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2010年2月22日 (月)

初恋、工業高校、農業高校、商業高校、それから・・原日本人談義

コメント

野球解説者の若菜さん、元プロ野球選手の、彼も八女工業高校、野球部出身。もちろん、うちのツレもその野球部OB.ここの野球部の上下関係はいまなお厳しい。先輩からお声がかかると還暦近いツレが中学生のような返事をしてるもの。はたでみててわらえる。

ところで、中学一年生で転校を余儀なくされた乙氏の初恋のひとって、この野球解説者と同名のおかた?じゃなかったかしら?笑

はずれ(別人)です。
野球解説者同姓の甲四郎先生親戚筋の人は、クラブ活動も同じ同級生で、”ミータン”同様、転校寸前までわいわいやってた仲。
肝腎の人は、これまでの乙エピソードには全く登場させていません。八女農業高校の近くに住んでた。
ここに本名を書き込めば、ネット検索で再会できるかも・・・との誘惑にかられるが、やらない。
ここではたと初恋の定義を考える。
多分、小学2年のあの胸のときめきがそれ。

あら、そう。笑

初恋、乙さん、はやいわねえ。
わたしの初恋っていつだろ?
胸のときめきが思い出せないほどむか~しのことですが、小学校6年生かなあ。大分の九州地熱研究所の所長をなさってた。いまは東京本社でえらい人になってござるといううわさ。わたしと同じセイちゃん、ですかねえ。それともやっぱ、高校生のときのふるいけさんかなあ。

古池やかはず飛び込む水の音

まだ。まだ書けない一行も。
ここからはじめるときめてた健吉の「秀野抄」を打ち込んでみたら、それでちょうど六枚だけど。苦笑
やいこら。おまいら。ひとがうんうん苦しんどるときになんやん。のんきそうに横ではつ恋談義やらするな!!気が散って先にすすまんやろが。

といいつつ。きのう、福山のはつ恋を二日オーバーしてたので返しにいった、延滞金を支払って。忙しくてまだ一回も聞いてないので、また借りた。パソコンに取り込もうとした。んが、リスモ設定ができない!かりてもどして・・を何回やったら元をとりもどせるかな。いいや違った、そうじゃなくて。笑
買ったほうが安かった。というはなしです。ばかばか

で、できたわけ?
原稿っちゅうやつは?

 あれ?若菜は真弓と柳川商業(現柳川高校)の同期で、一緒に西鉄ライオンズに入り、一緒に阪神に移籍した(「アタシ阪神のマユミ、アタシはワカナ、よろしくネ」というギャグがごく一部で流行った)のでは?と、クラウン時代までライオンズ・ファンだった私は思った。そこで手っ取り早くWikispedia、ほれ、やっぱり柳商出身ばい。ただし、入団したのは若菜が1年早かった。出身地は八女のどこかのはずだが(立花町出身で八女高OBの元同僚がそう言っていた)、今は八女高・八女工高と同じく筑後市になってる地域かも知れん。
 別の「記事」にもコメントしたけど、昔は経済的事情で高校・大学に(行ける学力も気持ちもありながら)行けない家庭もありました。そして、高校までしか行かんとやったら、(男の場合)普通科に行くより公立の工業高校へ行って技術身につけた方が、という考えからある程度の学力あっても(久留米の場合は学区の関係で?)浮羽工業に行ったりしてました。ところが60年代的高度経済成長は終わり、第二次産業よりも第三次産業の時代へ。70年代後半には普商工農などという差別的ランク付けもできたりしてね。
 久留米工業は私立で、昔から悪さ坊が多いという評判だったが(OBの方ゴメンナサイ)、今や久留米工業大学附属高校ですばい。しかも大学進学重視のカリキュラムで。私のもう1人の甥が、15年ぐらい前ここの普通科に行ってたが、たいがいヤンチャだったこいつでさえ、工業科ん奴たちゃえすか、ち言いよりました。ありゃ、今またネットで確認したら、数年前に「祐誠高等学校」と名前が変わっとる。昔の名前ではイメージが悪いと思ったのだろうか。
 杉並区にある都立農芸高校、うちの近所に住んでる元同僚が、今勤務しています。農業関係の高校の生徒は、気持ちの優しい子が多い、といろんな教員仲間から聞きます。

