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2009年10月21日 (水)

諫早の歌人 草野源一郎

連句仲間の山下整子、古賀音彦両氏が所属する老舗の短歌結社「やまなみ短歌会」の会長は長崎の諫早の人だったなんて、知らなかった。西日本新聞の短歌月評(志垣澄幸氏担当)を読んでいましたら、いくつかのお歌が紹介されていました。整子、音彦両氏への敬意をこめて、ご紹介いたしたいとおもいます。かささぎにとっても、父の長姉(故人)が所属していた会、縁がございます。なお、父の次姉は佐世保です。(『伯父の戦記』の妻)。

そのまま引きます、以下は志垣氏の文章です。


歌集『余光の橋』は『本明川』につづく草野源一郎
長崎県諫早市)の第三歌集である。作者は「やまなみ」短歌会代表である。

梅雨明けて日々をかがやく蒼き天(そら)
病棟六階蝉の声なし

暑き日をいひて汗拭ふ見舞客
こゑきびきびと臥すものを圧(お)す

妹の語る世間も人々も
湧く白雲の彼方の世界

耳遠きものはベッドに耳寄せて
聞きて言ひつつあはれ妻の香

「入院」のなかの作品。病者として入院生活が長く続くと、見舞いにきた客のきびきびとした声に生活者の力強さを感じて圧倒される。また妹の語る世間の様子、その人々の生活も、病院という病者の世界にいる作者にとっては、別世界のことのように思われる。病い得た作者の細やかな心情がみごとにうたわれている。「あとがき」に「長年の宿痾(しゅくあ)による生活の場は著しく縮小され、殆どが屋内、小庭のみ、天気の好い日は住居の周囲を歩く程度・・」とあるが、それだけに一首一首の歌は細やかで深い凝視の眼があり、味わいがある。

ふたりして創(はじ)めし家にふたたびのふたり
朝夕(あさよ)を言葉少なし

静かなる海見て帰る
とこしなへと思ひし干潟わが生(よ)に滅ぶ

病める身に近々と来て水鳥は
冬のひかりを頒かちゆきたり

2009・10・19(月)志垣澄幸担当短歌月評
西日本新聞文化面記事より引用しました。

これらの歌、そして志垣さんの批評文をよみまして、私は前田先生の肝いりで去年まいた連句の匂いの花を思い出しました。

花宿りしてます白湯を吹いてます  永渕 丹

(平成連句抄『月と花と恋と』収録歌仙「四方の春」)

れぎおんでこの歌仙につけられていた永渕丹さんの留書を思い出しました。
丹さんには若くしてなくなったおばさんがいらして、その方が病床でいきる病者特有の研ぎ澄まされた感覚を教えてくださった、というものでした。体力の衰えたうつくしい人が白湯を吹いて飲むという行為と花宿りという季語が照応して、独特の美意識を放っています。

健康なものらは勢いがよすぎてがさつでさえある、その精神の眼は目立つもの華やかなものにしか向けられない。そんな世界を一切拒み、まるでその報いのゆえであるかのように体をやむ、その幽かに開いたフィルターに受け容れられるものは、朝の光と夕べの光、静かな海に風のことば、水鳥のはばたき。耳の遠い老妻のなつかしい香りをかぐために聞きものをする夫。
ゆたりとした旋律をもつ歌のふところの深さ、大きな樹の下でみるゆめの記憶のような。

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コメント

草野先生歌集のご紹介、感謝します。
いま、手もとにこの歌集がありますが、読み終えていません。母は到着したとたんに読み上げてしまったらしい。ベテランの底力を感じる一冊にしあがっているともうしておりました。一命を取り留めて長いこと病床にあられる代表の身を、下々の会員までもが案じております。

ふたりして創(はじ)めし家にふたたびのふたり
朝夕(あさよ)を言葉少なし

静かなる海見て帰る
とこしなへと思ひし干潟わが生(よ)に滅ぶ

病める身に近々と来て水鳥は
冬のひかりを頒かちゆきたり

ゆたりとした詠みぶり大人(うし)の歌なりき
草野源一郎は佐世保の歌人にて

せいこさんに何度か尋ね、そのお名前は聞いていたんですが、紙面で知ったのはこれが最初でした。こちらこそ、ありがとうございました。

何かと佐世保にご縁のある人が多いですね。
最近も佐世保つながりで小説家志望の若い男性からメールもらいました。
おじいさんが佐世保でえらい軍人さんだったらしいので、その消息を尋ねて、佐世保へ行ってきたと。
おじいさんは「金剛」に乗っていた、お母さんのことをママと呼ばされたことが恥ずかしくて違和感を持っていた。
なぜ僕だけママなんだ?
海軍はすべてイギリス様式だったから、そういう家庭もあったのだろう。
思い出の長崎カステラが毎年親戚から今でも届くんだって。
そのカステラの秘密を紐解いていく小説を書いているそうな。


