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2010年3月20日 (土)

山門、大和、倭をつなぐ線がみえそうだ!談義

コメント

乃木将軍の兵法の書に気になる箇所が一箇所あって、それは水は地に因りて流を制し兵は敵に因りて勝を制すの前にある文章。
兵形避實撃霊。
これはどういう意味でしょう。もしや霊主体従てこと?ちょうど昨日ひらいたオニさぶろうのとこにでてるのですが。
えめさん。えびの絵をみたのは、ここでしたよ。だれが描いていたかといえば、びっくり、伊藤若冲!

おはようございます
今日も鍵を持っていかれてしまいました(あほ)
たいら>>へえ~なるほど。。そういえば、たいらの知人達はそこはかとなくはんなりとして優美なところがあります☆
伊藤若冲>>博物館にきたとき行きたくて行けなかった心残りがあります・・。

写しをみた。
かなりちがっていました。これが全文です。

夫兵形象水水之形避高而趨下兵之形
避實而撃水因地而制流兵因敵而制
勝故兵無常勢水無常形能因敵変化而
取勝者之神    源 稀典 書

かささぎ注:霊の字は本当に霊か自信がありません。
謂の右半分も、稀典の字では胃ではなく田の下が日です。

漢文できないとどうしようもない・・・。ということがよくわかる。
黒木氏文書。あれも途中まで入力して放ったらかしだよなあ・・・。

按察使局→高良山→平家物語・・(黒木物語)
かささぎさんが今まで辿っているものは全てつながっていると。玉垂・・。そのうち物部にも・・。

すみません。句はなんとか。。頑張って出します。。

ちょうどよかった。うたまるさん。
一月たったので、今日アップしましたが来週あたりまで受け付けているので、あとからでもどうぞ。
さくら、いつまでもつかなあ。

>そのうち物部にも・・。
はい、七支刀を持つ謎の人形がある筑後大和(山門)の「こうやの宮」は「磯上(いそのかみ)物部神社」というのが正式名称です。七支刀がある天理市の「石上(いそのかみ)神宮」は物部氏の総氏神。
そして、按察使局は石上神宮の神官の娘。
石上神宮の七支刀の話を按察使局から聞いた筑後人が、人形をこさえて石上神宮を筑後大和に再現したともいえる。
磐井を鎮圧した物部氏が七支刀を没収し、戦利品として石上神宮へ奉納したことを人形物語にしたともいえる。

おつしろう。すごい展開だね。
あぜちのつぼねは石の上氏のむすめだったのか。
いそのかみ氏の神官のむすめ。
藪秀野はその血をひいている。だから石のつく姓の人とばかり縁があった。
ずうっと遠いところから呼びかけられている。
きのう、不動明王の秀野の句がふいとうかんだ。
それはなぜだったのか。というのをふとんの中で今朝いちばんに考えた。イワイという名のおとこを考えていたんだ。いわくらのいわ。磐のゐ。
仏像で必ず磐の祭壇の上に座すのはだれだったかな。それこそ不動明王だった。
そして、無量寿院。
西をむいてたつ寺。
石橋家の墓へは寺の右側にある閻魔堂(北向き)の前を通って、閻魔さんにごあいさつをしてからしか行けない。なぜ。おののたかむらをおもうため。
たいらの地にある郵便局がぱっと目の前にでてくる。あの前の道をまっすぐまっすぐ西へと行ったらば、三時間くらいで佐世保へでた。
遠いような。近いような。
うみ。
うみ。
長崎まで出なくても、そうか。矢部川で船にのれば海にでますね。有明海。
ところで、平のそばの光という地名はなぜひかりでしょう?
ふとそんなことも連句的におもっている。
きのう、えめさんが神功皇后のたどった道を色々あげてくださった中に、唐尾というのがあった。カラオ?はじめて聞きました。唐の支配をうけているはじっこ風の地名ですね。溝口のちかくですか。溝口といえば美濃和紙が伝わった地ですね。日源上人像のあるお寺もありました。矢部川ぞいです。

