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2010年1月18日 (月)

歌仙『ちゃっきり節』 挙句

歌仙『初日の出』

  時・平成二十二年一月九日土曜九時半~十五時
     場所・八女市堺屋
   捌・姫野恭子(ナウは文音)満尾一月十八日

初折表
月地球一直線に初日の出     澄 たから (新年)
  四方拝からあがる歓声     姫野恭子 (新年) 
粥鍋に入れる春菜の揃ふらん  竹橋乙四郎 (春)
  水の面に鮎の子は跳ね    青翠 えめ  (春)
無人駅朧夜に発つ人のゐて   八山呆夢  (春、月)
  母の報せはいつも突然       たから   (雑)


束ねたるもの又ほどく縁側に        恭子   (雑)
  グリーンノートで擦れ違ふ君       えめ   (雑、恋前)
あ・うんの呼吸で渡すスペア・キー     呆夢     (恋)
  忍ぶしかない迷ふしかない       山下整子  (恋)
青葉木莬をさなき夫の置き土産      恭子  (夏、恋離れ)
  待てば海路の梅雨の月あり      呆夢   (夏)
胴上げは足首つかむ決まりにて       夢   (雑)
  ドクターヘリで運ぶ急患          恭子  (雑)
この国の未来予想図描けぬなり       えめ  (雑)
  捨て方の本並ぶ本棚           たから  (雑)
花の香に送られて就く島の守          恭   (花)
  末黒に穂草つのぐみてけり        夢  (春)

名残表  
茶摘女のちゃっきり節で幕が開き   えめ(晩春)
  獅子と龍とがにらむ賽の目     梶原呂伊利(雑)
快楽か自己満足か芸術か
      たから(恋前)
  ワイングラスに残る口紅        夢  (恋)
筑波嶺に深く染み入る恋の彩     調 うたまる(恋)
  終はり世に降る雪は愛しき     森山光章(恋離れ・釈教)
松明に火を焚(く)べ神事粛々と    夢(冬)
  マラソンびとと旗もち走る        えめ(雑か冬)
折鶴を折って記憶をたしかめて      夢(雑)
  庇の間よりみえる土壁           恭(雑)
ひっそりと真闇を運ぶ居待月        えめ(秋)
  芋きんとんを宴の仕上げに       たから(秋)

名残裏
お彼岸の長蛇の列の端につく    神崎さくら(秋・釈教)
  ポケットのなか秋は時雨るる   整子(秋)
魁皇が九十九場所踏みし四股    乙四郎(時事、雑)
  コサックダンスが上手くなったね 中山宙虫 (雑)
薄墨のしづく集める花の笑み    東妙寺らん(花)                                                           
庭の小池に蝌蚪孵るかと      杉浦兼坊(春)

▼挙句について

杉浦兼坊さんは北海道のさる大学のちっとも偉そうではないけどほんとは偉い先生です。出勤前に雪下ろしや雪かきをされているご様子。
挙句依頼した日、センター入試をする側であり、また受験生の親でもありで、ばたばたしておられたので、一旦は拒否されたのですが、食い下がりました。この時機を狙ったわけではないのですが。ありがとうございました。
このかるみはきぶんがいいです。
俳諧先祖帰りだとおもった。春らしいめでたい挙句です。

季語「かと」・・おたまじゃくし。蛙の子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7

月句についての考察:

お相撲さんがコサックダンスをしている姿が頭にこびりついて離れない。
絶妙な付け句でした。

こんばんわ
去年は10月4日が満月でした(月の出時刻(17:41)
二日後の6日に居待ち月の句を作りました(月の出時刻(18:48)
日没が済んでしばらく、あまりの雲の美しさに空を眺めてて薄暗くなりつつの時(ああ西の空に心を奪われている時今日の月が静かに昇ってきているのだな)と思いまして^^
ブログタイトルを「夕景に、心取られて・・」として句を作りました「夕景に秘して昇るや居待ち月」
月は昇るではいけませんか?上る?

夕景に秘して上るや。夕景に秘すという言い方。
夕暮れの景色のなかにこっそりと居待月がのぼる。この句が奇異なかんじを与えるのは、居待月ですから、月の出を座って今か今かと待っている。にもかかわらず、その人の目は肝腎の月は見ておらず、周りの景色に注がれているってことなんです。えめさんの自句自解でよくわかりました。そこがこの一句の魅力であり弱さなのかもしれません。ことばのひびきはとってもきれいですよね、リズミカルで。

暗がりをともなひ上る居待月    後藤夜半
行き暮れて何処さまよふや居待月   恭子

まんびまだでしたか?
やっとパソコンで確認しました。

えめさんの居待月で久々月の呼び名を思い出しました。

十五夜よりだんだん月の出が遅くなります。
陰暦で八月十六日の月。つまり十六夜。
八月十七日の月。立待月。
八月十八日の月。居待月。座待(いまち)とも。
八月十九日の月。寝待月。臥待(ふしまち)月とも。
八月二十日の月。更待月。