八女工業にえらい興味がわいてHP見てきました。
創立大正9年と書いてある。
校舎の写真が昭和30年代の鳥栖工業に良く似ていた。
八女工業について皆さんが書いてあることは鳥栖工業の校風にとても似ている。
頭のいい男子は工業高校に行き、日本は高度成長の入り口の時代で、当時鳥栖工業に行った同級生はほとんど日立、東芝、明電舎、五洋建設と大手企業に就職し、今日の日本の技術に貢献してるはず。

いえね、鳥栖工業に初恋の人が行ったから、入れ込んでいるだけですけどね。

八女工業に戻りまして、うちの実家のおっちゃんは、あきとっしゃんや、ぼんのねえちゃんの先輩ちゅうことがここで判明したことが大きいわけよね。

ろいりさんの同僚が現在農芸高校の先生ですか。
この都会の中で渋谷原宿と遊びまわってる高校生のイメージとはぜんぜん違って、連日長靴はいて農作業してる子たちです。実は農芸高校の生徒たちが地元貢献と言う単位取得と交流のためのイベントのお手伝いをしてるんです。
かわいいですよ。

原稿進みました?かささぎさんよ。

やっぱそうやん、若菜さんは柳商やったよ。
近所のけいこさんは柳商出身だから、「どんなひとやった?」と聞いたことがあった。けいこさん曰く、「男の人には興味がなかったから、ほかのひとはきゃあきゃあいってあったけど、なんも知らん。」
私ならおっかけしてたかもしれんけど、サッカーではいつもうちが勝ってたからね。野球なんてふんって思ってた。
宿題できてないよ。出さなくてもいいですか?

それが今までせいこブログで油うってました。笑
かなりまじで歌うたいたい病。
あーまだ一行もかいてない。

yousay高校ですけど。とってもかわいい。礼儀正しい。だけど、わるさをしたらこわーいおしおきべやがあるんだって。(これ、もしかしたら西日本たんだいふのほうだったかもしれません。)かべにこわい
らくがきがいっぱいのこるような拷問部屋。うう、まるでクローズみたいなかんじですね。だけども、とってもはちゃめちゃ楽しそうなんだよねえ。なんでじゃろ。わるさぼうずにはわるさぼうずの美学が歴然とあるのがわかるから。仁義みたいな。

藤田まことが死んで、ざんねんでした。
てなもんや三度笠のころから、だいすきだった。
あたりまえだのクラッカー。合掌

ぼん。東京いってたの?まじで?すげ。はあ~

若菜という苗字は八女の八幡方面だったかな。多いところがあるんだって。それは以前の勤務先のもの知りおじさんロビイストから教えてもらいました。
厨って姓にかささぎがこだわるのも同じで、警備会社にいたころ、厨組と御厨建設とたしか二つ似た名前のがあったから。そんで、どっちもみくりやだったように記憶してるんだけど、ちがうんですね。ざんねん。なにが残念かわからんけど。

ぼん。ちょっと待っててね。
二十日にかならず開通するようにします。

あじゃ?若菜さんって、柳商?
あれっそう?
わての聞き違いか。すんまっせん。
たったいま、起きた。
寝てた、コタツに。笑

で、寝ぼけまなこで、メール受信ば見てびっくり。
ここの宿主がわたしに張り合うっちゅって、短歌を五首もつくとんなさった。わが原稿は書かんで。もうほんなこて。それもがばかっこよか歌ばつくっとらして、もうばかばか、短歌が専門のわたしの立場んなかけん。笑

っちゅーこっで、今から自分とこに行って、短歌五首ばじっくり見てきやす。

(猫も食わない恋談義)
宿題報告、17文字×4を31文字倉庫に納めました。
俳句がただ4句並んでいるのではなく、世界一短い恋愛小説。ただし、背景解説がないとわかりにくい駄作ですので、以下の通り。

塗板拭き一往復させ胸撫でし
相合傘の竹と橋の字 (乙)

