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2009年11月25日 (水)

八女福島のからくり人形と犬山祭りのからくり人形との接点

先日三潴図書館から借りてきたdvdの「日本の祭り」に犬山祭りという犬山城下の祭りが入っていました。からくり人形が福島の灯篭人形にそっくりでした。と、この言い方はおかしいです、私の地方の人形があちらの祭りの人形ににている、といわねばなりません。八女地方にも江戸時代から始まったとされるからくり人形がありまして、それは秋のあかりとちゃっぽんぽん祭りで興行されます。
八女福島のまつりはささやかな祭りですが、犬山祭りはキリンビールのコマーシャルにも撮られるほど賑やかな盛大な祭りです。(といっても、かささぎはこのdvdをみるまで知りませんでした、はずかしながら。)

ことし10月17日の中島くらのすけ翁〔八女地方を流れる星野川の治水のため人柱となられた庄屋さんの名前〕の感謝祭で、その直系子孫のかたからお話を伺い、中島一族は岐阜の中島豊後守とつながっていくことをおしえてもらいました。
でもかささぎはそれを聞いてもへえと思うばかりで、なにも感慨なく単なる知識として聞いていたのですが、二人日和といっしょに借りてきたお祭りのdvdのなかで偶然みた犬山祭りの場面に大河を二つみて、あっとおもいだしました。

長男が一昨年行っていた土地。
岐阜羽島(ぎふはしま)からその地へいくのに、大きな川を二本越えました。
あとで調べたら木曽川、長良川でした。
治水の苦労は身をもってしっていた・・・とおっしゃる理由がここでやっとみえた気がします。
大阪夏の陣で敗れて落ちてきた武士が八女にも住み着き、そこで生活をした。

ふたつのまつりが連句的にひびきあうのは、そんな古い時代の遺伝子みたいなものがつながっているからなのでしょうか。(それとも全国にこのようなからくり人形の祭りはたくさんあるのでしょうか。)

犬山祭り:http://japanfestival.web.fc2.com/8/inuyama/inuyama.html
動画:http://www.youtube.com/watch?v=1iU7zdU6J3c

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コメント

犬山のようなからくり人形を乗せた山車の祭りは現在でも愛知県と岐阜県にたくさんあります。山車の形はそれぞれ違いますが、からくり人形の形態や操作の仕方はほぼ同じです。岐阜羽島の近くの竹鼻という所にもそんな山車を曳き回す祭りがあります。関東や東北にあるという話は今まで聞いたことがありません。

八女福島のからくり人形は初めて知りました。どのようなものか一度観てみたいですね。九州にもそのようなからくり人形の祭りは他にあるのでしょうか?

ようこそいらっしゃいました。
どうぞ来年はおいでください。祭りの日は秋、数日あります。詳しいご案内はかささぎにはできませんが、いずれ調べてまいります。いらっしゃる場合は、ビジネスホテルもございますし、ほかにもいろいろ見るべきところがございますので、かささぎツアーかなんかをブログでいつか組んでみたいなあとおもっているところでした。冗談ですが。笑
と、そのまえにもう一度「日本のまつり」東海編(岐阜静岡愛知三重)をみて、確認します。なにしろぼけえと見てたので。犬山祭りははじめから二番目にでましたが、ユーチューブの紹介と少し違うものがあったとおもう。それ、確認します。
それと。
かささぎのひとりごとです。
十五年ほど前田圭衛子先生のところのれぎおんで俳諧を学んでいまして、いつのれぎおんで読んだか、本屋良子さんとおっしゃる美濃派の俳諧師のかたが書かれていた文章でこの祭りを読んでいたようにばくぜんと記憶します。この人形からくりの祭り。あっ、ここにもあったんだ。とそのときには思っただけで、深くは追求しませんでした。
その後、自分で暦論という随想を「九州俳句」という俳句誌に連載していた五~六年前、高良山に芭蕉をまつる神霊社があることを知りました。といいましても小さな小さな祠ですが。
それを追いかける過程で、芭蕉はこの地へはこれなかったけど、弟子である俳人が二人来ていることを知った。においづけまでいれればもっと多く。来た俳人の一人に美濃派の元祖、かがみしこうがいます。
各務支考。久留米、柳川、へ来ているし、句を詠んでもいる。
ああ、そうだ、さっき、書いた芭蕉をおいかける過程で、というのは、実はそうじゃなく、八女戦国百首和歌をおいかける過程で、というのが正しいかもしれません。どっちもです。美濃守、と書かれていましたので、さばき役の源鑑述さんには。だから美濃を追いかけていた。
八女の本では八女のあかりとちゃっぽんぽん祭りのからくり人形は江戸なかばじゃなかったかと思います、福島の庄屋の倅だった松延貫嵐が職をなげうち大坂へ出奔、そこで人形浄瑠璃にとりつかれて台本かきとして成功し、晩年に故郷へ帰ってきて広めた・・・というようなことだったとおもいます。ですが、犬山祭りをしってしまった今、ほんとうはもっとさかのぼるのかもしれない。とおもいはじめました。「犬山」という地名が八女にはあることも今おもいだしましたし。関係ないかもしれませんが。
もっと詳しく知りたいものです。つながっているのかもしれません。
この社団法人地域伝統芸能活用センターの「日本のまつり」東海編のdvd一本のなかにはまつりが13収められていますが、人形からくりは犬山祭りだけです。すごく立派な人形と装置でした。八女の者は、必見です。また、まつりの車山(やま)をかく場面が、麒麟麦酒のコマーシャルにつかわれ、イチローが出てるのを動画でみました。

