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2010年3月13日 (土)

高良山十景歌 4 朝妻の清泉         高良山の神さまはひみこだった! 

     朝妻の清泉
                         高辻中納言豊長
朝妻の風景尽く新奇 松緑に杉青して四時に伴ふ

あさづまのふうけいしんきにつく。しょうりょくさんしょうしじにとものう。
(朝妻の風景は新鮮である。松は緑に杉青く、四季によってその色をかえる。)
湧出す清泉林岳の下 霊蹤雄地総て相宜し
せいせんゆうしゅつすりんがくのもと。れいしょうゆうちすべてあいよろし。
(清泉は林岳の下に湧出し 神霊のましました雄地には総てが和している。)

高辻中納言豊長(たかつじちゅうなごんとよなが)
高辻といえば、太宰府天満宮の宮司家。
この人の資料はネット上では拾えませんでしたが、大納言であれば一つ。
前回もおせわになった、大東文化大学浜口俊裕電子ギャラリーの資料です。
お断りもせぬままに、ここに添付させていただきますが、どうぞ、なにとぞ、お許しくださいませ。
http://www.daito.ac.jp/~hama/gallery/syo-sikisi-takatujizendainagon-kensyou000-30.html

姓氏と家紋http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/51-60/maeda.html
■菅原姓高辻家流
寛政系譜に「高辻中納言長雅-参議遂長-侍従長純-大納言豊長-長量-信濃守長春(前田祖)、家紋 剣梅鉢、斧菊、三階松」と。又、菅原姓五條家末流で、延宝の頃、御家人の源左衛門安直の家紋は、梅鉢なり。

高辻家:http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/takatujikesyou.htm
高辻豊長の父は長嗣。従三位。生没年不詳ながら、1350~1450くらいの間のいずれかに生を受け、没した人とおもわれる。 。。。と、これでは時代があわない。
やり直します。
もう一人、いらっしゃいました。これこの方です。
この人は太宰府在住であろうから、いらっしゃれたと思います。

高辻豊長 東坊城長維の次男 広橋総光の娘 高辻家18代当主。高辻長純の養子 権大納言 正二位 たかつじ とよなが 寛永2年8月4日[1625年] - 元禄15年6月22日[1702年]
権大納言 正二位 たかつじ とよなが 寛永2年8月4日[1625年] - 元禄15年6月22日[1702年]
寛永2年8月4日[1625年] - 元禄15年6月22日[1702年]                       

参考サイトのあるじの方には大変感謝いたします。ありがとうございます。

 園大納言基福
汲みてしる 心も清し 神わざも 代々にたえせぬ 朝妻の水

これは、読んだとおりです。

さて、園基福。大納言です。この方はウィキペディアに記載あり。
園基音(そのもとなり)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%9F%BA%E9%9F%B3
園基福(そのもとよし)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%9F%BA%E7%A6%8F
めんどうでも、全文引用いたしましょうか。下線ばかりでめざわりですが気にしないでくださいますように。下線部をクリックしても何にも出ません。

元和8年2月16日1622年3月27日)-元禄12年11月10日1699年12月30日))は、江戸時代前期の公卿霊元天皇の伯父にあたる人物。主に明正天皇(109代)から東山天皇(113代)までの五帝にわたり仕えた廷臣で官位は従一位准大臣まで昇った。父は権大納言園基音(薨去後左大臣追贈)。母は山家藩谷衛友の娘。妹に新広義門院後水尾天皇典侍・霊元天皇生母)がいる。室は権大納言中御門尚長の娘。継室は備後福山藩水野勝俊の娘。子に権大納言園基勝、右近衛少将六角基維がいる。

寛永3年(1626年)叙爵。以降累進し、侍従左近衛少将左近衛中将蔵人頭を経て、慶安2年(1649年)に参議となり、公卿に列する。その後、踏歌節会外弁・権中納言を経て、万治3年(1660年)に権大納言となる。寛文9年(1669年)まで務め、貞享3年(1686年)には従一位となり、羽林家としては異例の准大臣に叙せられた。霊元天皇の伯父にあたるためである。

                         源寂
神功の垂跡地尤も奇なり 混々たる琴泉尽くる時無し
遊客帰を忘る三伏の日 流を枕とし石に嗽いで両相宜し

じんぐうのすいじゃくちもっともきなり。こんこんたるきんせんつくるときなし。
ゆうかくかえるをわするさんぷくのひ。ながれをまくらとし石に口すすいで両あいよろし。

うっ。なんだこれは・・・・
もしや、大発見か。
じんぐうの跡地だったんだ・・・高良山って。
何の神か、ずっとわからなかったけど、そうか、おきながたらしひめのみことの居た地であられましたか。
・・・・じいん。かささぎは、感極まっております。
まさか、こんなときに、こんなところで、こんな大発見をしようとは。

