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2010年3月16日 (火)

邪馬台国は八女だ!説もアリかも談義        高良山十景歌に出る『神功』

コメント

こんにちは。いつもポイントでしか訪れなくすみません。音、出ましたか。。かささぎさんでなければ出ませんね。恐らくこれからも。(笑
「ヒミコ」については諸説ありますが、「ヒノモトノミコ」は、かささぎさんの信じるものを通して少しずつ明らかになる方向に向かって行っている気がしています。

鷹尾神社は、神功皇后が土蜘蛛田油津姫を征伐したとき陣営の置かれた場所に立地しているのだそうで、境内には神功皇后腰掛石があります。
神功皇后を祭神として祀っている神社は数多く、代表的なのは大分の宇佐神宮。
大分から筑後にかけた山間部に卑弥呼の痕跡を感じますが、やはり、今月号の広報やめ「続八女あれこれ」(松田久彦)にあるように、八女津媛=卑弥呼が感情的にはしっくりきます。
ところで姫野姓も大分から筑後にかけて分布している姓ですが、卑弥呼→ヒミオ→ヒメオ→ヒメノかもしれんですね。

ラオスとタイの国境にはメコン川が横たわっていて、つい十数年前までは1本の橋もなく、国境を越えるには船で渡るしかありませんでした。この川の存在が、川の北側の国と南側の国との間に、決定的な発展の違いをもたらしています。
ここでなぜそんなことを書くかというと、このメコン川の川幅が筑後川の川幅と同じくらいだから。
古代の人が九州北部に上陸して南へ下ろうとしても、筑後川を越えるのはたいへんなことです。魏志倭人伝での邪馬台国に到達する最後の詰めの旅程は陸行一月で川越えの記載はありません。
かくなる上は、筑後川の上流の川幅の狭い所、大分県山間部まで東南へ東へと進み、そこで川を渡ってから南下すれば筑後川を越えることができます。難所越えなので健脚でも一月を要するかも。なお、このルートだと、ちょうど日向神あたり、八女津媛のおらっしゃる所に出ます。
魏志倭人伝の陸行も、東南行→東行→南行→女王の都 となっています。

うたまるさん。こんばんは。
しつ、という楽器が泉とくみあわさったことばがでました。しつは琴でおきかえられることがおおい。笑
琴線は辞書にありますが、琴泉はかささぎの持っている辞書にはでていませんでした。しかし、すぐ連想したのは、陰陽師の漫画。岡野玲子のですが。
観音は音を見ることのできる人です。いずみとわく琴の音。これ、じっさいに響く音ではなく、波動みたいなものなんじゃないでしょうか。霊的な、玄妙な波動です。さいごに、早く句をだしてくりょ。うたまるさんとたからさんだけだからね。かささぎは不問。

「高良山十景歌 4 朝妻の清泉 高良山の神さまはひみこだった!」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-a903.html

それから、乙四郎。やはりここに出てくる神功はじんぐう皇后のことだったのか。もしや、神の功徳とでもいう意味かな。とも思ったけど。そうではなかったんだね。
かささぎは朝妻の近くを通って通勤していました。そこは、曲水の宴の跡が出土しています。風流な歌詠みたちがずいぶん古い時代からいたのです。
続やめあれこれ。まだよんでいません。さがしてみます。

追記
そもそも陸行で関門海峡は渡られんめ。

乙四郎。それ、妙にリアルですね。在りうる、ってか、それしかないよな気がしてきた!

あたしは、蛍のうたのところで、なぜ、筑後川には蛍がいないのかな。と、そんなのんきなことをおもっていた。せまい川にしか、ほたるっていないんだな。かわにな、ってのが、あんまり広大な川を恐れるのかもしれない。なったことがないので、わからないですが。

拾ってきた、カワニナの生態資料。平家より源氏のほうがエコ推進派らしい。
やはりな。かわにな。
水深1センチから1メートルの川にすむ。っと、ここで筑後川はだめなんだね。
じっさいに飼ってみると、かなりむずかしいらしい。かわにな。ほたるのえさ。

