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2010年6月12日 (土)

神津呂伊利氏の投稿から思い出した、杉山洋先生の一文

「原爆忌平和祈念」するなら、それと同時に、沖縄の米軍に半分ぐらいは出て行く要求をしてほしいですね。
現在と同規模の米軍日本駐留に賛成の人は、積極的に地元誘致すべきです。まして赤字財政で困ってる自治体なら、日本国の公共事業に頼らず米軍基地による経済効果に頼ったらと思います。あるいは原発誘致など、他の自治体が避けてることをしたらいい。
米軍の核兵器持ち込みは当たり前?
だったら佐藤栄作のノーベル平和賞放棄・剥奪を要求するのが先決です~
だって受賞者本人が「非核三原則」の欺瞞を知ってたわけだから。

前に投稿したように、日米(軍事)同盟が大事なら、徴兵制度にして男女・貧富の差なく自衛隊に強制入隊させるべきです。
ドイツのように(?)それを拒否するなら代替の奉仕活動をさせるという手もある。人数が多すぎるならくじ引きにするか、裁判員制度と同じような選び方をすればいいし。
いやその前に、日米同盟賛成派の政治家の子弟を入隊させ(あるいは政治家志望者はその前に入隊し)、イラクやアフガンに行かせるのが筋でしょう。自分や自分の子どもは危険にさらしたくない、でも自分たちは守って欲しい、だから米軍の言うとおり沖縄に基地を置いておくしかないなんて~
沖縄のことがしょせん人ごとなら、口蹄疫の問題もまた人ごとにさせられても仕方ないでしょう
あ、言い過ぎだったら御免なさい、そこまで言う気はなかったけど、ついつい筆ならぬキーボードが滑ってしまいました。また、元気になったら、そして私の興味に合う記事があったら投稿します。
追伸:与謝野晶子の「君死にたもふこと勿れ」の一番凄いのは、「すめらみことは、戦いにおほみづからは出でまさね」という部分だと思います。現憲法下の皇族にそこまでは要求しないけど。     神津呂伊利(メール投稿)                 

以上の、神津呂伊利さんの投稿を読んで、かささぎは連句的に次の一件を連想した。八女の画家にして史料蒐集家でもある杉山洋氏のブログで読んだ、三島由紀夫とその父平岡梓の一件である。ちょうどのことだから、ご紹介しておきたい。なんと三島は徴兵検査に官僚の父を伴い、そのおかげで徴兵を免除された。
資料の松本健一氏のお名前にどきっ。以前れぎおんでもよくお見かけした連句人松本碧さんのご主人である。

以下は、引用文です。

善知鳥吉左の八女夜話399
『三島由紀夫と善知鳥の「即日帰郷」その3』
http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10526561059.html

三島由紀夫の父は平岡梓という。新潮社の宣伝冊子の『波』の「司馬遼太郎と三島由紀夫」の中で松本健一は「平岡は三島とともに兵庫での入隊検査に立ち会っている」と書いている。

平岡の『倅・三島由紀夫』からの引用である。

息子の入隊検査に立ち会うことが平岡には許されていたということに「嘘だろう」と善知鳥はまず思った。

「立ち会う」ことを軍が許可したとでも言うのか。

いかに弱虫軍隊の関西部隊でもそれはあるまい。と思うのが常識。

しかし常識が通用しないのは昔もいまも公務員・官僚集団の世界。

日本軍の幹部も大正ころから官僚化したと言われ続けている。

軍の官僚化が戦争を始め敗戦に到ったとは識者の言うところ。

東大出身の平岡も、いいとこまで出世した官僚のひとりであり、部隊のお偉いさんも官僚の一人と思えば、この異例の『立会』も実現したものだろう。

平岡の狙いはわが子三島の「即日帰郷」だったはず。「即日帰郷」とは軍隊用語で、入営して身体検査の結果、ただちに帰宅を命じられること。

軍官僚と平岡官僚の有言の取引があってもおかしくない。

平岡は「結果は不合格で「即日帰郷」となりました」と書き、軍医の言葉も列記している。

繰り返すが三島の父親が現場で見たこと聞いたことを書いているのである。三島は入園する幼稚園児ではあるまいし、父親の付き添いで入営したのである。

松本は平岡が「軍医ら」の言動を息子の三島から聞いたものとしているが、説得力はない。

当時これらの青年は壮丁と呼ばれた。親に付き添われた壮丁なんぞ、こんな風景は善知鳥は見たことも聞いたこともない。

しかし現実にはあつたから、三島は善知鳥と同じように 「即日帰郷」で家に帰ったのである。

平岡は臆面もなくその時の軍医、軍曹たちの言葉をつづり、次のように記述している。「門を一歩ふみでるや、倅の手を取るようにして一目散に駈けだしました。早いこと、早いこと、実によく駈けました。(略) これは後ろから兵隊さんが追い駈けて来て「さつきのは間違いだつた。取り消しだ、立派な合格お目出度う」とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかった」と。

