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2009年8月10日 (月)

袖の歌が七つも!八女戦国百首

 

 竹橋乙四郎

七支刀がある石上神宮の所在地「布留」ですが、地元の万葉集歌碑には「袖」が冠されていたりします。

未通女らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我れは  巻4-501
我妹子や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや  巻12-3013

八女戦国百首にも「袖」が多く登場します。99分の7。

二十八  盧橘(ろきつ)   宗右
夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
四十四     雰(霧)   鎮光
明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ
五十二    紅葉     頼運
玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
六十五  鷹狩    鑑栄
ふる雪に狩場の鷹の一つがひ
花をはらへる袖かとぞ見る
七十二  不逢恋   鑑冨
今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
九十二    離別    覚元
中々にうき旅人にともなひて
わかるヽときの袖のくやしき
九十四    樵夫     宗房
けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき

石上神宮の象徴として「袖」を眺めると、七支刀が見え隠れ。
28番「たち」=太刀
44番「うちはらう」
52番「をらぬ紅葉」=7支
65番「はらえる」
72番と92番と94番で、七支刀が石上神宮へ持ち去られる悔しさ。

石上神宮に石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)があります。
中央の馬堂と呼ばれる通路が特徴で、日本最古の「蛙股」があります。
“柱の上に虹梁を渡して、まさに蛙が股を広げたような広がりの大きい細い線の蟇股を飾って棟木を支えている”とあります。
この石上神社の手前に、布留口池があります。
そして、石上神社には、神宮のご神体を埋めた「瑞籬(みずがき)」という石垣に囲まれた禁足地があります。
近くに芭蕉の句碑もあります。

昔からある水溜りを、古海とも古湖とも古沼とも言わないのに、なぜ芭蕉は「古池」という表現をしたのか。

布留池や蛙とびこむ瑞のおと (とんでも乙解)

▼かささぎの旗ひめののコメント

おつしろうのこの文章をよんで、かささぎはすぐ誰が書いておられたのかは忘れてしまったのですが、袖振り考というタイトルの一文を思い出しました。
それはもしかしたら、連句人・故・水沢周だったかもしれません。『青木周蔵』上下巻の著者です。
で、内容は。ごめん。ぜんぶすっかりわすれた。
さよひめのどうのこうのでどうしたこうした。ってのだったような。もっとずっとふかくてややこしい話ですが。
思えば水沢周って人もふしぎな人だった。いくつかとてもだいじなことを教えていただいた記憶がございます。れぎおんで。

『青木周蔵』は上下巻じゃなくて上中下巻でした。

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コメント

写真の解説で、永久寺(廃寺)の拝殿を移築したもの、とありました。

なんと、その永久寺の廃寺跡に、芭蕉の句碑があるのです!

”うち山やとざましらずの花ざかり”

この拝殿は出雲建雄神社の拝殿ということですが、永久寺の当時は住吉神社の拝殿とか。

猶すみよしの神や守らぬ

蛙が瑞垣へ飛び込んできたのは1914年のこと。

これですね。
うた、意味がいまいちつかめません。とざましらずってなに。
水沢周さんの初盆になにかとおもって、過去のれぎおんをあさっていたら、「目摩膾(めすりなます、めこすりなます)」の句があった。さる歳時記の芭蕉の例句(真贋はなぞ。)

蛙子は目すり膾を啼音哉  芭蕉

「蛙を熱湯につっこんで皮をむき、芥子酢に和えた膾、あるいは手足がでたところのオタマジャクシをそのまま芥子酢にあえて、オタマジャクシが目をこすっているところを食うという、というものだそうで、この『歳時記』の作者も、また解説で引用している江戸期の筆者も未見、未食のものらしいのであるが、・・・略。」水沢周

とざま・・・は外様でしょう。他所から来た何かと言う意味かな。ここでは木、種、そんな仲間と読みましたが・・・

芭蕉と守武とのつながりを検索してたら、「荒木田守武神主四百年祭」の巻が出てきました。
この巻名の由来の「花の香に四百年祭厳に」という花句にびっくり。
堺屋での「五百年」の巻の花句は「五百年花の香残す言の葉に」でした。
   ↓

ただいま。

おつしろう。それ、すごいですね。
やはりなにかあるんでしょう。そういうことがあると、過去から呼びかけられた気がしますよね。もっとわたしたちの知らないなにかがあってそれにきづいてほしいといわれたような。伊勢神宮荒木田守武と久留米高良山との関係。そして神道にひきいれられてしまった芭蕉(神として祭られる意味)。
おつしろうがはじめて堺屋で詠んだ花の句、さりげなくていい句でした。さらっとシンクロしてましたね。
私もほとけぶちさんや高木さんといった達者な方たちと巻かせて頂いただけでも名誉なことなのに、ああいう、あんまりポピュラーではない俳祖を祭る忌日の大会に応募でき入賞できたこと(ちょうどそのときが450年忌という節目の年だったことも含め)、そのときはなんてことも思いませんでしたが、こうすべてがずらずらとつながっていては、逃れたくても逃れがたい俳縁を感じざるをえない。しやなかたい。

ところで。

くるめ上津荒木(こうだらき)信号の下を、ダイソーからてくてく新道を右へ、auショップまで歩きました。
電池切れで携帯が使えず、それでも息子と約束していたので、どうしても電池をいれねば困る。
こんな経験はありませんか。わたしは結構ある。で、どうしようかとない知恵ひねって、コンビニにいき、携帯電源いれさしてください。とおねがいしましたが、だめ。つぎにホカ弁屋。ここもだめ。でも、auの店をおしえてくれた。助かった。ついでに安心接続サービスなる不便なものをはずしてもらいました。自分のブログにつながらんというとんでもないサービスでした。

