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2009年10月17日 (土)

中島内蔵助翁墓前感謝祭

かささぎがこのおまつりに出席した理由をかきます。

八女戦国百首和歌に関するコメントをくらのすけ直系の遺族のかたから戴いたからです。
そのかたは、中島道夫とおっしゃいます。倉敷のさる大学の先生であられました。
毎年この祭りに参加されてるそうです。
かささぎが十年ほど前に出遇った天文百首和歌と、星野川のはんらんのために尊い命をささげられた、人柱に立たれた伝説の中島くらのすけ翁とが、なぜつながっているのかを知りたいと思いました。

当日のことを詳しく記したいのですが、写真のパンフを紛失してしまいました。
(雨がふってきたのでそれを傘かわりにしたのが間違いでした。)

しかたありません。きおくでかきます。

まず当日の中島道夫氏のおはなし。こどもにむけておはなしされました。

「みなさんに今日は一つだけ、お話したいと思います。
みなさん、こめいっこくはどのくらいかを知っていますか。
米一石で人が一人、一年間いきていけるのです。
くらのすけが人柱にたって山の井堰が拓いた水田は、八女の地から三潴まで三千町、そこでとれる米は、おおよそ五万から六万石になります。」

どの人も似た調子の献辞をささげられたなかで中島道夫先生のお話は簡潔にしてびしっと要点をおさえ、とっても印象的でした。

まつりがおわって、中島先生へ直接インタビューをして得た話からいくつか。

百首和歌はなくしたとおもっていたら家の中から出てきて
解読不能になっていたのを義父さんがそっち方面に趣味があられて、
ていねいに復元してくださったそうです。二種類あるのだそうです。
それがほんとうに天文年間のものだとわかりますか。とたずねてみたところ、
紙の材質とかを検査したらわかるはずだ。とのことです。
それと、ずうずうしくもくらのすけさんはほんとに自分の意思で人柱に立たれたのですか。
とたずねてみた。即答、そうです。
この地は排他的なところだし、もともとよそから戦で敗れて流れてきた者が受け入れられるには
いろんな気苦労があったろう。その地で治水のために命を投げ出すことに意味があった。
みんなの気持ちを一つにする大切さを身をもって教えた。
死に損ないの武士だったから。とのこたえ。
かささぎは今、十一月二日(旧暦の)が命日だとしか書けませんが、(というのもうかつにも資料をなくしてしまったからですが)、くらのすけは1600年代の人です。ですから、戦をたくさん戦ってきた武士、それも岐阜あたりから流れてきた武士であるという視点を忘れてはいけない。わたしはその視点がすっぽり抜け落ちていました。ただ、「吉田の庄屋さん」とだけの認識しかなく、そうであればこそ、のどかな印象しかありませんでした。だけどだけど、百首和歌の生まれた年代とは二代(百年)くらいしか違わない時代の身分の高い武士だった人なんですね。
中島先生のお話を聴いていたら、くらのすけのお人善しの庄屋さんていうこれまでかささぎが抱いてきたイメージががらりとかわりました。たくさんいくさで人をあやめ、仲間の多くをうしない、だけどもじぶんは生きながらえ、死に場所をさがしていた人だったと。立体的なこころのイメージがわいてくるようになりました。
中島家はお墓(筑水会病院のすぐ向こうがお墓で裏は竹藪と潅木の林が続いています)から真北へ平行移動したところで、裏手にはやはり林というか古い森がある。
冒険したいような心をそそられる古代からの地です。
むかし母がすんでいた笠原の田舎家も思い出させた。
吉田のあのあたりには今も「牢屋」とよばれている地があるそうです。
それをきいてすぐに思いました。磐井の裁判を模した別区にある人形。
ひとかたばるの。聖なるいのししをぬすんだ男が裁かれている。
いわいの時代からすでに律令国家だったんだ。
おもうに、そのころから全くここらへんってかわっていないんじゃないかなあ。
ぜんぜん天変地異はないし、地震もなければ隕石もおちんし、たまに洪水や旱魃が襲ったかもしれませんが、土地全体の形相がかわるほどの異変はなかったんじゃないでしょうか。吉田の地、もっと歩いてみたいものです。
しらないことがいっぱいだから。
中島さんにお会いできて、とってもうれしかった。
懐かしいような有難いような、そんな雰囲気の人でございました。

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コメント

たまたま八女のことを調べていて、このブログにたどり着きました。中島家の酒井田の分家にあたるものです。私で八女を離れて既に三代が過ぎ情報もあやふやになっており、父も高齢になっているため、家系図の整理をしていたところでした。中島道夫先生は倉敷芸術科学大学の先生でよろしいのでしょうか?できれば連絡を取りたいのですが。これ以上は書きにくいので、私のメールアドレスにメールをいただけないでしょうか。よろしく御願い致します。

