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2010年5月 4日 (火)

せまるショッカーじごくのぐんだん。とかざしの文化。

せまるショッカー じごくのぐんだん
われらをねらうくろいかげ
地球の正義をまもるため
go ごー れっつごー
かがやくましん
らいだー キック
らいだー ジャンプ
仮面ライダーかめんらいだーらいだーライダー。

おおお・・・おわ。

かささぎがぶっこわれた。ちがいます。
歌詞きちんとおぼえてるだろうか、点検中。

きのう、「かもめ食堂」をみました。出だしが「ガッチャマンの歌」だったもので。

今朝一で山下整子から届いてた課題句のなかに、こんな句がありました。

 羊蹄(ギシギシ)や平原インディオ羽翳す(掲ぐ)
  (どっちがいいかなあ?)
正鵠。いや、せいこ句は。
どれもどれもすばらしい色の句で、ほれぼれ。
かざすは。
これ、一語だけで何枚もの文章がかけるだろう。
かざしの文化論、ってのがあって、それどこか、だれか書いていないだろうか。
別所真紀子さんあたりにかいてほしいよ。

かかぐはいかん。何か形のはっきりとした量感のあるものを掲げている、旗とかならいいけど。
羽。これなら翳すだろう。
だけど、挿す、ってのもあるわけよね。
ここ。みちょくれ。
せいこはん。時間みつけて、ちょっと調べてオトシマエつけてみてん。
これ、面白いよ。世界の文化はつながっている。
(かもめ食堂はフィンランドでした。)

祭りと挿頭;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%BF%E9%A0%AD

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コメント

へえ。「挿頭」で「かざし」ですか。
挿す、で「かざす」とも読むのだろうね。


 羊蹄や平原インディオ羽挿頭
 羊蹄や平原インディオ羽挿す

挿す、でお願いいたします。

seiko.
ルビがいるだろうか?これが、むずかしいよね。
だれもたぶん、かざす、ってよんではくれまい。
辞書でひいても、挿すはさすとしかでません。
かざす、と翳す、挿すと挿頭とかんざしと笠と。

ちょうどのところで、かささぎは笠について考えている。三笠の山、三笠山、御笠山。
流れも清き三笠川。って校歌がしっかり記憶に刻まれていて。弥生小学校の歌です、博多区の。汚い川でした。むかしはきれいかったんでしょうね。
三笠山が宝満山だったって。
そうだったのか、とびっくりしてね。ほら、あのこうやの宮にご一行様がみえてましたよね、その隊長のおことばですよ。すごい冴えです。
すぐぴんときたことがいくつもあってね。
ことばでここに書くのがもどかしいくらいで。
せからしかっちゃん。
テレパシーでおくれたらいいけど。
まずね。
しおうじやま。四王子山というのがあった、太宰府に。これは別名が大野城址。
大野山 霧立ちわたる わがなげく 沖嘯の風に 霧立ちわたる <山上憶良>
ね?太宰府の筑紫歌壇。
紫駅ってのが、今年できました。二日市近くに。
むらさき、は、皇帝の色で、普通の人には禁じられていた。筑紫という地名に皇帝のすまう地の意味がすでにあった。
だけど、四王子山という地名から、かささぎは数年前むすめがなんでかしらんがひょこっと訪ねた京都の四天王寺を思い出してねえ。パンフレットをくれたので、印象に残っていて。滅多に寺歩きとかしない子なのにね。太子寺って書かれていたのも気になって。
四王子と四天王。
おんなじなんじゃないかな?
そもそもだれのことよ。だれかごぞんじありませんか。かささぎめにおしえてください。
ちょっとここまでにします。

