかれるし、食わせてしまうと腹痛を起す心配があって、毎日自分で無理して犬の飯を食べているということです。「おまや犬の飯を食うて、そんなに肥えとっとばいな。」と大笑いしましたが、「犬の飯はまだある」と言うのです。おかしさこらえて行って見ると、二度びっくり。白飯に大きな牛肉がどっさりです。人間の飯よりも、犬の方がよっぽど大臣食でした。それからは、チョイチョイ行って犬の飯の余りを食べて加勢しましたが、考えて見ればおかしな話です。

1963年八女郡辺春(へばる)中学校『学年通信』より

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

軍用犬というのがこの時代もいたんですね。

(まっすぐ羽犬塚の地名につながりますね。)
麻場利華さんとこに移した二十年前の新聞にあった軍人の食にまつわる記憶。
そこには、食べるものがなくて、軍靴も図嚢も焼いて食った。とありました。

 

(コピペします。ついでに、同じ本からもう一編。連句的。)

スルメイカ製の靴

  旭川市 小川文武(無職・76歳)

 昭和19年、太平洋戦争の敗色が濃くなりつつあったある日、出勤しようと玄関を見ると、靴の片方がない。たった一足きりの大事な靴だ。げた履いて外に出てみると、野良犬が僕の靴をくわえている。
 取り返そうと近づくと、途端に逃げ去る。僕も必死に追いかける。僕が追いかけると犬は走るが、僕が立ち止まって一息入れると、犬は「鬼さんこちら」という風に靴をくわえて僕の方を見てる。
 僕と野良犬との鬼ごっこは、どのくらいの時間と距離が続いたか。とうとう犬は稚内の裏山の要塞(いまの氷雪の門のある公園)の中に逃げ込んでしまった。万事休す。要塞では、追いかけるわけにはいかない。

 やむなく、げたを履いて出勤(宗谷支庁)すると、総務課長が僕のげた履きを見て、「どうした」と言うので、訳を話すと、課長は「あれはバルカナイトだよ」と言う。僕は「えっ、あれは『アルカナイト』と言うんですか。道理で歩かないと靴底は減らないが、歩くとずい分と減り方が激しいですものね」。
 課長は大笑いして、「おい、小川君。これは機密だが『歩かないと』ではなくて、バルカナイトだよ。牛や馬や豚の皮は軍の靴の方に回されたので、新たに発明されたスルメイカ製の靴なんだよ。だから野良犬が食料として盗んだんだよ」。
 その翌年、私は戦線に駆り出された。そして復員。そのひもじい時には「ああ、あの靴があったらなあ」と何度思ったことか。
 今、この平和に生きて、晩酌のおつまみにスルメイカを見ると、「ああ。人間も犬も食べることに必死だったんだなあ」と思う。(1990・8・18)

宗谷支庁:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E8%B0%B7%E6%94%AF%E5%BA%81

稚内歴史秘話
 日本で最初にコーヒーが飲まれたのは、北方警備のため江戸幕府が宗谷に置いた東北諸藩で、飢えと寒さと水腫病に効く薬として藩士たちに配給されたのがその始まりといわれています。
 日本で初めてストーブを作ったのは、箱館奉行所の役人、梨本弥五郎です。安政3(1856)、宗谷に赴任し、厳寒の地で暖房設備に不安を感じてアイヌの鍛冶職人に試作させたのが第1号機でした。http://www.geocities.jp/f_travel2000/wakkanai_city1.html

復員船でかみしめる一粒一粒 
   宗像市 河野通弘(療養中・70歳)