ではポルトガルまでいくのかな、はなしが。

出島の屋敷は雨ばかり
むらさき夕凪夢すだれ
むらさき夕凪夢すだれ

源一郎の甥です。
母がやまなみ短歌会の事務局を担当しています。

叔父の歌集取り上げていただきありがとうございます。

ただ伯父は長崎県諫早市で生まれ育ち、旧制佐賀高校をへて長崎大学医学部に進み、諫早市で開業するまで長崎に住んでおり、佐世保に居住歴(ひょっとして短期間佐世保の病院勤務はあるかもしれませんが)はないはずです。

草野洋介様
拝復、
はじめまして。
ご丁寧にかささぎの早とちりを訂正していただきまして、ありがとうございました。うれしゅうございました。部外者だからという理由はこういうときは通用しませんね。なさけないです。もう一度書き直しますので、どうぞお許しください。
「やまなみ」についてですが、父方の伯母だけではなく、母の次妹(78くらい)も黒木高校(夜間、中学だったかも)時代にちょっとだけ所属していて、そのふるーい時代の本が一冊だけある。とつい数日前に聞きまして、それをみせてもらう約束をしています。

さっそくの対応ありがとうございます

西日本新聞の書評が間違えただけで、かささぎさんのせいではありませんのでお気になさらないでください

ただ、伯父は(叔父ではなく伯父です。訂正します)
諫早を、そして諫早を流れる本明川をこよなく愛していますので、訂正せねばと書き込ませていただきました。

私も親しくしている黒木出身の日本ソムリエ協会前九州支部長の森田さん(福岡市シェ・モリタ)とそういう会話をしたことがあります。

黒木は菊池剣先生ゆかりのやまなみ短歌会発足の地で伯父や母もずいぶん通った地のようです。


草野洋介さん。
私は何も知らなくて、新聞記事を読んだだけでこういうものを書いたことを反省しています。
歌集一冊よんではいないのにです。
しかし、こうして訂正のおしらせをいただけたのですから、まんざら無益でもなかったと思うことにします。
朝はばたばたしてよく頭に入らないまま返信したのですが、源一郎さんはお医者さまだったのですか。長崎医大出身。夏、従姉の法事に佐世保までいったんですが、その子が長崎医大を出てます。そういえば、黒木氏の末の調うたまるん(ヨコハマ)のおじさんもそうだったんじゃなかったか。有名な被爆者で、ネット検索したことがあったのですが、忘れてしまいました、なまえを。調って姓のお医者様です。
かささぎはなんの話をしているかといいますと、つまり、黒木歌壇についてです。1200年代ころ?からの行空伝説がほんとうなら、後鳥羽院の血筋をひいた家がまだ続いていて、歌は滅びていないはずなのです。
かささぎは、そうおもうことにします。たとえ家はなくなったとしても、血と地は記憶しているだろうから。

静かなる海見て帰る
とこしなへと思ひし干潟わが生(よ)に滅ぶ

この歌をよんだとき、すぐにきづくべきでした。
干潟は佐世保にはありませんものね。では、諫早にはあるのでしょうか。・・・なにをばかなことをかささぎは聴くのでしょう。有名な諫早湾干拓事業の話は、ドラマにまでなっていたっていうのに。(不機嫌なジーン)私も俳句にちゃんと詠んでいました。

洋介さん、あなたはどちらにお住まいでいらっしゃいますか、諫早ですか、東京ですか。

諫早。むすめ時代の夏休み、ルームメイトにくっついて、その友達の諫早の家にお世話になったことがあります。おいしゃさんの娘さんでした。歯医者さんだったか。大の字が入ったかわった苗字でしたが、。ご馳走になった大村寿司というのですか、押し寿司がとてもおいしかったので、自分でもその後よく作りました。(↓)
おかげでひさしぶりに思い出しました。直接関係のない話をきいてくださって、ありがとうございました。

一応、佐世保を諫早に、一部分だけを書き直しました。
こゑの一首、それと干潟のわが生(よ)、とても優れた印象的な歌です。しみじみと深いです。

来週会うとき、草野先生の歌集、余光の橋を持参します。
しみじみした作品が並びます。

医者として奮迅なさりながら、結社の代表として先陣をきってこられた日々にあたまが下がります。うかうかとした気持ちで、短歌詠んでんじゃないよとおのれに言い聞かせました。

やはり、みだしも「諫早の歌人」とちゃんと訂正いたしました。もうしわけありませんでした。

ありがとうございます。
先日、ここにコメントを寄せてくださった草野某氏のお母上から昨日、お電話をいただきました。事務局としてもジム連絡でしたが。

一月号のやまなみ誌を通常よりたくさんいただくことにしました。
連句仲間にももらっていただきたい。
栄えある受賞作を読んでいただくために。

伯父源一郎4月6日に死去しました。取り上げていただきありがとうございました。http://www.nagasaki-np.co.jp/news/okuyami/2012/04/08091504.shtml

洋介さん、コメントありがとうございました。
では今日が初命日だったのですね。
草野源一郎氏死去を知って、書いた文章がここにあります。名前にはりつけておきます。
一冊だけ古いやまなみがわが父の遺品から出てきて、それには、わが伯母北島民江も菊池剣師、秦美穂師、草野源一郎師、みな出ていらして、一冊だけでとても勉強になりました。師系というのがなんとなく伝わるからです。
のちほど歌をひろってみます。

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