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2010年7月13日 (火)

呂伊利さんと映画の話(今回は小林旭と浅岡ルリ子版『絶唱』)、教育の話をしましょ。談義

「日本の(日本語あるいは英語はたまた戦後)教育論に対する反論編」も忙しさと、語り出したら長くなりそうなのと、つい最新の話題へのコメントのほうが先になって延ばし延ばしにしてる間に、移り気な人の心には、もう古い話題になるのだろうな。しかもここでまた1つ、落語で言う「枕」を振りたくなる。エメさん、「裕次郎もの、ギターを抱えた渡り鳥ものや悲恋ものの絶唱」をリアルタイムでご覧になったとは羨ましい。持つべきものは年上の男?「絶唱」は舟木一夫ですか、私は恥ずかしながらレコード買いました。実は渡り鳥シリーズ以前にアキラとルリ子が共演した、最初の映画版「絶唱」があるのは御存じでしょうか。

 本題については、今回はちょっとだけよで
反論その1
「GHQが日本の教育から漢字文化をなくそうとしていた」、あるいはローマ字化しようという動きもあったらしいが、それ以上に日本人の中に戦前から漢字文化をなくそうという考え方はあり、その極論であるローマ字表記を推進する団体も実に明治前期からあり、今でも存在するというのが事実です。さらに志賀直哉はS21年に国語フランス語化を唱え、それどころか明治初期、初代文部大臣の森有礼は英語の国語化論を唱えている。そして今、財界人などが唱える英語公用語論、歴史は繰り返す、いつも喜劇としてですな。
反論その2
左から右への横書き、こりゃ書道ならまだしも、右利きの人がペン書きするなら当然こっちが便利、早い話が現代の左利きの身になって考えてみてください、「左から右へ」がいかに書きにくいか。そして縦書きにおける右から左への伝統はちゃんと守られている。「昔は良かった」はいつの時代にもある言葉、年寄が言うならまだしも、昔のことを知らない若者までがそう思う、これも歴史は繰り返す。

反論その3
東条英機の獄中書簡は「漢字とカタカナで、よみにくい」、これは東条英機がなぜそうしたのか知らないが、庶民レベルでは鎌倉時代からの書き方です。平仮名より片仮名のほうが覚えやすかったのでしょう。「私達の国語は相当衰退している」かどうかは、何を、どういう人を基準にするかだと思います。今のわれわれが読めるような、50年前より容易になった文章を、50年前の一般庶民は読み書きできなかった、少なくとも日本人の50%以上はせいぜい高等小学校卒業止まりだった頃は。

予告編1
「昔は良かった」的な考え方と、それが正しいかどうかは別問題。江戸時代の、「明治時代」の、戦前の、戦時中の、高度経済成長期以前の、高度経済成長期の日本が、今の日本よりマシだったかは人による~階級・階層・職業その他。
予告編2
昔は何でも日教組のせいにしとけば良かったけど、今や組織率30%を切り、しかも御用組合化や腐敗化でその影響力も弱くなってしまうと、それだけでは説得力がないと、文科省やゆとり教育も一緒くたにして批判の対象になることが多い昨今。でも、「ゆとり教育」論にも実はピンキリあるのです。10年前に始まった「ゆとり教育」は上からの押し付けで、教委は「あーせいこーせい、ありゃいかん、こりゃいかん」と言い、管理職はその顔色伺うばかりだった。思えばかつて「詰め込み教育」批判が高まった時代があったけど、みなさんその時代の弊害を知ってますか?
 ちょっとだけよのつもりが長くなったけど、まだまだこれから、話は続く、覚悟めされぃ

ふうん。先生みたいな反論ですね。
ああそうか。ろいりさんは歴史の先生でしたね。笑。わすれてはいかんぞなもし。
日本にもともとあったもの。そうでしょうね、だからこそ明治時代にすでに森鴎外も仮名遣い意見などというものを書いているんだし。
自分でも少しは成長したな。と思うのは、あることを批判して、あとでもし自分が批判される側だったら。と考え、その言い訳をきっちりと立ててみて、それからまた考えるようになったことです。
さほど自分はよくもわるくもない人間だとわかってきたからこそ。こないだ書いたチベットのダライラマでも、よくしらないからこそ、よく見えていますが、ほとんど実像を知らないわけで、それは多分いけだたいさくさんとおなじくらいしらないわけで。
いいかげんな話です。何事もイメージで語ってはつまらないな。と反省中。