おはようございます。
タイムリー、タイムリー♪
磐井の石人もののいくつかが重文指定されましたね☆
日本書紀・編纂の旅>>いつか歩いて探してみようと思います。 八女・古道の旅 
では今日(?)もお気をつけて~

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コメント

ついに物部にきましたね。さすが乙四郎さんです。
実はここから先が極めて謎が多いんです。蘇我氏から封印され隠れた本当の日本の歴史。平安期までは口伝や和歌、曲等々でかすかに伝えられてきたものも後の戦乱で次第に消失して現在では決して表には出てきません。どこかにはあると思いますが。。ここからが明らかになれば九州王朝、邪馬台国を初め、様々な古代日本の謎が分かると思います。日本書紀。編纂。。(独り言)

みんな、熱いよねえ。
ひとり畿内説のわて、なんか仲間に入りにくくてさー。笑

武内宿禰は、高良大社の祭神、高良玉垂神。
母親は山下影姫。
山下影姫を祭神とする神社は、小郡市の竃門神社と八女郡水田村の玉垂神社。
ところで、磐井の反乱は、皇位継承争いの副産物みたいです。
武烈天皇に皇子がなく、皇統が絶え、国は乱れ、九州では熊曾が叛き磐井はその鎮圧に勤しむ日々。
大伴大連金村(オオトモノオオムラジカネムラ)は、一刻も早く皇孫を探して天皇を擁立し、勅命を以て国をめる事を急ぐ。
重臣の許勢男人(コセノオヒト)と物部鹿鹿火(モノノベノアラカイ)は朝廷の主導権を争う。
許勢男人の血筋は、孝元天皇-彦太忍信命-武内宿禰-許勢小柄宿禰-を祖とする皇族であったので、皇位に就く策略があった。
仲哀天皇の五世の孫らしい倭彦王(ヤマトヒコノオオキミ)という人物がいた。倭彦王は武烈天皇の崩御を聞いて策略を練っていたが、迎えの使者の軍勢を、策略が露見して討伐の軍が向けられたと勘違いして逃げ行方不明。
次に、応神天皇の五世の孫と称する男大迹王(オオドノオウ)という人物に白羽の矢。しかし、彼の祖は嵐で越前に漂着した高麗人との噂もあった。
許勢男人は大反対。物部鹿鹿火は態度保留。
大伴金村は皇統が絶えた事が天下に曝されると各地に乱が起こる事を恐れ、喪があける迄に皇統を嗣ぐ御子を推挙するため、出自の疑いに眼を瞑る決意を固め、物部鹿鹿火と密談を持った。
物部鹿鹿火「許勢の血筋は歴とした皇族である。皇統が絶えようとしている今、臣下に下ったとは云へ皇族の血を引く許勢男人が皇位を窺うに何の不思議も無いが、一度臣下に下った者が皇位に上る事は前代未聞の事柄であり、許勢男人が望んでも大和の群臣豪族が許すはずはなく間違い無く乱が起こるであろう。男大迹王は応神天皇の再来と見定めお迎えする所存ならば、物部も男大迹王をお迎えする事に異存は無い、大伴金村は男大迹王の即位を粛々とすすめられよ。」
大伴金村は物部鹿鹿火の後ろ盾を得て、男大迹王に即位を請うた。
かくして継体天皇(在位五〇七~五三一年)が生まれました。
案の定、大和の豪族は帝を受け入れず、挙兵の動きも。
この大和の混乱に乗じ、継体六年(五一三年)、百済の武寧王は任那四県の割譲を大伴金村に申し入れた。任那を守る為に百済と陸続きの任那四県に百済は兵を出して新羅の防ぎと致したい。その為に任那の四県を百済に割譲願いたい。叶わなければ、任那を守る為に軍を派遣願いたいとの申し入れ。
あまりに虫のいい申し入れに半島との外交窓口だった磐井は大反対。
磐井「四県を百済に割譲すると新羅の恨みを買い半島の争いは益々激しくなる。任那を守るには百済と新羅の両国と交誼を結び任那の地を犯す国に兵を向けるべきで一方に肩入れすれば、却って任那の存亡を怪しくする。新羅と友誼を結び、百済と新羅の和解を進めるべきである。」
しかし、大量の朝貢品と酒宴攻勢にほだされた大伴金村は「皇位継承の混乱から諸国の乱は続いており、乱を鎮める為に四街道に軍を派遣している。今、任那に兵を差し向ける余裕はなく、百済の申し出を受け、四県を割譲して百済に与え任那の守りを確約させては如何か。」と帝に奉上し、磐井の助言を無視。任那四県を百済に割譲する勅許が下った。
磐井は大伴金村が己の欲得の為に国を売り渡した大和の腐敗に絶望感を抱き、神功皇后が築いた任那の地を自らの手で守る決意を固め新羅と誼を通じる腹を固めた。
大和の豪族も任那四県を百済に割譲する勅許に、歴代の帝が守り抜いた地を百済に割譲するとは、帝はやはり皇孫では無いと帝に不信を抱き、各地で乱が勃発した。
新羅は大和が任那四県を割譲して百済に与えた事に恨みを抱き、継体十六年(五二三年)百済の武寧王が没したのを好機と、磐井君に兵を送り大和からの独立を促した。
磐井も任那を掌中にして九州と併せ国を樹立する決意を固めた。
磐井が新羅の支援で独立することとなれば、大和は半島との交易の拠点を失い新技術、新知識の流入が途絶えるので、磐井の乱は大和の存亡に関わる重大事。乱の平定が長引けば大和の威信は失墜する。重大な危機を迎え、帝は直ちに磐井鎮圧の命を下した。帝は大和の軍の大権を司る物部鹿鹿火に出陣を命じた。
一年半の月日を要してやっと磐井の乱は終息したのち、帝は磐井が何故、叛逆を企てたのかを磐井の子、葛子に問い質した。帝は、磐井の国を想う心を忠誠のしるしとし、磐井の罪を許す。葛子へは糟屋を屯倉として献上した。
その後、帝は新羅と百済の和解に動いた。

