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2009年9月29日 (火)

山本健吉『虚構の衰頽』 4

 4

 最後に一つ蛇足ながら附加えることをお許し下さい。

  病み呆けて泣けば卯の花腐しかな
  卯の花腐し根嵩うすれてゆくばかり
  緑なす松や金欲し命欲し
  夏ちかし髪膚の寝汗拭ひ得ず
  がゝんぼに熱の手をのべ埒もなし
   
かく衰へて
  梳る必死の指に梅雨晴間
  裸子をひとり得しのみ礼拝す
  西日照りいのち無惨にありにけり
   
七月二十一日入院
  蝉時雨子は担送車に追ひつけず

 これは御承知のように秀野の病中吟です。
如何にも命死にゆく者の予感にあふれた作品と言えましょう。これらの作品を見ても、肉親の欲目からと言おうか、どうせ俳句はこしらえ物だと思って強いて安心しようと致しました。本人も直るつもりでいたし医者も、死病とは言わなかった、だが看病人の希望よりも、近代科学の判断よりも、病人自身の気なぐさめの言葉よりも、何よりも作品自身が「死」の面前をはっきり語っているのではないでしょうか。この作品に現れている予感を何故僕は最高の病気診断書としなかったか、今になって悔やまれるのです。本人が生の希望を棄てなかった時、俳句が死を覚悟している。実生活よりも作品の方がいっそう真実を貫いている。生活は俳句に追いつけないのです。
 『蝉時雨』の句から永眠までの二ヶ月間彼女には作品がありません。作るよりも直す方が大事だといって、一途に病気の平癒を心がけました。俳句のことを思ったり、会話に波郷とか友二とか出たりするだけでも、彼女の心臓は動悸がして苦しくなるのでした。死の数日前珍しく今日は運座をやろうと言い出したことがありますが、もはや作る気力はなく、どういう句が彼女の胸に思い浮かんだのか想像するよすがもありません。だがあの「蝉時雨」の句は、今にして思えば彼女の絶筆として相応しく、その句生涯に見事に終止符を打っています。あのような句を作ったら、そのあとさらに作品が続く必要はないのです。洛西宇多野療養所に入院の日、僕たち親子三人はハイヤーで療養所に着き、僕が受付で手続きをすませている間に、看護婦たちはすばやく彼女を担送車に乗せて、長い廊下を病室へと運び去りました。そばに父親の姿も見えず、母親も何処かへ運び去られてしまうのに青くなった六つの安見子が、必死になって担送車のあとを追いかけました。担送車の上から母親はしきりにオイデオイデをします。あとで病室で彼女は僕にこのことを言い出し「私のような者も親だと思えばこそ追いかけてくる」と涙ぐみました。
 死にゆく者には誰も追いつけないのであります。
 僕にはこの句の担送車が葬送車とも、否幽明と現世をつないで天空を駆けゆく幻想の車ともきこえるのであります。そして木立の多い鳴瀧の病院の蝉時雨はあくまでも現実のものではありますが、同時に葬送曲めいた天上の言葉ともきこえるのであります。あまりに現実的な句でありますが、そのままで同時に荘厳なる虚構を現じ出しているのではありますまいか。それともこれは永遠に追いつけざる者の恣意なる幻想に過ぎないのでありましょうか。
 処女時代に虚子翁の手ほどきを受けた彼女は、始めから写生道の実行者であります。彼女は他の誰よりも虚子翁の大と抱擁力とに尊敬と感謝とを捧げていたのであります。唯彼女の生来の豊かさが、虚子翁を尊敬して低調な平明写生に至る道を選ばしめなかっただけなのです。波郷、友二君等「鶴」の連衆との出会いが、彼女の文学の可能性に実現の機会を与えます。彼女はそれまで馬酔木調や、新興俳句や、難解俳句の洗礼を一度も受けたことなく、その意味では「鶴」同人の中で一人違った句歴を持っています。彼女は「鶴」の生活者的鍛錬道の中に、古典と競わんとするささやかな同好の中に、ホトトギス的写生の実行者が投ぜられた時如何なる作品を生み出すかの実験を供します。手段がここでは高次の目標と理想とに結合します。波郷君の傍らに在って、彼女も「純粋俳句」の使徒たる光栄を担います。追悼句会の席上で三鬼君が言った「生きながら俳諧の鬼女と化した」という言葉をこの世からのこの上ない袂別言葉として、彼女も俳諧古典の系列の居並ぶ末座にささやかな座を占めます。それは友二君が「ひとつ余りけり」と嘆いた「くれなゐの座布団」でもありましょう。俳諧史上「くれなゐの座」は寥々として少いのであります。
 俳諧とはひっきょうつきあいであり、「伴侶芸術」(川口松太郎氏の言葉、万太郎氏からききました)であり、デイアレクテイクであるとすれば、俳句つくりの伴侶を失った俳句を作らぬ僕に、俳句とのつながりは切れたようなものです。俳句論をやる実生活的基礎を失ったも同然です。それはもはや相手のない独語のつぶやきに過ぎません。従って僕にとって、俳句は芭蕉に始まって秀野に終ったというのが偽らぬ実感であります。しめっぽい話になりました。これも虚構俳句結構論にとって何かの示唆になるでしょうか。実体のない俳句論に終ったことをおそれます。
(1947・12・4)

 『虚構の衰頽』 山本健吉 
  『現代俳句』昭和23年1月号掲載

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コメント

デイアレクテイクとは、なんぞや?

死にゆくものにはだれも追いつけない。
胸にしみるフレーズです。
最大の理解者であり同胞であり、好敵手であられたのですね。このご夫婦は。

せいこ。
デイアレクテイクは弁証法という意味です。
保田與重郎の例はりつけておきます。
戦前健吉秀野夫妻もはまったマルクスの思想がどんなものだったのか、とうとう深くしらべることもなくきましたが、秀野の文章の中にも弁証法ということばは出てきます。
健吉より波郷は六歳年下なんだな。だから君付けか。

素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。

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