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2009年8月13日 (木)

『お伊勢まいり』  西垣晴次著

あった荑

朝、この本が足元におちていた。
結構あることです。
読んでおくれ、とあちらから肩をとんとんと叩くみたいな。
かささぎの机はいつだってごちゃごちゃしてる。

んで、ぱっとひらいた頁が15世紀の山田と宇治の抗争時代。
神人(じにん)=神職集団と神役人(じやくにん)=御師が醜い争いをする。血で血をあらう。
外宮と内宮の争い。

荒木田守武については直接載ってはいないみたい。
でも、さっきのところに、こういう記述がある。

「そうして、神は高いところから降りてこられるし、別の処から飛んでこられるのだと考えられていた。飛び神とか飛来神とかよばれるものである。そうした神が出現するのが影向(ようごう)であり、影向石とか影向松にまつわる伝説は各地に多い。影向したり、飛び来たった神がその地に定住するようになると、その地に昔からいた神は片隅におしやられてしまう。」
  中略
さて、「今神明(いましんめい)」という狂言がある。
「此頃、宇治へ神明の飛ばせられたが、これを今神明と名付けて、夥しい参詣がある。」
「宇治へ神明の飛ばせられて、申し事が叶うと申す、参詣致そうと存ずる。誠に末世とは申しながら、奇特がござる。」

ここから、宇治に今神明とよばれる社があり、それは神明が飛んできたことによるもので、流行神的に多くの人を集めていたことが知られる。

ところで、この狂言でも神明=伊勢の神が飛んできたことに、別に不審を持ってはいない。伊勢の神が伊勢の地以外に飛んだのは、これが最初ではない。

応永十四(1407)年の二月、若狭(福井県)の小浜に近い白椿上谷に天照大神が影向し、その三年後の応永十七(1410)年、これが今神明と呼ばれ、鳥居と橋が造立され、九月二十六日に供養があったことが記録されている。影向あるいは飛んできた神明が今神明と呼ばれ、供養されるほど人々を集めたのは、宇治の神明と同様である。」(ブルー字は引用)

と、このころ続いてあった、天からの飛来物の怪異とそれについてのまことしやかな噂が伊勢の神の信仰を得る格好のチャンス到来とばかりに広まって、それで民衆の不安な気持ちを鎮めることに成功してゆく様子が描かれます。
中世に多い天から「光りもの」が熱田社に落ちて、それが伊勢の神の影向によるものということにされ、その理由として伊勢の神は山田が不浄であるから、清浄な熱田に逃げていった、というような解釈がなされている。
それが人々にすんなり受け入れられるのは、それだけの背景があった・・・。

(この項、つづく。)

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コメント

あつかですね。

神明という町名はとても多いですね。
この辺にも神明宮、神明通り、神明町とあり、妹一家が住んでいたところも藤沢市神明町だった。
伊勢の神様が飛んできた・・・そんな話があるんですね。

昔、郵便番号帳を編集したことがあって、私がやったのは関東地方だけだったけど、「新田」という地名町名がやたらと多かったです。
農業農地に関係してるのかなぁと思いました。

さくらさんもいろんな仕事をやってみえたのですね。わたしは若き日、役所バイト時代に税務課にやられたけど計算が遅くて×、つぎに保険課で台帳記入をしました。そのとき、貴重な体験をした。忘れがたい。書けないたぐいのことゆえに。
神明とかいて、しんめい、とにごらないのですね。
神明が伊勢の神さんの飛び火のこととは今日はじめて知りました。

ところで。
今日、映画『西の魔女が死んだ』と『1リットルの涙』をみました。どっちも涙がぼとぼとぼと。たましいの映画だったよ。ことにさくらさんには西の魔女をおすすめです。娘が原作をわたしにも回してくれてたのですが、ついに読む暇がなかった。きれいな映画でした。

岩戸山古墳の神社(まったくもってお伊勢さんらしくない)が、なぜ天文24年に「今」伊勢宮なのでしょうか?
戦国百首は、本家の伊勢神宮へ奉納するために編集されたのでは。
ところが、伊勢からの客人たちが持ち帰らなかったので、渋々、筑後で最も由緒のある磐井の墓の上に神社をこさえ、伊勢社と命名してこれを保管したのかも。
天文年間の九州の「お伊勢さん」といえばこれ。
   ↓

どんどんどんの森のちかくにあるんだ。それは知らなかった。佐賀のあそこらへんには神社がわりとあって、佐嘉神社とか松の名のつく神社とか行ったことある。この近く、天神という地名のところに住んでいた。かささぎの夫がですが。五年近く。

岩戸山古墳をずっといけば、お茶畑が広がります。
その途中に宮司さんの家があるのを、去年仕事で契約書を回収にいった途次にみつけました。ここに聞けばもっと詳しい話がきけるだろうな。とおもった。
あの和歌の現物というかほんものをみたことがないんです。コピーしか。まきものだったのか、それとも何枚かの和紙に書かれていたのかを知らない。でもコピーを見た感じでは、巻物っぽいですね。つぎめがないかんじだし。字、きれいかったなあ。あれは天文年間よりあとの写しではないだろうか。と感じた。寛文十年くらいの。これはカン。
岩戸山古墳上の今伊勢宮はいつからあそこにあるのかな。かなり後世になってからではなかろうか。
でも矢野一貞が描いている絵にはある。西の松尾宮(水の神、酒の神)とともに、東に今伊勢。
現在の和歌の持ち主は福岡にいらっしゃる。十年ほど前、暦論をかいていたとき、その歌の紹介を紙上でやったことがある、れぎおんで。で、その本を持ち主に送ったことがありました。なしのつぶてでしたが。住所もわすれていまいました。以上。

八女市内に「伊勢神社」がありました。
住所表示は八女市長野791
この地点と、姫御前の頂と、飛形山の頂を結ぶと正三角形になります。

矢野一貞の絵には「伊勢社」とあります。

長野ってどこでしょう。しらん。
八女市内の神社サイトをみました。
長野には神社が多い。なぜだろう。
さいごにわが寺田天満宮もあった。
じぶんちかとおもった。

矢野一貞の絵には伊勢社。そうでしたね。わたしもコピーした矢野のスケッチを持っています。筆でかいたすっきりした絵。
では、今伊勢ってどうしてわかったんだ?ああ、そうか、歌にそう書いてあったから。
今伊勢同前詠百首和歌。これで勝手に今伊勢宮っておもいこんでしまったのかもしれない。どういう意味だったんだろう。

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