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2010年3月 1日 (月)

蘇民将来の魔よけ発見!(杉山洋先生宅)

写真は、ここから下へ順番に見ていってください。
(時間ごとに並んでいます。クリックで大きくなります。)

杉山洋先生とはもう十二年か十三年越しくらいのお付き合いです。
お察しの通り、ついこないだまで喧嘩腰のお付き合いでした。苦笑。

かささぎも年をとり、だんだんと角がとれてまいりまして、
今日は、楽しくお話しを伺ってまいりました。

なにを尋ねにいったのか?
それは、です。藪秀野のむすめ時代、与謝野晶子とのエピソードを確かめに行ったのです。先生の書かれているブログのものと、かささぎの記憶とが一致せず、確かめたくて。

思いがけず、ほかの話題まで伺うことができてよかったです。
楽しかった。

いちばん意外だったはなし。八女の今の火葬場は長嶺役場職員だった杉山先生の初仕事だった、ということです。その記念にまだ誰も焼いていない焼き場のトレイにのっかって、中に入れてもらったことがあるそうです。火をつけるまではさすがになさらなかったのですね。笑(こらこら)

杉山洋先生(なんと、高橋甲四郎先生と同年、85歳!)は失礼ながら、あのお年で、信じられないくらいセンスのいいブログを書かれています。負けそうぜよ。

「うとう吉左のやめやわ」(夜盗吉左ではない。念のため)
今日のブログ:ちりじしんをわかった、名犬ちーこのはなし。
http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10470834350.html

さくらさん、このブログの乃木将軍のところ、よまれてください。

うとう=善知鳥。これが杉山洋氏の本名(長崎)の由。

うとう神社、青森にあります。http://www.actv.ne.jp/~utou/

いやあ、かささぎが唯一天敵と仰ぐ、こわいじいさんなりよ。

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コメント

そのブログ昨日読みました。
乃木将軍のところではなくて、八女市からの表彰を拒んだところです。おもしろかったです。
甲四郎先生と同じ年代すごいですね。

さくらさん。ほんなこて、八女そのもののような人ですたい。あたしゃこのおっそろしく声のふとか人からなんべんばっかりがられたことじゃろか。どげんえすかったね。
それにしても。きのう先生と話したことでもあります。
たくさんの文化財が死蔵されていることのもったいなさ。整理するひとがいないのです。文字通りおくらいりになっているもののなかに、きっとすごいもんがありそうな気がずうっとしています。これは、きっとどこの地方の役場でもおなじかもしれませんが。
あたしは、赤碕さんや前の市長など、連句会でとっても親切にしていただいたし、精一杯の協力をしていただいたので、せめる気にはなれないのです。みんな、いっしょけんめい、しごとなさってました。それでも手にあまるものがあった。ということです。
だけど、
杉山洋先生がいらしたから、それが漏れなくてすんだ。資料整理も、それをもとにした調査も、とっても精力的にこなされて、独自の慧眼をもって、ものごとをみられます。
それがどこかでわかっていたから、とってもけむたかったけど、こんども、あたまをさげて出向いてゆきました。表彰とかは、どうでもいいことです。たしかに。

とはいえ、実際には大変困ることもあります。
これは絶対八女市だけかもしれないなあ。
それは、夢中落花文庫、健吉資料館にいき、ガラスケースの中の資料をみる。でも、見るだけです。中に在るものを手にとって、読む事ができません。そんなら、最初からないほうがましです。よみたいものにとっては、いじわるをされている以外のなにものでもないからです。
ほうら、こんなにあるよ。だけど、あんたにはみせてやらん。
・・・そんなふうに思えるから。
これをなんとかしてほしい。
今、かささぎは十年前より確実に衰えて、文句をいうパワーもなくしつつあります。だから、これは、次代を担う人たちのために、申し上げるのです。

上記、きのう杉山先生から伺った話のなかで、資料を寄贈した山本安見さんご本人が、八女市から自分の資料(いまは八女市の文化財になっている)を読みたいと言っても対処してもらえなかったそうで、杉山先生がたまたまそのコピーをもっていらしたのでそれを送ってさしあげた。・・・というおはなしをなさいました。
それで、ここに一言しておきます。

乃木将軍のところ読みましたよ。
かささぎさんたちがたびたび集う「堺屋」とはどんなところなんだろうと興味がわきました。
料理屋のようでもあるし集会場のようでもあるし風流な建物でもあるような。
乃木将軍が泊まったとあるので、昔は旅館だったのか・・・?

かささぎさんといい勝負の杉山おじいさま、ほかの記事も読んでみたいです。

さくらさん。ありがとさんにござんす。
堺屋はかささぎの別荘だと勝手に思っています。
父の高塚の実家が昔、あんなかんじのつくりでした。和風建築の粋をつくした、ってかんじで。けばくなくて、細部にこだわる古きよき日本。
堺屋にいくと、父の父の仕事を誇りに思う自分がいる。左官だったじいちゃん、かささぎが覚えているそのじいさんは、入れ歯をつけていたお茶をぐぐっと飲み干す汚いじいさんにしか見えなかったが・・笑
父たちきょうだいの生母は父が中学生くらいのときになくなり、じっちゃんは二番目の妻を迎えた。んが、すぐ離縁した。なぜならその人は結核だったから。なんと非道いことをすんだろ。と思っていたけど、今にして思えば、大家族を養わねばならず、そんな人道主義みたいなことはいっておられなかったんだ。で、つぎにめとったのが、さだばあちゃん。この人にかささぎはとてもお世話になりました。やさしいおばあちゃんだった。福島の町からとついで来た人でした。
堺屋はむかし造り酒屋だったんじゃないかな。いまも味噌やさん?こうじやさん?そんなかんじですよ。

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