このへん前の(夜話その二)の善知鳥と全く同じ恐怖である。

しかし、平岡は三島に代わって恐がり、二十歳の息子三島の手を取るようにして一緒に逃げたのである。だらしない親子である。

一言も軍官僚との会話にはふれていない。しかし検査に立ち会う平岡の官僚態度は、三島の「即日帰郷」の実現をもたらした。

この「即日帰郷」は官僚平岡の自慢の一節かもしれない。

前に一度書いたが大西巨人の「神聖喜劇」の主人公東堂は軍医の好意を蹴って入営する。軍医は「好意を示す」行為が許されていたということ。三島の父平岡と軍医もしくはその上の官僚化した軍の高官との会話を知りたいものだ。

一方大阪ゆきの列車でひと眠りした善知鳥は、翌日午後一時ごろ東海道線の熱田駅近くで、列車が横揺れ停車するほどの地震に遭遇した。

街なかの電柱が将棋倒しに一本づつ、行儀よく倒れた。

停止した列車の近くで高さ二十メートルほどの煙突が真ん中から折れて列車の屋根に落下した。

昭和十九年敗色満ちた日本のど真ん中、東海地区を襲った「大地震」だった。のち「東南海大地震」といわれる。

十二月七日午後一時三十六分。震源地は熊野灘。М8の大地震だつた。おかげでボケ気味の頭から、ヨンパチから入営拒否された日が十二月六日だったことが忘れないことになつた。

翌十二月八日は三年前米英と戦争を始めた日。こんなに並べると年とることが楽しくなる。

地震にあった善知鳥は列車を乗り換え、中央線で東京にむかう。この列車中でも面白いことが起きたがそれは、三島由紀夫とは関係ないのでここらでおしまい。

過保護育ちの三島が生きていたら、確実にかれはボケてるはず。

だれかに手を取られて「即日帰郷」のときの父親の手のぬくもりを思い出すかな。

父の手を振り切って入営し、内務班での非人間的制裁を甘んじる度胸が三島にはなかったのだろう。

(敬称略)

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コメント

またも負けたか八連隊(大阪)、それでは勲章九連隊(京都)~その真実はさておき、いかにも関西人っぽくて好きですね、この表現。
上記のメール送った後に別のブログ見てたら、未見の映画「華氏911度」の中で、監督が国会議員に、あなたのお子さんは軍隊に入ってますか?だかイラクに行ってますか?だかの突撃レポートをしてるシーンがあるそうな。ベトナム戦争の時代は米国もまだ徴兵制だったが、それでも大学生は免除とか、ブッシュのように州兵やって誤魔化すとかで、やはり金持ちの子で実戦体験あるものは少なかったらしい。
三島由紀夫は、幼少期からの虚弱体質や身体能力のなさという劣等感に加え、さらに軍隊入隊時のこのような体験も、のちの彼の行動につながっていったんですね。
ところで1つ気になったのが「公務員・官僚集団」という十把一絡げの表現、これは一兵卒から幕僚層?までをひとまとめにして「軍人」は(とは)ウンヌンカンヌンと言うようなもの。「常識が通用しない」というのは。誰の、何のための常識なのか。例えば会社員、商売人、農民など、それぞれの職業の「常識」があるが、どうも高度経済成長期以降は、会社の常識が社会の常識に置き換えられているような気がする。ついでに言うと、今や公的機関でも非正規職員=低収入者が急増しているが、それに気づかず、「高い給料もらってるくせに」と嫌味言われることもあるそうです。
今も昔も、「分断して統治せよ」のワナにはまりやすいのかな。

