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2010年3月22日 (月)

『明智燈籠』 石橋秀野

明智燈籠

  昭和十五年十月『馬酔木』誌より

    石橋秀野

 盂蘭盆の頃、三方に山をめぐらすこの国は日没から宵の口いつとき風の死ぬことがある。人の顔の仄かに見える時刻が可成長い。奈良の町を外れ京終(きょうばて)と云ふ駅から大和平野に走り出す汽車がやゝ速力を増すあたり三輪山が腕をのべる様に近づく。
私の在所は平野のほゞ真中に近い。大声で叫んだら三輪山の反響が二上山にまでとゞきさうなこの国では、平野のあたりをすべて国中(くんなか)と云ひ山の方の在所を山中(さんちゆ)と呼ぶ。私は国中といふ方が好きである。字面から受ける感じは一寸二寸の土地も耕しつくされてゐるあのせゝこましい今の大和とは雲泥の差である。国のまほろばと云つた時代の匂ひがある。
 まだ村に電気の来なかつた頃のこと、二時間おきに通ふ汽車よりも歩く方が早いと云ふので奈良の町に行く時は大抵歩いた。多分それは奈良詣の帰りと思へた。それとも停車場のある町へ買物に行つたのかもしれなかつた。私の記憶はいづれにしてもうすれ切つて水底に眠る魚の様に取りつく術のないものになつてゐる。頭の上の空は海綿を押しかぶせた如く暗く殊に私の村を望むといやが上にも重かつた。その時、酸漿(ほおづき)位の燈火がけものゝ背の様な村の上を静かに中空に上つて行く。やゝ北に外れたあたりでそこは村の共同墓地に当つた。燈はある高さまで行くと動かなくなつた。と同時に右手の隣在所の真上にも光芒のない燈が上つて行く。真暗闇の大和国中の中空に点々と灯るのを三つ位までは数へた。あとは恰度紙にキリで穴をあけて行く様に、私の頭の中は燈火がかけ廻つて唯アツと息を呑んでしまつた。

 この三四年前のことだつたか、東京は防空演習が旧盆の頃行はれた。うるしを流した如く顔近く垂れかゝる空は大和国中のそのかみを偲ばせいつそなつかしかつた。酸漿色の燈火こそなかつたが、年月の流れに虚無の感情を見た。
 
 明智燈籠といふのは、惟任日向守光秀を供養する高燈籠のことである。老人の話では光秀は百姓を愛すること強くそのためどの位このあたりの在所は恩恵をかうむつたか分らない。近畿の要地でありながら天産に乏しく恐らく奈良の都をのぞいては平和のなかつた地である。飢饉と過酷な年貢になれて来た。歴史に暗い私はこの地が光秀の所領であつたのかどうかさへ調べてゐない。多分彼が領してゐた日のあつたものであらう。祖母等の言によると光秀は武運つたなく秀吉に亡されてしまつた。信長は仏敵故非業の最後は当然だが、光秀はんこそは前世の約束とでも云ふべきで、いたはしい限りである。その霊魂を慰め、嘗て施された恩義を忘れないため盆の間燈火を捧げるのだと云ふ。女大学しか読まない祖母は彼女の幼時聞かされた通り私達にそれを伝へる。太功記十段目を好んだ彼女は同時に光秀を愛することに変りなかつた。それは彼女の命の中にしみこんでゐることであつた。人情こまやかで内にこもる光秀と、当時としては珍しいスケールの情熱家の信長が相反目し殺し合ふことに少しの不思議もない。私は長じて好きな英雄は信長である。世々連綿とさゝやかな燈籠を捧げられる光秀もなつかしいが、敢てとむらはれない信長も潔い。
 俳句を作り出して歳時記を求めた時私は明智燈籠を探した。古いこの歳時記には、光秀の霊を祀る燈籠としか出てゐなかつた。私はもうこれ以上史実を追ひまはす必要はない。それでも伝説として心ひかれた。母が生きてゐた頃だつたので祖母よりは教育を受けた母に聞くことは易かつた。しかし母と故里のことに触れるのはいとはしかつた。(後半、略します。つづきを読みたい方は、『定本石橋秀野句文集』(富士見書房刊)をどうぞ。)

この文章引用は、本日かささぎの旗へ明智一族の方からコメントをいただいたので、手持ちの資料から響き付けをしたものです。

コメントいただいたかささぎの旗の記事:

『連歌師5・紹巴 鶴崎裕雄』(愛宕百韻記事)
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-73b1-1.html

愛宕百韻の解読捜査終了。(明智憲三郎氏のブログ)
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai

※石橋秀野の文章引用は創元社刊の原著ではなく、復刻版からです。
従って旧漢字ではありませんことをお断りしておきます。

最後になりましたが、鶴崎裕雄先生へ一言の断りもなく、勝手に引用をしておりましたことを、お詫びいたします。それといいますのも、おおぜいの人の目にふれる場所においておきたかったからです。ネットはそれに応えてくれます。今回の明智一族の方のコメントを読みまして、これでよかったのだと安堵しました。

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コメント

歴史ヒストリアNHKをご覧になりましたか。
びっくりしましたね。娘の手紙をみせてくれました。
じつの娘から、腹黒い父の企みのせいで離縁させられたと恨まれた光秀。
果たして腹黒い父、だったのだろうか?
ドラマを見ていて、いくらなんでも、麓の村ごと火をつけよ、と比叡山に殺戮命令を出した信長の命令に背けず、それを忠実に実行した光秀の救われようのなさが思いやられます。

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