四天王寺は京都ではなく、大阪の天王寺どすえ。寺院名から地名ができて、地元では「天王寺さん」と愛称で親しまれてます。(先代の)平和ラッパという漫才師が「天王寺の亀さんが…」とかいうギャグを持ちネタにしてたらしく、大阪原人は50歳前後の連中でも知ってるらしいけど、漫才の歴史に詳しい私でさえどういうギャグかよう知らん。
そりゃどうでもいいが、四天王寺は、史実かどうかは別として、後世に聖徳太子と呼ばれる厩戸王が、蘇我氏による物部氏打倒を援助した時の祈願により創建した寺院とか。だから仏教の守護神?である四天王を祀っており、当然仏教寺院です(当時はまだ、明確な神仏習合はない)。多くの古代史の専門家たちは、この寺院が大仙古墳(俗に言う仁徳陵古墳)の近くにあるところから、どちらも大阪湾に入ってきた人々に、ヤマト王権の偉大さを見せつけるため作ったのではないかと考えてます。ちょっとトリビア過ぎる?
これに対し四王子というのは初めて聞いたが、四天王寺とはおそらく関係ないでしょう。ちなみに八王子の地名の由来もよくわからんが、伝説では八人の王子がどうしたこうしたということらしい。しかし大岡昇平『武蔵野夫人』では八王寺と書いてあったし、徳冨蘆花も何かの本にそう書いてるらしいので、おやおや、どうなっとるの?と思いつつ、面倒なので調べたことはありません。
天王寺の話に戻ると、近くには通天閣や天王寺動物園などあり、また朝から呑み屋が開いていて、酔っぱらったおっちゃんたちや、中年オカマなどがうろついているという、大阪ミナミのディープな世界。1970年代には、今はなき野音で「春一番」というコンサートが毎年開かれ、高田渡などが常連、ひこさんの好きな友部正人もよく出てたらしい。京都に住んでいながら1回も行かなかったのが今では残念。最近CD買って聞いてます。
以上、長々とすみませんが、久々のコメントなので許して、チョ~ダイ。ついでに、今、久留米市の中学教師「下地先生」というのがTVで人気あるらしいけど、ドラマ・バラエティを見ない私は数日前初めてヨメに教えてもらい、ネット検索したらなんとヨメの出身校城南中の教師だったとか、でも今年4月三瀦中に異動したとか、その他いろいろわかりました。三潴中ってぼんさんの家の近くですか?

え~びっくり。
もちろん三潴中は町に一つしかない学校でありんす。子ら3人ともお世話になりました。

彦山はからくりTVが大好きで毎週欠かさず見てます。今報告したら、驚いてました。昨日は隣接する集落からCDデビューしたグループのコンサートに弟と出かけてました。地域ぐるみで応援してあるらしく、知ってる人が何人も来ていて、楽しんできたようです。

かささぎさんの引き出しもすごいけど、呂伊利さんの引き出しもあっちからこっちまで広いですね。

仮面ライダーやガッチャマンは男の子のものだったのに(ここではおばさんたちが群がってるが)、今は女の子版ゴレンジャーみたいなのが流行ってますね。

ろいりーさん。ひさしぶりです。
ゲゲゲでの呂要りーコメントが検索でヒットしていたことがあって、アクセス解析にあげそこなったけど。なんだったか、あそうそう、ゲゲゲとつげ義春、でしたか。マイナーネタゆえにとても目立つ。
あと「ゲゲゲの女房、原作」での検索の上位にここがヒットしてたときがあって。ろいりさんとぼんのおかげでしたよ。ありがとう。


しおうじやま=しおじやまとみなさんが発音されるのでずうっと、塩道山と思っていた。でも字をしってどっひゃ。四天王寺は大阪でしたかっ。それはしらんじゃった。お寺はみな、京都か奈良と思い込んでいた。大岡昇平、武蔵野夫人はよんだ。もっと色気のある話かと思ってた。
ってかんじの本で、武蔵野の自然がこれでもかこれでもかというくらいに描写されている。戦地帰りの兵にとっては日本のありのままの自然も女性とおなじくらいにまぶしいものだったんだろうかとおもって。
八王寺という表記、たしかにみたことある。
それから下地先生っておかまのあのやさしい先生ですか。なんどかみました。こどもがみていたから。

さくらさん、プリキュア5をしりませんでした。
なるほどかわいい5人組ですね。
せいぎをまもるのだろーか。

あ、そういえば一昨日吉祥寺で、まことちゃんのうめずかずおさんの自宅を見ました。
真っ赤な家が見栄え環境を壊すとか言って近隣から訴訟を起こされてた家です。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4481.html