恋心が悪ガキどもに気付かれ、ピーチクパーチク囃し立てられる主人公。
誰かが竹で始まる姓と橋で始まる姓とを並べた落書きを教室の黒板に。
慌てて消したが、それ以来、意識的に遠ざかり、やがて転校の日を迎える。
そんな竹○(荒城の月の由来の市の名前と一緒です)さんとの想い出でした。
そんなエピソードを持つ人間が、今は堂々と竹と橋とをくっつけたペンネームで悦に入っています。

塗板、ぬりいた。と読んでみて語呂がそろわないので、とばんとよむのだと知りましたよ。
黒板でも緑版でも塗板というんだね。
乙四郎の初恋談義、課題句もありがとう。
あんまりいい句ではありません。
予定調和すぎて、つまんない。
破綻しなきゃいかんとはいわない。
すこしのなぞをのこしてほしい。
たねいもみたいななぞ。です。竹田さんてだれ。

ひるごはんもたべず、あれから一気に書きました。
で、ばたばたとくいっぱぐれたまま、しごとにも行き、速達もだした。
俳句に賭けた男と女の物語。っていうサブタイトルのついた、「山本健吉と石橋秀野」。

じぶんが秀野から離れてしまったのは、興味がほとんど充たされてしまったからで、なぞがなくなったからです。そこからはもう調べたいと思うこともなくなりました。だけど、古代の八女と奈良大和とのつながりにはまだ興味が大いにある。というよりも、縁のたちあがる場所といいますか、詩のうまれる場所、ことばのたちあがるところ、起点、発火点にとても興味がある。

八女というか、筑後大和と奈良大和のつながりは七支刀の件が未解決である限り興味の的です。
百首和歌にせよ、琵琶法師の口承にせよ、風土記の記録文書にせよ、みなきれいな大和言葉ばかりで九州方言の欠片もないのもよくよく考えれば不思議。こうまで器用に口語と文語とを完璧に使い分けできるものか。九州弁は文語とは似ても似つかん外国語んごたるけんね。
文語の世界と口語の世界とが完璧に使い分けされ得るものであれば、古代、九州では口語は大陸語、文語は大和語、であったとしてもおかしくはなかばいスミダ。大陸と交流のあった人たちは言葉が通じる九州人たちで、九州人たちは大陸からの伝承を文語で大和の人たちへ伝えたのでは。卑弥呼が大陸人と交流が深かったのであれば、卑弥呼は九州人に決まりニダ。

 ここでややこしい問題が。自然人類学的に、いやもっと簡単に頭蓋骨の形や血液型でいうと、朝鮮半島タイプの一番多いのが、なぜか北九州地方ではなく関西地方なんですね(これは在日系を除外した統計でも)。大和言葉のほうが朝鮮半島の影響強く、いち早く半島や大陸文化を受け入れた北九州地方は、むしろ原日本語(縄文語)が残った、そして九州の南にいくほど、それと東日本にいくほど、原日本語色が強いらしい。九州なまりと北関東なまりに共通する抑揚のないしゃべりかたとか(例えば故立松和平氏など)。
 などなどということを乙四郎さんご指摘のこととどう結びつけて考えていくか(例えば九州の口語は原日本語、文語は朝鮮語の影響をうけた大和語と考えるとか)、こりゃまだまだ私の力に及ばない。
 話変わってかささぎさん、パソコンメールはまだダメでしょうか。私のパソコンメール・アドレス、携帯アドレスで送ります。

立松和平さんが懐かしくってしかたなかったのは、おなじようなしゃべりだったからなんですね。なくなられたなんて、信じられないですよね。

おつしろうさんもろいりさんも、こむずかしかこつばかりいわんといてくだされ。かささぎあたまのこともときにはおもいやってくだされ。のうみそ、ちょびっとやけんね。

ここからは、東京のかたはおかしくおもえるでしょうから、よまんといてください。
北九州で暮らしはじめて、自分のことばに劣等感を抱いていた時期がありました。しゃべるたびにイントネーションがへんていわれて。大分弁とか佐賀弁とか鹿児島弁とかのほうがよほどへんだと思ってたけど。でも、実家にたまに帰り、なまの方言をじいっと聞いていると、あじゃー抑揚がまったくないやんと、その差に愕然とした。ちがいがわかるようには、なった。

