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2009年10月18日 (日)

追悼 加藤和彦

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なぜ諏訪中の校歌を覚えているかと言うと・・・
歌詞に中学校の名前が含まれていないからです。珍しいでしょ。
調べたら、
作詞  石井 孝
作曲  森脇憲三   でした。

雄大な筑後平野と高良山を直ぐ思い出せて、良いなあと思っていたからでもあります。

 さすがぼんさん、学校名が出てこないというところによく目をつけなさった。前にもこのブログに書いた気がするけど、昔、学校名を連呼したり、校名の前に「嗚呼」という詠嘆詞が入ってる校歌はあまりに平凡すぎるというのを読んだことがあります。その点から言うと諏訪中校歌はなかなかイケてたのか!しかし、諏訪中というと、よく長野県と間違えられるし、実際同名の中学校がある。東京都立久留米高校は数年前になくなり、四国のどこかにある明善高も名前が変わったらしい。福島高校というのも福島県にありそうな感じですね。
 ところで今ごろ気づいたが、わずかの間とはいえ、私が中3の時にぼんさんは1年生として同じ中学に通ってたんですね。すれ違いぐらいしとるかもしれん。姉同士は同い年のようだからもっとその可能性がある。

私は1年の1学期しか諏訪中には行ってませんから、すれ違ったかどうかは確率低いです。
それより陸上部でいつも走っていたからそっちの方を見るともなく見ていらしたかもしれませんね。
なにせ、152cm42kgという今では想像もできない体型でしたからね。3年生の走り高跳びの先輩(女性)の姿がかっこよくて、憧れていました。

すわ。すわ。すわ。諏訪大明神。
周防。すおう。すわ。
丸山豊先生の医院があった地、諏訪野町とはちがうのかな。
中一のころ。
161くらいあったかも。40キロになったのがうれしかった。ソフトボール部に入っていました。スポーツはさっぱりできませんが、いちおう。

 んん!私と同学年に走り高跳びのかっこいい女性?誰じゃろか?12クラスもあったからたぶん同じクラスにはなっとらん人じゃろ。そしてその時男子長距離部のスター選手だったのが、全市内陸上大会でほとんどいつも優勝していたO君。勉強もできて、あたしゃ中2の時担任から、「Oさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい」と説教されたことを今でも執念深く覚えている。そのO君は同じ高校に進学したがなぜか陸上を止め、1浪して某国立大の哲学科に。そして25歳の頃お互い浪々の身で、彼は酒と女の世界に生きていた。その後年に1回ぐらい会って飲みに行く仲が続いているが、「良かったよ、お前の爪の垢飲んどかんで」「今じゃおいのほうが速かばい」などと言って笑い合ってます。ちなみについこないだまで、30年近く久留米図書館に勤めていたので、行ったことある方は顔知ってるかも。今でも割とイケ面だし。いやはや、人生わからん。
 丸山豊先生は日吉小の校歌の作詞者として知りました。東京の中高生の合唱祭とかでも、よく「筑後川」が歌われます。作曲の團伊玖磨は、血盟団事件で殺された團琢磨の孫です~日本史的トリビア。
 O君の話に戻って、彼に1度陸上止めた理由を訊いたら、円谷幸吉選手の自死の影響を受けたと冗談っぽく言ってたが、意外と本音だったのかも。確かに当時のスポーツ少年らがショックを受けた事件だったし、彼の遺書は三島由紀夫も野坂昭如も感銘受けたらしい。マイナーなフォークソングですが、次のような歌も15歳の頃深夜放送で聞きました。
 ↓

ろいりーさん。
この歌、わたしも覚えています。
円谷選手がなくなったのは、わたしが中学生のころではなかったでしょうか
この歌は、フォークギターを抱えた先輩がうたって聞かせてくれた曲のひとつです。高校一年生のときでした。そうそう、ピンクピクルスの曲でしたね。なつかしくて、涙が出そうになった。

ろいりさん完走おめでとうございます。 そしてお疲れ様でした。 よい記念になられましたね。
↑この歌印象が深いです。 
なぜかというと、当時友人達から私の歌う時の声と似ていると言われたからです。
自分でもそうかもと思ったことがありました^^☆彡
丸山豊先生は近隣の学校にすばらしい校歌を作られていますね☆

