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2010年1月 1日 (金)

小侍従の歌 5  矢野一貞の『筑後将士軍談』より

(12月16日より放り出していた引用の続きを打ち込みます。)

以下は矢野一貞の筑後国史から引く文章です。去年引用した久留米の山口氏が書いておられたように黒木家に伝わるというのがこれなのか、あるいは矢野自身が書いた小侍従考察の文章なのか、それとも。
どうもかささぎのような浅学の徒にはさっぱりわからない。
わからないまま、書き写します。
それがこれに運命的に出会ってしまったかささぎのしごとだろうとおもうから。(でも、書き写しているうちに、これはどこかで読んだ内容だときづく。小侍従研究者のサイトで読んだ文章でした。)

新続古今十七に、正治二年百首歌に、

「何ことに露も心のとまらまし月をなかめぬ此世なりせば」

又十八 正治百首歌に、

「朝夕の煙ばかりをあるじにて人は音せぬ大原の里」、

こは勅撰集にのれる限りの歌ともばかりを引出せる也、猶家の集何くれと尋ね求めたりせば、幾ばくか有ぬべからめど、さのみはうるさくて洩しつ、著聞集五永万元年、云々、同御時の事にや、いろはの連歌ありけるに、たれとかやが句に、うれしかるらん、千秋万歳、としたりけるに、此右句にゐもじにやつくへきにて侍る、ゆゆしき難句にて、人々あんじわづらひたりけるに、小侍従、つけける、「ゐはこよひ、あすは子の日と、かぞへつつ」、又八巻に、後白河御所いつもよりも長閑にて、近習の公卿両三人、女房少々候て、雑談有ける時、仰に、身に取ていみじく思ひ出たるしのびこと、何事かありし、かつは懺悔の為、各ありのまま語り申すべしと、仰られて、法皇より次第に仰られけるに、小侍従が番にあたりて、いかにもそこにぞ優なる事はあらんずるなど、人々申ければ、小侍従打笑ひて、多く候よ、それにとりて生涯わすれがたき一ふし候、げに妄執にもなりぬべきに、御前にて懺悔候ひなば、罪かろむべかしとて申けるは、そのかみある所よりむかへにあはせたることありしに、すべて月さへぬ程に、いみじく執し侍りし事にて、心ことにいかにせんと思ひしに、月さえわたり、風肌寒きに、さ夜もやや更行けば、ちぢに思ひくだけて、心もとなさ限りなきに、車の音遥に聞えしかば、あはれ是にやあらんと、胸打さはくに、くくりど、やりいるれば、弥心まよひもせられて、人わろきほどにいそぎのられぬ、さて行つきて車よせにさしよする程に、さてみすのうちより匂ひことにて、なへらかなづかしき人出て、すだれもてあげにおろすに、まづいみじうらうたくおぼゆるに、立ながらきぬごしにひしといだきて、いかなるをぞ、さぞとなりし事がら、何と申つくすべしとも覚え候はず、さてしめやかに打かたらうに、長き夜も限りあれば、鐘の音も遥に響き鳥のねもはや聞ゆれば、むつごともまだつきやらで、朝おく霜よりも猶きえ返りつつ、おき別れんとするに、車さしよするおとせしかば、玉しひも身にそはぬここちして、我にもあらず乗侍りぬ、かへりきても又ねん心もあらばこそ、あかぬなごりを夢にも見め、ただ世にしらぬにほひの移れるばかりをかたみにてふし沈みたりしに其夜しも人に衣をきかへられたりしを、朝に取かへにおこせたりしかば、移香のかたみさへ又わかれにし心のうち、いかにも申述べしともおぼえず、せんかたなくこそ候ひしかと申たりければ、法皇も人々も、誠にたへがたかりけん、この上は其ぬしを顕すべしと仰られけるを、小侍従いかにも其事はかなひ侍らじと、深くいなみ申けるを、さては懺悔の本意せんなしとて、しひてとはせ給ければ、小侍従打わらひ、さらば申候はん、覚えさせおはしまさぬか、君の御位の時、其の年其の頃たれがしを御使にてめされて候ひしは、よも御あらがひは候まじ、もしむねたがひてや候と申たりけるに、人々どよみにて、法皇はたへかねさせ給はで、にげいらせ給にけりとなん
○東都絳山撰、絵本ふぢばかま下の巻、待宵侍従、近衛院大后宮は、後に大宮殿と申す、大炊御門右大臣公能公の女にて、後徳大寺実定卿の妹なり、此大宮に小侍従とて歌よみやさしき女房ありけり、実定卿の思ひ人にてぞ有ける、ある夜必ずと契り玉ひけれど、さはる事ありて見え玉はねば、更る迄待わびて「待宵に更行鐘の声きけばあかぬわかれの鳥はものかは」と此歌より待宵の小侍従と呼れけり、八月十五日夜、攝州福原より旧都の月を賞せんとて実定卿この宮に来り玉ひ、夜すがら御物語おはしまして、暁返り玉ふに侍従名残惜く見送りけるまま、実定卿の供なりける、蔵人に宣ひけるは、立帰りて何事にても申て来れと宣ひければ、ゆゆしき大事哉とは思へど、休ふべき事ならねば、頓て走り入り、車寄に侍従の未だ立ちたる前に行て申せとさむらふと、左右なく云出たれども、何と云べしとも覚えず、折節里の鳥の声しければ、

「物かはと君かいひけんことのはの今朝しもいかに悲しかるらん」

とばかり云掛て、頓て走り付て、車の前にて斯こそ申て候つれと申ければ、いみじくめで玉ひけり、称えて艶(まさ)蔵人と申けりとなん、待宵の小侍従物かはの蔵人の称へは、今も猶京に有とぞ聞こえし、待宵小侍従事跡考云、吾筑後國黒木縣、土人相伝云、黒木縣猫尾城主源助能、文治之頃、以二大番一(昔者諸国受領、覲二京師一在留三年俗謂二之大番)覲三京師、助能善三吹笛一、一日被レ召二乎御遊一、吹レ笛、甚適二叡聴一賞二賜宮嬪待宵小侍従一、助能之妻、聞下助能久在二京師一、取二新妻一生レ男相携帰上、而不レ勝妬忌一、将侍女二人一、投二身深潭一死俟(人偏のない俟)、

と、ここらからはまた漢字ばかりの漢文です。正確な字を変換で出したいのですが、機械の調子がすこぶる悪くて意のままにならず、今日はここまで。
漢文を熟知されている方はお察しのごとく、一とか二は読み下す順番です。縦書きでは左下に小さく表記されます。かささぎが読み下せばいいのですが、正確によめませんので遠慮します。それにしても、漢文の文章と平常体との混交の意味がつかめません。

最後まで打ち込んで、それからゆっくり考えることにしよう。
ああしんど。

(もうしばらくで調姓がでる、が、それまでかなりある。漢字の山が)

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