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2010年7月 8日 (木)

久留米の床屋のせがれ呂伊利さんとアブナイ話をしまっしょ。談義

(手塚治虫は共産党の・・かささぎ補注)党員かどうかは知らんけど、支持者であったのは確か。科学技術の発展による、明るい未来を信じる進歩史観というところに共通点があるのかな(手塚作品の場合、そうでない部分もあるが)。ついでに山田洋次も共産党支持者だから、死んでも国民栄誉賞は難しかるね。でもそういう目で見ると、山田洋次の映画に出てくる人たちって、いかにも共産党の目から見た善良な庶民像ってとこありますね。支持政党については、プライベートってわけじゃないですよ、2人とも選挙ビラなどに堂々と顔・名前を載せてござった。
警察がパチンコ業界から欲しがってたのはキタの情報ではなく、ヤーさん社会の情報でしょう、詳しくはしらんが。ギャンブルあるところにヤーさんありは、相撲界でも常識だったはず。ようするに、裏社会の情報を流すかわりに、パチンコ景品の現金との交換を黙認してるということです。たぶん今もつながりはあるでしょう。
 うちの父にいわせると、同じ在日でもパチンコ屋は韓国・朝鮮系が多い、というより中華系が少ないのは「損して得取れ」ができるかどうかだとさ。このへん、微妙に商売観が違うのかな、日・中・韓(朝)で。
 ぼんさんへ。公用語が英語になることはまずありましぇん、今のような付け焼き刃の英語教育法では、国民の大半が英語をしゃべりきるようになるはずがなか。
夫婦別姓、私は大いに賛成、平安中期以降の武家社会の伝統に戻るのでござる。ミドルネームも賛成、これはミドルネームと違って職名だけど、「大岡越前守忠相」とか…人間は生まれてくる時から氏名友に決められていて、その名前を変えるのもできないし、成人したらミドルネームを自分でつけるのはどうかという発想が今ひらめいた、これを選挙公約に入れてくれる人や党があったら、そこに投票しよう!

GHQが日本の教育から漢字文化をなくそうとしていたんだって。文字はカタカナだけで、左から右への横書きにするようにって。
日本人は受け入れられなかったようですね。漢字大好き人間がたくさんいるもの。それにカタカナだけの文章は読めない。電報の文章なんか特にそうです。
GHQは失敗したけど、日教組か文科省がゆとり教育を推進したおかげで、思惑通りの教育水準になりつつあるという皮肉な結果になったようです。
全部櫻井さんのうけうりです。
ミドルネーム、ろいりさんは賛成ですか。職名を入れるとしたらたいへんじゃなかですか。フリーターの人はどうする。私はどうなる。ちょっと考えてみよう。

>うちの父にいわせると、同じ在日でもパチンコ屋は韓国・朝鮮系が多い、というより中華系が少ないのは「損して得取れ」ができるかどうかだとさ。このへん、微妙に商売観が違うのかな、日・中・韓(朝)で。

↑は解説いります。わからない。
中華人は損して得取れができないのですか。
ぱちんこといえば、キタの人という先入観があるのは、なぜでしょうか。ぱちんこやさんはキタへせっせと送金しているような、そんなイメージがつきまといます。

やがてキタもみなみもドイツみたいに一つになってなくなるとして、そのために日本はなにをしたらいいのでありましょうか。ということを、ふっとおもいました。

売血の句ができたから。献血の募吟があってて。
けんけつ。ばいけつ。
そうだった、高校時代読んだんだったか、いや、短大生のころか、五木寛之のエッセイで売血を知った。貧しくて売血をする列に並んだと書かれていた。とうとう大学を卒業できなかったと。
売血。いまもあるのでしょうか。

なつかしき昭和時代へ

売血や西日の中のひだる神   恭子


>GHQが日本の教育から漢字文化をなくそうとしていた
ああ。それだからかな。東条英機の獄中書簡は全部カタカナだった。いやまてよ。漢字とカタカナでした。よみにくいのなんの。
今の私達の国語は相当衰退していると思います。
五十年前の文章がろくすっぽ読めないんですよ。
これは敗戦後の教育が原因であり、はっきり伝統の精神の断絶をねらって投げたghqのボールが見事功を奏したんだろうとおもいます。