追記

山下影姫は畿内の人なのに畿内には彼女を祀っている神社はなく、筑後ばかりなんですよ。
これって何なんでしょうね、山下さん。

乙四郎さんありがとうざいます。当時の日本の政治背景には大陸系と半島系からの政治力バランスが大きく関わっていますね。
この物部氏。古神道から「ふるべ、ゆらゆらとふるべ」なる神言があります。これらは古代和歌の発生にも起因するものにも思えるのですが、語りや様式にはまだ潜む何かありそうです。一度石上神宮行って見たいですね。

ひょえ~・・・びびい~っくりこいただ
あわあわあわわざます~乙四郎ってやつはすげえなあ!いつのまにしらべたのだっ。目でみてきたようにリアルじゃないか。くそう妬けるなあ。
おらはまったく関係ないが昨夜の次男の三者面談を思い返していた。親のつごうで七時半からという非常識な時間帯に一時間も先生が時間をとって下さったこと、暖房のきえたさむい教室でふるえながら先生が語ってくださった熱い言葉、それにまけず自分のかんがえを自分のことばでまっすぐ伝えたむすこ、先生にうけいれてもらえずに、なみだがでそうになっていたむすこの横顔。
勉強のやり方くらいで、こんなにもあつくなれるものなんだな。すごい師弟関係だな。子はもちろん子だから若いが先生もまっすぐで若い。うつくしいなあ。胸をうつなあ。こういうことを人事のように思う自分はなんと年をとってしまったんだろう・・・。けっしてどうでもいいわけではないが、だからといってそこまで熱くはなれない。さだめのままにとおもうだけ。
一週間のバッテリー切れがここに来て出た。やっしゃんがおみやげに置いていった横浜煉瓦というお菓子を食べたら、あまりに甘くて眠くなり昼ごはんもたべず寝入ってしまう。三時間こんこんと。
ゆめのなかで、三体のあかんぼうをお守りしていた。川で遊ばせていた。と、ひとりが沈む。うわ助けねば。と抱き上げてるうちに別のひとりが又沈んでいる。パニックになってつぎつぎ川から救出しているうちに、目がさめた。
ああよかった。なんてゆめなんだ!

