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2009年11月26日 (木)

邪馬台国畿内説と九州説その他ごちゃごちゃ談義

コメント

今朝はすごい濃霧でしたね!

古代博>>はい。 たしかに地味ですね。
タダ券をゲットしたので行ったのかもしれません。
たしかに、タイトルに踊らされるというのはいい方法かも☆
この世界は興味があればこそのことで、掘り出されたものにロマンと空想を駆使しないと面白さはありません。
卑弥呼>>専門家は畿内説が有利とのことですが、熱心さは九州説指示には敵わないようですよ。
九州説のみなさん、ここはしっかり頑張りましょう♪♪♪
畿内説に断定されることになったら(まず断定はしないと思うけど)九州で最初に都を作って東に上って行ったってことに☆彡

↑追伸
タダ券で行ったけど、結果はとても良かったのよ。
行ってよかったと思いました。
まだの方、ロマンを見つけに行かれてください。29日まで(^_-)-☆
☆本物の石人をごらんあれ☆静かで密やかな目を☆

そうでしたか。そんなら石人の目をみにいくぞ!!
ほんものの石人はみたことない。八女人なのに。
東京の国立博物館にあるってきいたけど。
日曜、むすめが休みだからいっしょにいくって。ひさびさの娘孝行。ほんとは電車が速いと思うのですが、娘のお玄関口までお迎えにいく羽目に。とほほ。
日曜が最終日・・多いかも。

 エメさん、邪馬台国東遷説は、意外と有力な説なのですよ。ところで、30年以上前にSF作家豊田有恒の「邪馬台国を見つけよう」という本を読みました。福岡の山門郡に行って旅館に泊まったら大歓迎されて、ぜひ邪馬台国山門説が正しいように書いて下さいと頼まれ、「邪馬台」という地酒まで振る舞われたとか。一方、大和地方では、ここらへんにはいっぱい古代の遺跡があるけんね、1つぐらい九州に譲ってやってもええよ、という余裕の態度だったらしい。一時は吉野ヶ里の発掘で北九州説が有力になったけど、今は畿内説が有力になって、でも結局はわからんでしょう。一番良いのは奈良の箸墓古墳を発掘調査することだが、これは宮内庁が許してくれない。この役所が日本の古代史研究にとっては癌のような存在である。でも今の天皇はいい人だから、直訴したら何とかならんかな。
 ま、それはそれとして、かささぎさん、今回はno problem、ケンチャナヨ、没問題(メイ・ウェンティ)ですが、メールを引用する時は一応前もってお知らせ下さい。石人、25年ぐらい前に岩戸山古墳と石人山古墳を見に行った時は、そのままそこに展示してあったけど、今はもう見れないのでしょうか?そういや岩戸山古墳の近く=福島高校の近くで免許証落として、それを拾った人がわざわざ東京に送ってくれてと、そんな出来事も思い出した。

 追伸、高速バスのせいか、昨朝顔洗おうとして、いきなりギックリ腰もどきになりました。それこそ整骨院に行けたら、という状態だったけど、今日はだいぶんましに。昨夕帰る時には自転車にも乗れたし。ホントのギックリ腰になったことのあるうちのヨメに言わせれば、そんなのはただの腰痛たい、ギックリ腰だったら階段昇ったりもできん、と言うことだった。しかし、座った状態から立つ時にはまだ傷みがあり、さすがにランニングは数日お休み。

夜分遅くに失礼します。
それはエコノミークラス症候群というものでしょう。
何時間かかるのですか、東京から久留米までバスですと。
今日もぎっくり腰のかたが何人かみえましたが、先生はたのしそうにいたがらせつつなおしていかれます。患者さんもたのしそうにいたがりながらなおされていかれます。この両者のこころがひとつになって医療の世界はまわってるのだなあ。とかささぎはおもいます。なーんてね。
ところで、メールを引用するときは。はい。さようでございますね。だけどいやなこったい。これからも断りもなく引用し、おわびが事後報告になることでしょう。いな、それさえしない場合もあるかもしれません。ですが、まあこんなやつですのできれいさっぱりとおあきらめくだすって、これからもしゃぁねえやつだとあきれつつあいそつかしつつ、お付き合いくださいますように。

