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2009年8月12日 (水)

風はどこから吹いてくる空はどこへと続いてる  八女戦国百首

写真の解説で、永久寺(廃寺)の拝殿を移築したもの、とありました。

なんと、その永久寺の廃寺跡に、芭蕉の句碑があるのです!

”うち山やとざましらずの花ざかり”

この拝殿は出雲建雄神社の拝殿ということですが、永久寺の当時は住吉神社の拝殿とか。

猶すみよしの神や守らぬ(八女戦国百首、)

蛙が瑞垣へ飛び込んできたのは1914年のこと。

これですね。
うた、意味がいまいちつかめません。とざましらずってなに。
水沢周さんの初盆になにかとおもって、過去のれぎおんをあさっていたら、「目摩膾(めすりなます、めこすりなます)」の句があった。さる歳時記の芭蕉の例句(真贋はなぞ。)

蛙子は目すり膾を啼音哉  芭蕉

「蛙を熱湯につっこんで皮をむき、芥子酢に和えた膾、あるいは手足がでたところのオタマジャクシをそのまま芥子酢にあえて、オタマジャクシが目をこすっているところを食うという、というものだそうで、この『歳時記』の作者も、また解説で引用している江戸期の筆者も未見、未食のものらしいのであるが、・・・略。」水沢周

とざま・・・は外様でしょう。他所から来た何かと言う意味かな。ここでは木、種、そんな仲間と読みましたが・・・

芭蕉と守武とのつながりを検索してたら、「荒木田守武神主四百年祭」の巻が出てきました。
この巻名の由来の「花の香に四百年祭厳に」という花句にびっくり。
堺屋での「五百年」の巻の花句は「五百年花の香残す言の葉に」でした。
   ↓

ただいま。

おつしろう。それ、すごいですね。
やはりなにかあるんでしょう。そういうことがあると、過去から呼びかけられた気がしますよね。もっとわたしたちの知らないなにかがあってそれにきづいてほしいといわれたような。伊勢神宮荒木田守武と久留米高良山との関係。そして神道にひきいれられてしまった芭蕉(神として祭られる意味)。
おつしろうがはじめて堺屋で詠んだ花の句、さりげなくていい句でした。さらっとシンクロしてましたね。
私もほとけぶちさんや高木さんといった達者な方たちと巻かせて頂いただけでも名誉なことなのに、ああいう、あんまりポピュラーではない俳祖を祭る忌日の大会に応募でき入賞できたこと(ちょうどそのときが450年忌という節目の年だったことも含め)、そのときはなんてことも思いませんでしたが、こうすべてがずらずらとつながっていては、逃れたくても逃れがたい俳縁を感じざるをえない。しやなかたい。

ところで。

くるめ上津荒木(こうだらき)信号の下を、ダイソーからてくてく新道を右へ、auショップまで歩きました。
電池切れで携帯が使えず、それでも息子と約束していたので、どうしても電池をいれねば困る。
こんな経験はありませんか。わたしは結構ある。で、どうしようかとない知恵ひねって、コンビニにいき、携帯電源いれさしてください。とおねがいしましたが、だめ。つぎにホカ弁屋。ここもだめ。でも、auの店をおしえてくれた。助かった。ついでに安心接続サービスなる不便なものをはずしてもらいました。自分のブログにつながらんというとんでもないサービスでした。

ああ、しまった。
今、あんまりポピュラーでない。と守武のことをかいてしまって。海外では有名らしい。高橋睦郎先生の『百人一句』の守武の項、エズラパウンドたちのイマジズム運動に影響を与えた。と書かれています。
落花枝にかへるとみえて胡蝶かな
たしかこんな句。

でもほんとに日本ではポピュラーじゃないよ。
ためしに「朝顔忌」で検索してん。でないから。
かささぎの旗が一ケでるくらい。
俳祖の守武忌のことなのにね。

嵐竹の教養

35番の嵐竹の秋風
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空

の本歌はこれでしょう。
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の
簾動かし秋の風吹く
(額田王)

嵐竹が受けた、33番の宗房の秋風
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

の中の「ゆふ暮の空」は29番の鑑教から受けています。
うき草にやどる蛍の影もいま
なえをはなるヽゆふ暮の空

宗房の「秋風」と「ゆふ暮の空」は39番でまた鑑栄が受けています。
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

この中の「あだ」は、24番の覚元と
えにしなき身ハあだ波の菖蒲草
たが家づとのつまとならまし

27番の嵐竹を受けています。
山川のあさせも此の五月雨に
よしあだなミはたヽじとぞおもふ

この嵐竹の本歌はこれでしょう。
そこひなき淵やはさわぐ山川の 浅き瀬にこそあだ波はたて
(太田左衛門大夫持資[道灌])

「あだ」は、46番の嵐竹でも出てきます。
あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花

「あだなりと」で始まる歌は伊勢物語にあります。

あだなりと名をこそたてれ櫻花
年に稀なる人も待ちけり

この歌は、能「井筒」で紀有常の娘(幽霊)が詠んでいます。
「井筒」は乙が初めて能舞台で観た能です(眠かった・・・)。

紀貫之と紀有常については、守武千句に実名登場句があります。

松かぜはきのありつねが夕にて
花のちるをやつらゆきもみん

おつしろうはまったくためらわずに、こんなおそろしいことをへいきでやる。こわいよ。どれがどれの本歌取りっていう考察は。もろ自分の教養を試されるから。でも、それが乙四郎がここへ来た理由。ありがとう。嵐竹のうたの整理。
むずかしいことはさっぱりわからんけど、かささぎ的嵐竹の意義はひとつぴかぴかに光っている。それはなんどもいいますが、恋の歌で、逢うということばの意味をきっちりおとしまえをつけてくれたこと。むかしの歌人にとって、「逢う」っていうことは、ずばりねるということなんだ。それをおしえてくれた。目がさめた。へ?って目をしろくろさせてくれた。それが嵐竹の来て逢はざる恋の庚申の歌。あれがあるから八女戦国百首は価値があるといってもいい。はあ、すんまへん。なにしろ、げひんなかささぎですからね。

