無料ブログはココログ

« 口蹄疫とケーススタディ(4)           すべてはつの町からはじまった。 | トップページ | 殺すな!宮崎の宝は日本の宝、口蹄疫ワクチン接種、例外を認めよ。 »

2010年5月27日 (木)

幻のサンカ談義コメント集成

コメント

福岡出身のホリエモンさんが、口蹄疫にかかった牛なんで食べないのかなあ、って言ってますよー、ブログで。ウィルスばらまけってか?アホか。
自給率100%目指すのはやめたら?みたいなことも。牛は百済から韓牛を輸入すればいいじゃろ、っていうのは半島に近い福岡の共通の認識なんですか?

「ホリエモンは」さん、どうも。
フクオカンもんは、かなりおめでたいたちですが、そういうふうに一人をつかまえて、いっしょくたにして論じるのはどうでしょう。
ほりえもん、なつかしい名前です。
またおいでくださいね。そうそう。
半島、と書かれていたのが目を引きました。

 「一人をつかまえて、いっしょくたにして論じるのはどうでしょう」のセリフ、まさしくおっしゃる通りで、私は常々そう感じてます。某東京都知事のように「この犯罪は、日本人のDNAがやったとは思えない」~つまり、暗に中国人の犯罪だろうと言わんばかりの、ネオナチ、排外主義的発言がウヤムヤにされてしまう、血液型が何型だからこうだという非科学的性格判断がまかり通る、そんな日本国の私たち。

石原慎太郎ののうといえるにっぽんがべすとせらーになったころ、読んでおやっこれは違うと思ったことの一つに。
国宝第一号広隆寺の弥勒像。あれはほんとは日本のものか朝鮮のものかはっきりしないのに、きめつけてる。半跏思惟像のことですが、あれはたしか赤松でできているのです。赤松は半島に多い材で、朝鮮にもそっくりのものがあるため、出自が疑われている。小原二郎、日本人と木の文化に詳しい考察がある。日本人は優秀だっておもうのは勝手だけど、。(→きになって、しらべる)
以下、ウィキ。
「中でも有名な京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」(国宝彫刻の部第一号)は、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける姿で知られる。しかしこの像は、当時多くの仏像が楠で造られているのに対して赤松で造られているため、日本書紀記載の推古31年新羅から伝来したものとする説もあった。ところが1968年、大きく抉られた内繰りの背板に楠材が使用され、背部の衣文もこれに彫刻されていることが判明した。この像の右の腰から下げられた綬帯(じゅたい)は、以前から楠木であることは知られていたが、これは後に付加したものとして考慮されていなかったが、二箇所の、特に背板に楠材が使用されていることは、楠が朝鮮半島では自生してない為、これが日本で造像された可能性が高くなった。制作時は漆で金箔を貼り付けた漆箔像であった。弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」として知られている。 像高123.3cm(足元からの高さ、台座からは約147cm)」

ふうん。だけど、はっきりとはわからないんじゃない。それだけをもってしても、独自とはいえない。

追伸。
連句的といってはなんですが。
広隆寺の10月12日の「牛祭」。
これです。↓

コメント
(『サンカの血をゆりおこす』http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_6fe5.html#comment-70943002

※さんかについてはこういうご文章がございます。
『山棲の人(山萵)』

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/42-c9da.html

そう言われたら私も買いたくなるじゃない。
て、言うか、週刊誌記事を集めた本だから大半は読んだはず、himenoさんが興味を持ったところも、うん、確かに読んだ。立ち読みで。でも内容は忘れました。

わたしの住むむらには、熊野神社の座組ってのがあって、年に2回、願立てという慣習がのこってる。夏場の6月末と冬場の12月。これってやっぱり豊作の願いを神さんに申し上げるみそぎじゃなかと?

