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2009年11月29日 (日)

筑紫は国のまほろば

都府楼跡をむすめと二人で歩き回りました。

万葉集4561首のうち筑紫を詠み称えた歌596首。

やまとは国のまほろば。とは耳にたこができるほど聞きますが。
ほんとうは筑紫が先です。(とかささぎはおもうよ)。

まほろばとは、いちばんいいところ。という意味です。

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コメント

 「都府楼」、昔は西鉄の駅の名前ぐらいちしか思いよらんやった。高1の遠足で「だざいふ」に行くと聞いた時も太宰府天満宮か遊園地ぐらいの印象しかなかったら、西鉄電車に乗って最初に降ろされたのが「都府楼前」。そこで初めて「大宰府」政庁跡と知り、それ以来歴史に興味が…というのは真っ赤な嘘。その15年後ぐらいに再度、「太宰府」ならぬ「大宰府」を見学、そして、これまた高校の頃は国鉄の駅か予備校名ぐらいにしか思っていなかった「水城」跡も見学、これはなかなか優れもんの古代防衛施設です、機会があったらぜひ一度どうぞ。できればついでに大野城も。

若き日、西鉄電車で久留米天神間を遠距離通勤してたんですが、電車の窓から水城堤を毎朝打ち眺めてました。ほかとはまったく雰囲気が違う、いわゆる「ゆゆしいかんじ」、を、純粋にうけとっていました。(ゆゆしいは、由々しい、忌忌しい、斎斎しい)。
防塁だったと知ったのはずっと後になってから。
博多側には植え込みの下に堤があったのですね。
おなじ時代なんでしょう、高良山などの神籠石も?やまとに対しての防塁だったりして、笑。

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