立って待つ月。立って待ってても出ないので座って待つ月。座って待っても出ないので寝て待つ月。そして、夜更けに出る月。八月二十日は午後十時くらいの月の出だそうで、昔のひとは早寝だったんですね。
ちなみに月が出るまでの闇を「宵闇」。
居待月には日暮れから月の出まで宵闇と言う闇があるってことですね。

かささぎ凄い。

って、このコメントを見ながら勉強しました。
自分の俳句には、これらの月は登場しませんから。
現代の生活とはやはりずれがあります。
居待月などけっして座って見ません。
仕事帰りとか、車運転しているとか。
更待月のころに座っています。

では、まんびまで「祝」はお預けってことですな。

あ、忘れてた。
九州の日の入りは、東の方からすれば随分遅いから、陰暦八月十八日はまだ明るいってことです。
そんなことを考えると、こういった季語も実際は矛盾多いですね。

おはようございます
ひめさん、ありがとうございます。
自句自解はいけないと前田先生から教えていただいてました。反省☆
夕景と居待月はありえないシーンですね。
宙虫さん、月のおはなしありがとうございます。
コメを参考にまた考えてみました。
・宵闇に秘して上れる居待月
・ひつそりと宵を運びて居待月
・居待月謐なる闇を運びたり
・・・う~ん、難しいです。。

えめさん。最初、えめさんのあの句を読んだとき、居待月の説明におわっている気がした。
つきがのぼる。夕方から待っていてゆうそらの西のほうにばかり気をとられていたら、いつのまにか東にくっきりと上っていた月。
そのあと、自分でも居待月を健吉の季寄せで見てみたら、夜半の句にであいました。月という光ものをだすのにくらやみを連れて上るとかいていた。あったりまえではありながら、ざぶとん五枚ってかんじなのは、物理的な自然現象だけにとどまらない精神的なものを感受するからです。(この俳人は芸妓をよんだ粋な句がたくさんあり、それで名前をおぼえていた。後藤比奈夫の父。)
居待月はくらやみをつれてくる月、とおぼえれば、時間帯もなんとなく把握できますね。その意味では、きのうえめさん句につけたいちゃもんそのものにあたいする、説明句ではあるのです、夜半の句も。だけどそれをはみだすものがあるから名句として残っている。
てことで、えめさんの再提出句から、ひっそりとの句をいただき、夜半の句と折衷して、
ひっそりと真闇を運ぶ居待月
これ、いただく。よござんすね?(「て」を一句にいれて小休止するとゆるむ気がする。前の遣り句にぴったりあっている句ですね)
えめさん、ありがとう。
なにか気になって、どんどん調べさせられる、そんな奥深いものを秘めている句でした。駄句ではない、感覚的なシャープな句でした。ありがとうござんす。

ありがとうございます。 よろしくお願いします^^

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コメント

日本は1945年8月15日に終戦したと思い込んでいました。
終戦後に「戦死」した日本人が千人以上いたのですね。
Wikiを要約すると次の通り。
ポツダム宣言受諾に伴う日本軍の武装解除の最中、8月18日未明、ソ連軍が占守島上陸開始。急遽、武装解除を取り止めた日本軍守備隊の第91師団などと戦闘になった。
8月21日、日本軍第91師団長が降伏を定めた文書に署名し、停戦成立。
日本側死傷者約1018名、ソ連側約1567名。
降伏後、武装解除された日本兵はシベリアへ抑留された。

祝、満尾。

捌き方、お疲れ様でした。
水難、降雪いろいろありましたが無事に出来ましたね。けっきょく13人が参加しました。このメンバーが一時にそろう事はないと思いますが、いつかはそろって巻いてみたいですね。

おつしろう、あーんどぼんちゃん。ありがとうありがとう。さんきゅうさんきゅう。
おつしろうのかいてくれたことですけど。朝刊に連載の森浩一「倭人伝を読み直す」で、ひなもりという職名がでてきましたよね。その長が「ひこ」というのです。彦さんは「長さん」って意味だったんだね。で、ひなもり=鄙の守=地方の守。てことなんでしょうね。
であれば、島の守も鄙の守とおなじですよね。時代はいくらかわっても、本質的な部分では何一つかわっていないんだな。とおもいました。
連句の何が面白いかっていえば、歌仙一句一句のもつ定まった時と規定、メンバーのそのときそのときのこころ、それから世界と時代の世情とがないまぜになって動く動かすその偶然力、それがとっても面白い。まったく予想を裏切られるときの快感。一つ一つが新鮮。俳句なんて二年もすりゃ毎回おんなじような季語ばかりのおんなじような句ばかりでたいくつするが、連句はまったく違う。奥が深い。それどころか、どんどん自分自身が古くなっていき、古さにつながる自分を楽しいと感じるし、古いってことがとても新しく思えてくる。天地無用の心境になる。
形式にここまでこだわることによって、はじめて日本の短詩系文芸の融通無碍なこころに触れうる気がします。ことばがうまれてくるときの、詩がたちあがってくるときの、原点にふれることができる。しばられることで自由を獲得するという逆説。いいなあ。連句は。おもしろいなあ。連句は。
十三人!すげ。十一人いる!ってまんがをおもいだしてしまった。萩尾元。もとのじがちがふ。
杉浦きよし先生とも座で函館でまいてみたいっすね。はあるばるきたぜはこだてえええツアー。
みんなでいきたいなあ。死ぬまでに、北海道までかんたんにささっと五分でいける世の中になってくれないかな。いつか、みんなでそろって巻けるときがきますように。今回かてかてまんじゅうだった、ばどさんもね。