中島様。はじめまして。
連絡をとりたいとおっしゃる、その中島先生のアドレスを、じつは失ってしまいました。
年頭にパソコンが初期化されるという事件があったものですから。
わたしも中島先生に連絡をとりたいな。と思っています。

ご連絡ありがとうございます。
それは残念です。大学名が間違いないようであれば大学の方に連絡を取ってみます。我が家も大叔父の主計貞二(元八女市長)までは八女に縁があったのですが、今や縁が遠くなり、私自身は物心つくまで八女出身とも知らなかったぐらいなので。何とか連絡を取って家系図を完成したいと思います。

産業科学技術学部観光学科の先生です。
大学を介して連絡が取れるのではないかと思います。

倉敷芸術科学大学
〒712-8505 岡山県倉敷市連島町西之浦2640番地
TEL 086-440-1111(代)
E-mail:koho@kusa.ac.jp

ありがとうございます。
連絡を取ってみます。夜遅くにすみませんでした。

ポジションは教授で学科主任であられるようです。

家系図のどこかに「知止(ともただ)」、その長男「不可止(ふかし)」がありますか?
伯父と従兄弟です。

すみません(^^;)。少なくとも、ここ5代では、その名前は確認できません。主計貞二は私の父方の祖母の弟であり、父方の祖父の従兄弟にあたります。

おお、階下の台所で80歳、がんの父がおらびよる。「おーいきょうこ、みそはどんぐれいるるとか。おまいがちゃんとせんけ。してから上がらんか」
「おとうさんがやってよ。てきとうでいいけん」

がんのひとでもなんでも、やってもらわんと。こきつかうのであります。100まではいきてもらいたい。
きのうが乙やいや御通夜、きょうお葬式です。
同じ隣組の不幸、夫婦で出て手伝わなきゃいけない、それが村の仁義なのですが。なくなった方はくらのすけ翁のお墓近くの介護施設に長年入っておられたし、みな、顔も知りません。でもみなさん参列してくださってました。ありがたいことですよね。
おなじ地にうまれる。ということの意味をかんがえます。都会ではないことでしょうから。

すみません。関係ないことをかきました。
昨夜、早々に失礼しました。ひらいてみれば、乙四郎が返事をしてくれてた。ありがとう。
それで、中島先生の名刺があったことを思い出しました。
あとで、中島様にはメールをいたします。

乙四郎ありがとう。中島さま、この乙四郎という人物がここでひょっこり出てきてお相手をしてくれているのは、かささぎが説明いたしますと、親戚なんだそうです。よくわからなかったけど、これで少し了解。
なまえのひとつの、不可止、星野のお坊様(東京の有名な音大の声楽家卒)といっしょだ。ああ、そのおぼうさま、樋口姓だった、いまにしておもえば。調一党の一の従者です。しまった、あの系図解読もほうったまんま。ああ、ああ・・・こうらさんもだ・・・

星野の樋口不可思師は不可止ではなく不可思議の不可思でした、釈教用語の。
中島様、うまく同族の先生にメールが届き、家系図が完成しますことをお祈り申しあげます。(かささぎも送信しましたが、返信がなく、案じております。)
以下、上記とは関係ありませんが。日記風に。
同姓の村の衆がなくなり、お葬式に参列、あとで精進揚げによばれました。そのとき、遺族のはなしから、意外な縁をしりました。
十年ほど前に石橋秀野俳句法要みたいな式典が八女デザイン会議という団体が主体となって執り行われましたが、その長だった人は、大石先生とおっしゃる、西日本短大造園科の教授でした。なぜ大石先生が石橋秀野とつながっていたのかはかささぎの預かり知らぬことながら。
で、故人(ひめの姓)の家の孫にあたる男子(斉藤姓、つまり養子だったので姓がかわった)が、なんとその大学の造園科に行っていて、大石先生から学んでいるというのです。うわー。こんな近くにつながっていた・・・。
大石先生のあの日のスピーチを覚えています。
奈良と八女と、なぜこんなにも似ているのだろうか。と、びっくりした。とおっしゃった。若き日、奈良を歩き回って感じた感想だそうです。
わたしもその後、秀野さんの生家をたずねて歩き回ったとき、おなじように感じました。
大石先生は、お元気でいらっしゃるだろうか。

同じ地に生まれることには深い理由がある、とお経は言う

中島教授は亡くなられましたが、戴いたご縁に感謝いたします
明日ですね
私は参列できませんが、盛会を祈ります

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