こんばんわ。境港から帰ってきました。
GHQ>>当時実行された政策ってきっとたくさんあるのでしょうね。
60年後の今、よかった事、悪かった事の現実を誰か検証してくださるといいですね。
絶唱>>これはアキラ氏とルリ子嬢です。
4、5歳の頃の記憶。
死んだ花嫁さんとの三々九度のシーンがあったと思います。 きれいな場面でした。
渡り鳥シリーズ>>20歳位の叔父に連れられて見ました。
瓦礫の荒野の岩に足をかけてギターを抱えたアキラ氏がラストシーンで、あの美声を・・。
叔父が同じシーンをギターを抱えてまねしてよく歌ってました。
サーカスもので、球形の中をバイクで走るのもアキラ氏だったでしょうか・・。
ダライラマ氏>>あの笑顔と表情は、有能で、仕事が出来るタイプのトップのお顔立ちですね♪

タイ王国へ赴任した時、娘はバンコクの日本人学校へ通いました。この学校の卒業生名簿の中に、女優のルリ子さんがいました。
語学教育、日本人学校はタイ国が認可する学校ということで、当然のことながらタイ語の授業も申し訳程度にありました。
でも、子どもたちは、留守番で電話応答して要件を親に伝えるくらいの語学力が、わずか1年そこらの滞在期間で身に付きました。
義務教育で英語を6年間も習っている我々は英語で電話応答して要件を伝えることができたでしょうか?
途上国援助の経験上、苦々しかったことがあります。どの国も、英語が出来る人の英語圏の国への流出が止まりません。援助で技術を伝えた人たちが海外へ逃げるのです。
国の発展のために、英語教育は必ずしもプラスばかりとは限りません。国を担うべき優秀な人たちには国に留まってほしい。
日本政府が「使えない英語」教育に心血注いだのは、深慮あってのことだったのかも。

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コメント

>瓦礫の荒野の岩に足をかけてギターを抱えたアキラ氏がラストシーンで、あの美声を・・。

えめさん。お帰りなさい。このシーンは超有名ですね。むすめが農高の卒業制作で描いた絵本の背景にも、石に足をのせてポースをきめてるゴキブリの絵があった。↓これ遠響きとでもいうんだろね。かっこええって自己陶酔の図。だってね。岩に足をかける必要ってあるんだろか?
ああああ。どうでもよかこつがきになるったい。

ところで。乙四郎さん。
浅岡ルリ子さんはタイ国の学校をでておられた?その学校へ乙四郎のむすめさんが通ってた。へーえ!すごい奇遇ですじゃ。

絶唱。
これはぜひとも原作者のむすこさん大江希望さんに読んでもらわねばなるまいよ。わたしはずっとあとでテレビでみたとおもいます。それも一部だけ、(たしか和泉雅子を抱えあげるのが重かったといって舟木一雄がこぼすの。)それで、野菊の墓とごっちゃになるのです、印象が。どちらもヒロインが死んでしまうから。いつかまたみくらべてみたいです。

 境港とはまたなぜに?まさか水木しげるロードがお目当て、じゃないですよね。私は10年ほど前、東京から米子行の夜行バスに乗り、早朝電車で境港に出て、隠岐諸島2泊3日の旅をした後、「関の五本松」経由で松江に向かい、そっから夜行バスで福岡に帰ってくるという夏休みを過ごしたことがありますが、その境港の街中を通るバスの車窓から妖怪たちの像がたくさんあるのを見て、しまった、ここで1泊すべきだった、と後悔したのを思い出しました。
 それから、まさかアキラとルリ子(浅丘ですよ)の「絶唱」をリアルタイムで御覧になっとるとは、脱毛、じゃなかった脱帽!私はそんな兄貴分もおらず、幼年期にはもっぱら東映チャンバラばかり。たまに隣のロイリーで洋画か、ぼんさん御存じの10円映画か。小林旭の良さを知ったのは既に18過ぎて、しかも早川義夫・三上寛というフォーク系の人たちが書いたものや、小林信彦の『オヨヨ大統領」シリーズや『日本の喜劇人』を読んでからでした。渡り鳥シリーズを初めて見たのは何と大学生の時、そして小林信彦の言う「喜劇人」としての宍戸錠の魅力に取りつかれ…とここまで書いて、あれ?この話題どこかで1度したよな、と過去の記事を検索、な~~んと、1年前に同じような話題をしている↓でも検索しないと思い出せなかった、あきまへんわ。ところで、その粋なおじさん、まだお元気でしょうか。
 そんなわけで、なかなか日本語or英語教育論の入口から先に進めない。乙四郎殿の言う「日本政府が「使えない英語」教育に心血注いだのは、深慮あってのことだったのかも」というのは痛切な皮肉ですが、本当は受験英語優先だったからじゃないでしょうか。21世紀の今でさえそうです。その一方でお馬鹿な小学生英語教育を行ってる。これがいかに役に立たないものかを論じたいのだが、今日も脱線コーナーでした。お粗末。