「九州にもそのようなからくり人形の祭りは他にあるのでしょうか?」
かささぎの知っているのは、ここだけですが。
どなたかご存知のかたがあれば、お教えください。

もう一度みてみました。祭りの車山にからくり人形がついていますが、宵になると提灯にろうそくのあかりがともされて、365個の提灯が山の上でゆれます。ときには火がついて燃え上がる提灯もある。どこの提灯祭りも電球になる中、ここはかたくなにろうそくの火を守り続けているとのこと。
365個の火!ということは、提灯一個は一日の太陽の暗喩ですね。戦国百首和歌の24人の連衆は天文24年の一年ごとの太陽の暗喩だったのだと思いたい。一世紀くらいしか離れていません。ずっとむかしはたいまつだったのかもしれない。八女も提灯の産地です。たぶん岐阜につぐんじゃないかな。
また、こういうことも出てきました。
金色のきものを着たこども(男児ばかり)を肩車して大人のおとこたちが車山につれてゆきます。そのとき、決して地に足をつかせないという決まりがある。こどもたちはやまの上に飾られる。(まつりに出演する)。
二年前だったと記憶するのですが、一度だけ祭り行列の警固をしたことがあります。わずか三時間半の仕事でしたが、二キロ近くの道を練り歩くんです、稚児風流の一連隊が。水田天満宮のお祭りでした。ブログ内を探せばあります、仕事中最後尾にいたからできたことですが。名前にはりつけ。五枚かそこらあります。ごらん下されば解りますが、稚児はみな、男児です。それも十歳以下、が多い。例外的に十一歳の子もいましたが。

名古屋弁と八女弁に共通の語尾があります。
にゃあという。ねこ族だったのかもしれません。

からくり人形とはちょっと違いますが、八女郡黒木町にいわゆる人形浄瑠璃というのがございます。たしか町の重要文化財指定であったと記憶しています。後継者育成ということで、地域の若者に継承するとりくみが行なわれていると聞きました。蛇足ながら、黒木町の文化財担当はオーシマ君というよかオトコです。

http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=69-1

あ、ごめんなさい。
県指定重要無形民俗文化財だそうです。

みてみました。ありがとう。例の鰐八のですね。
黒木の山奥のそのまた奥の・・というところでした。今年よばれたようにして行った六地蔵、その道中にありました、この建物がひっそりと。
なにかドラマがあるのではなかったですか。
もう放映されたのでしょうか?

かささぎ様、seiko様、とても興味深い話をありがとうございます。

ユーチューブで八女の燈籠人形を観ました。なるほど、動きなどは東海地方のからくり人形によく似ていますね。

九州は八女にしかからくり人形が無いとしたら、それがどのようにして発展したのか、遠く離れた愛知や岐阜とはたして繋がりがあるのかどうか、その辺を詳しく調べてみたいような気持ちになります。

九州は一度も訪れたことがありませんが、将来行く機会があれば是非八女に足を運ぼうと思います。

各務支考が久留米、柳川を訪ねたことがあるとは初めて知りました。因みに、尾張(愛知)地方のからくり人形山車を奨励し広めたのは芭蕉や支考が活躍していた頃の尾張徳川家の殿様です。そして、そのからくり人形を作ったのは大阪の浄瑠璃人形を作った人たちでした。

八女も提灯の産地ということは支考の出身地の岐阜と共通なものがありますね。

かささぎ様のおっしゃるように犬山では山車に乗って太鼓を叩くのは稚児の役目ですが、最近は少子化ということで女の子も許されています。

>名古屋弁と八女弁に共通の語尾があります。にゃあという。

それは非常に興味深いですね。(笑)

愛知や岐阜のからくり人形がお知りになりたければ「尾張の山車まつり」というサイトが詳しいです。そのサイトの「地区別山車の詳細」というところをクリックしていただければ人形の全てをご覧になることができます。「尾張の山車まつり」で検索していただければ直ぐに判ると思います。