ろいりーさんが15歳のころといいますと、うちらは13~14歳のころになるのでしょうか。中学生のころです。くらい歌詞ですがちゃんとおぼえています。メロディも。
円谷選手の遺書、母上あてに、なになにがおいしゅうございました。とづらりとならぶ露のしずくのように、書き連ねてありましたね。まるで正岡子規の病床六尺日記みたいに。
わすれられないもののひとつです。
(とここで検索してみましたら、母上あてというものではなく、父上、母上あてであることを発見。あれ~なんで父をむいしきに排除してたんだろ。)

 へ~、この「一人の道」という歌はそうヒットしたわけじゃないし、フォークソング・マニアしか知らないと思っていたら、意外と皆さん御存じなんですね。私は首を振り振り苦しそうに走る君原選手のファンだったけど、彼がメキシコ五輪で銀メダル取った時、インタビューで「円谷さんのために頑張った」というようなことを言い、また数年前に読んだ君原氏の本にも、故円谷幸吉に対する思いが込められた部分があって、ジーンときた。その君原氏の言葉、「人生はマラソンというよりも駅伝だと思います」

ぼんが応援しているときに言ってたっけ。
お正月は家で箱根駅伝を毎年見ている。って。

人のしあわせと不幸と、どっちがより人様に影響をあたえるのだろうか。

加藤和彦さんが亡くなられました。
62歳。
マイケルよりショックです。

ひろーい荒野にぽつんといるよで
なみだが知らずにあふれてくるのさ
あのとき風が流れても変わらないといった二人の
こころとこころが今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

 昼飯食って一眠りしようと思ってた時に、1時のニュースで聞いた加藤和彦の死、しかも自死とは何と悲しい、それこそ悲しくてやりきれない。私はフォークルでフォークソングに目覚めたが、とりわけ加藤氏のファンだった。フォークル解散後にできた「クラブ・ジョン」というファン・クラブにも入った。ちょうど10年前に『プカプカ』という歌や矢沢永吉の歌の作詞者として知られる西岡恭蔵が、奥さんの後を追うように自死~その数日後、私と同い年で同じ1970年前後の日本のフォーク&ロックファンだった同僚が突然死したのを思い出したり、そういや、ブルーコメッツの井上大輔(忠夫)が自死したのはその後ぐらいだったか。
 みんなそれぞれ事情があろうし、月並みな言い方しかできないが、「死んで花実が咲くものか」、生きていたかったのに事故や病気で死んで人もいっぱいいる、私の義兄、その息子=私のもう1人の甥、そういえばかささぎさんの弟さんも若くして亡くなられたんでしたね。子どもを自殺で亡くした高史明、20年ぐらい前に私が親しくしていた同僚はこの人に師事して『歎異抄』の勉強会に参加していたが、1993年、たまたま帰省時に鹿児島竜ヶ水駅での大洪水で、3人目の子と水に流され亡くなってしまった。その死の直前に親鸞の教えが浮かんできたのだろうか。
 加藤和彦の死から、いろんなことを思い出してしまった。加藤氏の死を一番気にしている、悔やんでいるのは、精神科のドクター北山修でしょうか。

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十数年前、奥様の安井かずみさんを亡くされたときのとても憔悴されていたお顔が、今でも印象的に残っています。
お仕事も順調で忙しく、賑やかなまわりといらしていても、どこか孤独だったのでしょうか。。
偶然ですが、夫がここ1週間ほどやたらと[イムジン河]をyoutubeで聞いていました。
なので、この訃報を聞いた時不思議な感じがしました。
加藤氏のご冥福をお祈り致します☆

青春時代をフォークと過ごしたといっても過言ではない世代のわたしたちです。同世代のだれもが多かれ少なかれ、加藤和彦さんの楽曲を口ずさんだ経験があるのではないでしょうか。

吉田拓郎をこの世にだした「結婚しようよ」だって、加藤さんの作曲だったと記憶しています。

早すぎる死ですね。
マイケルの死よりも、清志郎さんの死よりも、わたしにとってはショックです。こころからご冥福をお祈りいたします。

 こんな時に何ですが、「結婚しようよ」は吉田拓郎の自作です。私はそれ以前の「イメージの詩」「青春の詩」「今日までそして明日から」「ともだち」が好きだった~特に「イメージの詩」は、歌詞の1節1節が当時の私の胸にしみ入る思いだった。その後はポップ路線に走ってしまったようで…拓郎ファンの人ごめんなさい。そう言えば2人とも3回結婚している、結婚って1回で懲りないのか、せめて2回までだよなと思っていたが、加藤和彦の3回目の結婚が妻からの別れ話で終わったというのをニュースで知って、彼らは誰かと暮らしをともにしないとやっていけない、(友達・恋人という関係だけでは物足りない)「寂しがり屋」なのかなと思いました。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤氏の最初の結婚の時、北山氏が贈った歌詞だったと記憶している。考えてみりゃ皮肉な歌だった。加藤和彦は常に「素晴らしい愛をもう一度」と求め続けたのでしょうか。