でもさ。この戦国百首、どれもどこかでみたような歌だな。っていうのは、すぐにかんじたことです。さあ、ちょっと上品になりますよ。
なかで、じぶんは次の歌にみょうにひかれた。こんな歌が新古今になかった?そっくりな歌が。それは思い出せませんが、

33番、宗房。泉。
をのづからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

空のなかのいづみ。いづみのように初秋の風がわいてやってくる。

ほととぎすそのかみ山の草枕
ほの語らひし空ぞわすれぬ  式子内親王

宗房の空は式子内親王のこの空をつれてくる。
式子内親王は賀茂の斉王だった人。葵の歌もある。
伊勢。
伊勢をよんだ歌が一首ある。八女戦国百首に。
19番、孫七。
 三月尽
伊勢のうみや波よるもくさかきためて
暮らす神代の春はいく春

もう一つ伊勢がよみこまれているのは、伊勢の神垣。白ゆふかけて。あまてらす月。だれだったかな。
地名がでるのが、伊勢と難波と小野(炭)、くるす野。そのくらいでしたか。

式子内親王の歌。このひとがきになる。
ひまなときに目を通そう。せめて、このなかの「葵」の歌だけでも。↓

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コメント

三十三  泉   宗房
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

宗房の「いづみ」は和泉式部を連想しました。待っているものが来るのを今か今かと待っている。

待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮

わきて、を、わいてと書いていましたね。
訂正しました。ありがとう。

和泉式部。恋歌ですね。

ゆふそら。でおもいだしました。
ゆふそらにかかるれいんぼう。かぜがはこんでくる。
これは大貫妙子の歌。
穴井太師に花一匁の句、記憶では
ゆふそらの雲のおばけへ花一匁
しかしどうも間違っているみたい。季語がないもの。
夕焼けの雲のおばけへ花一匁  太
これが正解か。
引き鶴の空に湿りや花一匁  瀧春樹
瀧春樹師はときにとても心ひかれる句をだされる。
いちばん好きな句は、
暗緑の雨冠の山懐史   春樹
あんりょくのあめかんむりのさんかいし。
さっきの花一匁ですが、季語が二つあるのを、湿りというきわめて日本的な情緒の色っぽくさえあることばで、まるでほどよい粘りの付箋ののりみたいにくっつけ、なんともいえない感覚を残す。
鶴が北へ帰ったあとの空。どこか凹んで湿っている。
その湿りは花一匁の湿り。
では、花一匁とは。
わたしは単に花びらをかき集めて手のひらにいっぱい握っているんだというイメージをおもうのですが。
でも、花一匁というわらべ歌はそういう無邪気なものではなく、娘を売買していたころの時代の記憶の歌だそうです。
以上、ゆふ空からの連想で俳句の師二人の句を紹介しました。

地名では「二見の浦」もあります。伊勢神宮の近くの浦。

四十二    鴈(雁)   弘智
いつもきくここちこそせで玉手箱
二見の浦をわたる雁

本歌はこれだと思う。

いつしかと雁はきにけり玉櫛笥(たまくしけ)
二見の浦の明け方の空[藤原俊成]

きおくでしかものをかかなくなる。これではちゃんとしたものかき失格。いま、上のじぶんのかいたものをみて、おかしくなりました。めっちゃまちごうとる。なかでも、穴井先生の花いちもんめの句は花が季語でちゃんとあるのに、、、へんなあたま、われながら。あれは童心の句でした、ひらかなだった。
句をよむとき、なにかで学んだ俳句のよみかた、たとえば切れ字があれば全く上と下はきれているものだなどの約束事は、まったく意識していないものだな。とおもいますね。それは連句でも同様であって、ゆきてもどることなし。なーんていいますが、常に常に過去を気にして、過去中心に付け進むってことにおいては、もどりまくりやもんね。

で、おつしろう。
それらの地名入りの歌の土地へ、作者たちは行ったことがあった。とおもいますか。

わたしはぐうぜんきのうからのコメントと意識の流れをみていて、こんなことをおもった。
中山そらんブログで芦北ってところが海の近くとしりました。そこには歌の碑がある。長田王のだったっけ。廃校になる海の上の学校、で、荒井由実の歌を連想し、それを第二校歌にした学校があったのを思い出し、どこだったか検索すると長崎は五島の島でした。そこらへんには、遣唐使に船出したときの歌があったりする。
えーっと。
なにかがみえそうでみえない。
っていうより、することがいっぱいあって考えがついていかない。こういうところ、だんだん年ですね。笑
遅刻坂連句会、たぶんわれらより五歳上かな、二泊三日で百韻興行合宿を無事おわられたそうです。
いつかしたいですね、百韻。おもて8句、裏14句だったかな。ながながとえまきものみたいに。むかしのひとのきもちをおもうことです。


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