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2010年3月26日 (金)

ろいりーあけぼのさんのお便りから『蘇州夜曲』と連句的、

そうそうエメさん、「シルミド」でも渋い役で出てましたね、アン・ソンギ(安聖基)。私は20数年前に見た、韓国文化会館ちゃらなんちゃらいう所から借りた2本目「霧の村」という映画で、これは韓国の若松孝二映画かと思った、その主人公として強力インプレッション。ほ~、今調べたら私より1歳上で、チョー・ヨンピルと中学の同級生げな、「釜山港へ帰れ」、コリアン語で歌えまっせ。アン・ソンギに比べれば、ヨン様も、私のヨメが好きなイ・ビョンホンもまだ尻が青い。
 「おーい」と男湯から呼んで、女湯のほうへ石鹸を滑らす、そんな粋な生活も、今は昔の今昔物語ですね。何だか歌になりそでウッフン、なさそでウッフン。

 昨夜のメールで1つ尋ね忘れたこと、かささぎさん、「蘇州夜曲のほうがポピュラーですよね。最近若い人たちがたくさん歌っていますのはこっちです」ってホントですか。どんな人たちが歌ってるのでしょうか、劇団四季の「李香蘭」の影響でしょうか。
 実は私も「蘇州夜曲」のほうが好きです。こっちは完全な日本人の作った歌ですね(作曲:服部良一)。実は私がこの歌を初めて(意識的に)聴いたのは、1971年頃、加藤和彦がTVで歌ってるのでした。うちのばあちゃんが、「古か歌ば歌いござっね」とか言ってた気がする。でも、良い歌だなと思いました、これも私のカラオケの十八番です(笑)
 しかし数年前、実際に蘇州の寒山寺にいったら、あ~た、日本人をはじめとする観光客だらけで、幾らか払って次から次へと鐘を突き、風情も何もあったもんじゃない。といいつつ、私もその風情を乱した1人だったが。

投稿: 呂伊利 | 2010年3月26日 (金) 06時02分

ろいりーあけぼのさん。いつも楽しいコメントありがとさんにござんす。
蘇州、きれいなところかと想像しますけど、そうではないのですか。
らんさんもおととしだったか、行ってきたんだか。水の都、か。
以前、俳句季語の虫送りをしらべていたとき、蘇州がまっさきに出てきた。
おなじく稲虫の害をうけてきた文化があるんだな。と思った。
連句でも使った。そっちの町田というところにホトケブチケンゴさんという連句人がいらっしゃいます。ろいりさん、縁がござったら頭の片隅にでもほりなげとってね。
その人とちばの高木サクヤさんと長崎のあけさかこはくさんとの4吟の『着膨れて』だったとおもう。伊勢のハイソ、荒木田守竹450年忌連句大会で賞をもらった巻きでしたよ、そういえば。さがせばどっかにあります。
蘇州ではまだ燦爛と虫送り。こんな句。らんさんとそしゅうで連句的に必然的にこれがでてきました。らんさんという漢字、むずかしいですが、この難しい字もパソコンならすいすいでます。でも昔の人は手書きですけんね。かささぎはこのことばに中江兆民の『三酔人問答』でであいました。でもそこでのかたちは、逆だった。ひっくりかえってる。さんらんになっている。どっちが本当?ちょうみんはまちごうたんやろか。と調べましたよ、そりゃもちろん。こげなことばっかりやってる、本筋からどんどん離れてゆく。中江兆民なんてビッグネームの硬いおっさんの本、なぜかささぎが読んでいるなんておもわんでください。たまたま古本の『アジア主義」を持っていてそのなかに入っていただけ。武内好の。

蘇州夜曲。
あの歌手しっとんなさるですか。ダーウィンが来たのテーマソングば歌いよんなさる人。あの人の初期の大ヒットに「ジュピター」ちあっとです。そのシングルの裏がこれでした。
この空のみむねにいだかれて。(ジュピター)
きみがみむねにだかれてみるは。(そしゅうやきょく)
テレビでも若い人たちが歌っているのをみたことがあります。

▼それから、調うたまるさんへ。

なぜか、気になってた。なぜだなぜだ、と思ってたら、おもいだしました。
似ている句があって、それを思い出していました。これです。

行く姿声の届かぬ彼岸船   うたまる

もう声の届かぬ船や春日傘  黛まどか

これ、この中に。暇見つけてよんでください。
かささぎは、石橋秀野を紹介する文章をそういえば書いていそうでほとんど書いていなく、その中でもましな部類かも。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_2ce6_1.html

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コメント

こんにちは。 今朝は朝日が眩しかったです! でもさぶっ!
ヨン様>>今だ根強い人気ですね。 
ビョン氏>>陰りのある役のときの目がいいですね~。低い声もセクシーです
ドンゴン氏>>明るさのある迫力のあるまなこ
クォンサンウ氏>>うちの娘婿にそっくりです^^

蘇州>>ちょうど10年前に行きました。
その時驚いたのが、風景は田舎で素朴なのにホテルはカードキーのホテルだったこと。もちろんBSも映ってました。
あと一つ驚いた事・・ここには書かんどきます・・(^_^;)

エーそげん書くとしりたくなるやん。

 ほほう、ここで『三酔人問答』(正しくは『三酔人経綸問答』)が出てくるとは、なかなかでござる。この中にこそ当時の日本人の、左翼・右翼という西洋的枠組みを超えた真の進むべき道が、暗中模索して結論の出ないまま、後世の課題として提示されておる、と昔読んだ時に思いました~でも「燦爛」という語句については覚えてませんが。「アジア主義」も元々はその課題解決の一つの選択肢だったけど、結局右翼に取り込まれてしまい、日本自体が道を誤ってしまった。それをもう1度原点に戻って捉え直そうとしたのが竹内好や橋川文三らだと…小難しいこと言いながら、実はそこで私の知識欲は止まったまま30数年。ただ私が一番興味を持った、というより本当の純粋なアジア主義の実践者は宮崎滔天だと思う。「右翼団体」玄洋社の中で、彼だけが自己を捨て、日本の「国益」さえ捨てて中国革命を支え、そして挫折した。ちなみに息子の宮崎龍介は柳原白蓮の2度目の夫ですね。

そうだったの!!そうかそうか、そうつながってくのか。へーえ。ろいりさんはだてに年くってないなあ。いや、失礼。感心感心。みやざきとうてん、霊人みたいなかんじのひげじいさん。三十三年の夢、をよんだきがする。気がする、じゃだめなので、今ここへいってよんできました。ポイントを。とうてんは、熊本荒尾の人だったんだねえ。孫文もとうてんの故里荒尾を愛した、と書かれている。とうてんは全部革命的なことが失敗したらしいけど、のちに中国で起きる本物の革命はおかげで成功した。

びゃくれんさんの家、といっても元亭主の石炭王のですが、北九州へ200号のみちを通っていくとき、左側に案内板が「こっちこっち」とでています、ああここがえめさんが行ったとこなのかもと思いつつ通り過ぎます。

あのアジア主義という本はふしぎな本でした。どうふしぎか。とても霊的。去年れぎおんで川端さんという方がそれについて書かれていたこともふしぎな気がした。橋本文三が大学の師だった、とありました。川端さんは、ろいりさんと同年くらいの方ですよ。そうか、この人も明治大学なんだね。ここでしこんかんとつながってくるんだなー。それと橋爪一衛や石田波郷ともね。うう・・ねむい・・。

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