とりあえず補足編
その1
「損して得取れ」を中華系ができないというのは、あくまでも父の考えか、受け売りを聞かされただけで、ただ言えるのは、同じ東アジアでも地域や民族によって商売観が違い、しかもどれが正しいというわけではないということと、確かにパチンコ屋は「損して得取れ」商法だということ。
その2
パチンコ業界には韓国・朝鮮系が多い、が、すべてではないし、ましてすべてがキタ系で…というのは誤解。だいたい、在日コリアンを単純にキタ系ミナミ系に分けるのが誤解の元。
その3
パチンコ業界やヤーさん業界になぜ在日コリアンが多いか~それは今でも残る就職差別もその一因でしょう。社会からはみ出された(はみ出た)人をうまく取り込む、これがヤー産業界のうまいとこ。

後日、日本の(日本語)教育に対する反論編をコメントする予定で、口蹄疫とか家畜伝染病予防法とは全く無関係なので、そこんとこよろしく。

ろいりさん。わかりました。ありがとうございます。
今日、消し忘れていたコメントのあとについたコメントのおかげで、なぜすぐ消さなかったのか思い出しました。内容が、日本人が書いたものではないような気がした。週に一回つくエッチサイトへの勧誘ですが、いつも日本語がおかしい。わざとかな。と思っていたが、どうもちがう。漠然とかんじたのですが、つながってはいないでしょうか、ここと。
社会からはみでた人をすくいとる。というのは、ろいりさんが書かれているやーさんの世界です。
宮部みゆき『火車』などよむと、借金で首がまわらなくなった人たちをやーさんが風俗で働かせる。という図式が出てきますが、よくあることなのでしょうか。
あのコメントは、そっちからきたような気がします。

予告しておいた「日本の(日本語)教育に対する反論編」は長くなるので後回し、でもこのブログは口蹄疫問題で盛り上がってるから、どうせあまり関心持たれないか。
補足の蛇足編、うちの親父は広川の小学校(正確には国民学校)もまともに最後まで通わず、戦後になって同窓会名簿に追加してもらったという無学な人間だけど、たまたまお得意さんにラッキーパチンコの創業者、光華楼の創業者、はたまた○○組の組長がいるetc.という幅広い人脈の中で、いわゆる床屋談義の中で、自分なりの世の中感覚を身につけたようです。私から見りゃ、偏見あったり守旧派的なところが大いにありますが。
残念なのは、10年前だったらラッキーパチンコと光華楼の創業者という、在日、在久留米東アジア人から、いろんな話を直に伺うチャンスがあったのに、結局それを逸したということ。ラッキーパチンコの金海さん~金海(キメ)金(キム)氏二代目は日吉小で同学年~も、光華楼の翁さん~その娘は1学年上で、久留米高校卒業後、加藤和彦とデュエットの「チッチとサリー」をレコーディングするも久留米でも知る人はほとんどなし~も、数年前に亡くなってしまった。特に翁さんが経営してた映画館ロイリーのことは聞きたかった。思えば私がこのブログに参入したのも、このロイリーが縁で、連句も社会問題も、無関係だった。ああ、こうして久留米の、筑後の庶民史は失われていくのか。

も1つ、誤解解消篇
私はもともとミドルネームに賛成してるわけではなく、今回話題に出て、あ、それもよかね、と思ただけ。昔の貴族や武士のように形だけの姓(カバネ)や役職名を入れるというのは、そんな時代もあったねという単なるたとえ話で、職名入れることに賛成なわけじゃありまおんせん。ちなみにクリスチャンネームというのもあるか。
しかし考えてみれば、自分自身の呼び名でありながら、名字も名前も生まれた時から決められ、変えることもほぼ不可能、私個人的には自分の名前が好きではない、せめてミドルネームに自分自身の好きなネームを付けられたらいいんじゃないかという、その場の思いつき。ついでに言うと、これで夫婦同姓・別姓問題も解決できる~結婚したら親も子も、どちらかの姓をミドルネームとする、子供は成長して結婚する時、どちらか好きな姓を選んで、配偶者が選んだ姓と、どっちかをファミリーネーム、どっちかをミドルネームとし、親も子もそれを使う。単なる思いつきにしてはなかなかいいアイデアと自画自賛。
夫婦別姓は家族の一体感、日本の伝統を破壊するなんて馬鹿げてる。夫婦同姓で崩壊してる家族はぎょうさんあるのが現実、夫婦別姓で崩壊するような一体感は、既にその崩壊の萌芽を内に秘めてるだけではないか、日本の伝統って、いつからの伝統?庶民社会から見ればたかだか明治以降150年の伝統に過ぎない。夫婦同姓は、文明開化期の、西洋かぶれの発想です。
ありゃ、またまた口蹄疫と関係のないこと長々書いて、かんにんどすえ。


