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2010年1月29日 (金)

「猫にまたたび貴方にあたし」おめでとう!談義

コメント

ひめどん、今日はありがとうね。
あれからじっくり読んだぜよ。
「ときにヘレナは」の巻。読み返したら、あれって、随所にいい付け句がちりばめられていました。あれ、いい仕上がりになっとったねえ。
たからさんの「軍艦島」を筆頭に、乙さん「むかし翁も」うたまるさんの「布につつみし花の魂」、恭子さんの「おおみたから」といい、
えめさんの「ままごとの皿」、ぼんの「寓居なり」、らんちゃんの「親展とどく」まで。
そして、圧巻だったのは、籾殻山の留め書きぜよ。
あの書き出しの異端さ。笑
並みのもんにはできん見事な転じであった。あのイントロからあの着地っちゅうとこに、いたく感動した。あ、もちろん、表題にも。あれは捨てがたい句でありましたゆえ。

うん。せいこさんありがとう。おそくなってごめんね。
あんないい句*をなぜとらなかったのか。と、みな思ったろうけど、理由は、木天寥(またたび)が秋の季語だったから。一応季語登録のあるものには敬意を払うのが仁義。まあ、そのおかげで乙四郎のこの留書がかかれ、それが図らずも句を出したらんさんと音彦さんの慶事(ご婚約成立!)の予祝となりました。おめでとうございます、らんちゃんあーんど音彦さん!!あーすっきりした。いつ言えばいいのかとずうっとうずうずしていましたよねえ、せいこさん。えーくそもうよかっちゃないと。(とここで急にやけっぱちとなるかささぎであった)。
「ときにヘレナは」は勿論いいですが「籾殻山」もよかった。意外と重みがある。農業と地域の活性化がテーマの文化祭を意識していたし、座のざわざわが伝わってくるとこがいい。飛び入りの客人が入っている連句には古来、笠置連句というのがあるそうですが、この巻きはまさにそれなんですよね、はんぶん近い句が。そしてそれらが、みないい句。三枝凛さんのかわせみの嘴や、和久光陰さんのバイカル湖のすなおさ、ハルさんの高原の月、においの花の中島倶さんの堂々たる景気の花。さいごの結城登美雄氏**の浴衣縫う頃とうたった生活感あふれる挙句。どれもみごとです。師があちこち手をいれられたのですが、もと句、記念にそのまま残しておきます、ブログに。
みなさま、ありがとうございました。
句を出してくださったかたで、まだ手元に届いていないかたは、もうしばらくおまちください。必ずや週末までには届けます。

それから、うたまるさん。すなおでまっすぐなとめがきを、ありがとうございました。読んでいるうちに、わたしも初心のころのこころにもどれました。うれしかったです。住所はわからないとおもったら、賀状がありました、あすおくります。
また、ぜひ亜の会の合宿に参加してください。そのきわだつ感性というかおそるべき感の冴えには非常に打たれました。正月から、パソコンメールが使えなくなって送信も受信もできず、連絡できませんが、もしこれを読まれたら、どうぞお元気で。

鬼の本籍地

ちっとも頭に残ってないなあと思っていたら、やはり何も解っていない時の作品でした。自分の句もてんで記憶にない。たかだか2年まえなのに・・・

いいってことよ、こういうことの積み重ねで今があるんだから。会を重ねればだんだんできるようになる。初めから出来る人もあるけどね。

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コメント

ぼん。覚えていないのは、わかっていなかったからではなくて、短冊はだしてもらったけど、無慈悲なさばきがとらなかったからだとおもう。これはさくらさんにも言っておきたいのですが、人それぞれで気のトーンを調整する能力に差がある。そこに流れている川に手をつけてみる、触ってみる、自分でも泳いでみる。それができるまでには個人差がある。このとき、ぼんは最初から座にいたんだものね。遅れてきたのはせいこさんで、それを待っていたのはかささぎで。いざ始めたら、ぼんの句を一句もとっていなかった。気づいてたのに、一直したのを取ろうともしなかった。いじわるをしたように思えただろうね。そうじゃないんだ。無意識にそうなった。しぜんとそうなった。普通、順番が一巡りして、そののちで出勝ちになる。鬼の本籍地では最初から出勝ち、というより、そのときどきで一番の句をとった。あきれたことに、せいこ句が三句つづいてる箇所だってある。なのにぼんの句をとっていないんだよ。ひどいはなしでしょう。
らんさんはぼんが書いているように、初めからできるタイプの人だったのだね。
ちょうど調うたまるさんとおなじでね。
そんな人もなかにはいますが、ぼんとか、さくらさんは、慎重で、きっちりとわけがわかって、ある程度すべてを吸収してからでないと吐き出せないタイプだとおもう。いいことばでいえば、慎重、わるい意味ではのりがわるい。
かささぎがいかにも不公平なさばきにみえようとも、ちっとも気にしないのは、いつかそんなことは自然がバランスをとってくれると信じているからなんですよね。もうこれは、圧倒的な信頼感がある、自然に対しては。だから、今回のれぎおんの上野での歌仙興行の巻きをよんで、さくらさんが中座したってことをよんだときも、ちいとも気にならなかったよ。
それが懐かしく思い返せるときが、必ず来るから。それだけのものを、さくらさんは持ってあるってわかっているから。
ぼんだって、そうです。すばらしいものをもっていらっしゃる。それに敬意を払って、これを書きました。許されよ。

