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2010年2月17日 (水)

「高良山十景歌」 コメントより

コメント

とりあえず、さしせまってしりたいこと。
1高良山座主なのか御井寺座主なのかよくわからない。御井寺の場所、いまの位置にかわったのは。
2その名僧のほんとの名前とサイン。みなもとのじゃく、かもしれんでしょう。へんだけど。そう思うのは、八女の今伊勢宮に伝わる天文年間の百首和歌のサインもみなもとのかんじゅつだったからです。源鑑述。ひょっとして、こういう歌のもよおしをするときには、源氏を名乗るならわしがあったかもしれない。ともおもって。ふと。
3いつのはなしだろうか。年号の記載がないので、わかりません。
4高良山で興行したのではないようです。どんなふうにしてあつめたのかをしりたい。えらいひとたちの原稿。っていうか、うたですけど。
5どこにあるのでしょう?高良山のてっぺんのおくら?みせてはくれないんだろうねえ。
文化財保護って、いやらしいんだよ。ガラスケースの中にいれて、みせてくれるのは外側チラリ、決して中をみせてはくれない、さわらせてもくれない。
どっかの姉ちゃんみたいだね、映画館のコメントおじさん。

 久しぶりの3本立てですいませんが、「高良山座主」という言い方はどうも気になる。いくら神仏習合の時代とはいえ、高良山は高良大社を意味し、すなわち神道だから、仏教でよほどの大寺院の最高職にしか与えられなかった「座主」という敬称が、高良山に使われるのはもちろん、御井寺に使われるのもおかしな気がする。勝手に自称したのなら別だが。最も、高い官職を時の権力者が乱発したケースは鎌倉時代以降多いから、それかも。それでも、高良大社の神官には与えられないはず。
 本文をちゃんと読んでないからわかりまへんが、ひょっとしたら本来の座主という意味ではなく、「座」の主催者という意味かも、と、今勝手に思いついた。

ふうん。ろいりさんは高校の歴史の先生ですので、アカデミックな教育をちゃんと受けておられます。それはかささぎみたいなあんぽんたんから見たら、常識にしばられているあわれなお方じゃ脳。ってことになるのでありますが、こういう場合はそれが役にたちますね。
ざすとは、ぼうずの最高位なんだ。そうかそうか。
あのですね、漢詩のよみくだしで、まったくわけわからんところを自分勝手にさもなにもかもわかったかのようなかおで、しれ~っとかいてしまったんですがね。それは、①目力のところ。これ、めぢからとよまずして、なんとよもうぞ!
竹楼百尺青穹に傍う 萬里の山川目力窮す 
柳色淡濃花遠近 一望處として春風ならざるはなし
ばんりのさんせんもくりききゅうす。・・へんじゃろう。
でも、めぢからきゅうす。だと笑いがとまらん。
意味は、わかる。だいたいのところこう。

城は高々と青穹にそびえる
万里につづく山川を見晴るかすことはできぬ
やなぎの翠はこくあわく、花も遠くちかくに咲き誇る
一望すれば春風にあわざる処なし

いいうたではあるけど、どことなく、いや、完全に大陸風。もろ中国ですよね。なーにが万里の山川じゃろう。ちまちまとたしかにひくくそびえて壁のように続いてはいますけども。水縄山。耳納山脈。

その②みたらいのほたるの詩で、
玉垂在昔斯水に臨む 神迹芳を流す橋上の名 

これですがな。よめますかな?、え。
たまたる、たまたれ。どっちよ。どっちでもよかとする。たまたれ、あり、むかし、かく、またはこの、その、みずにのぞむ。つぎが問題。しんじゅつほうをながす、きょうじょうのみょう。なんじゃらほい。っす。
しんじゅつほうとは。かみさまのいたあとに葦を流すんでしょうか?それとも、神仏希釈、なんか字がちがいますね。廃仏毀釈。いいやいや、そうではなくて、垂迹。すいじゃくです。神仏垂迹説ですね。
九体皇子も、それをさしていってるみたいでしたし。

ことばの難解さは、当時の文化人(第一級の)が信仰していた流行のファッションとしての仏教のかたちからきているのだろう。時代ははっきりとはわかりませんが、十七世紀です。芭蕉と同世代。天文和歌から百年後、庄屋の人柱とはひよっとすると、かさなる。