おかしいのは、それを指摘してくるのが、その地にすむ土人(この言い方、気に入りました。黒木氏文書についてた何かの古文書にかかれていた現地人という意味のいいかたなんですが)だったからです。だってよ、都からみれば、そこも鄙なわけでしょう。それなのに、おまいら。ってかんじで、みさげて、ことばがおかしい。なんて指摘してくるんですからねもう。単に自分たちとは異なる言語をしゃべっとるやんか。ってことだったのにね。これは、北九州人も、博多人も、まったくおんなじでした。おかしいよね。

ところで。大和言葉と八女言葉とで共通のもある。
よさり(夜)とか、すがる(蟻)とか、あと、ほかにもいろいろある、昔の共通語みたいにおもえる。

姫野恭子著の暦論その9にこんなくだりがあります。

この異能の人、大友能直(大伴と記す史料もある)が著したとされる『上記(うえつふみ)』 は、神代文字の一つ豊国文字で書かれている。それは漂泊の民・山窩=縄文人ののこした文字だ。

大友家の系図の中に、能直あり、百首和歌の鑑述あり、きっと九州の文化人たちは、縄文語と大和語を上手に使い分けていたに違いない。かささぎの旗に集う文化人たちも八女語と東京標準語を上手に使い分けしきらっしゃっけん、同じこったい。
縄文語と大陸語(半島語)との共通性が気になります。

ところで、民族の起源は紀元前ずーっと昔の出来事で、半島からの渡来人のDNA分布と、紀元前後の文化流入ルートにともなう使用言語の分布は、異なっていてもいいかも。
タイに住んでいた時、タイ人口の数割を占める中国系タイ人は漢字が読めなかった。ほんの数世代前に中国から渡来してきたというのに。
米大陸の日系人も、数代で日本語から遠ざかっています。
従って、縄文系九州人が半島語に馴染み、半島系関西人が別の言語体系に馴染んでいたとしてもおかしなことではないかもしれん。

 「こむずかしかこつ」ば、もちょびっとだけ。私のこれまでの知識からこうかな?と思うのは、次のようなことです。
・縄文末期にかなり大量の半島系と、ある程度の数の大陸系が、水稲農業の技術を持って日本列島に渡ってきた。
・これにより経済生活や文化は大きく変化したが、日本列島住民の母語を変えるほどの言語の激変はなかった(たとえ騎馬民族征服説が正しかったとしても、古代朝鮮語と倭語には類似の言葉がそれほど多くなく基本的に違った言語である)。
・乙さんがタイや日系人の例をあげられた通りで、言語は「郷にいれば郷に従え」が原則、ただし、アクセントや抑揚などの影響は受けた(これも乙さんが指摘されたような事情で地方によるばらつきあり)。
・現代日本で和風英語的カタカナ語が増えたり若者言葉が広まる一方、昔の言葉が死語化するような現象は当時もあった、特に朝鮮の影響を受けた漢語が広まった。読み方にばらつきがあるのも上記と同じで、だから古代日本語は地方によって外国語のように違っていった~同じ中国語でも広東語・上海語・北京語etc.、会話だけでは全く通じ合わないように。

 まあ、ほんなこつはどうかわからん、これぐらいにしときましょう。句はパソコンメールで送ってみます。

呂伊りさん、作品、たくさんにいただきました。
本当にどうもありがとうございました。ひとむかしまえなら、ぎょっとした完全なばれ句もありました。
じつは、じぶんはまだできていません。まだ句を送信されていない方々は、今月いっぱい待ちますので、どうかご協力ください。出されている方々も、もっといい句ができれば、どうぞ。なにとぞうんとたのしんで、創作されてくださいませね。
ところで、亜の会では三月に座を持ちたいと思っていますが、いつがいいかを皆さんお聞かせください。どこでしましょうか。
乙四郎大学をお借りしたいのはやまやまなれど、なんとなーく申し訳ないので、こんなのはどうかとかささぎはおもうのでございます。
柳川。川くだりの船の上。よかろうねえ!!かささぎはじつはまだ一度ものったことがないのですよねえ。ご意見をおきかせくださいませ。

