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2009年10月13日 (火)

筑後川マラソン大会の歌

かささぎさん、ぼんさん、応援どうもありがとうございました。
おかげで35㎞あたりまでは絶好調だったけど、あと5㎞ぐらいのところで急に肉離れのような前兆が(肉離れの経験ないけど)して、ペース・ダウン、それでもゴール寸前また異変で、おまけにあの暑さ、もう足も頭もヘロヘロ。しかもゴール後、足が2回もつり、2回目は両足同時で思わず倒れ込んでしまうほど。年のせいか?いやいやまだまだ。
というわけで、稚拙なマラソン7首。
 
①ふるさとの千歳の清き流れ見て 号砲待つかマラソン人(ビト)よ
   ※スタートの号砲鳴ったかどうか?いつの間にか始まってた
②高牟礼の山中に見ゆ大社(オオヤシロ) 走り登らんと誓いしはいつ?
   ※ホントは高良大社は見えまへん
③幼き日疲れ歩きし放水路 いま軽々と走り過ぎゆく
④ふと空を見上げてみれば鰯雲 俺と一緒にどこまで続く
⑤筑後路を走りつ願ういつまでも 山よ田畑よ緑豊かに
⑥寛文の五庄屋伝説残る堰 この辺りかと見れどわからず
⑦若者を抜けば翁に追い越され 人はそれぞれ「keep my pace」

 高校1年以来、41年ぶりの真面目な短歌です。いや、お恥ずかしいがこれも愛嬌?もっとひどいのは後日紹介~いらんてか?
 

わお!ろいりーさん。相良さんに勝るとも劣らない短歌群ではないですか。なんだなんだ!能在る鷹は爪かくすって、これまで隠していたのか~!?
個人的にいいますと、7番がいっちゃーん好き。
過酷なマラソンへの挑戦。おつかれさまでしたぁ。

①と②は、諏訪中の校歌のパクリなんじゃねえの?いえ、参考になさったのですね。
私は暇な時、金丸小や広中や諏訪中の校歌なんぞを、時々思い出して風呂の中でうとうとります。1番は全て歌えます。ははは・・・
短歌、お上手だと思いますよ。これからも時々作ってください。

マラソン、完走できたのですね。よかった。
最後まで見ていたかったけど、勤務がありましたので見れませんでした。
朝も彦山を送っていかなくてはならず、スタートに間に合わなかった。
体、大丈夫ですか?お大事に。

マラソン、最後までみているべきでした。ほんとに薄情でした。
フルマラソンの一部をちょこっとみて、応援したなんていうのは恥ですね。
来年は最後までみます。

悠久の川の流れを溯るマラソン人は点描となり
橋毎に応援人が待ち受ける風爽やかな十月の原
梶原の呂伊利さんがあらはれて一瞥くれて去っていく間を
老若男女がろうにゃくなんにょ走るを見てゐるあちこち太き玉になりて
はるかなる黄の花叢に漱石の不濡山の句碑思はるる
サン津軽丸かぢりして大空の腹蔵なきよ雲ひとつなし

にくばなれでしたか。そんなら整骨院にくればよかった。
先生それが専門ってくらいに上手です。競輪選手や高校生がたくさんみえます。

はるかなる黄の花叢はなんてことはない、セイタカアワダチソウ。
ぬれせぬやまにそうせきのくひ、

菜の花のはるかに黄なり筑後川  夏目漱石

(くるめウスにも句碑の写真があった。五分でみた!)

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コメント

なぜ諏訪中の校歌を覚えているかと言うと・・・
歌詞に中学校の名前が含まれていないからです。珍しいでしょ。調べたら、
作詞  石井 孝
作曲  森脇憲三   でした。

雄大な筑後平野と高良山を直ぐ思い出せて、良いなあと思っていたからでもあります。

 さすがぼんさん、学校名が出てこないというところによく目をつけなさった。前にもこのブログに書いた気がするけど、昔、学校名を連呼したり、校名の前に「嗚呼」という詠嘆詞が入ってる校歌はあまりに平凡すぎるというのを読んだことがあります。その点から言うと諏訪中校歌はなかなかイケてたのか!しかし、諏訪中というと、よく長野県と間違えられるし、実際同名の中学校がある。東京都立久留米高校は数年前になくなり、四国のどこかにある明善高も名前が変わったらしい。福島高校というのも福島県にありそうな感じですね。
 ところで今ごろ気づいたが、わずかの間とはいえ、私が中3の時にぼんさんは1年生として同じ中学に通ってたんですね。すれ違いぐらいしとるかもしれん。姉同士は同い年のようだからもっとその可能性がある。

私は1年の1学期しか諏訪中には行ってませんから、すれ違ったかどうかは確率低いです。
それより陸上部でいつも走っていたからそっちの方を見るともなく見ていらしたかもしれませんね。
なにせ、152cm42kgという今では想像もできない体型でしたからね。3年生の走り高跳びの先輩(女性)の姿がかっこよくて、憧れていました。

すわ。すわ。すわ。諏訪大明神。
周防。すおう。すわ。
丸山豊先生の医院があった地。
中一のころ。
164くらいあったかも。40キロになったのがうれしかった。ソフトボール部に入っていました。スポーツはさっぱりできませんが、いちおう。