ああ、しまった。
今、あんまりポピュラーでない。と守武のことをかいてしまって。海外では有名らしい。高橋睦郎先生の『百人一句』の守武の項、エズラパウンドたちのイマジズム運動に影響を与えた。と書かれています。
落花枝にかへるとみえて胡蝶かな
たしかこんな句。

でもほんとに日本ではポピュラーじゃないよ。
ためしに「朝顔忌」で検索してん。でないから。
かささぎの旗が一ケでるくらい。
俳祖の守武忌のことなのにね。

嵐竹の教養

35番の嵐竹の秋風
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空

の本歌はこれでしょう。
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の
簾動かし秋の風吹く
(額田王)

嵐竹が受けた、33番の宗房の秋風
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

の中の「ゆふ暮の空」は29番の鑑教から受けています。
うき草にやどる蛍の影もいま
なえをはなるヽゆふ暮の空

宗房の「秋風」と「ゆふ暮の空」は39番でまた鑑栄が受けています。
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

この中の「あだ」は、24番の覚元と
えにしなき身ハあだ波の菖蒲草
たが家づとのつまとならまし

27番の嵐竹を受けています。
山川のあさせも此の五月雨に
よしあだなミはたヽじとぞおもふ

この嵐竹の本歌はこれでしょう。
そこひなき淵やはさわぐ山川の 浅き瀬にこそあだ波はたて
(太田左衛門大夫持資[道灌])

「あだ」は、46番の嵐竹でも出てきます。
あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花

「あだなりと」で始まる歌は伊勢物語にあります。

あだなりと名をこそたてれ櫻花
年に稀なる人も待ちけり

この歌は、能「井筒」で紀有常の娘(幽霊)が詠んでいます。
「井筒」は乙が初めて能舞台で観た能です(眠かった・・・)。

紀貫之と紀有常については、守武千句に実名登場句があります。

松かぜはきのありつねが夕にて
花のちるをやつらゆきもみん

おつしろうはまったくためらわずに、こんなおそろしいことをへいきでやる。こわいよ。どれがどれの本歌取りっていう考察は。もろ自分の教養を試されるから。でも、それが乙四郎がここへ来た理由。ありがとう。嵐竹のうたの整理。
むずかしいことはさっぱりわからんけど、かささぎ的嵐竹の意義はひとつぴかぴかに光っている。それはなんどもいいますが、恋の歌で、逢うということばの意味をきっちりおとしまえをつけてくれたこと。むかしの歌人にとって、「逢う」っていうことは、ずばりねるということなんだ。それをおしえてくれた。目がさめた。へ?って目をしろくろさせてくれた。それが嵐竹の来て逢はざる恋の庚申の歌。あれがあるから八女戦国百首は価値があるといってもいい。はあ、すんまへん。なにしろ、げひんなかささぎですからね。

でもさ。この戦国百首、どれもどこかでみたような歌だな。っていうのは、すぐにかんじたことです。さあ、ちょっと上品になりますよ。
なかで、じぶんは次の歌にみょうにひかれた。こんな歌が新古今になかった?そっくりな歌が。それは思い出せませんが、

33番、宗房。泉。
をのづからまたこぬ秋の初かぜや
わいていづみのゆふ暮の空

空のなかのいづみ。いづみのように初秋の風がわいてやってくる。

ほととぎすそのかみ山の草枕
ほの語らひし空ぞわすれぬ  式子内親王

宗房の空は式子内親王のこの空をつれてくる。
式子内親王は伊勢の斉王だった人。葵の歌もある。
伊勢。
伊勢をよんだ歌が一首ある。八女戦国百首に。
19番、孫七。
 三月尽
伊勢のうみや波よるもくさかきためて
暮らす神代の春はいく春

もう一つ伊勢がよみこまれているのは、伊勢の神垣。白ゆふかけて。あまてらす月。だれだったかな。
地名がでるのが、伊勢と難波と小野(炭)、くるす野。そのくらいでしたか。

式子内親王の歌。このひとがきになる。
ひまなときに目を通そう。せめて、このなかの「葵」の歌だけでも。↓


ながめる、漢字でかくと、詠嘆の詠、うたを詠むの「詠る」、とかきます。それは古語独特の用語、うたにはどんな使われ方をしているのかをしらべてみました。ネットですごい研究している人のものからひろえました。ありがとうございました。(なまえにはりつけてます)

まず、戦国百首うた。天文年間。

二十二   葵     鑑教

詠(ながめ)よとおもはす露やかヽるらむ
おりにあふひの花の朝更

花の色はうつりにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに  小野小町

ひとりのみながむるよりは女郎花
我が住む宿に植ゑて見ましを   壬生忠岑

今いくか春しなければうぐひすも
ものはながめて思ふべらなり    紀貫之

見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは
あやなく今日やながめくらさむ    在原業平

起きもせず寝もせで夜を明かしては
春のものとてながめくらしつ     在原業平

つれづれのながめにまさる涙川
袖のみ濡れてあふよしもなし    藤原敏行

大空は恋しき人の形見かは
物思ふごとにながめらるらむ    酒井人真

ひとりのみながめふるやのつまなれば
人をしのぶの草ぞおひける     貞登(さだののぼる)


ながめ、は、長雨ともかけているのか。ものおもいにふけりつつ、ものをながめる。
あの吹石さんのブログにあったのですが、梅雨ということばは昔の日本にはなかった。
たしかに戦国百首にもでてきません。

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