無料ブログはココログ

« ゆきの朝 | トップページ | 政権交代と医療(81) 乙四郎元官僚語録 »

2009年12月17日 (木)

小侍従の歌合の歌ー『筑後将士軍談』 4 

千五百番歌合の歌、

「たのめつヽこぬよをまちし古へを忍ぶへしとは思ひやはせし」

続拾遺六 千五百番歌合に、

「音信て猶過ぬるかいづくにも心をとめぬ初時雨哉」

新後撰九、 心月輪の心を、

「いさきよく月は心にすむものとしるこそ暗の晴るヽなりけれ」

又十二

「波高きゆらの港をこぐ舟のしづめもあへぬ我こヽろかな」

恋の歌の中に、

「住吉の神に祈りし(て)逢事のまつも久しくなりにける哉」、

玉葉二 平忠度朝臣、山里の花見侍りけるに、家つとは折すやと申遣りし侍りければ、

「家づともまだをり知らず山桜ちらで帰りし春しなければ」、

と申て侍りける返事に、

「我為に折や一枝山桜家づとにとはおもはずもあれ」

又五 正治二年百首歌奉りける時、秋歌、

「ながめても誰をか待ん月夜よしよヽしと告ん人しなければ」

又十 依レ雨増恋と云ことをよみ侍りける、

「たのめしを待夜の雨の明がたにをやむしもこそつらく聞ゆれ」

又十一 寄木恋、

「いかなれば朽ぬる袖に波かヽる岩手のまつもさてこそあはれ」

小侍従あり所知せさりけるを恨みければ、三輪山ならすともしるくこそと申ける、程なく尋出て遣しける、前左衛門尉公光、

「待らんと何をしるしの杉にてか心もしらぬ宿を尋ねん」

返し、

「人しれぬ心のうちのまつのみぞ杉にも勝るしるしなりける」

前右近中将資盛家に歌合し侍けるに、読て遣しけるに恋歌、

「同し世にあるを頼の命にて惜むも誰が為とかはしる

続後拾遺九、正治百首歌奉りける時、覊旅(きりょ)、

「今宵もや宿借り兼ん津の国のこやとも人のいはぬわたりは」

風雅十三に、月の夜久我内大臣もとへ遣ける、

「ながむらん同じ月をば見るものをかはすに通ふ心なりけりせば」、

新千載十八に題しらす、

「忍ひこし夕ぐれなゐのまヽならでくやしや何のあくに逢けん」、

新拾遺十一に、男のつらくあたりけるに遣さんとてこひける人に代て、

「なびきける我身あさまのこヽろからくゆる思ひに立煙かな」

又十二 恋の歌の中に、

「身のうさを思ひもしらぬ物ならば何をか恋の慰めにせん

又十八 暮春の心を、

「身に積る年のくれにもまさりけり今日はかりなる暮の惜さは」、

月前遠情と云ことを、

「いとふらんくめぢの神の気色まで面影立夜半の月哉」

新後拾遺六 千五百番歌合に、

「跡つけし其昔こそ悲しけれ長閑につもる雪を見るにも」

新続古今十七に、正治二年百首歌に、

「何ことに露も心のとまらまし月をなかめぬ此世なりせば」

又十八 正治百首歌に、

「朝夕の煙ばかりをあるじにて人は音せぬ大原の里

(つづく)

かささぎの手許にあるのは、『六百番歌合 六百番陳情』という本だけ。
ですから、これらの千五百番歌合歌の解説がまったくできません。
それもしゃくですので、六百番歌合から同じ題の歌をひき、連句的に並べてみます。そういや、この引用文の中で使われてた並べるという漢字、「双」でしたねえ。(井戸の井と書いて何とよめばいいか不明な字もあった。わからんけん適当によみなした。こういうときは英語といっしょですね。)

▼『六百番歌合  六百番陳情』

岩波文庫黄色34-1

建久の頃、藤原良経の主催したこの歌合には、定家、家隆、家房、慈円、寂蓮ら当代のすぐれた歌人が参加し、俊成が判者にあたった。(と表紙裏)

その中から、小侍従の千五百番歌合にも同題の恋歌がある、

寄木恋(木によせる恋)をまるまる引用します。
連句人には二つの意味でとても重要で、目をひきます。
まず、何が面白いかといえば、歌の数。

春15、夏10、秋15、冬10。以上50首。

この数に、連句人ははっとします。
連句の付句の季順表、同じ季節の句を数句ならべますが、春と秋は夏と冬より数が多いのが決まり。春秋は三句以上五句まで続けてよいが、夏冬の句は一句から三句まで、たいがい一句か二句です。それはもうすでにここに表れています。

恋の歌は春夏秋冬の歌が出てからきます。その数、五十首。
これは二分の一、相当な数です。『暦論』で引いた東明雅先生の『芭蕉の恋句』にも書かれていたのですが、連句もまた、この和歌における恋歌の尊重という伝統を重んじるものです。

ムネも教養も薄っぺらいかささぎは、打ち込みつつ学ぶ式でいくしかない。
ひまなおかたはおつきあいくだせえ。

なお、一番古い写本は九州探題今川了俊(貞世)の写したものだそう。
十四世紀の写本、古い!