コンナトキニナンデスガ。笑
ろいりーさん。
吉田拓郎さんの「結婚しようよ」は確かに吉田拓郎さんの作曲でした。が、時期的にはデビュー当時ではなかったかも知れませんが、編曲という形で加藤和彦さんがバックアップしておられたのではなかったでしょうか。そんな話をテレビで聴いた記憶があるのですが。
それと、吉田拓郎さんの詩シリーズで、自殺の詩というのがなかったですか?「ばいばい、ばいばい」という歌詞のヤツ。唄いだしの歌詞が思い出せないのですが、わたしが17歳くらいのころに聴いた記憶があるのです。

思い出しました。
あるきつかれてしまいました。で始まるものでしたね。
ばいばい、ばいばい、きょうのすべて、ばいばい。

 う~ん、聴いたことあるようなないような。「結婚しようよ」後の拓郎の歌で私が好きだったのは、「生きていくのは、あーみっともないさ、あいつが死んだ時も、おいらは飲んだくれてた…」というので、タイトルは忘れました。その頃既に坂口安吾の洗礼を受けていた私は、みっともなくとも「生きよ!堕ち延びよ!」(だったかな?)と思い、結局あまり堕落もできず、中途半端に生き延びている。
 あ、「落陽」も好きです。

あ、はい。落陽、わたしも大好きです。
この曲は吉田拓郎さんの数多い楽曲のなかでも、名曲の部類に入ると思ってます。

幸か不幸か、坂口安吾さんの堕落論に影響されなかったわたしは、このあと、健全な精神のまま、井上陽水にまっしぐらに傾倒していくのでした。笑

映画『イマジン』をつい最近みたんです。三潴図書館から借りて。薬をやっていた時期があったんだね。かおみたらすぐわかる。それでしんだスターたち、おおいし。
ろいりさん、せいこさん。加藤和彦追悼なのに時代の追悼みたいになりますよね。
吉田拓郎、いつのまにかポップスターになってしまって。という呂いりーさん。ほんにほんにのう。そげなかんじ。「これこそはと信じれるものが、この世にあるだろか」ってころがいっちゃんよかった。からだもやせっぽちだったころ。
三回も結婚したー最初の妻、おけいさん。だったっけ。つぎがみよちゃんで、いまのひと。いまの人、かんじいい。なまえでてこなくてごめんなさい。おとといドラマにでていらした。
加藤和彦、最初の奥さんをよくしりません。安井かずみは知ってる。肺がんで55でなくなった。最近わかれた妻がオペラ歌手だった人ですか。オペラってなんであんなに高いの。ぼったくり。あら。またはなしがそれてゆく。ごめーん。

ひとつ呂いりさんに賛成。結婚は一回で十分っす。

 「自殺の詩」を調べたら、アルバム「人間なんて」に入ってる曲なんですね。拓郎でもう1曲好きな、マイ・カラオケ・レパートリーがあった~ただしモップス版の「たどりついたらいつも雨降り」、転勤するたびにこの心境になります、今年もそうだった。陽水って健全かな?あ、seikoさんが健全なのか。
 かささぎさん、「イメージの詩」知っとらしゃったね、そりゃうれしか。拓郎の最初の妻おけいさんは、第2次六文銭の2代目ボーカリストで、第2次六文銭の初代女性ボーカルは小室等の奥さんだったけど、子どもができて替わったのだったと覚えてます。初代六文銭は男性4人グループで、URC時代のLPを今でも持ってます。谷川俊太郎や松岡正剛の詩に曲をつけて歌ってました。拓郎の今の奥さんは元女優の森下愛子、「サード」「もっとしなやかに、もっとしたたかに」などに出演、後者には無名時代の奥田瑛二が主演しています。一応日活ロマンポルノ系作品じゃなかったかな?

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