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2009年10月 4日 (日)

黒木での句会  「箱」と「布」

先のグリーンピア八女(八女郡黒木町)での連句会には、前田圭衛子先生を師としてお迎えしましたが、歌仙の前後に句会を二つやりました。

そのときの記録をとどめておきます。
まず最初に兼題「箱」の即興吟から。
竹橋乙四郎と澄たからの両氏は多忙でこの句会は欠席でしたが、そのかわり、やまなみ短歌会所属の黒木在住歌人である仁田原陽子、月足いつ子の両氏が参加してくださいました。整子さん、お声かけありがとうございました。陽子さん、いつ子さん、お忙しい中をよくおいでくださいました。そして見事な句をささっと作ってくださって、本当にありがとうございました。さすがやまなみ短歌会の歌人だと感心しました。かささぎの口の悪さはつとに有名ですが、さすがにそのおっしょさんである前田師はその上をいかれますでしょ。笑。忌憚ない声を聞けるという意味で句会はとっても勉強になります。情け容赦ないですものね。

手品師の箱はからっぽ暮の秋   前田圭衛子

 (えめ、らん、陽子、いつ子、整子、恭子、選)
 
天空に秋の小箱が吊られけり   山下整子

 (圭衛子、えめ、らん、陽子、恭子)

重箱につめて栗飯母好み  東妙寺らん

 (呆夢特選、うたまる、陽子)

菊の香を漏らさず紙の箱の黙(もだ)   姫野恭子

 (陽子、らん、うたまる、呆夢)

星月夜積りてままに朽ちる箱   調 うたまる

 (圭衛子、呆夢、恭子)

鈴虫の音を箱につめ子に送る   月足いつ子

 (うたまる、整子、圭衛子)

台風に箱入り娘の気になりて   仁田原陽子

 (えめ、いつ子)

萩の柄裁縫箱に仕舞ひけり    青翠えめ

  (整子)

立佞武多箱庭の様な街を見る   八山呆夢 

▼事前投句兼題「布」

虫の音を布に織り込み纏いたし   八山呆夢

(圭衛子、乙四郎特選、らん特選、うたまる)

瀑布あり秋には秋の顔をして    山下整子

(圭衛子、乙四郎、音彦、恭子特選)

晩夏このさびしさゆえに布洗う    前田圭衛子

(音彦、整子、恭子)

秋桜白布置かれし顔とゐる      姫野恭子

(圭衛子、整子特選)

余り布ささやかに縫うそぞろ寒    澄 たから

(らん、呆夢)

布製の女が消えし泡立草       中山宙虫

(整子、恭子)

布当ての学生服にオナモミの実   竹橋乙四郎

(うたまる)

布袋さん柿をかかえて帰られぬ    古賀音彦

(乙四郎)

いつの世も布(ふ)に置いたるは心内    調 うたまる

(恭子)

参照

立佞武多(たちねぶた):http://www.tachineputa.jp/festival/index.html


オナモミの実:http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/10/post_746.html

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コメント

一つは最高得点で、一つはゼロ票。
差がありすぎですよね。
「高点句に良句無し」
このお言葉もしかと受け止めました。
折々に思い出しています。

>秋桜白布置かれし顔とゐる きょうこ

この句には恐れ入った。
迷わず特選句にした。
しびととコスモス、普通だったら対照には置きえないものが、ここにはあった。コスモスがしびとといるのではない。コスモスが揺れる野辺を背景にして「われ」がしびとといるのだ。いや、「しびととなった顔」と空間を共有しているのだ。
これは、ひめどんの代表作となるべき傑作だと思う。

これにはわたくしだけの、秘密の驚きがあったのよ、このとき。この句、まさかひめどんの句とは思わなかった。
なんの根拠もなく、乙さんの句ではないかと思っていた。
そして、げげっ、のびたのような顔して人を油断させておきながら、こいつ、いつのまにこんな句が詠めるようになったんじゃと恐ろしくなったのであった。失礼な輩でごめんなすって。笑

せいこさん、これはつい最近くわつかさんのご主人の突然の逝去のおかおと対面したことと、邦子ちゃん(させぼのいとこ)がなくなり、死に顔との対面が続いたこと、それらが、若い頃の自分の弟の急死(十月二日)を思いださせた。
急をきいてかけつけたとき、すでに白い布が顔に置かれていた、ま昼だった、庭にはコスモスが平和にさいていて。原体験ともいうべき、ぜったいてきなふうけいをついよんでしまった。ミータンが逝った時も、死に顔と対面したのは私だけだった。

でもね。みいたんのときは、あとでおもった。あいたくなかったよ。みたくなかったよ、しんでしまったかおなんて。やせておもがわりしたかおなんて。あんなにげんきであかるかったのに・・。とむねにつまされた。
だけど、顔をみてやってください。といわれたら、友だちだれもみないのじゃかわいそうで。
いろんなことをおもった。ひでのさんのこともね。うつくしかったひとがなくなるということ。花が散るように。