ろいりさん。その映画、みていないのですか。
わたしはみました。

杉山洋先生はすごく烈しい個性的な方です。
かささぎは悪口を山のようにいいましたし、この人のためになんどもなきました。が、すんでのところで、きらいにはなりませんでした。みえるような気がするからです。この方のなかをながれる川の音が。
絵を公表されていて、それ見てたら、色が繁二郎とおなじで、さらに、教え子たちの絵にも、それが伝わっているのが見えました。まるで、少女時代の藪秀野たちの絵を指導した石井鶴三の兄みたいです。(東京パックでいっしょに漫画をかいていた繁二郎の親友が鶴三、こっちの名前はおぼえているのに、文化学院の学監だった兄のなまえをわすれました。)
高学歴でも低収入の若者たちが増えていて、それは年寄りのせいだという論調があります。あたっています。

ろいりさん、お久しぶり。
「久留米かすりのうた」という、井上伝の物語を読みました。久留米弁で書いてあるので、読みにくかった。
伝はかなり昔の、明治より前の生まれだったのですね。明善塾や護国神社やらが出てきて面白く、2日で読んでしまいました。
からくり儀衛門さんとも知り合いで、儀衛門さんから機織り機械を手直ししてもらって、使いやすくしてもらったとありました。
関係ないことを長々書いてすみません。

『東京パック』、ずっと気になりながらも調べる機会がなかった雑誌だけど、坂本繁二郎がそれに漫画を描いてたのですか?
「高学歴でも低収入の若者たちが増えていて、それは年寄りのせいだという論調」、私は半分当たってるが、半分は違うと思う。一部の、またはある程度の数の年寄のせいだとは思うが。健康で、かつ年金その他の高収入がありながら、本当に役立つような社会的貢献もせずに、遊び回ったり筋違いの説教垂れまくってるような年寄の。
話変わって井上伝、前にも1度コメント書いたけど、1970年頃、子供時代のからくり儀衛門=田中久重と娘時代の井上伝を主人公にしたNHKの短期連続ドラマがあったのですが、誰も知らっしゃれんでしょか?千本杉とか五穀神社とかの地名が出てきた記憶があります。NHK福岡制作だったのかな?「五穀神社」は、一時期、「護国神社」を戦後あわてて改称したのかなと勝手に思ってたけど、昔から「五穀神社」なんですね。しかも検索で調べたら、久留米以外にはほとんどない神社名。少し久留米を見直した。五穀神社については、ウィキペディアによると久留米市出身の著名人6人の胸像があるそうな、じぇんじぇん知らんやった。その6人の中に井上伝と田中久重が入っていて、あとはゴム3社の創始者たち、そしてなぜか汚職政治家楢橋渡…で、政治家的にはランクが上だった石井光次郎は、なぜ入ってないのだろうか?とにかく今度帰省した時に五穀神社を探訪してみます。↓

高学歴でも低収入の若者たちが増えていている、その原因となってる年寄の横綱格を失念してました。たいした仕事もせずいまだに高収入を得ている年寄たち、彼等を全部辞めさせれば、少しは若者たちの収入の足しになるでしょう。

炉入りさん。
筑後が発祥と知ってはっとしたのが最近一つあった。んが、なんだったかを忘却。とほ~。
五穀神社の横側、マルナガアイスとラーメンの大砲本店があります。その狭い通りに向いて、からくり儀えもんさん井上伝さんなどのことを書いた案内板がでていました。

石井鶴三の兄、おもいだしました。
石井柏亭、いしいはくていです。

護国神社・・・コメント書いたとき、なんか違うなと思ってました。五穀神社でした。そうです。それと「明善塾」これも違ってました。ご存知でしたよね。伝は明治2年に亡くなっています。明治以前から久留米絣が織られていた事、伝が生徒を集めて教えていたことなど、知らない事ばかりでした。
ろいりさんのいわっしゃるドラマ、覚えていません。

そのドラマ、欠かさず見てました!

りいりさんのいわれるどらま。からくりぎえもんといのうえでん。みたかなあ。わすれておもいだせません。

だけど、筑後発祥のものをおもいだしました!
がんづめ。農具の。
筑後国分の笠さんという人が発明した。とかかれています。ここに↓

東芝を作ったのは佐賀県人だとずっと思っていました。
どっちだっちゃよかばってんね、この場合。

>じぇんじぇん知らんやった

これって、ちっご特有のはちおんよね。
こうとしか発音できない年配者がちっご界隈には多い。
久留米弁もそうなのか?
ろいりーさんがあえて使う根拠が知りたい。笑

彦山は先生を「しぇんしぇい」と必ず言います。くせなんでしょうか。他は別に普通なんですけど。

彦神と瀬織津姫。
瀬織津姫はとゆけのおおかみらしいので。
黒木すけよしのところで、でてきたのですよね。
それはどこだったかな。なにかがクロスする。
小侍従の出自周辺だったか。父はなんとか八幡宮の別当ではなかったかな。ここらへんにつながっていかないか。え。なんの話かってー連句的。きのうのアクセス解析で拾ったブログに書かれていた話です。こうらぐうをまつってたはなし。

