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2010年3月12日 (金)

八女灯篭人形の祖・松延貫嵐と久留米藩主有馬頼徸

杉山洋先生に先日うかがった話は、どれもこれもとても八女の文化の重要な話でした。
ですが、長時間あちこち連句的に話題が転がりながらのお話であったので、とうていすべてを記録しておくことはできません。
しかし、思い出したことは思い出したときに書き留めておきたいとおもいました。

現在の八女人のなかで、一番八女の歴史をご存知なのは、あのお方です。
それがよくわかりました。あの「ばさろふうわるう言う(とてもあしざまに言う)」そのうえ、「ぎぎゅたんで、ふうちげ(ぎゃあぎゃあいうかわりもん)」であられるので、それがわざわいしておられる。
でも、よくよく考えると、それで正解なんです。
反逆の地、まつろわぬ王のいた地の土人として、たしかな仕事を残してこられました。
その片鱗は、85歳にして続けておられるブログでみることができます。

これをごらんください。
八女福島灯篭人形の祖・松延貫嵐(かんらん)について書かれています。

http://ameblo.jp/yameyobanashi/theme-10012033051.html

(八女福島の)4代目大庄屋甚左衞門のときの久留米藩主は日本数学史に名を残す有馬頼徸。


藩主の浪費により「宝暦一揆」おこる。毀誉褒貶ある藩主。


甚左衞門が大庄屋職を放棄して大坂の人形浄瑠璃の世界に身を置くについては相当の覚悟が必要。身分の問題・宗門帳面のことなど複雑なことがあったはず。


「写楽」について士分と役者絵描きとの身分についての指摘がある。(中野三敏氏)


藩主は寵童趣味の有名な人物。甚左衞門宅に五日も宿泊する。青年甚左衞門これを嫌悪か。


後年安易に帰藩を許す藩主の特別行為に疑問あることを善知鳥指摘。


家屋などの一切を破却された「宝暦の百姓一揆」の大庄屋職への反省もあったか。


捨てた大庄屋職(士分ではない)への復帰は到底ありえない。明治2年大庄屋制度廃止と同時に士分になる制度公布さる。


大坂に出て福松藤助・ 陶芋とも名乗る。福は福島、松は松延。改名に開放感がある。


福松陶芋の名で読本浄瑠璃『宇賀道者源氏鑑』を出す。5段続、原案は18才のとき作成。「宇賀」は「稲荷」に通じる。


宝暦8年柳川の西原村虚無僧寺普化宗江月院で『宗門帳面』を得る。竹本駒太夫の援護あり。


藤助は大坂退去後柳川西原村にしばらく居住のち山崎に転居。


『祇園女御九重錦』の角書は『三十三間堂平太郎縁起』。近松出雲作『芦屋道満大内鑑』を改作しもの。詩人高橋睦郎指摘。(岩波図書29年3月号)

三段目が『平太郎棟木由来』。

正本作者は若竹笛躬(ふえみ)と中村阿契(あけい)のみ 伝わるが藤助は『祇園』の大序と第四場を作ると『覚』に書き残す。大方の研究者認めている。合作の浄瑠璃作者名の取扱にこのようなしきたりがあったのか。


藤助が作者に加わった作品は『桜姫賎姫桜』『祇園女御九重錦』『曽根崎模様』『人丸万歳台』『岸姫松轡鑑』。


記録だけの作品は『奥州千歳萩・忠心京物語・稲取物語・武蔵国鎧渡・島模様・山崎与次兵衞比・以頼光山入』。


貫嵐は天明8年56才からの俳名。紫雪庵官蘭、のち橘雪庵貫蘭(宗門人別帳には医者官蘭「医者」としての身分に要注意。


『覚』の表紙に梅月庵貫嵐と追記。


少年期の書の手引き師匠は俳人若林宗元。句碑は古松祇園社にある。

はじめの師匠は楓紅庵秋寅。晩年は雪中庵蓼太。

▼以上、引用しました。

いくつか、用語検索;

1有馬頼徸(ありま・よりゆき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E9%A0%BC%E3%82%86%E3%81%8D

『天為』主宰の有馬朗人氏とも血のつながりがあると名前を見ただけでわかる。
先日梅林寺の父子句碑でぐうぜんであったばかりです。

つの‐がき【角書(き)】
つのがき」を大辞林でも検索する

浄瑠璃の名題(なだい)、歌舞伎の外題(げだい)、書物の題名などの上に、その主題や内容を示す文字を2行または数行に割って書いたもの。




『善知鳥吉左の八女夜話』 杉山洋
http://ameblo.jp/yameyobanashi/theme-10012033051.html
2009-03-12 13:10:45

夜話 1 松延貫嵐 秘話

以下、かささぎの独り言。
去年、この文章をおかきになろうとしたとき、先生は私に電話を下さったのです。わたしがブログで書いていたことに対して、自分はブログやらできんので、知人に頼んでブログ上できちんと反論しますから。と。
そのとき、喧嘩ごしの対応をしてしまったのでしたが、文章で読みますと、かっかしないで、すうっと冷静にちゃんと事実だけが伝わります。
そのとき、かささぎが書いている文章をひいておきます。
「杉山先生に又、叱られる」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-2853.html

八女福島と久留米と柳川と・・・とにかく繋がっていたわけで、今もそうなんだけど、文化財は別個に存在するし、縄張り意識もあるだろうし、公と私との境界もあろうけど、しかし、だけど、歴史にうもれる真実を世の中へ紹介しなければいけない。という目的ははっきりしています。

杉山先生。かささぎは誤解していました。

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コメント

寵童趣味について。

佐賀の金立に山本常道の碑があります。
武士道を書いた人です。この中で常道はこの世で最高の恋はひめた恋、片恋であるといっている。ときけば、へえ、武士道ってかっこええなあ。とおもうでしょ。
ところが、ぎっちょんちょん。この人のおっしゃってる恋って、男色のことだったんですよね。(ということを、かささぎは三島由紀夫の解説本で知りました。)
つまり、武士っていう職業は命をかけて命をやりとりするもの、いくさばには女はいない。自然とそうなったんだろうか、そこらは何もわからないながら、その時代はふつうのことだったんですね。だから、ザビエルがきたとき、山口の藩主じゃなかった、そのころはなんていうんだっけか、とにかくボスが男色にふけていることを知って罵った(聖書ではソドムの町はほろぼされるから)ってのも、当時はべつだんふつうだったのでありましょう。
井原西鶴の書いた物語でも普通だし、芭蕉の世界でも普通だし。ふつうっていう意味は、よくみられた、という意味です。おおっぴらにはいわないかもしれませんが。
だから、杉山先生のおっしゃる、この理由は、よくわかります。

あら。まちがっていますね。常朝、がただしいです。

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