ろいりさんへ。
気にしておられるところを確認しました。
1「筑紫高良山の僧正は」・・・これが芭蕉の表現。
2「高良山座主の最後は五十九代厨亮俊である」・・・これは「御井町誌1」からみくりや氏についてかかれたくだりです。やはり、座主。はじめからきちんとひっぱりますと、
「高良山の厨家は、御井町の歴史と共に歩んできた旧家で、初代は座主四十二代の良胤権僧正(天文十年八月寂・一五四一)の弟、良笄権律師である。二代目良運権律師は、座主四十三代鎮興の娘を妻とし、府中の内二十町を領した。五代良春(正徳二年・十月二十二日没・一七一二)の時、初めて厨姓をとなえ、厨彦右衛門と称した。」
3「第50世座主寂源は一如と号し、又不濡山人とも称した御井寺中興の名僧である。」これは高良山物語も、高良山十景もおんなじです。

 あのね、あたしゃアカデミックな教育を受ける機会がありながらそれをサボって、映画見たりギター弾いたりしよったとですよ。親の仕送り受けながら、ほんなこつ情けなか。当時は勉強できても(したくても)、経済的事情で大学どころか高校さえ行けない人がいた時代なのに申し訳ない気もするし。「孝行をしたい時に親はなし」とならずに済んだのがせめてもの救い。むしろ仕事に就いてからのほうが、自分でいろんなことを勉強するようになった。これは役得?
 で、高良山座主の件ですが、「座」の主催者説は取り消し。根拠の薄い思いつきの説はいかん、と森浩一先生も言うてはった。やはり神仏習合で、比叡山延暦寺と日吉神社(大社)の関係や、興福寺と春日神社(大社)との関係のようなものが、高良大社と近くの寺院(それが御井寺?)の間にもあったのではないでしょうか。平安初期以降、寺に山号をつける習慣ができて、その寺のことを高良山○○寺とか言ってたのかも知れん。それが明治元年の神仏分離令で強制的に失わされたとか…このへんは地元の郷土史家が詳しいでしょう。
 ちなみに昔ある本で、郷土史の世界と俳句の世界は、地元に熱烈な愛好者の組織があるという点で共通性がある、というのを読んだことがあるのを、今思い出しました。

呂伊利さん

諏訪中に「御厨先生」という美術の先生がおられたのはご存知ですか?
その先生が実家の隣に引っ越して来られて、ご健在です。関係がおありなんですかね。

それ、それですよ、聞きたいと思ったのは。
厨一字でなんとよむのでしょう。
それは「くりや」がただしいんですけど、だけど、なぜか、かささぎは「みくりや」とよむんじゃないかとおもったものですから。
御厨姓はみくりやですよね。
でも、厨一字のみくりやもあるんじゃなかろうか。
くるめ人じゃないので、なんとよむのかしりたい。

それとつけたし。
ろいりさんのおっしゃる、連綿とつづく組織としての俳句、それ、いまもあるのかなあ・・・。少なくとも、ちょうどたずねてくださった柳澤様にきかれた乙骨家の歴史を重ねてかささぎがおもうことは、たびたび消えかかるということです。まったくきえてしまったら、さがしだすのにものすごい手間がかかります。
江戸時代に芭蕉(のお弟子)からともされた灯が九州にもきてるのですが、その尻尾をつかむことがまだできていません。少しみえてはいるのですが・・・

 「みくりや」先生、直接教わったことはないけど、名字とおぼろげながらのご尊顔は記憶に残ってました。それで、早速諏訪中の卒業アルバム見ると(これが誤字脱字だらけというしろもの)、私が卒業した1968年3月にはまだ御在籍だったんですね。当たり前か、ぼんさんが知ってるのだから。確か当時、「チャボ」というあだ名の先生が2人いて、そのうちの1人だった、そんなつまらないことしか覚えてません。美術の先生だったのですか、私は酒見と、もう1人、イズミ先生(男性)だったかな?うちは3姉弟とも2~3年間隔で諏訪中卒業なので、1人ぐらいはお世話になってるかも。
  「厨」の読みはやはり「くりや」みたいですね。へ~、台所という意味なのか、しかしこれが「厨子」となると、とたんに意味が変わる。なんでじゃろ?

こんばんわ。
高良山ですね。。。神社ははるか古代からみたいですが、鎌倉よりかなり前から高良山は、神杜よりも神宮寺として勢いがあったみたいです。平家物語とかでも分かるとおり九州(高良山)の盲僧琵琶は有名。(天台宗の仏教儀式)そういえば黒木物語もでしたね。。代々その当主の血族は座主として君臨していて戦国時代は武装もしたあげく滅亡。。その後、比叡山から来るようになったみたいです。比叡山ものぶながさんにやられましたね。
時代背景はともかく、九州地域の情報管理者として機能していたような感じです。ですのでかささぎさんが思われるとおり黒木物語につながるものもあるかと思います。

