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2010年3月15日 (月)

高良山十景歌 5 青天の秋月

  青天の秋月
                         花山右大将定誠 
寺は青天と称す青嶂の頭 高低一望点塵収まる
啼猿樹上深秋の月 特り行人万里の愁を照らす

てらはせいてんとしょうすせいしょうのず。こうていをいちぼうせばてんじんおさまる。
寺は青天と称し青峰のかしらにたつ。寺より一望すれば心中の塵は収まる。
ていえんじゅじょうしんしゅうのつき。ひとりぎょうにんばんりのうれひをてらす。
猿は樹上に啼き深秋の月がのぼる。独りの行人の尽きざる憂いを照らしている。

言葉の栞:
青嶂(せいしょう)=青峰。久留米東部にある青峰小学校の名前はこれから来ているのでは。と思ったのですが、ちがいますか。
似た言葉:えん‐しょう【煙嶂/烟嶂】
別ウィンドウで表示
(かすみ)や雲などのかかっている峰。 「石を集めては―の色を仮(か)り」〈太平記・二四〉(ヤフー辞書)

花山右大将定誠 の名前の出てくるネット上で拾える資料
1 奈良県立図書情報館 蔵

『春日祭祓戸座並着到殿図 』(http://www.library.pref.nara.jp/gallery/ezu/jinjya/jinjya001/index.html

2紀州和歌山、有田市宮原神社の一の鳥居の扁額「八幡宮」の文字
天保二年(1682)

縦百十三cm 横七十二cm

「八」の文字は巳を象り、左は
雌、右は雄である。
「幡」の文字の巾は、八幡宮
の神鳥である鳩の飛翔の姿
を示している。↓
http://www.geocities.jp/miyahara_jinjya/houmotu.html
3花山院家http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/kazannoinkesyou.htm

花山院定誠 花山院定好の三男 鷹司信尚の娘 花山院家24代当主

鷹司信尚の娘 花山院家24代当主

花山院家24代当主 内大臣

内大臣 正二位 かざんいん さだのぶ

かざんいん さだのぶ 寛永17年2月26日[1640年4月17日] - 宝永元年10月21日[1704年11月18日]

4思文閣美術人名辞典http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=ka&s=60

花山院定誠 かざんいん 
さだのぶ
公卿。定好の男。内大臣正二位。元禄五年薙髪して自寛と号す。書は寂源に就て皇学を究め其風敦厚壮麗。学問を好み、和歌を能くする。宝永元年(1704)歿、65才。

                          中院大納言通茂
寺の名を 月にもしれと 秋風や あゐより青き 空にすむらん

(寺の名。なんという寺だったのか。それは最初の漢詩にある。青天。)


1中院通茂の名前がちらりと出る資料
http://www.daito.ac.jp/~hama/gallery/syo-tekagami-36kasen000.html
2丹後(の歌をかいたのは、という意味か)・中院内大臣通茂(同一人物かどうか要確認)
 女房36歌仙画帳(赤穂市指定文化財)
3こどもに次の公卿あり。引用、ウィキ。下線部クリックしても出ません注意。

中院 通躬(なかのいん みちみ、寛文8年5月12日1668年6月21日) - 元文4年12月3日1740年1月1日))は江戸時代中期の公卿歌人中院家家格大臣家村上源氏)当主。父とともに漢学を熊沢蕃山に学んだ(父の通茂は蕃山門下の堂上四天王とも称された。むすめは肥前国佐賀藩主六代目鍋島宗教の室となった。http://www.nabeshima.or.jp/ryakuzu/page/hansyu06.html

通茂の歌の感想:一読して、ゆうたりとしたゆとりを感受します。ことさらなことはなにものべていないのですが、しらべが美しく、深い藍色の空にうかぶ秋の月と寺とが風に吹かれ澄み切っています。