もうひとつね。
せいこの秋の小箱が吊られけり。だけどね。
なぜからっぽの空虚感をこんなにも感じてしまうのだろうか。と思っていたのだ。そしたらどうもそれは、「空きの小箱」ってふうに暗黙のうちにしぜんとこころのなかでおきかえ作業をやっていたようです、笑。ふたつ、秋の瀑布と秋の小箱と。どちらも全くおんなじ心象風景の句にわたしには感じられた。そして、まったく自分とおんなじものだな。とも思った。これはたぶん年齢的なものなんじゃないだろうかな。

次の句はよみが二通りできた。

台風に箱入り娘の気になりて  陽子

台風がきて、心細くて、まるでこれでは箱入り娘みたいなきぶんだな。というのが一つ、も一つは遠方にいる箱入り娘を心配している親心のよみと。後者が正解。私は前者と思っていた、ずいぶんたってから、あそうか。と気づいた。だって一度もそんな心配をしたことないから。笑。

布袋さん柿をかかえて帰られぬ  音彦

布袋さん、たくさん柿をもったのはいいが重くてどうにももてない、これじゃ帰られないよ。ってのが一つ。も一つは柿を抱えて帰られました。という敬語完了形。作者いわく、後者。ったくよー。かささぎは今井みきのだんなさんのほていさんとおもった。

あと、科学的にどうなんだろ。と思った句。

布製の女が消えし泡立草   そらん
布当ての学生服にオナモミの実  おつしろう

そらん句は意味不明なのに泡立草と合っていた。

乙四郎句、学生服にはくっつかないよ。と思い、でもま、布当ての布ならくっつくかもと納得。
こんな理屈でよんじゃつまんないね。

晩夏このさびしさゆえに布洗う  前田圭衛子

最もさびしい季節は晩夏である。と師はいわれた。
永田耕衣の句を例に挙げられて。(失念しました)
かささぎが覚えている晩夏の句、

落日を拾ひにゆかむ海の果  檀一雄

だから布を洗うのだという断定が理不尽で面白い。
手洗いの小さな濯ぎ物、女々しいってことばの原点みたいな、ささやかな日常の行為。
これと比べたら、点数がたくさん入った手品師の句はさほどではないと感じます。なぜなら、くしくも初めて参加の調うたまるさんが指摘したように、

手品師の箱はからっぽ暮の秋  圭衛子

は、手品師が少しくさいのでした。くさいというよりできすぎているというかんじ。上半身と下半身がつきすぎている。そこへいくと、晩夏この、の句はせつなくて、せんなくて、読んでると何か洗物したくなってくるのでした。

後鳥羽院の血をひく(との伝説を信じれば)うたまるさんには、おそれいりました。
前田先生も私もついとってしまった、文法なんてめちゃくちゃに近いけど、

星月夜積りてままに朽ちる箱   調 うたまる

これはなんと魅力的な句なんだろう。
一読、積もるのは何?星月夜が積もる。月日が積もる。ままに朽ちる、とは気ままに朽ちてゆくってことか。箱がいくつも積まれていて、それが朽ち果てながら、歳月は積み重なるけど、星月夜だけはいつみあげてもきれいで。というような景色を連想しました。人情句ではなく、景気の句(景色の句)なのに、しずかな諦念を感じさせ、しかも美しい。これはもしやほんとに後鳥羽院か。とおもったりもした。
この人の布の句も、それを感じさせるものがあった。
ほめすぎとはおもわない。

灯を映すガラスのむこう星月夜  乙四郎

これも好きな句でした。ただ月の句にはなれないから欄外扱いになりましたが。
しごとをしていてふときづく、ガラス窓には室内の明かりが反射して映っている、でも窓にちかより外をじっとみると、意外にもきれいな星空。一句のなかに時間の推移があり小さな驚きがある。こういう句がいい句だとかささぎは思うのでありまする。ことさらじゃなくて、さりげないのね。

妄言多謝。


あの日きょうこちゃんは言葉少なだったけど、心内はこんなにも色々考えていたのですね。
まだまだ足元にも及びません、2~3年では。
でも調さんは何か持ってありますね。ITの仕事をなさっているとか・・・なのになんていったら良いか・・・悠久の時をワープしてきた位の高い人のような雰囲気を持ってありました。とても初めての方だとは思えなかった。

前田師の挙げられた永田耕衣の晩夏の句をずっと考えていた、いちにち。(あほかいな)笑

さびしさや海に晩夏の足二本

こうだったかな、とこれで検索、でも違っていた。

寂しきは夏の海なり足二本   永田耕衣

これが正解でした。ちゃんとでました。
おもしろいな。
前田師は晩夏と捉えられていたけど、どこにも晩夏とは書かれていませんね。檀一雄の「落日を拾ひにゆかむ海の果」もそうですが。

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