ろいりーさん。うしなわれませんてば。
そうやって呂入りさんが文字に残しておかれる限り。細やかな古い久留米の記憶への需要は多いと見え、(アクセス解析ではあまりとりあげていませんが)、毎日何個かのくるめ談義へのアクセスがあっています。
とこやだんぎって、世間そのものかもしれません。
以前にも何度か書きましたが、以下は連句的です。

はよけえろう。がそのまま俳号になった俳人石川桂郎は秀野の同い年の(一白水星、かささぎもそうです)男友達で秀野は呼び捨てで呼んでいた。けえろう。ってね。とこやのせがれで石田波郷の出征のときにはけいろうが波郷の美しい髪を断髪をしてあげた。そのときの波郷の有名な一句。

昭和十八年応召
雁(かりがね)や残るもの皆美しき  波郷

で、秀野のはきょうをおくる一句は、たしか、
征く君に熱き新酒と覚えけり  秀野
だったとおもう。

けいろうの句でおぼえているのは、コンドームを買うときの句(誰にでもはかけないな。けいろうにしか)と、なくなったこどもへの追憶句です。
正直で熱いこころの句です。
最晩年の句には、
裏返る亀思ふべし泣けるなり  桂郎
たしかこんな句がありました。
以上、記憶からだしたので、要確認。

ところで。
とこやといえば、かささぎは、たかしまのなかしまとこやさんをおもいだします。あそこで何の文句もいわずにかりあげられていたのですが、それはハイカラという名の刈り上げでした。笑。
前髪はごんたさんみたいに眉のずいぶん上でそろえて、うしろはバリカンでかりあげです。まあ低学年のうちはなんの文句もいいませんけど、だんだんださくていやでたまらなくなりました。いつごろからあそこへいかなくなったでしょう。四年生ころからかも。
おもいだせない。でも、なつかしい。
ともだちのおかあさんでしたが、中島とこやさんが元気よく皮砥でかみそりをといでおられた姿を今も覚えています。そして、かささぎはえりあしをそってもらうときおしりのところがぞくぞくしました。なんなんだこのかんかくは。。。とおもっていた。
いま、かささぎは整骨院助手で人の襟足にクリームをぬってあげることがあります。いろんな首にぬりながら、自分がぬられているかんじになり、みょうなきぶんです。
こういう感覚的なものは、誰もことばではおしえてくれませんでしたが、じぶんのからだをしるという点において、とってもだいじでした。

ミドルネームか。それ、どうでしょうね。
それより号をもてば全面解決します。
すきなようにつければいいですから。

韓国が損して得取れ式の商売形態なのは国民性としてあるとおもう。泣き女、という商売もあるとききました、そうしきのとき。哀号。

※さきほど、字を間違えました。
かわとは皮砥ではなく、革砥が正しいようです。

こんばんわ
床屋談義>>うちの両親は床屋で知り合いました。
母の親戚の床屋に父が常連で、、母は手が足りないとかでたまたまバイトに来てて、父のひげをその切れるカミソリで剃っていて失敗したらしいのよ。
それが付き合うようになったキッカケ・・☆彡
きっとどっちかがドキドキしたんでしょうね