言語学者でも民族学者でもないので自由に書きます。
日本語の特質であるところの外来語の取り込みやすさ、この特質こそ原日本語の骨格であったのではなかろうか。
すなわち、我々は、原日本語が外来語を取り込み、取り込み、果てしなく進化し続けている原日本語を、筑後弁としていまだに使い続けているのでは、との仮説を思いつきました。
よさり(夜)、すがり(蟻)、すらごつ(空言)など、たくさんの共通語彙は、外来語の大和言葉を原日本語がたくさん取り入れた結果ともいえます。
外来語の取り込みは体言にとどまらず、げな(伝聞過去)のように用言「けるなり」が転じて筑後弁に取り込まれたと思しきものもあります。
しかも、「げなげな話はすらごつげな」のように外来語の用言が様々な品詞に自在に変化しながら筑後弁に溶け込んでいっています。
半島語で既に消滅した高句麗語の語彙も共通の語彙が多いとのこと。(未確認情報)
口語レベルでは難なくコミュニケーションできてたのではないか、古代九州人と半島人。

 前半部分はだいたい当たってると思いますよ。「よさり・すがり・すらごつ」などは、私は残された原日本語だと思うけど、外来語だったとしても、かなり早くから、しかも九州北部から広まったのでは?なお九州・山陰・北関東以北などの農山村には共通する言語があり、それらは原日本語の名残ではないかと言われてます。
 口語レベルでのコミュニケーションは、「難なく」できていたというよりも、現代の非英語圏のヨーロッパ各国で英語がそこそこ通じる、そんな感じだったのではないでしょうか、特に九州北部は。それから、半島語・大陸語でも、地域によってかなり違う言葉を使っていたけど、聖徳太子(厩戸王)が10人の話を聞けた、という「げな」話は、その各地域の言葉に通じていた=バイリンガルどころか、超マルチリンガル(この英語、合ってますか?)だったという説もあり。
 話変わって、こんなに朝早いのは、昨日青梅マラソンで走って飲んで食って帰り早寝したからです。
 早春の青梅路走る七里半
 「帰ってこいよ」の歌に送られ
 出発後、青梅のレコード店(まだCDはなかった)でこの歌が流し始められて29年、奇しくも私が初めて市民マラソン大会に出た時だったが、4年ぶりに出た今年もやってました。松村和子、今でも青梅では有名芸能人?

おお。ろいりさん。いい歌ですね。
早春の青海路がなんともよかです。
七里半、と帰って来いよ、も言わせん。
おうみまらそん。あおうめじゃなかったけん。
季節季節のマラソン巡業は、たのしいでしょう。
ハーフマラソンかー。百メートルも走れないものからみたら、驚天動地以外のなにものでもないです。
さて、以前、

えつも我も三万年の残留魚(えつの字は魚偏に斉)

という句ができた。大陸と陸続きだったころのなごりの魚が有明海との汽水域にいて筑後川の出口付近で獲れる。現地では弘法大師伝説と結びついてやさしい漁師のために葦の葉を投げ入れたらそれがえつにかわった、というふうに語られる。えつは筑後川下流域の初夏の季語になります。句ですが、三万年かどうかはわからないわけです。たしか一万五千年くらいだったような気もする。
だけど語呂は三万年がいちばんよかった。俳句ってそんなものです。だれもいったことのないむかしのはなしですしねえ。
ところで、乙四郎。きのうの諸富のぶばい(浮杯)に関しての地名の由来、ぐうぜんここで発見!下にはりつけたので、ひらいてみてください*。
日本最古二万年前の人骨が石垣島で採れた、とのニュース。オーストラリアの人骨と似ていた。という。へえ、うなぎといっしょかい。とつい思って。もしやそんぐらいむかしには陸地という陸地は上半身にかたまっていたのかも。どっちが上かわからんばってん。
*http://www.ccrn.jp/maru/group/down_g/jyohuku.html

俳句、締め切りが今月いっぱい延びてありがたいです。
今作っています。

パソコンの前に座っていくらうなっても出てこず、体を動かしたほうがまだでてきます。
ちょっと待ってください。

先日、東京で行なわれた「日本人のルーツ」をテーマにした講演会?みたいなものに、予定していた200席を大幅に越す参加者が出席したというニュースを背中で聞きました。せなかで聞いたので、詳細はわからんっちゃけど、九州や北海道ではルーツが違うのですね。つまり、日本人は、流れ者の血筋。