ところで、つかぬことを伺いますが。まったく関係ないのでありますが。「かっちょ」という鳥は、なんでしょう?よく昔の人の話にでてきました。今日せいこついんの先生も言ってたのでふと気になりました。よほどそれはなんの鳥かと聞いてみたかった。なんだろうねー。筑後の文化人みたいな筑後の野鳥でありますね。以上、忘れぬうちにメモしました。すんません。
浅岡じゃなくて浅丘。すみません。
ろいりさんの話とは直接関係ないことばかりですね。
隠岐の島は福岡にもある沖の島とおなじ意味でついた名前なのですね。それ、考えたこともなかった。なんとなく隠岐といえば島流しにあってお隠れになるところ。って雰囲気です。でも、古賀の音彦さんのおっしょさんのえらい教授の方が書かれたご本を読んでいたら、そういうことが書かれていて、ふうん。と思って。
ちなみに、沖の島にはへびがいないんだって。
あれ?完全に話題が浮いてますね。
(えめさんは一泊旅行、松江、島根、出雲方面に、だったそうです。)

>>みなさんの地域は大丈夫でしょうか・・お気をつけて☆
ろいりさん、当方、日・月で水木しげる氏の故郷を見学してきました。
水木しげるロードは商店街に活気を沸かせていましたヨ。
ゲゲゲの妖怪のフィギアを手作りされてる店主に会いました。すごい量で個性的なフィギアがところ狭しと並んでいました。
境港の空き倉庫を活用して若い人達が個性的で楽しいお店をオープンされてました。
紹介がなかったけどとても目に付いたのでバスに乗り込む前に走りこみました(の近く)
>>9歳の頃、父と「あヽ特別攻撃隊」を見ました。あの頃は戦争映画が特に多かったですね。いくつか立て続けに連れて行かれました。
ありがとうございます。69歳の叔父は今でも元気です。当時家に居る頃は絵が得意で、ざら紙に鉛筆で映画のワンシーンを書き色鉛筆で彩色するのが好きみたいでした。
シェーンのラストシーンの絵が一番覚えています。
去っていくガンマンと少年の後姿。アランラッド、と書いてありました。外国俳優で初めて覚えた名前です。束であったのでとっとけばよかったなと・・。

かっちょ>>聞いたことがありますね。。どんな鳥だろ??

 「かっちょ」、私は格好いいことを「かっちょよか」と行ってたような記憶しかないが、検索するといろいろ出てきますよ。ヒヨドリのことだとかホオジロのことだとか、その土地土地で違うごたる。
 「おきのしま」という島は日本全国にあるようです、とにかく沖のほうにある島なんですね。玄界灘の沖の島は、近頃の日本史の教科書にほとんど載ってます。「海の正倉院」げな。「大島」なもっとたくさんあり、東京んもんにとっては伊豆大島、奄美では奄美大島、紀伊半島では串本節で知られた紀伊大島、ここには25年ぐらい前に行きました。せっかくトルコ記念館を見学しようと思ってたのに閉館中だった…トルコ人はとても親日的ですが、その原因の1つがわかる記念館です。
 昔はよく終戦記念日特集で(本当は敗戦だ、しかも8/15で戦争が終わったわけでもない)、特に東宝がよく戦争物やってました。久留米出身の老優藤田進とかも出ていて。エメさんの叔父さん、お元気でなによりです。機会があればカラオケで日活アクションスターの歌競べやってみたいですね。みんなで広げよう友達の輪!
 というわけで、全方位外交やって、今日も日本語論や英語教育論に踏み込めず。
 おっとついでにもう1つ、数年前に読んだ本か新聞に書いてあったこと。男はなぜか写真撮る時、岩や波止場のロープ係留用杭やガードレールなどに片足のせたポーズを取りたがる、これは昔の日活映画の影響だろうかとか、実は女性はそのポーズをダサいと感じてるというのを読んだことあります。そういや私もなぜか自然とそのポーズになる、女性の目から見たらやはりダサいポーズなのでしょうか?

