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2009年8月31日 (月)

落日と旭日とにんげんの火と

にんげんの火がまだ八月の樹にのこる 

  大分  河野 泉

第56回長崎原爆忌平和祈念俳句大会大賞句。

大会長の柳原天風子師、実行委員長の前川弘明氏はじめ俳句大会事務局のみなさまへ深い敬意をささげます。
このような真心のこもった俳句大会が戦後56年間も続いてきたことに、被爆国日本のたましひの核にふれたような慄きさえも感じて、わたしはあやうく涙ぐみそうになります。りっぱな作品集を送付いただきまして、ありがとうございました。

まるで選挙の翌日の新聞のようなといいますか、わずかの時間にこれだけの数の(785)句を束ね、選者50名近くに送付し、集計し、それぞれの選評をつけて誤植なく掲載する。そして全投句者あてに八月半ばまでにまちがいなく送る。
それはなんと奇跡みたいな作業なのでしょう。

今年はオバマ大統領が米国大統領としては初めてプラハ演説で核廃絶を唱えた記念すべき年でした。
かささぎのようなひねくれ者でも、この時代の節目の大きなうねりに気づくことができたのは、ここを訪問してくれる小学校時代の友・竹橋乙四郎のおかげです。

「オバマ大統領のプラハ演説、乙四郎官僚篇」:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ac94.html

かれはこんな句を大会へ手向けてくれました。

散りぬれどプラハ便りに青葉吹く   竹橋乙四郎

オバマ大統領の演説がよほどうれしかったのでしょう。
わたしはこの年まで生きて、政治の裏側にあるものの醜悪さばかりをおもう癖がついておりましたので、オバマ大統領のかような演説をきいたとて、ああ、アメリカの戦略がかわるのだな。というかんじの感慨しかうけとりませんでした。ですから、元厚生官僚の同級生がこのような、まるで純朴な小学生のような反応をみせることに、却ってはげしく胸をうたれ、居ずまいを正した次第です。

居ずまいを正すといえば、かささぎはこんな句を奉納しました。

雪に焚く牡丹の如き業火かな     姫野恭子

もっとも美しい火はどんな火だろうか。
最も崇高で気高き火は、雪に焚く牡丹のような火であるかもしれない。
このような火があることをかささぎは、さる俳人の書かれた文章のなかのさりげない一節から知りました*。(澁谷道氏の『紫薇』での文章)

落日は旭日と似ています。
写真に撮ればどちらがどちらかまるでわからないほどに。
というより相は全くおなじ、このことがかささぎの目をみはらせます。
これはいったいなぜなんでありましょうか。
星野村でまだ燃えている醜悪なにんげんの宿業がおとしてしまった核の火も、もっとも美しい火とまるでかわらない貌をしている。*
これはいったいなぜなんでありましょうか。

長崎市長の田上富久氏の「長崎平和宣言」、長崎県知事金子原二郎氏の「慰霊の詞」、それにノーベル平和賞を受賞した17名の世界の有志が署名した、「ヒロシマ・ナガサキ宣言」が今回の作品集には採られています。これまでにない何かを感じさせる、あたらしい時代の原爆忌平和祈念俳句大会でありました。

ノーベル平和賞受賞者による「ヒロシマ・ナガサキ宣言」http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter_d/jp/hiroshima-nagasaki/index.html

新聞報道によれば、76年受賞のメイリード・マグアイア氏(北アイルランド)とともに田城明氏(中国新聞特別編集委員)が構想を練った。
ただ、賛同者には名簿をみればわかるように、米・ロの受賞者は少なかった。

*:ヒロシマ・ナガサキ両方の核の火を守り続けているのが八女郡星野村のひとたちであることに、ふしぎな感慨を覚える。http://plaza.rakuten.co.jp/rumesan55/diary/?ctgy=0

2009年8月29日 (土)

芭蕉の櫻  英語俳句 5

保健医療経営大学での英語講座

さまざまの事おもひ出す櫻かな   はせを*

かささぎ迷訳

the  cherry  blossoms 
make me remember 
so sweet regretful things     (kyoko)

佐藤哲三教授の訳

The  cherry blossoms  here  in  bloom

Remind  me  of  things  of  joy and gloom.   
 
   (Tetsuzo Sato)

かささぎ推敲句  

Cherry  blossoms  remind  me   

So  many  sweet  and  bitter things

ーー  All  at  once

韻を踏むことは難しい。
イメージと合致する英単語を並べ、リズムを整え、なんとか意味を通し。
でも韻なんて踏めない。先生の英訳をみて、あっしまった、思い出させるはちゃんとリマインドって単語があったんだ!ときづき、もう一度工夫する。でもやっぱりいまいちいまに。
さらに難しいのは、冠詞。つけるか省くか、いっつも逡巡する。
で、もう、適当にやっている。先生、ごめんなさい。(おーまいがっ・・・)

* まつおばしょうの仮名表記、なんで「はせを」なんでありましょうや。
「はせう」ならばわかるけど、「はせを」だなんて、だれが思うでしょう。
・・・まちがえた。 もういやんなる!

