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2009年11月11日 (水)

「本覚院は筑後国を檀家とする由来」     貞享版黒木物語より

本覚院は筑後国を檀家とする由来

高野山本覚院は、後鳥羽院建久年中(1190~1198)今を去ること七百年以前、釈行空上人(しゃくぎょうくうしょうにん)待宵小侍従の請によって登山し弘仁年中(810~824) 弘法大師六地蔵を彫剋(彫刻)して、高野山内相応の地に安置せられたる其の隋一は、千手院谷光明院という一伽藍、今の本覚院境内あり。上人ここに宿して読経するに地蔵菩薩出現して告て曰く、汝此に住せよと、此尊像今尚厳然(厳は人偏の厳)たり依て創草する処なり忠義を竭(つく)すに至る。

待宵は改心して外には慈善の人となり内には真言の行者となる。
いわゆる煩悩即菩提の器となり、自性清浄を得て妙法蓮華の不染心を開発(かいほつ)し、佛は弥陀観音の類、神は八幡等悉地を証す。ただし法号本覚院伝如真尼(にょしんに)と称す。

竟(ここ)に講坊及十二坊の鎮守を八幡大菩薩と祀り毎年待宵(八月十四日)を以て祭典す。佛教の功徳、上人は戦はずして黒木城を降伏せし後は、君臣ともに徳に靡(なび)くに至れり。-中略ー

侍従の懇請すること(ことの字は古のしたに又の一字)数回に及ぶ。毎に法華経を講じて四点の妙果を説き秘蔵の奥旨を演(の)べて三昧を示し具(つぶさに)加持して災障を攘(はら
)ひ且(かつ)は回向して得脱(とくげ)せしめ、且は戒品(かいぼん)を唱へて改善せしめ、傾到する郷(さと)が家に幸福を与へ持久に耐(たえ)しむ。

随(したが)って星野右衛門尉(うえもんのじょう) 草野 川嵜(崎)の諸家を初め国中ふるって法益を得ること久し。最終の行化文永年中(1265)星野村にて年九十才口中より光明を放ち仏舎利を吐(はき)て掩化(えんか=死亡)せらる。因(よっ)て廟所を構ふ。其地字(あざ)を黒木谷の高野の上と云(いう)。大石塔に講坊開基行空上人とあり石柵を回(めぐ)らし非凡なるを知るに足れり。

黒木大蔵太夫、 待宵小侍従の事は、 八女郡、元、上妻郡黒木町に城あり居住せられ、奏楽に秀でられ京師に上り宮中に仕(つかう)ること三年、笛を相する毎に帝(みかど)賞感せられ、竟(つい)に待宵小侍従を賜ふ。-中略ー

蓋(けだ)し宮中を出て筑後国黒木の城に妾(しょう)たり。
前閨(ぜんけい・まえのつま)嫉妬を生じ内房紊(みだ)れて睦(むつま)じからず。終に前閨は、城辺の川の渕に身を投じて死せり。しかしてより城中変災多く起り家臣も治(おさま)らず。天政城を傾くに至る。小侍従一子を産むに牛たり、哀殺して葬る。ほういつ(女偏に宝+逸=放逸)の難ここに及ぶ時、行空上人の遍歴を聞き直に召請し事情を縷陳(るちん)して済度(さいど)を願ふ。上人応請(おうしょう)して宿世の因縁輪廻、去現世(きょげんぜ)の業報ー極善極悪中有なき理由ー遁れ難きを説示す。大蔵太夫ならびに小侍従等おおいに懺悔し篤く帰依す。ここに於て業障消滅家運長久のため、資財を擲(なげう)ち上人に依頼して高野山に講坊ー元禄年中に小侍従の法号により本覚院と改称せりーを建立し次で十二坊を建て諸の修行者を供養(ようの字はみたこともなき字)し、聴講に資するを待宵の十二坊と云。さきに殺したる生子は胎蔵界外金剛部牛の宮を引証(しんしょう)して崇敬し郷邑(むら)の氏神とす。前閨(前室)の怨霊は秘法供養に遭ふて徳脱し只一門の為ならず、国中の菩提を修し止道(しどう)を興隆し、城主は勿論国中の宿坊に便す。
斯の如き功績空(むな)しからず、既に瓦解に属する家臣も還って、文武を振起し民とともに城を護り。

行空上人は元来天台宗の人なりしが、真言門に入り秘蔵の奥旨を極めらるるといえども尚法華行者にして一生涯に法華経を誦(しょう)ずること、参拾有余万反(三十有余万遍)という。諸国に行化し何(いず)れの処にも二夜を重ねず、故に世に一宿上人と号(なづ)くる名僧なり。最も上人号は自称にあらず。朝廷之を授く、行状は元亨釈書(げんこうしゃくしょ)に出(いで)たり。今此に略す。たまたま筑後国に赴くとき、たちまち名四方にとどろきわたりて請する者多き中に、黒木太夫ならびに待宵小・・・ここで一度中断か。つぎの部分に繋がらない(姫野・注)・・・
本覚院の如きは檀縁の事往古は筑後一国なりしが、中古武家割拠する毎に更る代る自家所縁なる寺院などへ領地者を檀縁に付られ近代は生葉郡星野村上妻郡川瀬組、福島組、諸松組忠見組の四触下を付けながらあわせて黒木、星野、川崎、草野等の末裔家臣共々郡に散在する亜縁故変更せず。今世上を推すに明治の世には領主領地の縁も離れたれば復旧して一国皆本覚院に帰着すべきものなり何ぞ妨げなかるべし。

      第三十六世  尭運述

この一文を読んだだけでも、五木寛之の親鸞に出てきた行空上人の姿・・・夢枕獏や栗本薫の小説に出てきそうな悪役・・・とはずいぶん違う人のすがたがうかびます。
第36世とは、たぶん高野山講坊のお坊様の事だと思う。
星野村の黒木谷にある高野堂、行空上人の墓に添えられていた星野村教育委員会の説明板にあった一番あたらしいそこからの使者の訪れでは、第何世だったでしょうか。のちほど拙ブログの写真をつけます。興味あるかたはご確認ください。

かささぎは、れぎおんに書く「連句的」のためにこれを読まねばならず、ただ読むだけというのももったいなかったので、打ち込んだ次第。

出典『貞享版黒木物語』(和田重雄著)

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コメント

ちょいとちょいと。
「第三十六世  尭運述」
これはどういういみだろうね。
高野山講坊38世のお坊様が昭和59年3月に行空の752回法要にみえたと碑にありましたので、その三代前のお坊様なんだろうね。きよううん=ぎょううん、が書いた、という意味での尭運述とおもうけど。
戦国百首の源鑑述もそういうのがあるだろうか。

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