今日帰ったら、如水庵からお歳暮パンフレットが届いていた。
とよのかいちごにこだわる理由というのが書かれていたので、ちらりと読んでみました。
かささぎの家ではむかしとよのかいちごをつくっていました。
長いこと。あまおうにかわるまではとよのかでした。
で、如水庵がいちご大福にとよのかを指定する理由。
すっぱさがあるから。というのです。あまおうではあますぎる。と。
なるほど、そうか。でも、あまおうでさえ、かささぎの味覚ですと、求肥に白餡とともに食せばすっぱいと感じます。八女のお菓子やさんのですけど、あまおうミルク大福というのがあって、それはあまおう。それもとってもおいしい。ところが、如水庵のコラムを読んでいると、あそこが元祖みたいなことが書いてあって、なんだかおかしくなりました。白餡じゃなきゃいちごに合わないですし、ね。
味覚ってデリケートですよね。
博多の和菓子やさんが如水庵。くるめのゆめタウンにもあります。
一方、隆勝堂は八女の和菓子やさんで、蹴洞(けほぎ)というヒット作がロングセラーであります。黄身餡にクッキー生地の皮、その上にくるみがのっかってる。このくるみの使い方がものすごく上手なんだ。甘みとしぶみがマッチしていて。かささぎ的にはまんじゅう類のなかでは一番すきですね、けほぎ。
ところで、大きさってのは意外と大事で、隆勝堂のいちご大福はかなりおおきいのでやぼっちい。如水庵のはちいさい。ちいさいほうが上品で都会的なんだけど、これはおおきいほうがいい。
いろいろむずかしいことを書きました。
今日どこかでいちごハウスの蜂が殺されたというむごいニュースを読んだからです。
いちご農家のみなさま、これからシーズンにはいります。おからだをお大事に、はちもおだいじに。

ろいりーさん。数年前、内田康夫さんの推理小説で「箸墓古墳」が舞台になりまして、それ以来、その実在する箸墓古墳が気になって気になってしかたないのです。新聞に出れば新聞を、テレビにでればテレビを食い入るように観ています。
九州もんの癖にわたしが機内説支持派なのはこの「箸墓古墳」の存在のせいであります。宮内庁が発掘させてくれないゆえに「ロマン」が秘蔵されていて、ますますこの古墳への思いがふくらむ。奈良に行きてえ。この箸墓古墳を見るだけのために行きてえよ~。その思いが募る日々であります。

ところで。25年前にろいりーさんが見たとおっしゃる広川の古墳群は、古墳公園として整備されています。ですが、石人山古墳の家型石棺は外から鉄格子ごしに観ることができまっせ。ただ弘化谷古墳の壁画は保護のために日ごろは非公開となってます。年に2回一般公開されてます。ご参考までに。
もし、この古墳を見にこられるようなことがあれば、ひとことお声かけくだされ。歩いて五分のところにすんでますから。笑

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コメント

こんにちは。ちょっとブレイクがてら横から少し。。

私は卑弥呼(何か違う名前・・)なる人物と国は九州だと。。
倭は連合国(協議制みたいな総称)、卑弥呼はその長で強力な呪術師でもあり(古代シュメール→環太平洋に散らばる南方海人族系一族→後に後裔が熊襲とか物部氏の一部氏族と融合して土蜘蛛とか称される)物部氏(シュメール→大陸半島系で元々九州で天皇の大本)に滅されます。※卑弥呼は謀略で殺される
そのすぐ後に形成する大物国の出雲(シュメール→ヒッタイト分派→半島経由)も謀略で滅ぼされ(おおくにぬし殺される)物部氏が畿内(飛鳥)に統一王朝持ってくる反発防ぐ象徴として卑弥呼の後継者(呪術師)トヨか?を畿内に連れてくる。
その後独裁独善的な思想国家を危険視した蘇我氏(シュメール→ユダヤ分派→中華大陸経由)が物部氏を滅ぼし国の基盤を制定、が基礎が出来た段階でその配下であった中臣(藤原)氏(半島系で元は物部の配下氏族)が横取りで滅ぼす。
このあとからは大体史実でご存知でしょう。