3丹後・中院内大臣通茂
                         源寂
青天の蘭若一峯頭 月は碧松を浸して烟霧収る
昼夜眠らず玉垂の裏 西欄影落て人をして愁へしむ (高良山物語)
昼夜眠らず玉壷の裏   同上    (高良山十景)

せいてんのらんにゃいっぽうのず。つきはへきしょうをひたしてえんむおさむる。
ちゅうやねむらずぎょっこのり。せいらんのかげおちてひとをしてうれえしむ。

青天の精舎が一峰から頭だけ出している 月は松の碧のなか霧に煙っている
昼夜眠らず玉垂の裏 西におばしまの影は落ち人を悲しませる
昼夜眠らず玉壷の裏 西に欄干の影は落ち人を愁えさせる

「玉垂の裏」(高良山物語)か玉壷の裏(高良山十景)か。

玉壷だという気がします。その意味は、月のメタファーだと思えて。
検索しても余りでませんが、一つヒット。「李素蘭風月玉壷春雑劇」
http://yuzhi.hp.infoseek.co.jp/yuhuchun.htm

ことばの栞(ヤフー辞書から)
らんにゃ【蘭若】 別ウィンドウで表示
《「阿蘭若」の略》寺院。精舎(しょうじゃ)。 「高野の―、比叡(ひえ)の仏刹(ぶっさつ)」〈露伴・二日物語〉

雪はみな 払ひつくして 秋風に 青き天行く つきのさやけさ

雪はみな払ひ尽くして 秋風に 青き天ゆく 月の清けさ

よみすすむほどに、この寂源のうたに引き込まれます。

事前に歌の解説書を読んでおりませんので、何の知識も偏見もなく、自由に読めます。

ところで、きのう、高良山の神さんはひみこだ、と突っ走ったのですが。
だれもなんの反応もないのがあれれ。でしたねえ。
いくらなんでも、それはいきすぎだ、って声があがると思った。

元歌の読みが二種類あって、どっちをとっていいか、迷いつつ進んでいます。
きっとわからないのだろうとおもうのですよね。どうよむべきか。
感でいくしかない世界。

はい、そっち、正解!!とは、だれもいってくれない世界なんですよね。

はたときづく。青天というのは、高良山にあった寺の名前でしょうか。
そうに違いない。だって、そう書いてあるもの。

はじめ、青い空のことだとばかり思っていた。
夜でも青空というのかな。へんだなあと。でも、称す、と書いてありましたよ。
最初の花山院の漢詩に。

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コメント

こんにちは。いつもポイントでしか訪れなくすみません。音、出ましたか。。かささぎさんでなければ出ませんね。恐らくこれからも。(笑
「ヒミコ」については諸説ありますが、「ヒノモトノミコ」は、かささぎさんの信じるものを通して少しずつ明らかになる方向に向かって行っている気がしています。

鷹尾神社は、神功皇后が土蜘蛛田油津姫を征伐したとき陣営の置かれた場所に立地しているのだそうで、境内には神功皇后腰掛石があります。
神功皇后を祭神として祀っている神社は数多く、代表的なのは大分の宇佐神宮。
大分から筑後にかけた山間部に卑弥呼の痕跡を感じますが、やはり、今月号の広報やめ「続八女あれこれ」(松田久彦)にあるように、八女津媛=卑弥呼が感情的にはしっくりきます。
ところで姫野姓も大分から筑後にかけて分布している姓ですが、卑弥呼→ヒミオ→ヒメオ→ヒメノかもしれんですね。

