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2009年12月 3日 (木)

郷土の偉人とこども時代の文通の記憶、談義

おはようございます。
八女燈籠人形のからくりは田中久重氏ですね。
東芝の祖、田中製造所を創立された技術者。 
で、お若い時は日本全国をからくりの興行で行脚されていたとか。
先日テレビで取り上げられていたけど、からくり人形がまことに達筆な書道をしましたね☆
公演の最終夜・千秋楽公演はすべての扉が開けられますのでほんとに見ごたえがあります。 来年はぜひ^^

 「田中久重」ちゃ、「からくり儀右衛門」のことでっしょうもん。
でも、東芝と関係あるとは知らんやった。国鉄、じゃなかったJR久留米駅の前にあるからくり時計は、田中久重が作ったのを再現したっじゃなかったやろか。
そう言えば昔(35年以上前?)、NHKのドラマで、田中久重の少年時代を主人公にして、久留米絣の創始者井上伝も登場する番組があった。誰か見てた人おらんでしょうか?
千本杉とか五穀神社とかの地名が出てきたのも覚えとります。
へ~、今調べたら、田中常民とも関係あったと。
というか、井上伝の人脈のほうがもっと驚いた。
久留米が生んだ近代3大画家の2人、坂本繁二郎・古賀春江や、ブリヂストンの石橋正二郎とも何か関係あるらしいが、どういう関係かようわからん。
灯台もと暗し、もっと郷土史を勉強せんといかんね。

 上記の「田中常民」というのは「佐野常民」の間違いです。日本赤十字の創始者と言われる人で、数年前「その時歴史は動いた」で知った。以上、お詫びと訂正。

ろいりーさん、まいど専門的な知識をおしえてくださってありがとうございます。
井上伝ですが、こどものころバスで遠い遠い久留米まで出て行くとあちこちに「お伝せんべい」の広告がでていた、それがよめなかったんでいらいらした。
まさかおでんだったなんて。おつたとよむよね普通。
強烈ななまえ、いのうえ・でん。

その昔、静岡県の美代ちゃんと文通していて、彼女が「井上伝のことを教えてほしい」といってきたことがある。私はよく調べもせず、当時書き方の本(教科書)に載っていた井上伝の話をそのまま写して返事にしたことがある。いけない少女だったと今も悔やんでおります。

ぼんちゃん。その昔っていつの時代?
小学生高学年のことかな、中学生?
文通しました、しらない人と。はやっていた。
あたしも新潟の女の子と半年しました。小学六年生のころ。きっかけはみごとにわすれた。ペンフレンドコーナーでみたのかも。
書き方の本に井上伝。書き方って書道ではなかった。

 「お伝せんべい」、そういやそんな久留米銘菓がありましたね。あたしゃ、「塩屋の娘」のほうが好いとったばってん。井上伝のことを、小学校で「井上伝女」と習ったことも思い出した。今の久留米っ子も、井上伝のことを小学校で習いよっとやろか。「高橋お伝」と間違えてはいけません、こりゃ、明治の毒婦と呼ばれた人で…あと省略。

その昔は小6からです。結婚してからもしばらくしましたが、あちらから「再開しましょう」と言ってきた割には返事が少なく、いつの間にか立ち消えになっています。

追伸
書き方は「書写」です。私たちの頃は「書写」の時間が週一回、1時間ありませんでしたか?

ペンパルとも言ってましたよね。
私も小6と中2にやってました。
小6女の子は滋賀県の人で、冬はスキーが出来ると聞いてあこがれました。
親戚の人がブラジルにいるとかで、封筒の中にコーヒー豆を入れてくれたことがありました。
あの香りは今でも忘れられません☆
中2はオーストラリアの人で、文通本をほとんど丸写しで出しました。
数通のやりとりで同級くらいと勝手に思っていたら18歳とわかって急に気持ちが醒めました(勝手でしょう@@)
でも外国の切手やエアメールの封筒などに満足してました(爆)
最近でも雑誌のコーナーにあるんやろか?
情報は規制するのでないかもですね。 でも夢がある時代でしたね。

 

脚注;

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