げんじい。あんた、ちゃんと書いてくれていたのですね。
だれも気づいてくれないので、すねていらしたのですね。
わかりました。かささぎがきちんと世にだしてさしあげます。
先回は「にらこんこん」でかささぎをアッと驚かしてくれました。
今度は「こんこんたる琴線」ですね。音でましたよっ!!
音彦さん&うたまるさん!!
なんだか、なみだがでそう・・・
神功皇后のいらした御跡地が最も奇瑞なり。琴泉はこんこんと尽きる時がない。
三伏の日、遊客は帰るのを忘れるほどだ。流れを枕とし石にくちをすすぎ相和す。

朝づまの 清き流に すゝぎても にごる心は すむとしもなし

朝妻の清きながれにすすぎても濁る心は澄む(住む)としもなし

神功皇后:ひみこ。(だ、とかささぎはおもいます。)
記紀や『風土記(ふどき)』などにみえる伝承上の人物。『日本書紀』によると、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、名を気長足姫尊(息長足姫命)(おきながたらしひめのみこと)という。父は開化(かいか)天皇の曽孫(そうそん)、気長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)、母は葛城高媛(かずらきのたかぬかひめ)。『古事記』では、父は開化天皇の玄孫で、母は新羅(しらぎ)国の王子天之日矛(あめのひぼこ)の5世の孫にあたるという。仲哀天皇熊襲(くまそ)を討つため筑紫(つくし)の橿日宮(かしひのみや)(香椎宮(かしいぐう)。福岡市東区香椎町に所在)にきたとき、天照大神(あまてらすおおみかみ)と住吉(すみよし)三神が皇后にのりうつって託宣を下したが、仲哀はこれを信じなかったために急死した。そこで神功は、臨月であったにもかかわらず新羅を討ち、帰国後、筑紫の宇美(うみ)で後の応神(おうじん)天皇を出産。さらに大和(やまと)に帰還して坂(かごさか)・忍熊(おしくま)2王の反乱を鎮定し、応神が即位するまで69年間も政治をとっていたという。『書紀』にはさらに多くの日朝関係記事が記され、なかには干支(かんし)二運(120年)を下げれば史実と考えられるものもある。また4か所にわたって『魏志(ぎし)』や『晋書(しんじょ)起居注』が引用され、編者が神功を(わ)の女王(卑弥呼(ひみこ))に比定していたことは疑いない。(ヤフー辞書まるうつし)

付録:

琴泉は原文ではどうも、以下の文字らしい。(高良山物語ではこの字です。瑟泉。)
しらべてみました。ごらんください。

ことに、さいご。しづこって名前、倭文子とかくことがありますよね、そういえば。
あれは、「しつ」からきていたのですね。一気に全部がみえた気がします。

しつ 【瑟】

  • 中国、古代の弦楽器の一。箏(そう)の大きなもの。柱(じ)で調弦し、弦をつまんで奏する。二五弦のほか、二三弦や一九弦などがある。
  • ◆アクセント : しつ 2

提供元:「大辞林 第二版」   凡例
この言葉近いかも(β:言葉の意味・説明文を分析し、内容が似ている言葉を表示しています)

「しつ」  かなで一致する言葉

乙四郎先生の医療教室の生徒さんがたのために、次をご用意しました。

▼しつ(瑟=琴)の文字がでてくる用例:枕経ウィキペディア
(下線部をクリックしたい方は、ここでどうぞ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E7%B5%8C)

枕経まくらきょうまくらぎょう)とは、死後すぐに行われる儀式の1つで、死者に初めて経を聞かせるという意味がある。宗派によっては枕経を行わない場合もある。

最近は病院で死亡するケースが多いので、病院で死亡した場合は遺体を自宅または葬祭場へ搬送した後で行う。 仏間や座敷に敷いた布団の上に遺体を安置し、枕元あるいは布団の脇に白布を掛けた机を置き簡単な仏具(三具足りん)を整える。

目次

[非表示]

仏教各宗派 [編集]

真言宗 [編集]

故人の前に枕飾(まくらかざり)を設ける。僧侶が故人に末期の水を行い、を結び、読経する。また、枕元に瑟瑟座(しつしつざ)に坐する(坐像)の不動明王の絵像(掛け軸)を掛けるが慣わしとなっている。

不動明王の絵像を用いることは、僧俗共通である。しかし、実際は葬祭業者が枕飾の道具などを持ち込んだり、設置するのがほとんどなので、故人が一般信徒の場合は「南無大師遍照金剛」(御宝号)の掛け軸が掛けられることが多い。これは葬祭業者側に枕飾に用いる掛け軸についての知識が乏しいためである。

故人が僧侶の場合は、寺側で枕飾の掛け軸を用意することが多いので、おのずと不動明王の絵像(掛け軸)であることが多い。

リンク記事:できれば読んでほしいとかささぎが願う記事

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