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2010年2月10日 (水)

『掌の花びら』   生方たつゑ

掌の花びら

  生方たつゑ

咬合の花瓣むしりしこの掌もて
妥協しゆかむ手紙を書けり

ふるき癒着またたよりなくなれば
白雲のごとき綿などを買ふ

血のにほひする抜歯後の口すすぐ
寄る雌猫をしりぞけてきて

折れ針があかく灼けゆく透明度
旺んなる炎もちかづきがたし

膨れつつ捨蠶(すてご)はひあがる砂汀(さてい)きて
おもひ孱弱(ひよわ)なる日ぐれと思ふ

獨身の君が眩しき言甦へる
羚羊角をすりおろしゐて

透脱しゆく蝉ひとつ観察す
関節がいたく痛む夜をきて

花の種袋のなかになるゆふべ
剥製のごとかたへに坐る

不用意なる嘘とおもへる夜の会話
ききつつ流れゆく群集のなか

 歌集『火の系譜』より

注:七首目からは当方の都合で新漢字です。
  (すみません、根性がなくて。)

ハッと胸を衝かれました。
きのうのきょうです。写真の題がこれでしたものね。
ああ、生方たつゑも、私とおなじような思いをしたんだ。
わたしは自分の出す句出す句に師の手がいれられることに堪らない思いをしている。作品の優劣ではないのですよ。これは、集の文芸での捌きに従うという、姿勢の問題です。といわれれば、まったくそのとおりで、なにも返すべき言葉を持たぬ自分であることに、深い諦念をいだきながら、それでも、なんとか、じぶんのおもいを、ことばを、通そうとして、こころははりつめる。何度もなんども同じ闘いをこころとことばは繰り返す。

師と詩と。はりあうこころ。はりあうことば。

そこに摩擦がうまれ、火が生じる。
火の系譜から、すべてが生まれる。

この歌集、たった今とどいたばかりです。
暮れにこの歌人の「切氷」をよんでいたら、ほしくて堪らなくなって。
三日前にとうとうこらえきれず、注文しました。
ぱっとひらいたページに、この歌があった。
まるで、こたえのように、そこにあった。
ゆたかな語彙。ふかい思惟。よみたい世界とことばの数と。
格闘する歌人のすがたがそこにある。 

昭和三十五年初版。敍文は佐藤春夫。

ほしい本、よみたい本はほぼ図書館で手に入る時代。
しかし、歌集や句集だけはそうではない。
じぶんでさがして、じぶんで買い求めるしかない。

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コメント

くしくも、ここでの課題句が、これでしたものね。
って、別に課題を与えられたわけではなかったけれども、「てのひらとはなびら」で読みたい衝動にかられたのです。たぶん、乙さんもそうだったんだろうと思います。

生方さん、お名前だけは記憶にありますが残念ながら作品を読んだことはなかった。ここに鍾愛された歌のどれもがことばが顕っている。
はなびらをむしった残酷なやさしさに満ちた手で、妥協せざるを得ない手紙を書いている作者も、花の種のふくろのかたへに座す作者の姿も、観念的なものをあらわしていて、まさに、わたしの好きな歌のかたちであります。

ねえ、ひめどん。
水を差すようでわるいけど、正直な気持ちを書かせてもらっていい?
こうは思えないだろうか。
連句の中に存在するおのれの句はおのれの句であって、実はそうではないのだ、とは。
もしも、わたしが短歌をつくって、選者に提出して、かってにことばを差し替えられていたら、わたしは断固抗議するでしょう。それは許されがたいことであるからです。わたしという人間の名前を冠した、あくまでも個人の作品であるからです。
でも、連句で句が変えられていても、わたしはさして気にならない。だって、一巻のなかの一句がそれのみで完成した作品とは思いがたい。捌きの一直は、捌きが、その巻の流れとして、変えなくてはならない必要性を感じたってことでしょう?生意気をいうようですが、連句において、連衆と捌きというのは、ひとつの作品をつくりあげるための信頼関係でつながってる。わたしはそう理解したいと思うのです。

せいこ、それはもちろんそのとおりなのです。ありがとうね。みんなのまえで、ちゃんときちんとかいてくれて。連句はそうですよ、さばきがいる連句はね。

さて、この一首目のうた。おおっとのけぞった。
かべんのべんていう正字には、つめがあるんだね。
うめの花弁をしげしげとみたとき、まるでつめのようなかたちをしているな。ともおもったから。
この歌人にとって、ことばとは花びらなんだね。文章や歌を作る。それを交合で削ったりさしかえたりする。される。自分にとっては、これ以外にはありえない。と思って差し出したものをさしかえるときの無念さ。そのおもいをなだめること、すなわち、妥協することに他ならない。一首のなかで弁の字の中の爪が、まるで生爪を引き剥がされるような痛みをもって迫る、暗喩にみちた詩。
ほかに、しらないことばががたくさんでてきましたが、名詞ではなく、精神用語、というより宗教用語の、透脱という禅のことば。しりませんでしたので、おしえてもらってありがたかった。

追伸。
せいこのいった花のたねの歌。ああこんなよみかたができるのね。性交のうたでしょうね。

タネのふくろ。
わたしは文言のタネ、詩歌のタネだと読んだ。
これからおのれが蒔こうとする詩歌のタネ。
31文字をうみだすまえの作者の葛藤。
へえ、性交ねえ、たしかにそう思えばそう読める。思いもしなかった観点であります。ははあっ!参りました。(平伏の図)笑

連句レンガのカテゴリーにこれをいれたのは、連作だと思うからです。いっぺんのし又はものがたりをよむように、じゆうによんでみる。ってことですが。
一首一首独立したうたでありつつ、これは題が統べるテーマにそった連ね歌です。

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