でもでも、かわいい、センス抜群、とても素敵な家でした。

うめずさんは吉祥寺のまちで見かけたこともあります。
写真やテレビで見るよりものすごく若々しくてすてきな感じです。

有名人にあった自慢でごめん。

同じ日、毎日母さんの西原理恵子さんにも会ったよ。
http://www.kaasan.jp/
自転車とポシェットだけで住宅街を帰宅中の西原さん。
波乱万丈の人生を送られたようだけど、異常に優しい目をしておられます。
波乱万丈の人生、先日NHKでみたばかりだったので、目が合ってちょっと感動しました。

さくらさん。西原りえこさんの本には娘を通じて出会いました。娘がくれた。独特ですよね。
きのう娘は宮崎に行ってきたらしい。宮崎。こうていえきでたいへんなことになっていますが。ああ、しんせきができそうだ。どうしよう。まだこっちのかくごができとりまへん。

天王寺を地元の人は「てんのじ」と発音するらしいです。「てんのじ」と才界(漫才界)の関係について知りたい方は(そんなやつ、いてへんか)、20年以上前の直木賞受賞作、難波利三「てんのじ村」をお読みください。
下地先生って、GTO(グレート・ティーチャー・オカマ)と自称してるらしいですね。いやはや、福岡県の教育界もまだまだ捨てたもんではない。
うめずかずお。天の邪鬼の私は、今でも写真写る時に誰かが「ピースマーク」(あれはVictoryサインじゃ!)していたら、必ず「ぐわし」マークで対抗する。

こんにちは
GWも終わりましたね。休みはそこそこでいい私です
四王子は知りませんが、四皇子なら神武天皇の4兄弟でしょうか。
数年前にひょっこり入った神社に四皇子峰(しおうじがみね)というところがありご陵墓を祀ってありました。
とても神聖で神秘的な場所でした☆

どひゃ~!!だからえめさんは。
きっと何か具体的なものがあるはずだって思っていた。いえ調べればそりゃあ四天王ってのは仏法での守護神と書かれていますよ。四天王とは、仏教で四方を鎮護するとされる四神(持国天、増長天、広目天、多聞天)のこと。ってね。でもわざわざ「四王子」と置き換えているくらいだから、実の世界でそれにあてはまる人たちがいて、その人たちにちなんだ命名だったんじゃないかと思って。
では、神武天皇を攻めねばなりませんね。
ところで、それはどこの神社?まさか壱岐。

今↓のサイトを見て思いついた。
太宰府の北にあるん大野山。子の方角。ってことは「し」は死王子山でもあるのかも。
歴史をざざっとしか知らなくて、高橋紹運と島津軍五万とが迎え撃った岩屋城跡があるっていうのをみて、ああそういえば、柳川古文書館での講義でそういうことを習ったとふと思い出した。高橋紹運は立花宗茂の父なんだわ、むねしげは立花家の養子だから。ってことは、ちょうど今日やった高良山の歌の時代背景と重なってくる。

ろいりさん。
ぐわしマーク難しいっす。うまくできません。

九州の山中です。 いつかご案内しましょうか。
あと数年前にひょっこり入って印象に残ったのは伊野皇大神宮・・いつもなぜかひょっこり。笑。
急に目に入ってそのまま鳥居をくぐるというか(^_^;)
こちらは九州の伊勢神宮。 お伊勢>>こちらが最初とかって説もあるようですよ☆

ぐわし>>当時練習しました

伊野皇大神宮。はじめてききます。
どこだろう。なぞのひと、です。

えめさん。このサイトで調べました。↓
勝浦の年毛神社と耶馬渓の雲八幡には、私も縁があっていったことがある。雲八幡は大分三光村の瀧先生のお宅へいくとき、何度か通りました。名前がとても素敵で俳句にも詠んだけど、深く知らなかったので、このサイトで詳しく知れたのがよかった。河童祭りがあるって。平家の落人を慰める祭りのようです。おかげで神功皇后について少しひらけました。

はい。 確かにここでした☆
7年ほど前、トリアス久山に初めて行った時夫が、町の奥にダムがあるというので見に行きました。
途中、赤信号で止まったとき何気に左を見ました。
ダムを見て帰りにまた同じ場所で赤信号で止まりました。今度は右を見ました。で、「右に曲がって!」と・・この場所へ^^
凛として爽やかな場所でした☆
社に参ったあとのいつものクセで裏側へ廻ってみました。ら、この古い神殿あとが祀られていました。
囲いがあって外側から拝みます。神域のようでした☆
社殿よりもこちらのほうが気になりました。