寒い寒いと言いながらまき始めた歌仙が、こんなに立派になって、うれしいぞなもし(涙涙)

再 しゅく まんび

ぎっくり抱へて初ひねり・・お世話になりました。 今度も思い出の歌仙になりました^^
祝満尾

今回は非常に第三者的な立場での参加になってしまいましたが、こころをこめて、祝満尾でございます。

 "朝刊に連載の森浩一「倭人伝を読み直す」で…"というのは何新聞でしょうか、教えて下さい。 森浩一氏は、私が大学に入って最初の専門講座=基礎ゼミの担当者です。風貌や服装が用務員のおじさん風で、えっ、この人が大学教授とビックリ。そして最初に熱く語られたのが(当時発掘調査→壁画発見されたばかりの)高松塚古墳のことと、「高句麗好太王碑文改ざん説」を例にあげて、高校までで学んだ歴史の常識をそのまま信じては駄目だということでした。またその時が、考古学は体力的にしんどいからパスしようと思う、ダメな大学生活のスタート地点だった。
 その基礎ゼミに、何と八女の福島高校出身者が2人もいました(それで私はこの校名を初めて知った)!う~ん、講義とかは真面目に出ず、映画館などに入り浸っていた35年以上前のことだから名前は思い出せん。男女1人ずつで、女性のほうは名字が黒木さんやった。男の方はすでに彼女がいた(黒木さんとは別人、たぶん福岡県出身の人ではない)。福島高校卒業して一浪なら1971年、現役合格なら72年の卒業生です、心当たりある人いませんか?
 話題変わって、浅川マキさん亡くなってしまった、せめてもう1度ライブ聴きたかったのに。合掌!次の歌聴いて飲み明かしたいけど、そうもいかんな。↓
http://www.youtube.com/watch?v=QU2eG1Zh6Hg
http://www.youtube.com/watch?v=fOP35aV0qFc

ふうん。炉入りー京一。渡辺京二の本なら二冊よんだ。北一輝、もう一冊は逝きし世の面影。題がかっこよすぎ。
淺川マキ、一度もきいたことありません。ごめん。きっとえめさんやぼんが知っていそう。おらは高校時代、いったいなにをしていたんだべな。ぼさーっとしてた。恋に恋するってかんじでしたな。モンキーズとかクリフリチャードとか好きだったな。あれは何時代。
それにしても森浩一さんが先生だったなんて、すごいっすね。邪馬台国や古代史関連で一冊は持っていますこのかたの本。新聞連載は、これまでの邪馬台国の諸説のまとめみたいです。はじめて聞くことも、それから、えーここんとこ、ほんとはどうなってんの?ってとこもあります。おもしろいです。西日本新聞朝刊。こうてちょ。

黒木さんで思い出した。黒木氏の系図から引用途中でほっぽったまま、小侍従の歌。ごめんなさい。土人いわく、みたいな風に書かれているのがなんとも。土地の人ってちゃんとかいてよね。どじん。どじん・・伝説をつたえていったのは、土人。せめて土地の古老が。とかいてほしいよ。
ところで。森山さんですが。賀状にろいりーさんという人が森山さんと同窓であこがれていらしたようです。またオフ会をするときには森山さんもいらっしゃいませんか。と書いておったら、返信がきました。
きたいです。とかかれていました。笑。よかったですねろいりーさん。バイクで部屋の中までのりこんでくる人ではないとおもいます。十年前にあったとき、すでにそんなふうなけはけほどもみせないひとでしたよ。どっちかというとボノロンみたいな。故杉浦ひなこの元亭主みたいな。とてももの静かな人でした。

浅川マキさん。わたしたち世代ではあんまり聞いた人がいないのかも知れませんね。音楽にはめっぽう疎いうちのツレが、昨日の朝、新聞読みながらぽつり。ああ、淺川マキが死んだとやねえって。
五歳違いの彼らには、青春時代と重なるところの多いアーティストであったようです。

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