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2010年3月12日 (金)

森浩一『倭人伝』を読み直す 連載終了

誇り高き倭人
われ志を継がん
    森 浩一

▼かささぎの独り言

この方は安本美典氏と同じくやまたいこくは北部九州にあったとされる論客です。
今回西日本新聞に36回にわたって連載された『「倭人伝」を読み直す』、毎回楽しみに読ませていただきました。色々書かれていたのですけど、最もつよい印象をもったのは、邪馬台国を調べていた森氏がかつて山門(現みやま市)にみえたとき、ここはなんという地ですかとたずねたところ、やまとですと農婦が答えた、それをきいたとき、うわっと鳥肌たった、と書かれていたことです。
かささぎは一冊その著書を持っているだけ(『古代史の窓』)ですが、かささぎの旗に時々久留米弁の楽しいコメントをくださる歴史の先生、呂伊利さんが大学で最初に出会われた先生だそうで、縁とはおもしろいものですね。(と、ここではじめて森浩一氏の経歴をしらべますと、同志社大学教授だったとあります。しかも名随想家須賀敦子さんとはいとこ同士。)
以下、ウィキ紹介文より引きます。

作家の松本清張司馬遼太郎黒岩重吾とも交流があった。考古学研究の第一人者。若い頃から当時の考古学界をリ-ドする梅原末治末永雅雄八幡一郎などと交流があり、独自の観点から研究発表を行った。また三角縁神獣鏡について早くから国産説を打ち出したことや、いわゆる天皇陵(古墳)について活発な問題提起をしていることでも名高い。特に近著では従来からある考古学のアプロ-チとは違って、地域を多面的に見る視点から多くの問題を提起している。記紀などの文献の深い読みにも定評がある。

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コメント

こんにちは。
連載、今日で終わったね☆寂し★

えめさん。おわりましたね。すこしよみおとしたところもありますが、気にかけてよんでいました。
先生もご高齢になられたのですね。
この回が最終回でしたので、なにか書いておきたい。とおもって。
かきたいこともいくつかあります。
その1、邪馬台国の台の字、ほんとは一という字であるとする古田武彦の説と真っ向からくいちがうのですけど、これはどうなっているのでしょうか。それが知りたいのです。古賀の達也さんが書いてくださるとありがたいのですが。
時間をみつけて書きたい。

震災 森浩一
2,080件中3位
その2位の記事をよみうりオンラインより引用します。震災はちっとも関係ないのですよねえ。

「邪馬台国がどこにあったかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心をもつ人には読んでほしくない」。冒頭で宣言して、「魏志倭人伝」の記述を丹念に再検証する古代史研究の重鎮は、邪馬台国が九州から東遷したとみる。九州北部や対馬、韓国などを自ら歩いて説得力を加える。

 もともと倭人伝は、中国の歴史書、三国志魏書の中で、魏より東の国々を書いた「烏丸・鮮卑・東夷伝」の一部に過ぎない。にもかかわらず、邪馬台国論争で倭人伝の記述ばかりが国内で注目されることに著者は異議を唱え、国際関係を重視して読み解いていく。

 その末に、卑弥呼の死が、狗奴国との戦争で倭国が分裂した責任を魏から問われての自死だったとの解釈に至る展開は、とてもスリリングだ。(ちくま新書、740円)(央)

 

(2010年8月22日 読売新聞)

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