長くなりますので、参考として打ち込みました。↓

『六百番歌合』

恋 八

七番 寄木恋(木によする恋)

左     顕昭

あひ思ふ中には枝もかはしけり君が梢はいやをちにして

右 勝   隆信朝臣

人知れぬ心に君をならしばのしばしもよそに思はずもがな

右方申云、いやをち、聞きよからず。
左方申云、右歌、無難よし申す。
判云、左歌、連理の心はよろしきを、宿の梢などこそ常のこと「なるを、君が梢やいかが。右の歌、楢柴のしばしもなどいふ事は常の事にはあれど、」いやをちの梢よりは優にや侍らん。

八番

左 持(ひきわけ)  定家朝臣

恋死なば苔むす塚に柏ふりてもとの契りの朽ちやはてなん

右   中宮権太夫

かくばかり思ふと君もしらがしの知らじな色に出でばこそあらめ

右方申云、塚柏恐ろし。
左方申云、樫も同事か。
判云、苔むす塚にかへふりてといへる、何事にか侍らん。若しこれは史記といふ文、晋文公が私の妻に別るとて、我を待たん事廿五年までに帰らずば、その時嫁せよと申しければ、妻わらひて、廿五年のころほひには我が塚の上に柏生ひなんといひたる事をこそ見侍りしか。若しその事を思へるにやあらん。右の白樫は、ただ知らじな色に出でばこそあらめといはんとてに侍るべし。但柏樫共に不甘心か。持とすべくや。

九番

左持  兼宗朝臣

何とかく結ぼヽるらん君はよもあはれとだにもいはしろの松

右   信定

人恋ふる宿の桜に風吹けば花も涙になりにけるかな

右方申云、左歌、無難之由申す。
左方申云、花も涙に如何。
判云、左歌、君はよもといひ置きて、あはれとだにもいはしろの松、優にはべるべし。右歌、花も涙にといへる、人恋ふる宿の桜に風さへ吹ければ、涙にくらされて花もひとつに別ざるにや。両方勝劣不分明、猶持とや申すべからん。

十番

左 勝   季経卿

うかりけるわが深山木の契かなつらぬる枝もありとこそ聞け

右     経家卿

涙にはうき深山木も朽ちぬべしおきの小島のひさしならねど

左右共申無難之由。
判云、両方の深山木雖無勝劣、右のひさしならねどといへるよりは、つらなる枝もありとこそ聞け、左、少しまさると申すべき。

十一番

左    有家朝臣

山深み種ある岩に生ふる松の根よりも固き恋や何なる

右勝   寂蓮

契りきなまだ忘れずよ初瀬川ふる川野辺のふたもとの杉

左右共無指難之由申す。
判云、種ある岩に生ふる松は、奥山などにも自らさる松も侍りぬべけれど、常は海辺あら磯などの岩にこそさ様に根固げなる松侍る事なれ。山の松はただやすく土に生ひてのみぞ侍るかし。初瀬川の杉はまだ忘れずよかはらやのいはんずるにやと覚え侍れど、契りきなといへるも、かたみに袖を濡らしつつなどふる事ども覚えてよろしく侍るにや。以右為勝。

十二番 

左持    女房

思ひかねうちぬる宵もありなまし吹きだにすさめ庭の松風

右     家隆

思ひかねながむれば又夕日さす軒端の岡の松も恨めし

同前。
判云、吹きだにすさめといひ、右、軒端の岡のなどいへる、彼のうちぬる中に行き通ふといひ、さすや岡辺の松の葉のなどいへる歌と覚えて両方共に優に聞え侍り。持とすべくや。

以上、岩波文庫の六百番歌合(峯岸義秋校訂)より引用。

最後にある女房とは、歌合の主催の藤原良経。

そういや、こないだ「おもひかねつも夜の帯引」という「冬の日」第三歌仙名残裏短句をひょいと思い出してしまったのですが、あれはここらあたりにつながってましたね。おもひかねる、という恋の詞があったのか。「夜の帯引」は、ここから先は入ってくるなよという、男女のけじめをつけるため夜の床にひく帯らしいです。「にや」という強調語、八女の方言で語尾に使われていますけど、古語だったんですねえもともと。
  

« ゆきの朝 | トップページ | 政権交代と医療(81) 乙四郎元官僚語録 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小侍従の歌合の歌ー『筑後将士軍談』 4 :

« ゆきの朝 | トップページ | 政権交代と医療(81) 乙四郎元官僚語録 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29