よど祭りものこってるけど、いまは地域の夏祭りに様変わり。これはみそぎというより、娯楽の無かった時代の娯楽の場だったのではないかと思うっちゃけどね。

さくらさん。いつもよまれているんですね。ほかにひとつ、はっとするようなことがかかれていました。
せいこさんところは、わたしのところよりもっと古いものがだいじにされてますね。
願たてか。おしろいまつりみたいなものを連想しました。

本日、荒和祓(あらにこのはらひ)でここへ見えた方。荒ぶるものを和ませるのがあらにこのはらいかとおもいますが、もともとは荒たへの御衣、和(にぎ)たへの御衣を天皇に奉じたことによる、と書かれているものもありますが。夏と冬にある意味はおお昔半年が一年だった時代があったのではと思われる。

書道をする従姉が拙句を軸装してもってきてくれました。義母上が広報に書かれたサンカの文章を今年アップしたのですが、大きな反響があったそうです。ぜんぜん存じ上げませんでした。どうか、長生きなさってください。

「サンカ」については、30歳の頃、研究というほどではないけど、久留米図書館にある範囲の本で勉強したことあります。折しも1月余前に読んだ「幻の漂泊民・サンカ」、これこそアカデミックで実証主義的なサンカ研究の決定版みたいなので、お時間とどっかの図書館にあればどうぞ。

沖浦和光のその本、持っています。
ずうっと前に読みました。出端。
あんまり面白い本ではありませんでした。
むしろ、かささぎお奨めの本は、『古神道入門』
深見東州他二名、共著。これは面白いです。
はい、お察しのとおり私はアカデミックな本はあんまり好きではない。古神道入門には上記うえつふみの詳しい記述がありました。大友能直。あ!今おもった。能直って名前だけど、黒木助能とも似ていますね。よしなお、すけよし。もしや親戚。苦笑。
サンカ文字、豊国文字。↓

恥ずかしながら、この記事が出るまで「サンカ」という言葉を知りませんでした。ググってみたら、放浪の民のことで、ホイトと呼ばれた地域もあると記述があり、腑に落ちた。山家とも書くのだとありました。「山家(やんべ)」・・・短歌仲間の苗字でもあります。がぜん興味がわきました。ひめが貼り付けてくれた、その文字にも。
アカデミックなものでないと読みとおせないという自信があるので、そのアカデミックな一冊を探してこようと思います。

おはようございます。
>>その本、去年読みました(文庫)でも残念、湯船読書で何度もぼちゃんと落として最後は処分しました。
お下がり本だったけど、文庫でまだ売ってると思います確か2002年製でした

せいこさん、今度の連句の時かしてあげるよ。
単行本2001年。
表題には、「幻の」がついている。
これだって検証的なものとはいえんという謙虚な思いがこめられている。立派な本です。
くぐつ=さんか=山人という柳田國男の説とは別にこの人は、近世の時代の流動期に農山村民の一部が定住生活に見切りをつけて漂泊生活にはいったものとする。「人別帳から消された無宿、野非人、が急増した時代に、サンカ発生の大きな契機があった」と予想する。それは幕末期の数十年間だって書かれているのですが、。
きのうの竜馬伝で、やっと岩崎弥太郎がお金をもうけることができましたね。材木が売れた。
あの人が初めて籠をしょって出てきたとき、ああこういう人たちがサンカだったんじゃないかな。っておもった。

お借りしてた卑弥呼の本、私も持参します。

ところで、ろいりさん。しばらくぶりでございますね。
三十歳くらいのころ、なぜサンカが気になったのですか。かささぎはちょっと個人的に興味があります。
ショーケンと倍賞美津子の瀬振物語って映画はサンカものらしいのですが、これの影響ですか。