おはようございます。
八女燈籠人形のからくりは田中久重氏ですね。
東芝の祖、田中製造所を創立された技術者。 
で、お若い時は日本全国をからくりの興行で行脚されていたとか。
先日テレビで取り上げられていたけど、からくり人形がまことに達筆な書道をしましたね☆
公演の最終夜・千秋楽公演はすべての扉が開けられますのでほんとに見ごたえがあります。 来年はぜひ^^

 「田中久重」ちゃ、「からくり儀右衛門」のことでっしょうもん。でも、東芝と関係あるとは知らんやった。国鉄、じゃなかったJR久留米駅の前にあるからくり時計は、田中久重が作ったのを再現したっじゃなかったやろか。そう言えば昔(35年以上前?)、NHKのドラマで、田中久重の少年時代を主人公にして、久留米絣の創始者井上伝も登場する番組があった。誰か見てた人おらんでしょうか?千本杉とか五穀神社とかの地名が出てきたのも覚えとります。へ~、今調べたら、田中常民とも関係あったと。というか、井上伝の人脈のほうがもっと驚いた。久留米が生んだ近代3大画家の2人、坂本繁二郎・古賀春江や、ブリヂストンの石橋正二郎とも何か関係あるらしいが、どういう関係かようわからん。灯台もと暗し、もっと郷土史を勉強せんといかんね。

 上記の「田中常民」というのは「佐野常民」の間違いです。日本赤十字の創始者と言われる人で、数年前「その時歴史は動いた」で知った。以上、お詫びと訂正。

ろいりーさん、まいど専門的な知識をおしえてくださってありがとうございます。
井上伝ですが、こどものころバスで遠い遠い久留米まで出て行くとあちこちに「お伝せんべい」の広告がでていた、それがよめなかったんでいらいらした。
まさかおでんだったなんて。おつたとよむよね普通。
強烈ななまえ、いのうえ・でん。

その昔、静岡県の美代ちゃんと文通していて、彼女が「井上伝のことを教えてほしい」といってきたことがある。私はよく調べもせず、当時書き方の本(教科書)に載っていた井上伝の話をそのまま写して返事にしたことがある。いけない少女だったと今も悔やんでおります。

ぼんちゃん。その昔っていつの時代?
小学生高学年のことかな、中学生?
文通しました、しらない人と。はやっていた。
あたしも新潟の女の子と半年しました。小学六年生のころ。きっかけはみごとにわすれた。ペンフレンドコーナーでみたのかも。
書き方の本に井上伝。書き方って書道ではなかった。

 「お伝せんべい」、そういやそんな久留米銘菓がありましたね。あたしゃ、「塩屋の娘」のほうが好いとったばってん。井上伝のことを、小学校で「井上伝女」と習ったことも思い出した。今の久留米っ子も、井上伝のことを小学校で習いよっとやろか。「高橋お伝」と間違えてはいけません、こりゃ、明治の毒婦と呼ばれた人で…あと省略。

その昔は小6からです。結婚してからもしばらくしましたが、あちらから「再開しましょう」と言ってきた割には返事が少なく、いつの間にか立ち消えになっています。

追伸
書き方は「書写」です。私たちの頃は「書写」の時間が週一回、1時間ありませんでしたか?

ペンパルとも言ってましたよね。
私も小6と中2にやってました。
小6女の子は滋賀県の人で、冬はスキーが出来ると聞いてあこがれました。
親戚の人がブラジルにいるとかで、封筒の中にコーヒー豆を入れてくれたことがありました。
あの香りは今でも忘れられません☆
中2はオーストラリアの人で、文通本をほとんど丸写しで出しました。
数通のやりとりで同級くらいと勝手に思っていたら18歳とわかって急に気持ちが醒めました(勝手でしょう@@)
でも外国の切手やエアメールの封筒などに満足してました(爆)
最近でも雑誌のコーナーにあるんやろか?
情報は規制するのでないかもですね。 でも夢がある時代でしたね。

えめさん、ぼん。そういえば、今はもうやたらめったらプライバシーのどうのとうるさくってクラスの名簿さえもが不完全なものしかもらいません。
昔少女フレンドとかマーガレットとか女学生の友、りぼん、セブンティーンなどなどに実名と住所がのっていたことが牧歌的に思い返されますね。

さっき、それに関連したことで、見知らぬかたから突然のお電話をいただきました。ブログ記事のことで、ある人物のことを知りたいとおっしゃるのですが。さて、どうしたものでしょうか。
いちばん楽な方法としては、ブログ本文から直接、たずねびとに呼びかける。でも、それはできないだろう。うーん。どうしたら。

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