申し訳ない、初めてそらんさんに会った事、乙先生がぼたもちをもってきてくれたことなどは覚えてるんだけど、その後の仕事のこととかで頭はそっち向いてて、何も覚えとらんとです。
だからかささぎに意地悪された覚えもない。

らんちゃんのこと、本決まり?お喜び申し上げます。お祝いの宴を開かねばなりませんね。今度は星野にしましょうか。

ぼん
なぜかという理由はあとでいつもいろいろとおもうのですが
今回のとめがきで竹橋乙四郎が書いていたじょっぱりの窓ってのが関係するっちゃないやろか。もちろん、さばきのじょっぱり、ですよ。
俳諧とは人和と時宜の歌、じんわとじぎのうた。

らんさんと音彦さんとの婚儀きちんと相整いまして、挙式は五月らしく、。「釘茶」「結納」が無事すんだとのことです。めでてえめでてえ。挙式はどこですんだろうね。鹿児島の西本願寺だったりして。ぼんのいうようにおいわいしなきゃね。まだらんちゃんの家においわいに行ってません。ねこたち、どーすんだろ。それが気になって気になって。十匹以上はいる。

いま一つ、「俳諧とは」の定義にある。最も大事な、肝腎要の要綱があります。序張りの窓そのものであるかもしれない。
それは、美濃のかがみしこう(鏡思考)が師芭蕉の教えをまとめた書に書かれている、
「虚を実にかえる作用である」、ということです。むずかしいのですが、虚=空を実=現実世界に顕現させることというのは、虚の概念をことばにするということです。かささぎが座がおわったあと、「いつもなぜだろうとあとでかんがえる」ってことも、自分ではわからないからなので、しいて想像していいますと、その座に降臨する言霊という虚の存在が逃れがたく在り、詠み手は知らずその影をひいている。ってことではなかろうかと。
わがままで、あるいはいじわるで、座の進行をすすめるようなことは決してしない。その証拠に、かささぎはぼんの句を一句もとっていなかった、と気づいたのは、なんと名残裏のおしまいちかくになってでした。それほど忘我の世界に入り込んでいた。なんとおめでたいやつ、。
かがみしこう、って通説では衒学的ないやみなやつで片付けられるので、まったく避けて通っていました。けれども、以前紹介した、岩倉さやか先生の著書『俳諧のこころ』をよみ、この美濃派の祖のおかげで、芭蕉は後世に名をとどめる俳諧師として存在できたのだということがよくわかる。ひまなら、よめ。いや、よんでください。ぜひ。きっと図書館にあります。かささぎはネット古書店でみつけて買った。

まだ、いいつくせていません。
これでは誤解を招きます。
どういったらいいのか、ちょっと伝えきれないところがあって、岩倉さやか本をよめば了解できます。
連句のたのしさとともに、くるしさもあることを。みにくいところでもある。厳しさ。なさけようしゃがない。
前田師がすごいのは、人をとってもほめてくださるのと、だめな点をけなされるのとが同時にできる人であること。これはだめと思ったら断固拒否されます。その点容赦がない。目の前で大先輩の有名俳人を一句もださせることなく、さいごまで峻拒されたことがありました。いつまでも忘れられない思い出です。まるで自分が拒まれたようにです。
いま、こうして思うに、それはきっとなにか、あずかり知らぬ理由、天上からみたきっちりとした、があったのでしょう。好悪のかんじょうとは離れた次元の。

さっき、これを打ち込んだとき、なにかがさわりました。それ、わかった。いわくら。岩倉=イワクラ=磐座。写真記事を整理していたとき、石祠の豊姫社の発する気が、八女津媛神社の磐座の巨大な磐のものと似通うものがあり、こわいまでの神秘性をかんじた。古代の闇とまっすぐつながるような。
わたしは本とか人とかぴんとくる方で、新聞ではじめて岩倉さやかさんの文章をよんだときから、わけもなくひきつけられてしまいました。いつか一緒に連句をまいてみたいとも思っています。

「れぎおん」一昨日届きました。
いつもどうもありがとうございます。

誤解を招くようなことが書いてあったので、解いておきます。

上野の句会に行ったとき、あの日次の予定があって最後まで付き合えないと最初から決めていました。

それまでこちらで皆さんのコメントさんざん読んで、誰々さんは中座したとか、途中から参加したとか多く見られたので、ああ、長時間だからそんな風に出たり入ったりしてもOKなのか、そんな自由な流れのなかでゆったりと出せる人はだせばいい、出せなくてもいいみたいだ・・・・と想像しました。