かささぎ紹介の『古神道入門』この中で吾郷清彦って方が述べられることがおもしろく、まるでこの人自身がサンカみたいに思える。意識の古層からやってきた人みたいなね。70年間も島根県で古神道を研究してこられた方です。もう故人。読みもしないうちから、とんでも本などに分類しないでほしい。
この方の言葉をいくつかご紹介します。
「ヘブル文字を説明する前にですねえ、さっき言いました日本の豊国文字ですが、これを徳政金吾は『古代埃及(エジプト)と日本』(カムト社・昭和八年)で、この文字は、エジプトから来たんです。エジプト古字が日本の豊国文字となったといっています」
「近代の言霊学の原典は、『水穂伝』といってもいいでしょう。岡本天明先生は『水穂伝』上下巻をガリ版で立派につくっておられます。」
最後に、「中今」についての吾郷さんおことば。
ちょっとながいなあ・・・、いずれまた。
その道の人たちには有名らしいたくさんの古い文献が出てくる、それを見ているだけでもひどく面白くて。やはり、島根という古い深層意識をもつ地が生んだ人です。
この本もおなじころの本。平成12年。

>>
一畝不耕
一所不在
一生無籍
一心無私
プロローグがこの言葉で始まる五木著「風の王国」は大好きな本です。
古代、飛鳥時代、奈良の山々、翔ぶ女、サンカの末裔・・開いたとたん一気に読みました。
名作です(^_-)-☆

えめさん、そうですか。いつかそれよまなきゃね。
五木ひろゆきはサンカについての確固としたイメージがあるんでしょう。

ところで昼に引用した古神道入門の吾郷さんのお話に出てきた徳政金吾って人をしらべて行き着いたサイト。
『秘史のケーススタディ』

 サンカに興味持ったのは、もっと昔の25歳の頃からで、「瀬振物語」は、私がサンカ関係の本を読み漁った数年後~当時は月間20本ぐらい映画見てたけど、この映画は見るチャンスなし。なんで興味持ったのかは…忘れました。当時はトンデモ史観の類に惹かれていたからでしょう。戸来のキリストの墓とか、遮光式土偶=宇宙人説とか。
 へ~「幻の漂泊民・サンカ」を読みなさったの。私は「幻の」とは謙虚さの表現ではなく、その真の姿が見えにくいのと、虚構めいたことがさも真実であるかのように伝わっているという批判の気持ちが込められているのだと思います。
 古田武彦氏も「邪馬壹国説」や「九州王朝説」まではまだわかるが、「東日流外三郡誌」を信じたり、記紀の、都合のいい部分は真実として都合の悪い部分は虚構としたりするところは、どうもね。
 森浩一氏、松本清張の古代史発言に対して、「あの人たちはたいした論拠もなく好きなこと言うてるからね」~そんなふうな意味のことを聞いたのを覚えてます。

炉いりさん、どうもありがとう。
ありゃー。ついに炉入りだ。殿堂入りも近いぞ。
古田たけひこは好きな考古学者ですが、いくつかわからないところがある。
いまもやまいちこく、いっていらっしゃるのでしょうか。自分は原文を読んだことがないので、本当のところはどうなのかを知らない。だけど、古田氏の本を読むと、妙に説得力があるんでそっちを信じます。
だけど、こないだ新聞連載の森浩一氏とか、やまたいこく、で通しているし、やまいちこく、なんておくびにもだされません。読者としては、あれ?どっちがほんと?!と戸惑ってしまいます。
それだけでもいいから、ちゃんと新聞は世間に対して古田氏に説明をさせてほしいと思います。いま、古田史学はどういう説を展開しているのか。ずうっとおんなじ論を展開しつづけるほど若くはないと思うから。というより、いろんな発見、思考があって、徐々に変化していくのが普通だと思うからです。
でも、ね。好きなこというても、いいんじゃない。夢があっていいよ。古代を見てきたひとなんて、どうせおらんのやし。

こんばんわ
ネット時代になって、色んな人の邪馬台国論のエッセンス部分がちょいちょいと読めるので楽しいです♪
長生きしてよかった^^
今年、「ななつさやのかたなツアー」にサンカできたのは大事な思い出です♪
長生きしてよかった^^
古代は文献がないに等しいので、空想で膨らます楽しみがありますね。

