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2010年1月21日 (木)

ミッキー安川追悼、その他青春時代の映画館、連句的談話

コメント

>若いころ、この人(ミッキー安川)のはちゃめちゃな自伝を読んで、

小学校時代、読みました。
歴史上の人物でもない人の自伝なんぞを、何故、小学生が読むかというと、学研の学習雑誌に漫画で連載されていたから。
ところで「学習」も「科学」もついに休刊ですね。

故人を調べていたら、すごい作業に出会いました。
   ↓
人生のセイムスケールhttp://art-random.main.jp/samescale/

あ、それ、それ。
わたしも漫画で読んだよ。
学研の連載ものだったのか。
鮮やかに記憶にあるのよ。
たぶん小学高学年だったはず。

↑乙さんが教えてくれたページ。
すごいねえ、この人。執念の人だ。
まるで乙さんみたいだ。

 自分にしかわからん芸名つけてすんません。ロイリーは御存じのように私が(たぶん)生まれて初めて目にした映画館、そして「京一」は京一会館という、1970年代、京都(一乗寺)に唯一存在した名画座の名前、神代辰巳を代表とするロマンポルノ群も、健さん・緋牡丹お龍・文太兄貴も、小津安二郎・黒澤明らの名匠の作品群も、戦前のエノケン映画も、みんなここの4本立てで見ました。
 そこで突然思い出した、同じゼミにいた男子の方の名字は熊谷だった、と思う。いわゆる濃い感じの顔立ちで、一方女子の黒木さんは埴輪目の感じ、福島高出身のみなさんの1つか2つ先輩ですよ、と言ってもやはり、年が違って名字だけじゃわからんか。
 あれ?私がURL入れたのは「夜が明けたら」と「かもめ」のつもりだったけど、間違えたか?そして乙四郎さんの去年のコメント、そういや「赤い橋」もいいですね。北山修の作詞の中ではちょっと毛色が変わっていて、昔よくギター弾いて歌ってました。「かもめ」は寺山修司の作詞、カルメン・マキと浅川マキ、どちらも寺山修司がからんでいる。へ~、寺山修司と川上音二郎 の死んだ年齢は一緒か。川上音二郎については、自由民権運動家からオッペケペー節(演歌の元祖?)→壮士芝居→新派の元祖ということで昔けっこう調べました。
 次々と人が死んでいく、それは当然のことだけど、例えばそれが小林繁のように自分と同学年の人だと、またある意味ショック。そして小林繁と桑田真澄の父親の訃報が載っていた同じ新聞紙面には小さな記事で、おそらく(中年以上の)SFファンしか知らない作家・翻訳家の柴野拓美(小隅黎)氏の訃報も。日本で初めてのSF同人誌「宇宙塵」を創刊した人、大学時代にお話ししたこともあるけど、83歳、うちの親父と同い年だったのか。小松左京・筒井康隆といった、日本SF作家第一世代の育ての親みたいな人です。
 何だかいっぺんにいろいろ詰め込み過ぎたな、http://art-random.main.jp/samescale/に載ってる人たちのこともいろいろ感じ入ったことあるけど、またの機会に。おっと最後に森山さんのこと、あこがれてたというより、私らより全然違った大人だなとか、いわゆる芸術家タイプとはこういう人かと思ったのと、アングラという言葉のホントの意味を間接的に教えてくれたこと、私が好きだったバンドJACKS(早川義夫など)を評価してくれたことなどが印象に残ってます。直に話したことは1~2回しかないし、面と向かっても何話していいか…あの演劇で使ったオーディオ機器は私のやったつですよ、と、どーでもいいことしか言いきらんかもしれん。

子規は34歳、芭蕉は50歳。
あの人もこの人も年下だ~。

 あげん長か文載せたのに、連発ですんません。久留米ではもちろん郷土の新聞西日本です。商売柄、昔ゃフクニチ・スポーツも取ってたが、潰れた後は日刊スポーツ。
 モンキーズといえば、CMにも使われた忌野清志郎の「デイドリーム・ビリーバー」日本語版や、「モンキーズのテーマ」をパロった「ターマーズのテーマ」(♪タイマが大好き♪とは、何と過激な)を思い出し、クリフ・リチャードと言えば「ヤング・ワン」や「サマー・ホリデー」だが、ザ・ヒットパレードの影響で、つい日本語バージョンで口ずさんでしまう。