 んん!私と同学年に走り高跳びのかっこいい女性?誰じゃろか?12クラスもあったからたぶん同じクラスにはなっとらん人じゃろ。そしてその時男子長距離部のスター選手だったのが、全市内陸上大会でほとんどいつも優勝していたO君。勉強もできて、あたしゃ中2の時担任から、「Oさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい」と説教されたことを今でも執念深く覚えている。そのO君は同じ高校に進学したがなぜか陸上を止め、1浪して某国立大の哲学科に。そして25歳の頃お互い浪々の身で、彼は酒と女の世界に生きていた。その後年に1回ぐらい会って飲みに行く仲が続いているが、「良かったよ、お前の爪の垢飲んどかんで」「今じゃおいのほうが速かばい」などと言って笑い合ってます。ちなみについこないだまで、30年近く久留米図書館に勤めていたので、行ったことある方は顔知ってるかも。今でも割とイケ面だし。いやはや、人生わからん。
 丸山豊先生は日吉小の校歌の作詞者として知りました。東京の中高生の合唱祭とかでも、よく「筑後川」が歌われます。作曲の團伊玖磨は、血盟団事件で殺された團琢磨の孫です~日本史的トリビア。
 O君の話に戻って、彼に1度陸上止めた理由を訊いたら、円谷幸吉選手の自死の影響を受けたと冗談っぽく言ってたが、意外と本音だったのかも。確かに当時のスポーツ少年らがショックを受けた事件だったし、彼の遺書は三島由紀夫も野坂昭如も感銘受けたらしい。マイナーなフォークソングですが、次のような歌も15歳の頃深夜放送で聞きました。
 ↓

ろいりーさん。
この歌、わたしも覚えています。
円谷選手がなくなったのは、わたしが中学生のころではなかったでしょうか
この歌は、フォークギターを抱えた先輩がうたって聞かせてくれた曲のひとつです。高校一年生のときでした。そうそう、ピンクピクルスの曲でしたね。なつかしくて、涙が出そうになった。

ろいりさん完走おめでとうございます。 そしてお疲れ様でした。 よい記念になられましたね。
↑この歌印象が深いです。 
なぜかというと、当時友人達から私の歌う時の声と似ていると言われたからです。
自分でもそうかもと思ったことがありました^^☆彡
丸山豊先生は近隣の学校にすばらしい校歌を作られていますね☆

ろいりーさんが15歳のころといいますと、うちらは13~14歳のころになるのでしょうか。中学生のころです。くらい歌詞ですがちゃんとおぼえています。メロディも。
円谷選手の遺書、母上あてに、なになにがおいしゅうございました。とづらりとならぶ露のしずくのように、書き連ねてありましたね。まるで正岡子規の病床六尺日記みたいに。
わすれられないもののひとつです。
(とここで検索してみましたら、母上あてというものではなく、父上、母上あてであることを発見。あれ~なんで父をむいしきに排除してたんだろ。)

 へ~、この「一人の道」という歌はそうヒットしたわけじゃないし、フォークソング・マニアしか知らないと思っていたら、意外と皆さん御存じなんですね。私は首を振り振り苦しそうに走る君原選手のファンだったけど、彼がメキシコ五輪で銀メダル取った時、インタビューで「円谷さんのために頑張った」というようなことを言い、また数年前に読んだ君原氏の本にも、故円谷幸吉に対する思いが込められた部分があって、ジーンときた。その君原氏の言葉、「人生はマラソンというよりも駅伝だと思います」

ぼんが応援しているときに言ってたっけ。
お正月は家で箱根駅伝を毎年見ている。って。

人のしあわせと不幸と、どっちがより人様に影響をあたえるのだろうか。

加藤和彦さんが亡くなられました。
62歳。
マイケルよりショックです。

ひろーい荒野にぽつんといるよで
なみだが知らずにあふれてくるのさ
あのとき風が流れても変わらないといった二人の
こころとこころが今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

 昼飯食って一眠りしようと思ってた時に、1時のニュースで聞いた加藤和彦の死、しかも自死とは何と悲しい、それこそ悲しくてやりきれない。私はフォークルでフォークソングに目覚めたが、とりわけ加藤氏のファンだった。フォークル解散後にできた「クラブ・ジョン」というファン・クラブにも入った。ちょうど10年前に『プカプカ』という歌や矢沢永吉の歌の作詞者として知られる西岡恭蔵が、奥さんの後を追うように自死~その数日後、私と同い年で同じ1970年前後の日本のフォーク&ロックファンだった同僚が突然死したのを思い出したり、そういや、ブルーコメッツの井上大輔(忠夫)が自死したのはその後ぐらいだったか。
 みんなそれぞれ事情があろうし、月並みな言い方しかできないが、「死んで花実が咲くものか」、生きていたかったのに事故や病気で死んで人もいっぱいいる、私の義兄、その息子=私のもう1人の甥、そういえばかささぎさんの弟さんも若くして亡くなられたんでしたね。子どもを自殺で亡くした高史明、20年ぐらい前に私が親しくしていた同僚はこの人に師事して『歎異抄』の勉強会に参加していたが、1993年、たまたま帰省時に鹿児島竜ヶ水駅での大洪水で、3人目の子と水に流され亡くなってしまった。その死の直前に親鸞の教えが浮かんできたのだろうか。
 加藤和彦の死から、いろんなことを思い出してしまった。加藤氏の死を一番気にしている、悔やんでいるのは、精神科のドクター北山修でしょうか。

自殺だったのか。いまさらなんですが。
そうだったんだ。遺族の方々はお辛いことでしょう。

スーイサイドゥ、スーイサイダゥ。って歌詞が耳に強く残るあかるい歌、発見。ラブソング。なんとなつかしいメロディ。次男がいつも聴いていて、題名を教えてもらった、beautiful girl という歌で、1990年生まれの男の子が歌っています。ショーンキングストンて人。なぜこんなになつかしいのか。スタンドバイミーのコードと同じらしく。リミックス、サンプリング。だったかなこういう歌作り。本歌取りですね。ユーチューブできけます。↓

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