ろいりさん。わかりました。
天王寺大阪と九州との接点。
これをみてください。

まるごとひきます。
今日のアクセス解析からみえたものです。
古田武彦説。説得力がある。
ちっごんもんなこりばよまんといかんちおもう。

「遣隋使」はもちろん、「遣唐使」も7回目(669年)までは九州王朝が派遣したものであり、小野妹子らのヤマト王権の者は九州王朝の遣隋使に同伴させてもらったのである[17]。
「正倉院文書」中の正税帳によると、当時の税は、稲・塩・酒・粟などを納めるのが普通だが、「筑後国」の貢納物は鷹狩のための養鷹人と猟犬。白玉・青玉・縹玉などの玉類などである。鷹狩・曲水の宴などの貴族趣味は畿内大和にはなく、筑後にはあった。
奈良正倉院の宝物の殆どは天平10年(738年)に九州筑後の正倉院から献上されたものであり、元は九州王朝の宝物である。
法隆寺西院伽藍は筑紫の寺院(大宰府都城の観世音寺又は福岡市難波池の難波天王寺又は筑後国放光寺)が移築されたものである。
道鏡事件で和気清麻呂が宇佐神宮の神託を訊きに行く等、古代において国家の大事や天皇の即位時には宇佐神宮へ勅使が必ず遣わされ、古代日本では伊勢神宮より九州の宇佐神宮が重要視されていた。つまり、古代日本では九州に権威があった。
「君が代」は九州王朝の春の祭礼の歌である。
『萬葉集』の代表的歌人でありながら正体不明な「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」や「額田王(ぬかたのおおきみ)」等は九州王朝縁の人物である。また山上憶良等も元は九州王朝の役人であったものがヤマト王権に仕えたものである。
ヤマト王権は694年に行政が常駐する都(藤原京)を建設し、701年に大宝律令を制定して官僚組織を整備しているが、これに必要とされた多くの人材は、滅亡した九州王朝の官僚を再雇用したものである。7世紀末に突如として畿内大和に出現した官僚集団は、九州の大宰府(倭京)から連れて来られたものである。ヤマト王権は九州王朝の官僚機構を引き継ぐことにより、政権に必要な人材を確保することができたのである。また、知識階級でありエリートであるはずの下級官僚に対するヤマト王権の奴隷的な扱いはこの為である。
2004年秋に中華人民共和国陝西省西安市の西北大学が西安市内から日本人遣唐使「井真成」の墓誌を発見した。この「井真成」は死後に皇帝から「尚衣奉御」(尚衣局の責任者)の位を授けられており「尚衣奉御」が歴代皇帝の親族がその任に当たっていたことや、現在「井」という姓は九州熊本県の産山村・南小国町・一の宮町などに多く存在すること、また井は倭(ゐ)に通じることから、この「井真成」は、九州王朝の皇族であると考えられる。
『萬葉集』に、九州・山陰山陽・四国の人の歌が無いのは、皇権簒奪の事実を隠すためである。

かささぎはこの説に全面的に賛成です。
さいごの、井(ゐ)さんのことも、娘の小学校が博多の弥生小学校でしたが、同級生に井さんがおられました。いまどうしておられるだろうか。どことなく高貴な雰囲気のからだに障害をもっておられる小柄な少年でしたが。なつかしい。

こんばんわ
今日、一の宮町を通り過ぎました・・ただそれだけの話・・

えめさん。阿蘇一の宮すなわち阿蘇神社ですね。
一度お参りしたいとずうっと願っていますが。
古田学説で最も感銘をうけたのは倭国には火山があるってことでしたものね。中国にはなく、九州の阿蘇にしかない。だから九州だっていう、こういうリアルなセンスがなぜアカデミックな学者さんたちにはないんでしょう。火山はとっても霊的です。
八女のきといん(祈祷院)の製紙会社の社長のおじいさんから聞いたことがあります。阿蘇神社の分社をつくったはなしを。八女にもあるってことですかね。

貼り付けたサイトで植田祭の動画がみれます。
すごい世の中になりました。

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