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2010年3月 6日 (土)

杉山洋先生との話でわかったこと

かささぎが秀野と出会ったのは、平成九年一月、八女福島の石橋秀野櫻濃く資料館(平井)朋吉館長)ででした。
その年(2001年)の夏、はじめて参加した連句誌れぎおんの前田圭衛子師捌(さばき)の伊丹での連句興行で、思いもかけぬ石橋秀野の短冊と対面します。
伊丹市には旧伊丹市長だった造り酒屋の大地主・岡田利兵衛氏の「わが国屈指の俳諧コレクション」があります。名づけて「柿衛文庫(かきもりぶんこ、まもるの字は旧字)」といいます。連句は百韻でしたが、十五人ほどの連衆のなかにそこの孫娘さんが学芸員としておられ、自己紹介のとき、「九州の八女には石橋秀野と山本健吉のお墓があり、秀野を書いています」といったところ、その岡田麗さんから、石橋秀野の短冊がなぜか一つだけうちにあります、特別ですよ、と保管庫から出して見せてもらえたのでした。

蝉時雨児は擔送車に追ひつけず  秀野

その短冊はきれいな絵柄の入ったものでした。
力はないものの、きちんと二行に書かれています。

筆跡は、かささぎがおもうに、まぎれもない、秀野の字でした。
手帖に書いた青鉛筆のなぐりがき、をていねいに書いたもの。

杉山先生が学友から送られてきた短冊、

寒椿やゝもの淋し京の紅    秀野

を保管されているそうですが、それは入院中の秀野を見舞いにいかれたご学友の方がもらわれたものだとおっしゃいました。
http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10231044874.html#main

であれば、です。秀野は入院後は一句も書かなかった、となっていますが、短冊をかくことができたのです。であれば、これはおそらく所有者の柴田白葉女が見舞って、もらったものに違いありません。

かささぎは、その後白葉女の手蹟を色紙を求めて調べました。
とってもじょうずでした。
秀野は下手ではないがさほどうまくありません。
これで絶筆短冊のなぞはあきらかになった、とおもいます。
長年の課題がひとつ、解決したきもちです。

杉山おんじいとの松延かんらんをめぐる荒野の決闘その1
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-2853.html
そのなぞはここでとけます、松延かんらんについての杉山おんじいのお話。
http://ameblo.jp/yameyobanashi/theme-10012033051.html

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