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2009年11月12日 (木)

行空からの案内状

行空からの案内状

行きあいの空に木枯らしが吹き、ここ数日で柿の葉がずいぶん落ちてしまいました。
きのう朝に黒木物語の一部を打ち込んで、仕事にでかけ帰宅すると、郵便受けに星野村役場からの書状が入っていました。案内状でした。星野黒木谷の農道が完成したことのお祝いです。

写真を探し出しましたので、このすぐ前の記事とあわせてごらんください。

「行空の碑」:

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-75f4.html

一部抄出:
「昭和五十九年三月十一日本覚院第三十八世住職稲葉義猛大和尚を導師
として 九州在住の本覚院法縁の住持諸徳この碑前に参じ
また村民挙げて此処に参詣し上人の第七百五十二回忌法会を
修し 上人の遺徳を追慕し菩提を祈念する」、
いしぶみが高野堂にありました。 

全く何の興味もなかったのに、突如降って湧いた先祖のえにしにより、ここへ、この行空の碑のある黒木谷へとつながれてしまったかささぎは、行けない父母のかわりにたずねてみようか。と思っているところ。村の小さな行事ですから、おそらく部外者(部外者といういいかたも変なれど)で招かれるのはかささぎくらいでありましょう。師走の平日の午前です。かささぎの仕事は午後からですので、都合がいいのです。何も行空の話は出ないかもしれませんが、雰囲気をつかむだけでいいので行きたい。山の人にふれたい。

きのう引用した黒木物語の中から、かささぎにとっては五木寛之の『親鸞』などよりはるかに胸をえぐられた一部分を引いておきます。

小侍従一子を産むに牛たり、哀殺して葬る。
ほういつ(女偏に宝+逸=放逸)の難ここに及ぶ時、行空上人の遍歴を聞き直に召請し事情を縷陳(るちん)して済度(さいど)を願ふ。上人応請(おうしょう)して宿世の因縁輪廻、去現世(きょげんぜ)の業報ー極善極悪中有なき理由ー遁れ難きを説示す。大蔵太夫ならびに小侍従等おおいに懺悔し篤く帰依す。
ここに於て業障消滅家運長久のため、資財を擲(なげう)ち上人に依頼して高野山に講坊ー元禄年中に小侍従の法号により本覚院と改称せりーを建立し次で十二坊を建て諸の修行者を供養(ようの字はみたこともなき字)し、聴講に資するを待宵の十二坊と云。
さきに殺したる生子は胎蔵界外金剛部牛の宮を引証(しんしょう)して崇敬し郷邑(むら)の氏神とす。前閨(前室)の怨霊は秘法供養に遭ふて徳脱し只一門の為ならず、国中の菩提を修し止道(しどう)を興隆し、城主は勿論国中の宿坊に便す。
斯の如き功績空(むな)しからず、既に瓦解に属する家臣も還って、文武を振起し民とともに城を護り。

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コメント

本文とはまったく関係のないハナシでごめんなさいまし。
ね。この写真にうつってる紫色の物体の所有者はだれ?というより、これを日常的に使ってるのはだれ?小さい息子?わたしがつかってるものとおなじ。これ、高いのよ。病院での診察代より、薬局で支払うこの薬代が高い。無収入の身にはこたえるが、常備しておかないと困るし・・。とつじょ、親しみを感じたのであります、これを使ってる御仁に。使ってるであろう小っちゃい息子に。笑

せーこ。では仁一族のなかまですね。笑
ちびた、でかお、そのチチ、そしてムスメ、すべてこのお世話。今日なんか出ているだろうなあ。
紫だったりオレンジだったりしますが、あれは製造社がちがうのかな。たかいね。いっぺんにまとめてたくさんもらってきてよ。と兄にいうのですが(おかねはらうのは兄なので、笑)うそはいえない。というのだ。ゆうずうきかんやつ。

本日いってまいりました。
星野黒木谷の農道落慶式。神式です。
玉露畑のまんなかで、神主、村の衆、それから県の建設課のえらいひとたち、星野村の建設課のえらい人たち、(村長さんは上京しておられませんでした)二十数人打ちそろっておごそかに御式がとりおこなわれました。かささぎもおまけのようにかたしてもらいました。
一通りおわって、高野堂にのぼり、村議さんのお話をきいていましたら、高野山の講坊のお坊様(いなばなんとかおっしゃいます)は時々しか見えないらしいのですが、篠栗の南蔵院の林かくげん住職が年に一回みえるとのことです。
もともと南蔵院は高野山の講坊のとなりにあったものを明治十七年に篠栗にもってきたと伺いました。廃仏棄釈のせいだそうです。
黒木谷の今現在の高野堂の位置よりもっとのぼったところ、山の中の「ねやん谷」に高野堂(行空の墓)はもともとあったのを人里近くに移動したものであるとのことでした。
村のみなさんは、伝説もばくぜんとご存知というかんじでしたが、県の職員のかたはまったくごぞんじではなかったですねえ。しかたありませんけど、もったいないはなしだなあとかささぎはおもいました。
村議員さんが最後に南蔵院は宝くじのあたるところなので、ここもその験のいいところです。あたりますよ。とおっしゃったとたん、県の職員さんがじゃそんなら。と現金にも手を合わせていかれました。
というかささぎも帰路、年末くじを買ってかえりました。

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