http://oo.spokon.net/yasu/kai/kawanina.htm

以下、連句的。

石橋秀野の絶句(蝉時雨児は擔送車に追ひつけず)の短冊が柿衛文庫に保管されていることについて。
これについていろんな人が、あれはにせものだ。だれかが何のためにか似せて書いたものだ。秀野は入院してからは何も書いていない。・・という論がまかりとおっています。しかし、岡田麗さんからお聞きした話では、短冊は柴田白葉女の遺品から出てきたもので、それがどういう経緯でかきもりぶんこにおさまったのかは、ちょっとわからない。とのことでした。大事に保管庫に保存されていましたので、半世紀たっていても、きれいでした。かささぎも、ひょっとしたら、白葉女さんが筆跡をまねてたわむれに書いたのかも。とも思ってみた。それで古書店を探して、白葉女の手蹟をみた。まったく違うのです。専門的に書道を学んでいた人だとたちまちわかる手蹟だった。秀野はそうじゃないですからね。
そのとき、感じた。
そのままをうけいれるべきだ。と。秀野のサインがあるのです。秀野が書いたにきまっています。それのいきさつはまだわかりませんが、柴田さんがまだ秀野が入院して間もないころにお見舞いにいって、どういう会話があったのかわかりませんが、書いてもらったのです。たぶん、色紙をもっていき、「これに書いてください」と言ったのではなかろうか。だって、そこに入院するってこと、すなわち死ぬことだったからです。
ということで。連句的に、乙四郎が書いているように、邪馬台国の距離、日程も、論を展開する人たちが考えた説にあうよう勝手に合理化してずらさないで、そのままうけとるべきなんだろうと思います。

今日、もう昨日になりましたが、ニッポニアニッポン、ときが七羽も死んだよね。いたちかさるかねこかなにかに襲われて。せっかく野へ離すばかりとなっていたのに、そのくらいで死ぬなんて。なさけねえ。

ニュースをみていた父がいった。
「ばかやんけん。あげんすきだらけの檻じゃあなあ。
うちに昔かっていた豚でさえ、蛇が入ってきたら立ち向かって、あげくには食べていたこつのあったばってん。トキはよわかねえ。。絶滅はしよんなかたい。」

投稿: かささぎ徒歩こ | 2010年3月16日 (火) 01時09分

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コメント

cloudこんにちは。
古代史や歴史って、編纂を指導したトップによって都合よく書かれていたりしますよね。
解明にはそれぞれの「感」が一番のポイントかも☆
浮羽~星野~矢部>>乙さんの書かれた道程は、よく通っていました。
石割岳の裏側にある道からは千本桜がきれいに真近に見えます。
この時は飯☆に出てきてましたが、途中からは八女津姫の祠の横の道にも繋がっていますね。

今朝の夢は歌舞伎で海老蔵さんが筑紫の君磐井の役をされていて、タダで得しました♪(特にファンというわけではありませぬが^^)v

ではひめさん、お気をつけてcar

えめさん。ほんとうにお詳しいですね。そしてやっぱり、夢がかっとんでますね。笑。
いしわりだけ。はじめてききました。どこらへんだろ。
夢にえびぞうさん。たは~
昨日えびの絵をちょうどみたばかり。有名な日本画家の。かんけいない?
で、つくし。ちくし。
むらさきを築くっていう字がすごいです。
王城を築くってことだから。
太宰府の地名もですが、あそこらへんを歩くと、むかしのみやこの地名にたくさんであいますし、土地のもつ雰囲気にみやびさってもんがありますよね。たしかに。
古賀の達也さんブログをたまによんでいますが、この方は最初太宰府にあった九州王朝が筑後にうつった。とする。古田武彦史学科の生徒さんみたいですね。おしえられることはおおいです。
それにしても、三百年ほどしかはなれていないというのに、当時の人たちがどんな日本史を教えられていたのかがわからない。それに交通事情もわからない。地形とか今とまったく違っていただろうよね。

古賀達也ブログをぼちぼちと読んでおりますが。
っていうよりも、アクセスやっているとここへでちゃうので。↓はおもしろいです。筑後国府が国府としてはサイコなんですって。そしていちばん最後まであったんだって。
あさづま、って地名がある。
かささぎは三年近く東合川へ勤めていたから、そこらへんの独特の雰囲気がわかります。朝妻も、きれいな地名で、色っぽくさえあって、曲水の宴の遺構が出るにふさわしい地名だって思っていた。
それが、です。
かささぎ的には山本健吉とつながってくるんだよな。
あの人、小野一族なんですよ。
それでね。星野が本貫。星野に小野神社がある。
まだ行っていないけど、いつかいきます。
以前調べた高野堂の件で教育委員会から貰った資料には小野神社についても載っていたけど、それは知りたいことは載っていないので、おきます。
一から調べなきゃ。
古賀達也さんところの文章の、柿本人麻呂の歌で、こういうのがありました。・・・とさがそうとして、どこだったかわからなくなりました。すみません。人麻呂の歌には朝妻の地名が入った歌があったのですよね。
ふりさけみれば三笠の山にいでし月かも、って有名な歌(これは仲麻呂です)も、三笠山ってのが実は博多区の弥生小学校校歌にもうたわれている三笠川とセットで考えるべき三笠山、すなわち宝満山だったって。(これに気づいた人はやはり古田武彦先生です)。
なぜかなにかがもぞもぞと気になってきた。ほうったらかしにしている高良山十景歌もやらねば。

八女 邪馬台国
検索でこちらへおいでの方ありがとうございます。
↓のブログに出会えました。

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