こっちも、ひょえ~っですが。
山下影姫って初めて聴くお名前ですが、畿内出身者でありますか。

邪馬台国がさてどこであったのかはともかく横においといて(笑)、九州に日本を代表するような九州王朝とも言える都があったことは否定できないと思っています。大宰府の都府楼跡や古墳の多さ、あるいは吉野ヶ里遺跡の大きさなどからもうかがい知れるのではないかと思うとります。
残念ながら乙ベキアやうたまるベキア、あるいはろいりーベキアのように歴史につまびらやかな知識を持ち合わせていないので、積極的な議論の場に参加できんとがちょー残念です。

しかしながらです。
このふたり、どうやってこんな詳細を入手なさるのでありましょうぞ。おそろしか、おそろしか。

山下影姫が祀られている玉垂神社があった八女郡水田村というのは、現在、筑後市水田。地図上、玉垂神社は見つからず。近くには平家の宗清寺。
ところで、自分で言っておきながら気にかかること。
畿内の人を筑後で祀る・・・
その逆もあるかも。
こなたで没した人を、あなたにこちらゆかりの地名を与えて祀る。
そんな文化があったと仮定すれば、畿内と筑後に共通の地名が多い謎が解ける。
卑弥呼も、こちらの人だが、畿内に墓を設けたとか。

>目でみてきたようにリアルじゃないか。

元ネタ。これを要約編集しました。
   ↓

玉垂宮は筑後市長浜にあります(442沿い)
福岡県内で、八女郡はかなり広い地域だったみたいですね。
東遷>>地名がそっくりそのままの地域がけっこうあるとか。
九州→近畿>>卑弥呼が突然東へ行ったとしたら、「風水によるもの」でと、考えた人もありますね。
結論は出ないで、色んな空想ができるほうがロマンがあるような気がします♪

朝廷へ反逆した磐井の墓が立派な前方後円墳として残っているのが謎でしたが、継体天皇は磐井を赦したのですね。

深夜戻りで今。
>ゆめのなかで、三体のあかんぼうをお守りしていた。
ひめのさん・・。

こんばんわ。
>畿内の人を筑後で祀る・
はい。私もそう思います。九州・畿内にもいくつか地名や古墳を模倣したかのごとく共通項が多いのも単なる偶然ではなく深い意味がありそうです。(以前の話題の筑後・筑波もしかり)そうした事を踏まえても現存して祀られている古墳も常に人が葬られているとは限らないと思います。

乙四郎はん。きょう、久留米つばきふぇあでもらったパンフをみていたら、市内の有名な椿スポット紹介がでていまして、その一つが水天宮だった。本殿左横の椿が有名だそうです。水天宮紅唐子。と名前も書いてある。神社の神紋もツバキだとさ。ひえ~どすなあ。しかも、安徳天皇と玉江姫の恋物語にちなんでいる。とかかれちょるで。安徳天皇は五歳で死んだんじゃなかったの?どうなっちょるの!

えめさん。八女市広報誌、捨ててしまってるようでしたので、こんど見せてくださいね。今日は筑後市まで子を送っていったので、その神社に寄ろうと思っていたのですが、時間がなかった。ざんねん!えめさんは、たくさん、いろんなことをご存知ですねえ。びっくりします。おもえば、ふしぎなえめさんです。つくづく変。へんというとへんだからへんとはいいませんが。へんよねえ。

うたまるさん。
へんといえば、この人。とってもふしぎなんだよね。

ふしぎなひとばかりがいらっしゃいます。まったく、世の中はじつにふしぎだ!!

こんばんわ
広報>>新品をゲットしております♪
へんですか? のーまるなつもりですが(笑)

ところで、私、見つけたかもしれません・・。
則越藤山以南粟岬・・>>ふと思う場所があって、そこを登っていきましたら・・たどり着きました・・☆・・(かな?)

・・以南「望」粟岬

おお。そうでしたか!手付かずの世界。こんどおしえてくださんせ。とうだいもとくらしくらし。

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