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コメント

オリンピックの報道、韓国語が流れる時がある。日本語の単語がよく出てくる。これはなんの影響だろう。植民地政策?在日の方が地元に帰られたから?
ステイ君に聞いてもらいたいな。

おはようございます。
韓国ドラマを見ていると同じ発音のもがけっこうありますね。
☆ステイ君に聞いてみますね。
元々漢字の国なので逆に日本に入ってきて大和言葉や読みに変化したのかもしれませんね。
最近は若者の漢字離れが進んでいるので、最近は漢字教育に力を入れ始めてるって以前言ってました。
28日にステイ君の先輩で歴史にくわしい青年に会うので、ぼんさんの質問も含めて色々聞いてみますね

 あの~、「青海」じゃなくて「青梅」なんですけどね、ウメ!だから梅を季語に句と思ったけど、四句八苦。とにかく東京都といってもいささか広うござんして、区や市だけじゃぁござんせん。離島さえござんす。青梅市は新宿から一番速い電車でさえ1時間以上、町中には昔風の映画の看板立ち並び、なぜか赤塚不二夫記念館、吉川英治記念館もあるという、東京都民でさえあまり知らないディープな、昭和レトロの町(この表現は昭和を30~40年代だけに限定し、特に昭和前期=戦前・戦中を除外するようなイメージがあるので、あまり好きではないが) 。マラソンコースの折り返し点は西多摩郡奥多摩町、その南には檜原村なんてのもあるし、スギ花粉まき散らす森もあれば林もあるでよ~。はtるか彼方には大菩薩峠も見えるかな?
 青梅マラソンは「円谷選手と走ろう」というので始まった(円谷幸吉はその数カ月後に亡くなる)、日本市民マラソンのルーツみたいなもので、30㎞。1里が約4㎞として七里半としたわけで、そのへんは大雑把、1万年前も3万年前も一緒くたのようなもの。
 ステイ君ではないけれど、日本語と韓国・朝鮮語に共通するような言葉の多くは、元が中国式熟語です。感謝(カムサ)ハムニダ、失礼(シルレ)ハムニダetc,もちろん植民地時代に日本から入ってきた言葉もあるし、チョンガ・パッチ(日本で言う股引、朝鮮式ズボン)みたいに逆のケースもあるし、奈良(ナラ=国)・木綿(モメン)のように古代~近世にかけて日本語化した言葉もあるし、そりゃもういろいろでんがな。「~ニダ」とか「~デヨ」という語尾は、日本語の方言っぽいけど、ニュアンスがかなり違うので使う時に御注意を。珍しく共通するのが失敗したりした時の「アチャ!」、中国語なら「アイヤ!」、でもこういう感嘆詞は割と世界共通的なのが多いかも。人類はみな兄弟、みたいなことを日本船舶振興会の、右翼のじいさんも言いござった。

あちゃー。あうみ、おうみ、おうめ。正解はおうみで青梅。
なまっとるやん。
ろいりさんのかきこみで、はたときづいた。
そうだ、「草思堂から」がある、吉川英二記念館がここにあったんだ。すっかりご無沙汰してました。って、かささぎが勝手にときどきサイトをのぞいてただけなんですけど。↓

 「ウメ」ち言よるでしょうが、ほんなこつ、もう。正解は「おうめ」。その先には東京都民の水がめとして作られた奥多摩湖があるので、正直言って帝都住人としては、八ツ場ダムはいらんと思います。そこでこういう回文を作ってみました。
  「ムダ知りて 冬の陽(ひ)の夕(ゆふ) 照りしダム」
 もうすこし練り直したいとこだけど取りあえずこんなとこ。

かささぎどんは青梅マラソンや青梅街道ばしらんっちゃないと?
と言っても私も名前だけしかしらんばってん。

あれ?おうめが正解だったの。
どっちしてん、なまっとる。八ツ場とかいてやんばとよむくらいだから、しよんなかばってん。やれやれ。

ろいりーさん。きみも乙四郎みたいに回文なんてどひまなことをやるのかっ!!口あんぐりだ。
そういえば、窪田薫師はしょっちゅうやっておられました。回文以外にも、いろんな言葉遊びを。なつかしいなあ・・・(ここでしばし回想する)

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