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2010年3月26日 (金)

『九州俳句』157号より

『九州俳句』157号より

なんとなく気になった句です。

着ぐるみであれば鋭し鴎の目    岩坪英子

城一つ白葱ほどに洗われて     鮫島康子
パン食いの鯉の口する運動会    池田朝子
海苔ひびへ走る一筋の海光      杉山スヤ
点字書に指あたたまり鵯の笛     角倉洋子
太平洋のような言い分豆まきの妻  宇田蓋男
冬日和海からもらってばかりいる   吉賀三徳
風の中葱の気骨がまっすぐに     太田一明
原子炉もあやめも濡れているところ  谷口慎也
恋歌のように時雨の傘開く       足立雅泉
当直医に男爵薯をふかしけり     寺尾敏子
青鷹波の形のにべもなき       秦 夕美
きっちりと話をつける藤袴       夢野はる香

十月や行き交う人をみな信ず     宮部鱒太
暈の夜だ ナスカの鳥よ 寒ないか  星永文夫

▼季語メモ:
①青鷹(もろがえり)http://www.geocities.jp/hashimoto_yuusui/new_page_1038.htm
今年捕えて次の年の秋過ぎて毛をかえるのを「かたかえり」、その翌年毛をかえて、斑(ふ)が細かになるのを「蒼鷹」(もろかえり)という。鷹は冬の季語です。
②鵯の笛(ひよのふえ)、ひよどりの鳴声。
季語では秋なのは、木の実をがっつく姿が目立つからだと思います。
ぼさぼさのあたまがものがなしいやつ。
とっても信じられんほどにうつくしい、ひよどりの写真、発見。
http://www.mitomori.co.jp/animal/b_008hiyido.html
ほかには、鳶の笛が有名。
石橋秀野句に、二句。
鳶の笛雲ふきちつて紀元節
鳶の笛囃せ菁々
たる柳(雲母の山廬先生への還暦祝句)

風媒花(6)
        暉峻康瑞

世(体制)に従えば身苦し従わざれば狂う外なし

 明治九年(1876年)田原坂は雨であった。雨の中を網笠をかぶり五人の黒衣を着た漢(おとこ)たちが南へ下って行く、風が出てきて雨が激しくなってきたが漢たちの歩みは少しも変わらない・・・あと五里ほど歩くと薩摩であった。その中の一人、眼光鋭く額は禿いで口元は引き締まり鼻だけは低い、見てくれは丹波篠山家の猿のごとく、美男子とは考えにくい漢こそ鹿児島県初の浄土真宗本願寺派金剛寺開基住職、暉峻普瑞(てるおかふずい)であった。(それは明治十三年である。)
 いつの時代でも為政者にとって民衆を支配する上で宗教弾圧は必然であった。元来、薩摩藩は三種の民衆支配、①外域制度=士族支配、②門割制度(かどわりせいど)=農工商支配、③一向宗(浄土真宗)禁制は熾烈を極め三百猶余年、想像を絶する過酷な弾圧と迫害を強いられた。こうした禁制の中、生命の危機を秘めながら雑草のごとくしたたかに生き抜いた民衆集団があった。権力者だけでなく世間からも異端者と疎まれながらも真の命のつながりを求め続けた「隠れ念佛」と云う信仰集団であった。
 明治九年九月大久保利通内務卿により”信教の自由”が発布され薩摩も浄土真宗が解禁となり、本願寺明如宗主の命により普瑞も薩摩へ下ったのであった。しかし西南の戦役に巻き込まれ西郷軍に官軍のスパイとして捕縛され牢獄に入れられ、迫害と侮辱を受け官軍の軍艦が鹿児島湾に入港し救い出された。
  西南戦役の後、荒廃した鹿児島県、特に大隈の地は山岳多く桜島火山灰土壌のため、まず土地の改良に取り組んだ。当時は田植の際、モミを水田に直播きする方法でこれを苗代に替えさせ、移植の方法を教え、レンゲ草の種子を取り寄せ水田に試作、緑肥と牛馬の飼料に役立つことを指導、植林・蚕業・大豆・麦の新種等々、当時の大隈半島を大豆の生産地とした。
 また農産物の種子交換会や品評会を行い、明治政府の内務時間の前田正名公や県知事の加納久宣氏等は、普瑞と生涯交誼を続けている。
 今でも古老の御門徒が暉峻イモ、杉、イネと時折きくことがある。
 その他、橋を作ったり、福祉事業、明治十三年には日本で最初の日曜学校を開設、坊守きぬは当時、日本に数台しかなかったオルガンを購入、青少年の教化に努めている。
 また当時は旅館らしきものはなく、徒歩で遠方より参詣に来られるご門徒や、農業、工業の指導員、来賓の宿舎、講習会の場所と宿泊のため、本堂建築は後に回し、明治二十年、一万五千円で庫裏を完成させている。
 明治の開教師達は、まず民衆の暮らしを豊かにすることから出発した。単に体制に従ったのではなく、頑とした一本の道が優しくたくましく、世の人々を抱擁するだけの気力と心情とがあった。少なくとも人間としての個性と責任と志があった。ある時は鬼神のごとく修羅の如く、菩薩のごとく振るまいはするが、生活の貧しい民衆をまず豊かにすることを通して開教に邁進した。即ち狂気の白道を突き進んだのである。薩摩開教一三五周年、念佛禁制の中で涙を流された門徒衆の血命、先師遺徳のご苦労を通して今日薩摩は真宗王国である。
「諸人の力合わせて捧げたるその源は南无阿弥陀佛」  不一

    九州俳句誌
    北九州市、福本弘明編集発行
            平成22年2月15日発行


③鰾膠(にべ)も無・い
にべもない」を大辞林でも検索する

愛想がない。取り付く島もない。
(では、にべとは。?)

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コメント

着ぐるみであれば鋭し鴎の目    岩坪英子

わたしは連句人だし、過去に着ぐるみの句を詠んだことがある。しかしおちゃらけた句であった。
これは笑っていないし、鴎という季語も、独特の使われ方をしている。そこにとっても何かひっかかるものを感じる、リアルなものを感じる。
かもめだけでは季語にはなれぬのだ。じゃこれは雑の句ということになる。
三橋敏男のあの有名な句、
「かもめ来よ天金の書をひらくたび」
これ、雑句だったのだなあ。
冬鴎、春鴎、秋鴎、夏鴎。そして百合鴎、これらは季語ですよね。

季語 もろ返り

でおいで下さりありがとうございました

よしがさんとくさんは初盆ですか
優しい句を詠んでおられました
海からもらってばかりいる

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