それで始め「私は何時までしかおられませんので途中で帰ります」と宣言して参加しました。
ところが異常に集中して、あっと言う間に時間がきて、なかなか中座しにくい雰囲気、座の人に気を使ってではなく、自分自身がその集中力の魅力にはまったような快感も感じ、魅力のひとつはこれだな!と感じたくらいです。
それで予定より15~20分くらい伸びて、最後までいてもけしていやではなかったのに、あのような書き方にはむっとしました。
いい加減な憶測で安易な一行です。
わざわざ書かなくてもいい一行ですよね。

かささぎさんには関係ないことなので気にしないでね。

さくらさん、ありがとうございます。
はっきり書いてくださってすっきりしました。
あのとめがきでは、さくらさんはいたたまれなくて中座したかのように思えますもの。そうじゃなかったのですね。よかった!!
私としては、なにも心配せず、ただ行ってそこに座っているだけでいいから。なんて勧め方をしたので、ちょっと無責任だったかな。って反省していました。
まだなんにもご存知ないから、逆にいいんじゃないかと思ったものですから。だって、何もしらないころって、二度ないのだし。だいじなんですよねえ。ことばを発するようになるまでって。あかんぼうでも、おとなの詩作でも。
さくらさん。また文音にお誘いします。ってか、またいっしょにあそんでくださいまし。
ああそうだ。ありあけ連句興行、かなり師匠の手が入っています。師匠の感性に脱帽。かささぎとしてはさわりはなかったとおもいますが、恋がうすかったこと、発句が農事だったのにあの民族学者のかたが登場されたことでサービス心をおこして又農事ネタを出してしまったことはくどかった。自分でも、減反の句をさしかえてすっきりしました。ただ、せいこ句のルビまちがいと、サーキュラスカートは元句がよかったように思いますが。
とってもお忙しい師が時間をとって一直してくださったことがありがたいです。

で、こないだからずうっと考えて、自分なりに出した仮説です。こう考えたらすっきり解けます。
鬼の本籍地、前半、ぼんの句を一句もとっていなかったってことが、かささぎ自身がショックで、なんでだろうとああだこうだ、考えました。
こうじゃないかなってイメージがおぼろげながらわいてきました。それは、おもいのいとがしゅるしゅるとたくさん身から出ている図。目には見えないのですけど、韻文経験があればあるほど、糸はたくさん出るのです。それは触手だから、しゃべらなくても通じる。でも、それがまだできていない場合だと、すがたがみえないのとおなじ状態になるのです。
これがかささぎ仮説。いまはちゃんと糸がでていますよ、ぼんから。みえるもの。だって、糸のゆめだもの。


さくら草連句会のしりとり半歌仙、ああいうのもいいねぇ。
それにしても俳諧みなと座のうたまる句、

足跡は言葉となりて野辺行かん
現し世は今宵はげしく花降らせ

歌仙の中でもひときわ光ってますよね。ただものではない。

こんどしりとり連句をやりましょう。
むだなちからをおとしてくれます。
うたまるさんはひかっていますね。

みなさま。大変ご無沙汰しております。昨日「れぎおん」が自宅に届き、ハタと思い携帯をみると「かささぎ」さんからのメールに気づき・・・大変不義理を致しました。ここのところ時間だけが超特急で過ぎているようで、何か進歩しているのか自身でも全くわからぬままいますが、今年もよろしくお願いします。
ちょっと遅いですね。もう二月だし。。(汗

今まじまじとコメント見て見ると。。
そんな・・私については買いかぶりです(汗汗
ここ最近は句(歌)をなおざりにしており反省しきりです・・。次回の黒木合宿にも伺えるよう頑張ります。(更に汗

さくらさん。「れぎおん」今夜中に読んでなるほど・・。
確かにこれでは誤解受けますね。人によって取り方や感性がこんなに違うものだ・・と変なところで関心してしまいました。っとすみません。でも、さくらさんのおっしゃっている事(感性)は正しいと思いますよ。私はその場にいましたから。

うたまるさん。お忙しそうですね。
でもお元気そうで安心しました。
なかなかブログよむ間もないでしょうが、気がむけば遊びにおいでくださいまし。どの父もたたかっている!がんばれ!!おんみごじあいください。

うたまるさん、お久しぶりです。
お察しいただきありがとうございます。

初めて出会った人たちと、言葉を吐くことにいっせいに集中して長い時間を共にする連句会と言うのは、なるほどかささぎさんが言われるように、好き嫌いではけして句を選んではいない、そんな下世話のことではないと言うことは良く分かりましたね。

せっかく出会って隣同士の席だったのに、うたまるさんと挨拶以外のことをほとんど話さなかったのが悔やまれました。

今日、連句協会から全国連句大会の案内状が届きました。霞ヶ丘の日本青年館3階国際ホールで3月14日日曜11時~18時。連句実作会は25の座が組まれ13時から16時まで、半歌仙。どのさばきにあたるかは籤です。大会4000円、お弁当つき。
前田師はよくここで、前夜にれぎおん同人でのみなづき座というのを興行されました。楽しい思い出です。
さくらさん、うたまるさん。機会があれば、ぜひ参加されてください。一座一座がゆたかな経験になってくれるとおもいます。もし、参加なさりたい場合、どうぞおっしゃってくださいね。前田師に伝えます。

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