へーえ。とこやさんで。そうでしたか。
ひげもあたってあげてたのですね。
目に浮かぶようだ。

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コメント

 床屋で会って恋に落ち、っていいですね、エメさん、あ、そのご両親がそうだったのか。私は自分ちに弟子や職人さんで来た女性と恋に落ち、髪結いの亭主になりたかった。現実はそんなに甘くない。
 かささぎどん、髭は「剃る」というより「あたる」とは、何と江戸っ子的表現。それにしても、ミドルネームの話題を号に導こうとするところはさすが連句の手練れでござんすね。私も、ミドルネームと別名(字・号・通称・幼名など)をごっちゃにしてしまったのがいけなかった。ミドルネームという点に立ち返ると、例えば「○○六ツ門××」とか「○○ロイリー××」とか、「○○△△××」というふうに、姓(名字)と名の間に地名やカタカナ名や配偶者の旧姓を入れるのも一興かなと、ま、それだけのこと~○○が姓=ファミリーネーム、××が名前=ファーストネーム、△△はヨメの旧姓です。読むときは、姓とミドルネーム、あるいはミドルネームと名前に、「の」を入れるとそれっぽくなっていいかな。
 できることなら1950~60年代の久留米の映画館史を調べたいが、そんな時がくるのやら、万一その時は、八女の映画館史も教えてくだされ。あ、去年3月まで同僚だった立花町出身、八女高出身(奥さんは福島高出身)の人にそんな話も聞いとけばよかった。
 口蹄疫問題で話題沸騰の中、わざわざ一項目作っていただいてかたじけない。しかし週末にこそ「日本の(日本語あるいは英語はたまた戦後)教育論に対する反論編」を乞うご期待~誰もしてへんちゅうのに。

そういわれると、期待します。ろいりーさん。

えーときにはやわらかいネタをひとつだいさーびす。出血まではせえへんが。
きのうアクセス解析しよったら、「ケイトハドソンの胸」でかささぎの旗へお越しいただいた方が二名もいました。ありがとござんした。二位くらいでした。一位には「胸を大きくしたケイト」みたいなの。げげ!

ひめさん今日は家族でお世話になりました。ありがとうございます。そしてお騒がせしました。
ろいりさん、ご無沙汰です。今度お会いできた時、写させていただいたチョロQの写真を差し上げますね。
映画館史ですね。 結構語れます。 
2歳の頃から大人と入りびたっていたようです。
父の従弟のおじさんの膝の上でおもらしをしたことをいまだにその人に蒸し返されます(爆)
映画館の記憶は小さい頃からあります。
裕次郎もの、ギターを抱えた渡り鳥ものや悲恋ものの絶唱とか色々。。

<太陽のメロディー>
宮崎県高鍋町出身の今井美樹さんやコブクロの小渕さん(宮崎市)が布袋さんの曲で応援ソングを発売されましたね。
収益金はすべては被害の義援金になるとか☆
宮崎県出身の有名人の方々がぞくぞくと寄付をされていますね。
有名人だからこそ色々なしがらみがあって口にできないことも多いのかもしれません・・。


 「日本の(日本語あるいは英語はたまた戦後)教育論に対する反論編」も忙しさと、語り出したら長くなりそうなのと、つい最新の話題へのコメントのほうが先になって延ばし延ばしにしてる間に、移り気な人の心には、もう古い話題になるのだろうな。しかもここでまた1つ、落語で言う「枕」を振りたくなる。エメさん、「裕次郎もの、ギターを抱えた渡り鳥ものや悲恋ものの絶唱」をリアルタイムでご覧になったとは羨ましい。持つべきものは年上の男?「絶唱」は舟木一夫ですか、私は恥ずかしながらレコード買いました。実は渡り鳥シリーズ以前にアキラとルリ子が共演した、最初の映画版「絶唱」があるのは御存じでしょうか。
 本題については、今回はちょっとだけよで、反論その1
「GHQが日本の教育から漢字文化をなくそうとしていた」、あるいはローマ字化しようという動きもあったらしいが、それ以上に日本人の中に戦前から漢字文化をなくそうという考え方はあり、その極論であるローマ字表記を推進する団体も実に明治前期からあり、今でも存在するというのが事実です。さらに志賀直哉はS21年に国語フランス語化を唱え、それどころか明治初期、初代文部大臣の森有礼は英語の国語化論を唱えている。そして今、財界人などが唱える英語公用語論、歴史は繰り返す、いつも喜劇としてですな。
反論その2
左から右への横書き、こりゃ書道ならまだしも、右利きの人がペン書きするなら当然こっちが便利、早い話が現代の左利きの身になって考えてみてください、「左から右へ」がいかに書きにくいか。そして縦書きにおける右から左への伝統はちゃんと守られている。「昔は良かった」はいつの時代にもある言葉、年寄が言うならまだしも、昔のことを知らない若者までがそう思う、これも歴史は繰り返す。
反論その3
東条英機の獄中書簡は「漢字とカタカナで、よみにくい」、これは東条英機がなぜそうしたのか知らないが、庶民レベルでは鎌倉時代からの書き方です。平仮名より片仮名のほうが覚えやすかったのでしょう。「私達の国語は相当衰退している」かどうかは、何を、どういう人を基準にするかだと思います。今のわれわれが読めるような、50年前より容易になった文章を、50年前の一般庶民は読み書きできなかった、少なくとも日本人の50%以上はせいぜい高等小学校卒業止まりだった頃は。
予告編1
「昔は良かった」的な考え方と、それが正しいかどうかは別問題。江戸時代の、「明治時代」の、戦前の、戦時中の、高度経済成長期以前の、高度経済成長期の日本が、今の日本よりマシだったかは人による~階級・階層・職業その他。
予告編2
昔は何でも日教組のせいにしとけば良かったけど、今や組織率30%を切り、しかも御用組合化や腐敗化でその影響力も弱くなってしまうと、それだけでは説得力がないと、文科省やゆとり教育も一緒くたにして批判の対象になることが多い昨今。でも、「ゆとり教育」論にも実はピンキリあるのです。10年前に始まった「ゆとり教育」は上からの押し付けで、教委は「あーせいこーせい、ありゃいかん、こりゃいかん」と言い、管理職はその顔色伺うばかりだった。思えばかつて「詰め込み教育」批判が高まった時代があったけど、みなさんその時代の弊害を知ってますか?
 ちょっとだけよのつもりが長くなったけど、まだまだこれから、話は続く、覚悟めされぃ。