 
ビアク島は失陥、ニューギニアは連合軍に完全に分断され、軍の統帥は麻縄のごとく乱れた。第二軍はマノクワリを放棄し、無謀な撤退作戦に出た。わずかな携帯糧秣(りょうまつ)は瞬時に食いつぶされ、身に重い一切の所持品も捨てた。
 激流の大河を渡り、人跡未踏の大山脈を越え、ジャングルに入ると、二万数千人の将兵の大半は、マラリアやアメーバ赤痢や栄養失調となり、歩行も不可能だった。マラリアに狂う少年兵を巨木に縛りつけ、ジャングルに捨て去った。草も木もかじった。軍靴も図嚢(ずのう)も焼いて食べた。小便も飲んだ。
 折しも、私は特命を受け、参謀長と爆撃機でジャワ島に飛んだ。ジャワは天国だった。貨物廠(しょう)には食糧が山と積まれ、兵器廠、自動車廠には前線向けの軍需品が集積されていた。だが、一隻の輸送船舶もすでになく、物資の山は埠頭に雨ざらしになっていた。
 やがて敗戦を迎えた。インドネシアの青年たちは「ムルデカ(独立)」を叫び、独立軍を編成し、上陸して来る英・オランダ軍との交戦に日本軍の協力を求めた。だが、武器の譲渡を巡って紛糾が起こり、双方に多数の死傷者が出た。わが部隊も襲撃に遭い、交戦かと思われたが、親交のあった中隊長(元日本軍兵補)との話し合いが成立し、私の伝家の宝刀や相当量の武器・食糧を譲渡し、戦いは回避された。
 だが、身一つでスラバヤ収容所に収容され、独房に入った。食事は一日ニ食。囚人食より粗食で、汚れたアルミ皿に一盛の飯と、腐りかけた干し魚が一切れだった。インドネシアと英・オランダ軍との紛争が激化し、郊外の独獄に転じたが、スラバヤよりも劣悪な囚人食だった。本隊との連絡もつかず、ふんどし姿ですき腹を抱え、栄養失調が続き、歩くこともできずにいた。
 昭和二十一年五月、英軍との交渉が成立し、シンガポール南東の離島に移送された。英軍の強制労働は酷だった。マラリアや栄養失調で死んだ戦友は数知れない。
 飢えた身に、復員船「朝風丸」で食べた米の一粒一粒に幾たびも泣いた。この滂沱たる涙は今も忘れない。平和の米だった。(1990・8・28)


▼かささぎの独り言

地名を読んでもすぐにどこかはわかりません。
スラバヤというのは、よく見かけます。俳句にもあります。しかし、図嚢なる名詞ははじめてみました。
探したら東条英機の図嚢がありました。革製品のリュックか。・・いれものまで食べたんですね。http://ijan2.hp.infoseek.co.jp/rare18/toujouhideki-zunou.htm

▲引用は二編とも『食べる』
(朝日新聞テーマ談話室編、1991・8・25刊

    

コメント

兵士回顧談にあるスラバヤには一週間ほど滞在したことがあります。

なんでどす。

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コメント

東条英機って久留米時代があったのですね。
子供さんは日吉小学校とありました。
久留米の自衛隊にある資料館には入ったことがありますよ。11月の開放日に。
その時紋付はかまに刀をさしたちょんまげの人を見ました。
そのおじさん見てた私に「坂本龍馬みたいでしょう。ハッハッハッ」って(@@・・ちがうちがう・・)

えめさんが書いてくださったので、より戻って東条英機の図嚢よみなおしてみました。
12師団のおさになられたのかな。12師団が久留米だったのですね。東條さんは敗戦後めちゃくちゃいわれたけど、優秀な軍人であられたのですね。そうだとおもっていた。
わたしは、こないだ久留米の陸上自衛隊の戦車隊の石碑についての記事を読んで、あれ、あそこが国分だったの。って。そのくらいの土地勘しかなくて、。いつもいつもその横を通って通勤してたのにね。知らなかった、なんにも。ほんとにまぬけです。無知であり、それは無関心の表れでした。はずかしいとおもっています。

ご無沙汰です。。
しばらく見ないうちにすっかり話題が変わってる。。(笑
お疲れ気味だけど何だか楽しそうですね。
お元気そうで何よりです(^ ^;


駐屯地の一番 西に建つ建物が資料館です。
明治時代からの建物。 中は古めかしいです。
遺品や衣装など色々並んでいます。
年中見学できると思いますよ。
久留米師団は最重要師団だったのでしょうね。
道を挟んだ東側には陸上自衛隊幹部候補生学校がありますね。

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