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2009年9月27日 (日)

山本健吉『虚構の衰頽』 2

 蝶が実際に飛んで来たから蝶の句を作ったということは、作者にとって少なくともこの句において嘘はいわれていないという安心を与えるものであります。だがこれが飛んでもない錯誤の基です。一体蝶の句に対して、その時実際に蝶が飛んで来たという事実が一体どのような価値を付与するものでしょうか。作品として十七字に定着せしめられた以上、それは一応作者を離れた存在であって、それが如何に作者の経験や見聞に基いていようとも、それはその句の価値に取って無縁であります。
「顔出せば鵙迸る野分かな」(波郷)という句の価値批判にとって、一体その時作者は本当に窓から顔を出したのだろうかと事実のせんさくをすることが無意味なことはわかり切っています。もっとも俳人たちといえども、時と場合に応じては飛んで来もしなかった蝶を一句の中に詠みこむことはざらにあるので、それで一句に成っていれば問題はないわけですが、その場合といえども、この句の中には嘘があるという心やましさを多かれ少なかれ感ずることでしょう。その心やましさを感ずることが写生道の影響なのです。だから写生道とは作品の事実性の尊重なのです。ところで先に挙げた波郷君の句にしても、句の価値は作者が本当に顔を出したかどうか、その時本当に野分が吹いたかどうかという事実に
毫も関係せぬとすれば、作品の事実性とは一体何の意味があるのか。と言うことは、作品のレアリテを支えるものは、外象がありのまま写されていることに在るのではない、そのようなことは痴呆の願望だということです。それは作者の真実を貫こうとする決意と実践とにかかわることです。作品の事実性とは作品の真実性とはまるで違ったものなのだ。だから蝶が飛んで来たから蝶の句が出来たということは、作品の真実性には無縁であるばかりか、かえって虚偽であることすら多いのです。あの「着ぶくれて」の無名子の作は、吉屋女史のその時の事実につながって存在を主張しているだけであって、そのことはこの作品の真実性の保証には絶対にならないばかりか、むしろこの句はその時の事実にしか保証を持たないという意味で真実からは遠いとさえ言えるのであります。

 ホトトギス流の写生論が嘱目俳句や吟行俳句の氾濫を来し、手段と目的との救うべからざる混乱に陥ったことは事実ですが、そのような弊は何もホトトギス派の人たちに限ったことでなく、ホトトギス流の低俗写生を断じて許容しようとしなかった志田素琴博士などの見解にもはっきり現れています。氏は『芭蕉俳句の解釈と鑑賞』の中で『卯辰紀行』の中に詠まれた日時・場所をあいまいにしたまま置かれてある「くたびれて宿かる頃や藤の花」の句を取上げ、この句が大和の八木で四月十一日頃に詠まれたものであることを考証し、従ってこれは初夏の句であり、初案は「ほととぎす宿かる頃の藤の花」とはっきり夏の季物を詠みこんであったのが、改作の結果春の句となり、紀行の中でもあいまいな書き方をするに至ったのだと言っています。そして、
「・・・事実の方から、時が藤の花の盛りの暮春ではなくて咲きすがれようとする初夏十一日頃であることが知られるので、これを頭に置いて句に対すると、眼前に現れた藤の花は、盛り頃のそれとは違って、花がもう余程散ってしまって花房がむらむらに痩せたものになって居り、そのためにそれの暮色をこめた様が一層たどたどしげなおぼつかなげな感を与え、けだるさを誘うことの一層強いことを感ぜしめるので、句の感味が一層強まって来るのである。」と句解をほどこしています。
 この時の藤の花が、よほど散ってしまった花房が痩せていただろうという推測のためには、卯辰紀行の時の陰暦四月十一日が、立夏後幾日目に相当するかを検べてみる必要がありますが、それはさて措き、僕等がこの句を理解するには「くたびれて宿かる頃や藤の花」という十七音をたよりとする外ないのであって、この句の背景をなす作者の経験した事実は差当り不必要なのであります。芭蕉はこの句ではただ「藤の花」とだけ言っており、藤の花の衰えは言っておりません。僕らはこの藤の花という言葉の重量感を受取り、動かないその語の位置を検分すれば充分なのであって、その藤の花が盛りであるか散り方であるか、どちらが事実に合うか、またはどちらが句の感味が強いかなどということは、解釈者の余計なおせっかいと言うものです。ここで芭蕉は十七音を完璧な表現として、一字一句の註釈も必要ないものとして、どうでもしてくれと投出しているのです。いわばそれは芭蕉という一個の生活者を離れて、独自の存在として結晶しているのです。その句は作者の生活とは別の作られた高次の世界を形作っているのであって、文学とは言葉によるそのような一つの虚構の実現であるということが言えるのです。従って素琴博士の、作品を一応作者の経験した事実に還元しなければその意味すら捕捉できないとする態度は、芸術の真義を誤ったものと言う外ありません。ゲーテが何かの折に、多分『親和力』についてだったと思いますが、自分は体験しなかったことは一つも書かなかったが、体験そのままのことも一度も書いていないと言ったのは、この場合も当てはまります。芭蕉の俳句が体験のままを描いてないからと言って、その句の真実性をうたがう必要がありましょうか。いわんやそれが「旅人芭蕉特に俳諧革新者たる芭蕉として意外に思われること」だなぞと言えましょうか。芭蕉の俳諧革新は、あくまでも忠実に事実によって作句することであったと誰も言う者はありますまい。(あしたにつづきます)。

『現代俳句』昭和23年1月号より山本健吉『虚構の衰頽』

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コメント

この独特の写生論。
短歌にも通じるね。実におもしろい。

奇をてらった歌ばかり読もうとして、写実詠がどんなものか、根本的なことでさえ理解していなかったことに、今さらながら気づいた。
いまからがスタートライン。
気づきさえすれば、
いつだってスタートラインにつける。

うん。しゃせいっていちばんむずかしいとおもうよ。
だけど、いや、だからこそ、写生の句がきまったときは、ほんとうに俳句らしい俳句の名句になれる。
うちこみはじめて気づく、この時代には、虚子という偉大なスタアが俳壇を意のままに牛耳っていて、それと闘うことは即、新興俳句というスタンスに結びついたんだなと。秀野や波郷の句は新興俳句とは違うとおもう。むしろ古格をきっちり踏まえた伝統俳句だとわたしはかんじる。上にとられた石田波郷の、

顔出せば鵙迸る野分かな  はきょう

場面がありありと思い浮かぶ。横殴りの激しい雨つぶてとともによぎるモズの悲鳴にも似た高鳴き。その一瞬の間合いを捉え有無を言わせない。ほとばしる、がすべて。ここでは何から顔をだしたのか、なんて聞く野暮天はいない。もずとのわきが二重季語じゃないか。というおせっかいもいない。自在に乾坤を創造している名人芸の境地だとおもう。

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