謎の全ての鍵は物部氏です。

落ち:
証拠ですか??ありません。全て感覚。(笑
失礼しました。 <_(__ _)_>

ろいりさんお疲れ様です。 腰痛はもう大丈夫ですか?
まだこちらでしたら、かささぎ整骨院に行かれるといいですね。
東遷都説があったのですか? そうですか^^
天皇家はこちら出発からされたましからね♪
うたまるさん、卑弥呼は天皇系とかの説はありますか?なんとなく☆
シュメール文明>>惑星ニビルが浮かびます。
宇宙から地球に降りた人たち☆
ほんまに空想とは楽しいものですよね

↑訂正・こちらから出発されましたからね(あわてて・・

私がこそっと大宰府に行って九州博物館に立ち寄ったのをみられたばいね。
古代博を確かにやっていました。

母の法事とおばの見舞い以外どこにも行きたくなかったのに、帰りに二日市に途中下車して大宰府へ足が向きました。
ここの皆さんにおびき寄せられた。

うたまるさんとえめさんはどこか似た感性の通路みたいなものがありますね。
うたまるさんが黒木のグリーンピアのロビーで帰りぎわにみせてくださった史料のなかに、えめさんの本名とまったく同じなまえがありましたね。古い系図のなかに。あれはなにだったんだろうか。きになっている。
うたまるさんをすこししかしりませんが、かなりへんなひとですよね。そうでしたか、九州説ですか。笑
きのう、書棚にとりみきの石神伝説を探したけど2と3巻しかなかった。一巻だった八女の古墳がでていて、現地取材したんだな。とわかる描きかただったから、今それをたしかめようとおもったんです。
どっちの古墳をかいていたんだったかと。柵があったように記憶。

さくらさんまでが行かれたとは。
やはりいかずばなるまいて。笑

 seikoはん、内田康夫の「箸墓古墳」を舞台にした推理小説、題名教えて下さい。この人の作品は「鞆の浦殺人事件」しか読んだことがないけど。最近、埋め立て問題とか、「崖の上のポニョ」関係で話題になった鞆の浦は、15年ぐらい前に行ったことあります。小説読んだからではなく、江戸時代の朝鮮通信使に関係が深く、彼らをして「日東第一形勝」と言わしめた所、こりゃあ、どう考えても景観を破壊すべきではないでしょう。ちなみに榎木孝明が浅見光彦役をやってる時、よく似ていると言われました~もっとも、同じような帽子被って髪が薄いのを誤魔化していたからでもあるが。ああ、その通り、あげんよか男じゃなかたい。
 うたまるさんのビックリ古代史について。歴史学的、かつ現代語的に言うと、中臣・物部が民族派で蘇我・厩戸皇子=聖徳太子が国際派だと思うのですが。そして国際派が勝利し、朝鮮系渡来人によって新しい国作りが…とも簡単にはいかず、紆余曲折、これは長くなるのでまたの機会に。