ラオスとタイの国境にはメコン川が横たわっていて、つい十数年前までは1本の橋もなく、国境を越えるには船で渡るしかありませんでした。この川の存在が、川の北側の国と南側の国との間に、決定的な発展の違いをもたらしています。
ここでなぜそんなことを書くかというと、このメコン川の川幅が筑後川の川幅と同じくらいだから。
古代の人が九州北部に上陸して南へ下ろうとしても、筑後川を越えるのはたいへんなことです。魏志倭人伝での邪馬台国に到達する最後の詰めの旅程は陸行一月で川越えの記載はありません。
かくなる上は、筑後川の上流の川幅の狭い所、大分県山間部まで東南へ東へと進み、そこで川を渡ってから南下すれば筑後川を越えることができます。難所越えなので健脚でも一月を要するかも。なお、このルートだと、ちょうど日向神あたり、八女津媛のおらっしゃる所に出ます。
魏志倭人伝の陸行も、東南行→東行→南行→女王の都 となっています。

うたまるさん。こんばんは。
しつ、という楽器が泉とくみあわさったことばがでました。しつは琴でおきかえられることがおおい。笑
琴線は辞書にありますが、琴泉はかささぎの持っている辞書にはでていませんでした。しかし、すぐ連想したのは、陰陽師の漫画。岡田玲子のですが。
観音は音を見ることのできる人です。いずみとわく琴の音。これ、じっさいに響く音ではなく、波動みたいなものなんじゃないでしょうか。霊的な、玄妙な波動です。さいごに、早く句をだしてくりょ。うたまるさんとたからさんだけだからね。かささぎは不問。

それから、乙四郎。やはりここに出てくる神功はじんぐう皇后のことだったのか。もしや、神の功徳とでもいう意味かな。とも思ったけど。そうではなかったんだね。
かささぎは朝妻の近くを通って通勤していました。そこは、曲水の宴の跡が出土しています。風流な歌詠みたちがずいぶん古い時代からいたのです。
続やめあれこれ。まだよんでいません。さがしてみます。

追記
そもそも陸行で関門海峡は渡られんめ。

乙四郎。それ、妙にリアルですね。在りうる、ってか、それしかないよな気がしてきた!
あたしは、蛍のうたのところで、なぜ、筑後川には蛍がいないのかな。と、そんなのんきなことをおもっていた。せまい川にしか、ほたるっていないんだな。かわにな、ってのが、あんまり広大な川を恐れるのかもしれない。なったことがないので、わからないですが。

今日、もう昨日になりましたが、ニッポニアニッポン、ときが七羽も死んだよね。いたちかさるかねこかなにかに襲われて。せっかく野へ離すばかりとなっていたのに、そのくらいで死ぬなんて。なさけねえ。

ニュースをみていた父がいった。ばかやんけん。あんなにすきだらけの檻じゃあなあ。
うちに昔かっていた豚でさえ、蛇が入ってきたら立ち向かって、あげくには食べていたこつのあったばってん。ときはよわかねえ。。絶滅はしよんなかたい。


父のことば、迫力あるなあ。

へびか。
花山院定誠かざんいんさだのぶの書いた、八幡宮の扁額の斬新なレタリング文字。
八は互いにむきあったメスとオスのへび。
左の棒がメス、右のがオス、左のしっぽにかすかな裂け目。
幡の字の巾は鳩の飛翔するかたち。
シンプルで力づよく、原始的。
この人の書の師匠は高良山の名僧寂源。

奈良県立図書情報館 蔵

『春日祭祓戸座並着到殿図 』
を描いたひとは、

左官掌紀氏。

わたしははらいどぬしをさがしているんだが。

かささぎの夫がよくのりとを奏上していたためか、大祓のことばを断片的に記憶していて、だからこういうのが出てくるのだろう。
谷口雅治、成長の家の指導者のことばとつながってしまった。深いことをおっしゃっていますね。

速開津比咩(はやあきつひめ)」と云ふ神 持可々(もちかか)呑(のみ)てむ」
「如此可々(かくかか)呑(のみ)ては気吹戸主(いぶきどぬし)と云う神 根之国底之国(ねのくにそこのくに)に気吹(いぶき)放てむ」

かか。かかのむ、というのは、へびのようにまるのみにする、という意味。
かかはへびのことで、かがみはへびの目のようであることからそう呼ぶのだと吉野裕子が書いていた。

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