さっき、らんちゃんとこがのおとびこさん(ほんとはにごらないけど、変換するときにごっていないと変換しないのでくせになってしまった。)がきて、佐田茂教授の著書「佐賀県の歴史」(共著)と「沖ノ島祭祀遺跡」(ニューサイエンス社)「古代を考える磐井の乱」(小田富士雄編、吉川弘文館)を持ってきてくれました。かしてくれた。さんきゅう。どうもありがと。

あたまがぱにっく。
おとといの夜だったか、昨夜だったか、さくらさんにメールへんしんしたのが、どこにもない。
送信した、たしかに、それが消えた。
今朝、学長にもれぎおん版下の校正の件でメールを送信した。これもまた、消えた。さあっとメールは送信されたのに、その記録がなくなり、まるで、ぬすまれたかのようです。
さくらさん。学長。
届いていますか。ここでへんしんねがいます。
不信感でいっぱいのかささぎの旗より。

届いていないそうです。

私が俳句を送信したのは12日夜なので、その後のメールをすべてチェックしましたがありませんでした。

私の甥っ子は、小さな頃から私のことを「しぇんしぇい」と呼んでます~36歳になる今でも!これは半分冗談の幼児体験がそのまま定着したもの。私は時々冗談で使うけど(「しぇからしか」とかも)、子供の頃、久留米でも使うのは年寄ぐらいだった。おなじみ広川町出身の父も使ってなかったが、年取ってからは「しぇ」「じぇ」を使うことが多くなったようです。これは幼児回帰?
大学に県人会筑後倶楽部というのがあって、そこで浮羽高校出身者が「何とか学部1かいしぇい」(注:関西の大学では1年生~4年生ではなく、1回生~4回生という)と言ったので、失礼ながらつい笑ってしまった。浮羽郡では1970年代初期、わっかもんも「せ」=「しぇ」だったのでしょうね。

うちの還暦真近いツレも、隣に住む55歳の従弟も、65歳のおっちゃんも、「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」に近いです。
しわ寄せが「しわよしぇ」になり、「せからしか」は「しぇからしか」になり、先生は「しぇんしぇい」となります。

ちなみにこの、ツレの従弟、55歳はわたしの中学時代の同級生でもあるのです。中学2年生のとき、キャンプファイアーで「幸せなら手を叩こう」という歌を独唱なさったのですが、「しあわしぇなら手を叩こう」と堂々と聴衆の面前でお歌いになり同級生がいっせいに爆笑をしたことを鮮やかに覚えています。一体全体、「しぇんしぇい」発音の境界線はどの年代なんだろ?これからしばらく、近隣のおっちゃんおばちゃんを興味深く注目していていようと思ってます。

うわ・・・こまったなあ。
やはり、だれかがかささぎメールの盗聴、じゃない、こういうのをなんといいますか。あて先をじぶんにして?ぬすんでいるようです。
それが、。おとといから、パソコンがちゃげて、「新しいプログラムが追加されました」と出ます。ところが、それがなにかつかめない。なぜなら、システムサイトが開けないのです。プログラムやシステムがどうなっているか、自分のパソコンなのに開けず、のっとられているかんじで、非常に不愉快です。

どなたかしりませんが、メール機能だけは何とか戻してください。かささぎはとても困るんであります。
なんていったところで、どうにもならないのでしょうね。
しぇからしかばってん、いじってみます。絶望的です。

では、ここで連絡。
学長の文章は元稿のまま入力してくださっていました。長すぎると思っていましたが、なんとか入ってますのでご安心ください。

さくらさま。げんばくきの句、ありがとうございました。
一句目、そのままいただきました。原爆の残り火、という言い方が、とっても新鮮だった。たしかにそういう言い方ができるのに、なぜこれまで一度もそう思わなかったのだろう。ふつうは、残り火っていうときは、恋の残り火とか、焚き火の残り火など、風情があるものに使います。それが、げんばくの。ひょえ~とおもいましたよ。
さすがに70年ちかくたつと、あくがぬけて、さらされてくるようです。そこが俳諧だとおもいました。
あとは、作品が掲載されて返ってきますまで、おまちください。
どちらさまも、ご参加ありがとうございました。
しらべさんも参加してくださったのですよ。
ぎりぎりに依頼、即日間に合わせてくださったのです。参加してくださることに意義があるんだ。星の一族ですからね。
(携帯がどっかにいってるわ、めーるはつかえないわ。不義理しますが、どうか、みなさま、おゆるしください。わたしの太くのいたすところです。不徳でした!)