風の王国は手元にあります。いつでもどうぞ。

えめさん。どうもありがとうござんす。
ほんとにななつさやのたちつあーは出色でしたね。
たんぼのなかにぽつんとあって。
さくらもきれいかった。あんなにたくさんまんかいのさくらをみたことがなかった(不覚にも)ので感動しました。
長生きですか。まだまだ。これから今までと同じ時間生きなさい。
といわれたら、どうしますか。

こんばんわ。そう、「かたな」じゃなくて「たち」でした
桜ほんとに満開でした。桜は日本人の心にぴったりしますね
長生き>>長生き=幸せだとは思っていないのですよ。
短くてもどう生きたかのほうが大事かなと勝手に思ってます。
信長は人生50年と謡いました。 
50年はかなりくぎりの年齢かもしれません☆
>>もう十分です(^_-)-☆

きのうだったかな。最近は日付の記憶があいまいになるんでいやになりますが。
母とぼんやりテレビみてたら、ハイチに配置された老かんごふさんが取材されていた。83歳。ハイチのマザーテレサといわれているお方らしかった。
あ、すみません。看護婦さんではなく、この方、お医者様でした。今確認。国民放送です。みていたら、それぞれのこどもたちをとりあげてくださった、助産婦さんの雰囲気そっくりで。こころが「おおきな愛」に対して開かれている。そんなかんじでした。

おはようございます。
それ見始めていたらチャンネルを変えられてしまいました。再放送があったときはぜひ☆

クローズアップ現代は、ときにみますが、キャスター国谷裕子、すばらしいと思います。バランス感覚がね。そしてなにより、きれる。三つ下ほぼ同世代ですね。
こういう記事を発見。
2008年12月9日放送では司会者としての発言の中で、田母神俊雄元空幕長の論文発表について、「航空自衛隊トップとしての自覚というのが無い」と発言した。また、「自衛隊内部に政府見解と異なる意見を許容するムード」があってはならない、という前提で司会を進めた。

 『魏志』倭人伝の写本には「邪馬壹(壱の旧字体)国」と書いてあるけど、他の文献には「邪馬薹(台の旧字体)国」と書いてあるので、「壹」は「臺(台)」の間違いじゃろうというのが通説です。でも「臺」という字は、どっちかというと尊敬字?それに対して「倭」も「邪」「馬」の字も、卑弥呼の「卑」の字も卑字(差別字)。だから『魏志』倭人伝の写本通り「邪馬壹国」とすべきだというのが「邪馬台国はなかった」という題の本意です。言っちゃ悪いが、この点だけが古田説の鋭い指摘だけど、それに常識的古代史学者がどう反論してるかは、勉強不足で知りまっしぇん。ただし「やまたい」が「やまいち」だとすると、邪馬台=山門説の根拠も半ば失われてしまう、邪馬台国福岡県南部説にとっては痛し痒しですね。
 ちなみに蘇我氏一族の馬子・蝦夷・入鹿、いずれも卑字が使ってある、これは『日本書紀』の「藤原氏史観」によるものであって、とにかく蘇我氏のことをやたら悪者扱いしています。最近は、俗に「聖徳太子」(実際は厩戸王)がやったと言われている業績も、本当は蘇我馬子との共同政治によるものとされてます。高校の教科書なおもてそのように書く、いわんや、歴史学界をや。

炉入りさん、産休。

« 口蹄疫とケーススタディ(4)           すべてはつの町からはじまった。 | トップページ | 殺すな!宮崎の宝は日本の宝、口蹄疫ワクチン接種、例外を認めよ。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 幻のサンカ談義コメント集成:

« 口蹄疫とケーススタディ(4)           すべてはつの町からはじまった。 | トップページ | 殺すな!宮崎の宝は日本の宝、口蹄疫ワクチン接種、例外を認めよ。 »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31