けさ、宇田零雨(健吉の慶応時代の学友で俳人、連句人。くさくきという結社をおこした。磯直道=連句協会会長にして零雨の甥にあたる人だったと記憶します。この方は父親が226事件当時の憲兵だったので、その目からみた事件を本になさっています。現くさくき主宰)と俳人の長谷川零余子とは師弟関係があるかどうかという師系調査をしていたとき、まったく関係ないつぎのような句にばったりであった。おや。寺山修司はこんなとこからひっぱっていたのか。

月にじっと顔照らされ月見る  荻原井泉水

母の蛍を捨てに行く顔照らされて  修司

井泉水は虚子や子規と同じ愛媛出身の碧梧桐の門下で自由律俳句をやった人。弟子には山頭火、尾崎放哉、橋本夢道などがいる。家は代々越後高田藩の御殿医だった。昭和51年93歳没。
以前、寺山修司の母が書いた『母の蛍』という本を読んで、たいそう感動したことがある。青森高校時代の作文(川柳人倉本朝世のブログに今もしまってもらっているのであれば、その文章のなかにかなり引用している、わたしの地の文との境目を限りなくぼかして)では、柳人よりずっと冴えた川柳批判をし、俳人よりずっと深いところで俳句の切れを論じているのが高校三年生のころ、それから自分の父を早くに亡くすにあたって、かなりの脚色を加えたふしがあること。年譜にさえも。人の語る父親の死の物語を、自分の父のものとしたふしがあること。これは、寺山の友人の詩人、嶋岡晨が随筆の中で暴露していたことでもある。
宇田零雨と長谷川零余子(俳号はれいよし、季語だとむかご)の関係はまだみえてこないが、零余子が長谷川かな女の夫だということを知った。そのかな女の一句を、ちょうど寺山修司が井泉水のさっきの句の一部分の引用でまったく別の句を編み出したようにして、かささぎはきのう、これは全く偶然だが、前田圭衛子先生が巻いておられる文音のなかで恋句として出し、先生からなんじゃこれは。といわれてしまった。
あ、かささぎは今、連句的なはなしをしています。

海苔を焼く指を見てゐて遂に泊る  かな女

この句は果たしてどういう句なんだろう。恋?
泊るが意味深で、恋句に思える句である。かささぎは恋句をださねばならなかったので、これを引用。

乳離れせぬ赤子抱へて (前句)
善き人の声に従ひ遂に泊る     恭子

前田師の意見、海苔を焼く元句は堅実な生活感がにじみ出ています。質素で力強くさえある、そんな現実感。だから泊ったという措辞が生きるのですが、あなたのはなに。とこうおっしゃった。いやあ、面目ない。人妻の不倫をなんとかそれらしくなくごまかしつつ詠んでみたかったんです。失敗してますよ。そうですか。ってんで、これはさっぱりあきらめ、再度はじめによんでいた句に戻す。
はるけくも尋めゆき逢へず海の宿    恭子
尋めゆき、はとめゆき。山のあなたの空遠く、の詩に出てきます、ああわれ人ととめゆきてのあれです。
じゃそっちのほうで。ということになりました。
こういうとき、さすがにふしぎだな。とつくづく感じる。
ちょうど。ちょうどのタイミングなんですよね。長谷川零余子を調べた、その妻の句にぐうぜんであったのが、一日前だったということが。で、かな女の句とであった所は、森川書店の見本本。仕事が暇な折に、そこから書き写したノートです。
これも私のひとりごと。すみませんでした。

乙四郎とせいこさんはこどものころ、科学って本を親に買ってもらっていたのですね。
りっぱな親御さんですね。あれは田舎では毎月おとりよせ、という買い方しかなかったと思う。

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コメント

ここに書きます。
文中コメントを寄せてくださっているなつかしの神津呂伊利さんからの近況報告です。
それによると、「義父の遺言執行のため」ラバウルへ行っていて、帰られたばかりだそうです。ふうん。さらばラバウルよ、またあう日まで。
どういう経緯でラバウルなのか聞きたいところです。その一週間前には八丈島、青ヶ島へ行かれた由。
久留米へ帰省されるのは、12日夜~20日朝まで。
18日は用事あり。とのこと、よろしくお願いします。

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