 自己批判を忘れてた、7/13付のコメントの最後のほう、「痛切な」は「痛烈な」の誤りです、と日本語にこだわりたいこの私。それと、今やベテラン映画監督の域に達した、私と同じ学年の井筒和幸のデビュー作、前代未聞の自主製作ピンク映画(ロマンポルノではありませんぞ)のタイトルが『行く行くマイトガイ 性春の悶々』、主演は確かフォーク界の小林旭オタク、三上寛だった。

ださ!でも、ひとによります。
ろいりさんよえめさんよ。はなしについてけんけん。藤田進?しらん。藤田まことしか。
かっちょ。という鳥。あさはよからよるおそまで、かっちょんごつなってはたらいて。という風に使われる。ぼさぼさ頭のひよどりかな。また、鳥もちでかっちょをつかめえて食った、という話もきいた。この場合、ひよどりなら食がすすまなそう・・・なーんか野性的じゃ。八女原初狩猟民族。

えめさん。
そのおじさん、こんどいらっしゃるといいですね。
ガストはいくらなんでもなかろうけん、国分町の古蔵(こぞう)というお酒ものめる粋なお店につれてってあげましょうね。ともだちからおしえてもらいました。いつか行ったさつき庵は1280円ランチでしたが、ここは1500円ランチで和洋折衷の野菜がおいしいメニューでした。コーヒーもおいしい。ただし、平日のみ。日曜休みだそうです。夜はいったことない。

ところで、ろいりさんちのおばあちゃんはどのくらい元気なのでしょう。うちのじいちゃん、やっとというか、ついにというか、介護認定の栄誉に輝きそうです。近々お役人様がおしらべにまいられます。

おはようございます。
>>映画全盛期の頃は街にも人が溢れていたね☆彡
お誘いありがとうございます。でも叔父は関西にいるので残念です。
介護認定>>義両親のお世話時代に経験しました。
細かい設問に一つずつ本人が答えていきます。
お年寄りは「出来ない」とは言いたくないらしく(プライド?)横ではらはらしてました^^
お役人様>>専門のものわかりのいい優しい方がいらっしゃると思います。こちらの質問にもたくさん答えていただきました。

えめさん。そうでしたか。関西、それは残念です。
きっと、古い映画の話をきいてるうちに浮かんでくる古い大事な記憶があるかもしれません。スケッチされてた映画のシーンのお話を読んで、こないだ絵目さんが院につれてこられた二人のお孫さんの静かな遊びを思い出していました。まとよちゃんは絵本をひとりでよんでいたし、男の子はキャラクターの切抜きをだいじにもって、しずかにうろうろしていましたね。笑・。きっとせいいっぱいいい子にしていたんでしょうね。
介護認定、はい。ここで奇しき縁で、学長さんからはきちんと介護事業のことを系統立てて学ぶというありがたい経験もさせていただいたのですが、だからといって、こんなにもすぐわが身にふりかかってくるとは。でもそういう時代なんですね。まってくれない。

 関西一帯は私の遊び場です、裕ちゃん、アキラ、トニー(谷ではありません、赤木圭一郎)といった日活アクションファンで、歌も歌える方なら、どこにでも駆けつけます。最近、神田の古レコード屋で赤木圭一郎のソノシート・ブックを3冊買ってしまい、ヨメにあきれられました。ふん、お前に男のロマンがわかるか。
 私の実家の母は、体は元気だが精神的には8~9歳時に後退、介護認定2です。なまじ「マダラ呆け」だから始末に負えん。面倒見てる父のほうが体力的にくたびれてるというパターン。しかし2人とも、甥っ子にとっては「久留米のお父さん、お母さん」で、ひ孫がいる今でも「おじいちゃん」「おばあちゃん」とは呼ばれない御身分です。

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