ふうん。先生みたいな反論ですね。
ああそうか。ろいりさんは歴史の先生でしたね。笑。わすれてはいかんぞなもし。
日本にもともとあったもの。そうでしょうね、だからこそ明治時代にすでに森鴎外も仮名遣い意見などというものを書いているんだし。
自分でも少しは成長したな。と思うのは、あることを批判して、あとでもし自分が批判される側だったら。と考え、その言い訳をきっちりと立ててみて、それからまた考えるようになったことです。
さほど自分はよくもわるくもない人間だとわかってきたからこそ。こないだ書いたチベットのダライラマでも、よくしらないからこそ、よく見えていますが、ほとんど実像を知らないわけで、それは多分いけだたいさくさんとおなじくらいしらないわけで。
いいかげんな話です。何事もイメージで語ってはつまらないな。と反省中。

こんばんわ。境港から帰ってきました。
GHQ>>当時実行された政策ってきっとたくさんあるのでしょうね。
60年後の今、よかった事、悪かった事の現実を誰か検証してくださるといいですね。
絶唱>>これはアキラ氏とルリ子嬢です。
4、5歳の頃の記憶。
死んだ花嫁さんとの三々九度のシーンがあったと思います。 きれいな場面でした。
渡り鳥シリーズ>>20歳位の叔父に連れられて見ました。
瓦礫の荒野の岩に足をかけてギターを抱えたアキラ氏がラストシーンで、あの美声を・・。
叔父が同じシーンをギターを抱えてまねしてよく歌ってました。
サーカスもので、球形の中をバイクで走るのもアキラ氏だったでしょうか・・。
ダライラマ氏>>あの笑顔と表情は、有能で、仕事が出来るタイプのトップのお顔立ちですね♪

タイ王国へ赴任した時、娘はバンコクの日本人学校へ通いました。この学校の卒業生名簿の中に、女優のルリ子さんがいました。
語学教育、日本人学校はタイ国が認可する学校ということで、当然のことながらタイ語の授業も申し訳程度にありました。
でも、子どもたちは、留守番で電話応答して要件を親に伝えるくらいの語学力が、わずか1年そこらの滞在期間で身に付きました。
義務教育で英語を6年間も習っている我々は英語で電話応答して要件を伝えることができたでしょうか?
途上国援助の経験上、苦々しかったことがあります。どの国も、英語が出来る人の英語圏の国への流出が止まりません。援助で技術を伝えた人たちが海外へ逃げるのです。
国の発展のために、英語教育は必ずしもプラスばかりとは限りません。国を担うべき優秀な人たちには国に留まってほしい。
日本政府が「使えない英語」教育に心血注いだのは、深慮あってのことだったのかも。

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