ろいりーさん。内田康夫さんの作品はデビュー作品「死者の木霊」がいちばんよかった。あとは似たり寄ったりで、すでに食指が動きません。くれぐれも言うときますが、歴史の先生が読むような作品ではなかです。でも、いちおう教えちゃるたい。笑
確か「箸墓伝説」というタイトルでした。上下巻あってけっこう長い。
ゴールドハンド?でしたっけ。ゴッドハンドでしたっけ?ほら、あったじゃないですか。発掘現場の捏造事件。全国的に有名な発掘調査の学芸員さんが自分で埋めていかにも自分が発見した、みたいな事件を起こしたことが。それも、歴史の教科書を塗り替えるようなぶったまげた事件を起こしたことが。あれが下敷きになってます。
で、言うまでもないことですが、ろいりーさん、あくまでも娯楽書としてお読みくださいね。

失礼。
内田康夫ファンのために補足いたします。
他の作品は似たり寄ったりで食指は動かないといいつつ、わたしはたぶん内田さんの全作品を読んでいると思います。

爆笑。いいおちだよ。

さて、ろいりーさんの容姿について。
榎本孝明に似ているといえば似ている。ろいりさんはぎょろめでほりのふかいかおをされていますから。かささぎのようにはにわ顔ではありません。
写真がこのブログ内にあります。あれはいい写真でした。ぼんのご主人も男前ですが、かささぎがアップした写真はろいりー仕様になっていて、彦山は横向きになってます。彦山ごめんなさい。
ほかに竹橋乙四郎と中山そらんを撮った写真もございます。これもとってもいい写真です。乙四郎ファンの方々、どうぞごらんくださんし。また、そらんファンのかたがた、どうにかしてさがしだしてごらんくださんし。二人とも実物より数段よく写っています。あのときはまだ若かったよね。まだ一年しかたっていないのか。ときはまってくれないね。どんどん日がおちる。
スナップ写真ていいなあ。
あと、かささぎは函館の杉作先生を写しにいきたいのですが、まだ北海道まで出向くことができません。できればあちらからこちらへおでかけ願いたいのでごぜえやすが、最近は何か手術もなさったご様子で、とても忙しそうです。遠巻きにみているだけです。
福岡の東のほうのばどさんも最近は生きているのか死んでござるのかわかりません。縁があればまた連句につきあってくださることもあるでしょう。
いつか調うたまるさんを撮らねば。この人はとっても温顔です。どこか東妙寺らんの顔とにているのです。姉弟みたいに似てる。
それと丸山一族の丸山消去も撮りたい。この人はしぶい。こないだの高校時代のマフラー歌をよんだときにそれを感じた。だれに対してよんだ歌なんだ。かれがそもそも高校時代にだれかとつきあっていたかどうか、そういうことを何も知らないかささぎであった。一番遅いスクールバスで学校へいき、一番早いバスで家に帰る生徒だったので、男子と話したことがほとんどなかった。なさけねえ。
ということで。
音彦さんはもういいですからね。ぱす。お仕事がんばってください。笑(はくじょう)


 「まぼろしの邪馬台国」「邪馬台国は沈んだ」「邪馬台国は沈まず」「邪馬台国はなかった」etc.~いずれも今から30~40年前に出された本です。その他、邪馬台国インドネシア説、ハワイ説など、とんでもないのも数知れず。「邪馬台国の秘密」、これは高木彬光の推理小説ながら、マジに邪馬台国=宇佐説を主張している。宮﨑康平氏みたいに、強引に地元に邪馬台国を持ってくる人が結構多い。だからくれぐれも邪馬台国久留米説とか八女説はやめときましょう~、あ、これ駄洒落じゃありません。
 江戸時代~戦時中までは、邪馬台国=九州説は皇国史観的な方々が主張していたが、40年ぐらい前からは、むしろ邪馬台国=畿内説のほうが神話を史実化する説だという批判もあったりして、なんだかようわかりまへんわ。
 ところで「箸墓」という名の由来は御存じでしょうか?こりゃ、淑女の皆様方の前では、言えねえ言えねえ。

どこにレイディがいようか 安心して大声でどうぞ
先ほど 乙四郎という人が 完全日食があったのは九州だから九州説が正しい と言ってました
もっともな理由のように思えました

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