 このブログ、次から次へと新しい記事・コメントが入るのはいいが、それがまた次々と忘れられていく感じで…口蹄疫問題もそうならなきゃいいけどね。と、また皮肉言ってごめんくさい。
 ふと、前に気になっていながらそのまま過ぎ去ったことを一言、三島由紀夫の父平岡梓が三島の死後書いた『倅・三島由紀夫』という本のタイトルについて。「倅」なら名前は「平岡公威」であるべきで、それを「三島由紀夫」とするところに、何か嘘っぽさというかいかがわしさを感じた。三島由紀夫本人が嘘っぽくいかがわしいのは、小説家だから許せるが、父親が便乗してこういう本を書くというのはどうなんだろう。読んでないから内容は何とも言えないが、父として「倅」のことを書くのにふさわしくないタイトルではなかったか。

呂いりさん。おはようございます。
いちいち痛いとこをついてこらっしゃるですね。
でも、そういうものですよ。
ながれていきます。
たちどまってたら後ろから来る水の塊にながされる。
そのタイトルについてのろいり先生の御説ごもっとも(という場合ごせつごもっとも、というのかおせつごもっともというのか、どっち)、でも三島由紀夫として名をなした文学者の父であれば、それでいいんじゃないでしょうか。そっちのほうがわかりやすいからです。

ほれ。ろいりさん。ここみてちょ。
おんなじことがかいてあるでしょ。↓

かささぎは、このかたのブログをときにめくってよみますが、マイペースってかんじのゆたっとした調子がここちいいのです。ほっとします。生き馬の目をぬく、ってことばがありますが、この人のこのかんじは、馬のたてがみをなでなでする。かんじですかね。っていうか、ブログにそえられているこのおかたの写真、これが妙になごむんですよね。笑
ああ、わたしって、なごみたいんだな。って、つかれているんだな。って、よくわかります。
それと、。この方のご商売が不動産がらみでありますので、経済を学ぶのにとってもありがたいのです。
かささぎは、一気にくるとおもう。ゲリラ豪雨みたいに。
すべてのクライシス。

 ご指摘のブログ流し読みしました。なるほどサッカー熱もそうですね。決勝トーナメントを見るツアーに参加するため急に年休を申請した社員に、それは大いに良いことだと認めた会社(社長)もあったとか。でもその会社は、子育てや介護のための年休、あるいは自分がやってるマイナー・スポーツ大会に参加するための場合もおおらかに認めてくれてるのか、ということがふと気になりました。今大会そのものが、マスコミの監督批判、日本はダメだろうという予測から始まって、勝てば官軍のフィーバーぶり。「大東亜戦争」も同じだったんだろうな。
 『倅・三島由紀夫』というタイトル、私はこだわりたい、せめて『倅・「三島由紀夫」』とすべきだと思う。

 「人の心は移り気」と今回の選挙での「みんなの党」躍進で、ふと思い出したのは、約35年前の新自由クラブブーム、あるいは20年弱前の日本新党ブーム。どっちも既に今は亡き政党。それとはちょっと違うけど、20年前の「山が動いた」参議院選での社会党の一時的大躍進と、その後の衰退、特に自民党と連立政権作り、社民党と名を変えてからの凋落ぶり、栄枯盛衰は世の定め。しかれども、それ以上の、あまりにも右往左往ぶりでは、日本の社会も信用失墜。
 それにしてもこのブログ、今日は参院選での話題で盛り上がってるかと思ったらそうでもなかった。これはみなさんの良識を表してると思ってる~これは皮肉でなく本当の気持ちです。

かささぎ、選挙の話はしません。
よくわからないからです。笑。

ただ、総理はかんさんでもよかちおもってる。
なしか。乙四郎の天敵であっても、だれであっても、いまはそんなにカレンダーみたいに総理の首をころころとすげかえてる場合じゃない。ってことだけはよく認識できるからです。ほんとにひどいし、あぶないときにさしかかっている。マリオンボンドさんが言われるように、一丸となって政治を中道に戻さねば。

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