ちなみに「高良山高隆寺」です。

ん?よく読むと何か本題からずれてましたね。。すみません。。

「玉垂」とは玉垂命(たまたれのみこと)のことではないでしょうか?九州王朝の話にかけてるんですかね?。

あくまで素人のイメージです。
その昔、玉垂命がいたとされる地(川)において倭迹迹日百襲姫神を感じさせる流れの橋上の名前・・・。ん?橋上の名はどこだ?橋の上に何か名前でもあったんでしょうか?ここだけイメージがわきません。

 いやいやうたまるさん、本題からずれてるかどうかはわからんけど、少なくとも私の疑問はかなり解明してくれました。かつて高良山高隆寺という神宮寺(神仏習合の一形態)があり、九州における3大天台宗寺院だった。座主とは一般的に天台座主を意味することから考えると、高良山座主という言い方も納得、文献史料としての信頼度さから、むしろ高隆寺が玉垂宮という神社を支配していたらしいです。
 この高隆寺は戦国の争乱に巻き込まれて消滅し、座主も一時中断、その後復活し、やはり神仏分離令の影響で廃止されたらしい。
 以下は↓に詳しく書いてあります。

「筑後高良山高隆寺(御井寺)」

http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/ato_korasan.htm

本地という思想は、仏教が各地で布教されるに、その土地で様々な土着的な宗教を包摂する、という性格をもっていることに起因する。それを表すように、仏教の天部の神々のほとんどはインドのヒンドゥー教を由来とする。またその思想概念は、後期大乗仏教で、本地仏大日如来の化身が、不動明王など加持身であるという概念を生むことになった。

これに対し、垂迹という思想は、中国の『荘子』天運における(教化の迹)や、所以迹(教化を成立させている道=どう)に由来し、西晋の郭象(かくしょう)がこれを註釈した『荘子注』で、これを聖王(内聖外王)の説明において展開させ、“迹”を王者としての統治・主導とし、“所以迹”を本質的な聖人として引用した。

そして、これを仏教に取り入れたのが後秦代の僧肇で、その始まりである。僧肇は『注維摩詰経』で、魏の王弼(おうひつ)などが用いた“本末”の思想を引用し、“所以迹”を“本”と言い換えて、“本”を菩薩の不可思議なる解脱(悟りの内容)とし、“迹”を菩薩が衆生を教化するために示現した方便という意味で使用した。

神の正体とされる仏のことを本地仏という。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって違っている。

日本の神の仏号は菩薩が多く、八幡大菩薩は阿弥陀如来であるなど本地仏の仏号と相違することもある。

垂迹神と本地仏の一例を以下に示す。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、土着の信仰仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。一般的に日本神祇信仰と仏教との間に起こった現象を指すが、広義では、世界各地に仏教が広まった際、土着の信仰との間に起こった現象をも指す。以下、日本における神仏習合について述べる。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。

552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本のと同質の存在として認識された。日本で最初に出家して仏を祀ったのは善信尼)であるという記録が『日本書紀』にあるが、これは巫女が日本の神祇を祀ってきたというのをそのまま仏にあてはめたものだと考えられている。

寺院の焼亡による仏の祟りという考え方も、仏には祟るという概念が無いため神祇信仰をそのまま仏に当てはめたものと理解できる。

神宮寺の建立

日本人が、仏は日本の神とは違う性質を持つと理解するにつれ、仏のもとに神と人間を同列に位置づけ、日本の神々も人間と同じように苦しみから逃れる事を願い、仏の救済を求め解脱を欲しているという認識がされるようになった。715年には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、満願禅師らによる鹿島神宮賀茂神社伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。また、宇佐八幡神のように神体菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた。奈良時代後半になると、伊勢桑名郡にある現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立の動きは地方の神社にまで広がり、若狭国若狭彦大神近江国奥津島大神など、他の諸国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依したいとの意思を示すようになった。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになった。

以上、ちょちょっとウィキペディアさんから失敬してきました。
とりあえずはこれで、間にあうような気がしますが、それにしても、どこにも高良山はでてきませんね。とほほ・・

ちなみに、神津の呂伊利さんよ。あたしゃね、こないだ久留米の東郵便局(ここが筑後一早いのですよ)までひとっ走り速達を出しに行った帰り、ここが御井寺と思い込んでいたとこに寄ったんですわ。それがどうも自分のイメージと違っていた。まちがっていたんです。そこは高良山の宝物の鍵をまつるというお宮でございました。先日の写真がそれです。あれには打たれましたよ。なんといいますか、おそれにちかいおもい。おもわず、ひれふしたくなった。

で、そんなら、御井寺はどこ?ってはなしになるんです。
こんどのオフ会のコースはきまりましたな。御井寺~高良ルートです。

参照記事:倭迹迹日百襲姫神
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/yamatomomoso.html

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