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2009年9月26日 (土)

山本健吉『虚構の衰頽』 1 

生国は大和くんなか秀野の忌  恭子

はたときづく、今日は俳人、石橋秀野の忌日でした。
昭和二十二年の今日午前十一時、肺結核と腎臓病のため、京都の宇多野療養所にて永眠。享年三十八歳。

なにかをやりたいとふとおもいました。
なんにもやってこなかったから。
資料をたくさん集めていたのですが、本をまとめてからは読むこともなくなっていました。

ネットをみまわしてみてもみあたらない文章で、でもかなり重要な、俳句評論家で秀野の夫でもあった山本健吉の文章をうちこみたいとふとおもいました。
なぜなら、妻に死なれたからこそ、健吉の文章にたましいが入ったともいえるからです。
山本健吉が今日の山本健吉として立つためには、妻の死がなくてはならなかった、ともいえるからです。その契機となった文章であると、かささぎは認識しています。
数日かけて全文を打ち込みます。

『虚構の衰頽』 

 山本健吉

 Sさん、「フィクション俳句結構説」なんて課題を僕のところに持って来るなんて、貴方もずいぶん人が悪いと思います。今でも時々俳人の口のはたに上る例の日野草城氏の「ミヤコ・ホテル」の連作以来、主として新興俳人の間に試みられたいわゆるフィクション俳句というものを、僕は面白いと思ったことがほとんどないのです。その僕にフィクション俳句の片棒を担がせようというような御注文は、いささか的外れの感がしないでもありません。だがそれも言ってみれば何時ぞや新興俳人はもっとフィクション体を試みたらどうかと言った言葉のたたりで、この言葉に責任を取れということでしょうから、顧みて自戒とするより仕方はないのですが、あのときの気持をもう一度言ってみれば、俳句も糞リアリズムの愚直な句ばかりを作っていないで、もっと様々の可能的な境地をさぐってもいいではないかと考えたまでなのです。
例えば東京三さんの獄中五十句、あの一句毎に「ゴク」という言葉がはいった連作を読んで、京三さんには気の毒だが実際の話うんざり致しました。何もそう「ゴク・ゴク・ゴク」と酔いざめの水じゃあるまいし、と皮肉の一つも言いたくなる気持でした。獄にいたのだという事実をあれほど一句一句の中に強調しなければならない作者の気持は、僕の到底理解しがたいところなのです。

 この間虚子翁が吉屋信子女史などを従えて琵琶湖上で大俳句会をやった折のこと、これは出席した人からきいたのですが、虚子翁の選句の中にたしか「見たかりし吉屋信子は着ぶくれて」というのがあったそうです。なるほどその場の情景を即興的に捕えてそのまま十七字に仕立てたところ、写生の本義に叶うのかどうか知りませんが、清濁賢愚あわせ呑む翁のことですから、挨拶として、一座の興として採ったのかもしれません。事実披講されるありきたりの句の前には何等の感興をも示さなかった参会者も、この句の前にはどっと吹き出し、オーバーなど厚く着込んで出ていた女史もてれ臭そうに笑ったそうです。即興をたっとび一座の興を眼目とする句会の席上で、どうせ低調なつまらない句ばかり多いとすれば、少しでも人を笑わせるような句が勝なわけですが、それにしてもこの句の滑稽は句自身にあるというよりも、こんな句をシャアシャアとして出句する作者自身の愚かさに在るといえましょう。ホトトギスの写生の道というのは、大多数の作者を愚にすることによって二三の傑出した作者を生み出す道なのでしょうか。何もこんな句などをことごとしく取立てて論ずる値打はないのですが、ただこんな句すらも、いわゆる写生道を忠実に実践することによって生まれたものであることが大切なのです。いつぞや風生氏の「退屈なガソリンガール柳の芽」その他ホトトギス流の俳句十句ばかりを挙げて、三好達治氏が疎懶風流であると断じていましたが、このような大家たちの低調な作品も、無名俳人の愚句も、根底は一つであるということなのです。高野素十・松本たかし・阿波野青畝などホトトギスの中で名人上手といわれる人たちの句も、その特異性をホトトギス的低調さがおおいかくす時があり、そういう時僕は写生道の愚劣な反面を見せられるような気がするのです。

 赤彦・茂吉等のアララギの写生道が作家の鍛錬道として成立しているのに対し、ホトトギスの写生道は大衆の易行道として成立するに到っているのではないかと思われます。子規の写生論自身にそのような萌芽は存在するのであって、言ってみれば「理想」に立脚するよりも「写生」に立脚する方が大衆は間違いがないということなのです。写生とは言わば創作にさいして事実の裏付けを要求する心です。「もの」に触れねば思想というものは結実するものではありませんし、僕は手ばなしで瞑想することの愚を痛感しているものであり、その意味で写生の方法を是認する者でありますが、その場合も言って置かねばならないのは、写生はあくまで手段であって目的ではないことなのです。目的たる思想を結実せしめない写生は、あだ花に過ぎません。ところで今日大多数の俳人たちは写生そのものが目的となってしまって、句帳をたずさえては吟行なんぞに出掛け、「思想のない風景」をやたらに描きちらします。蝶が目の前に飛んで来なければ蝶の句を作ろうとしないし、菫が目の前に咲いていなければ菫の句を作ろうとしません。写生のお説教もここまで愚直な創作態度を生み出すに至れば何もいうことはありません。そこから見て見て見抜くという態度が生れてくればそれは一種の鍛錬道となりますが、単に嘱目の風物と無造作な創作態度とが手軽に結びついたまでなのです。(あしたにつづく)。
(昭和23年1月号『現代俳句』)

※おことわり

時間の関係上、現代表記に改めています。
本来は旧漢字旧仮名表記でやりたいのですが。

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