ごまかしのために、英訳問題の中で出てきた、ぜんぜん有名じゃない(検索してもでません)
Todd Stevenという作家の名前のスティーヴンは、有名な小説家のStephen King のスティーヴンとはつづりが違いますねえ。
なんていいました。
すると佐藤教授は、ステファンとかいてにごらないつづりなのは、きっとフランス系かなんかでしょう。とおっしゃいました。

スティーヴン・キング:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

  追伸:

みつけてきました。名前の由来。聖ステファンっていたんだ。ギリシャ系って。

stephen:http://www.behindthename.com/name/stephen

最初の殉教者とあって、気になったので、ウィキでも検索。(しつこい?)
なにしろかささぎは連句人ですんで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8E

もう一件、そのまま引用、おゆるしを。
 聖ステファン St.Stephen

原始キリスト教会最初の殉教者。日本語では聖ステパノ、聖スティーブンとも表記されます。議論に長けた彼は、妬みを買ってしまい、偽証による裁判を受けることになりましたが、そこでもユダヤ教の指導者を非難したため、怒り狂った人々によって、石を撃たれ殉教しました。アイルランドでは、12月26日を聖スティーブン(ステファン)の日として、お祝いをするそうです。
――「こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、『主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい』。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい』。こう言って、彼は眠りについた。」(使徒行伝7章 59-60節)

   

2009年8月28日 (金)

佐世保市街

佐世保市街

いとこ運転のセドリック(二十年もの)に乗せてもらって、葬儀に参列する。
途中雨。

娘をなくした伯母は意外にもしっかりとしていた。気丈に耐えていた。

結婚以来ともに妻の病気と闘ってきた御主人が、号泣された。

再び、御船山

再び、御船山

「武雄競輪」出張したときに見えた独特のみふね山の形。

御船山の山頂には住吉の神を祭る祠があるらしい。

http://www.sairosha.com/yama/mifuneyama.htm

 後尾にて車掌は広き枯野に飽く 小川双々子*

▼ かささぎの連句的

 船尾にて水夫(かこ)は真広き海に飽く   姫野恭子

* 小川双々子句の引用

『円錐』42号(2009・autumn)所収『戦後派俳人の青春性』澤 好摩

参照記事:俳人・小川双々子について

「小川双々子を悼む」:http://www.geocities.jp/haikumomoka/sousousiwoitamu.html

朝の大豆畑

朝の大豆畑

一月でこんなに大きくなるなんて。母が植えたものです。

2009年8月27日 (木)

筑紫次郎

仕事帰り、三潴図書館でぼんと待ち合わせ。

それなのに一枚。

ずっとずっとここの写真が撮りたかった。

ぼんから、『わがふるさと 高三潴概説』を借り受ける。

選挙が近いよ、乙四郎もと官僚語録

選挙の公示と告示の違い。
国会議員の総選挙の場合が公示。
その他は告示。
総選挙は天皇が「公示」します。
日本国憲法第7条に書いてあります。
その他の選挙は、選挙管理委員会が「告示」します。
国会議員選挙でも、補欠選挙ごときは告示です。
ややこしややこし。
酒井法子は「覚醒剤取締法」違反の容疑。
押尾学は「麻薬及び向精神薬取締法」違反の容疑。
若の鵬は「大麻取締法」違反の容疑。
それぞれ違います。
では問題です。
けしを栽培したら何法違反でしょう?
答え:「あへん法」違反です。
全部、厚生労働省が所管の法律。
あ~ややこしややこし。

ありがとうございました。これですっきりと腑におちました。それで合ってる、ボスの父上は地方議員でしたから。
だけど、そんな細かなことにも呼び名が微妙に違うなんて、こないだやった伊勢参宮(これは公的な参拝をさして言う)と伊勢参拝(私的な参詣)のちがいによく似ているよね。
ところで、お昼のニュースをつけると、必ず酒井容疑者は・・とやってて、押尾容疑者は出ません。これはなんでかな。人気の差?花があるかないか?

今日は、某省の大臣が筑後地区に来ています。
このところ、霞ヶ関では、ずっと大臣不在、副大臣不在、政務官不在の状態が続いています。
これで国家が機能不全を起こさないのは、官僚がしっかり留守を守っているから。
事務次官が何日も留守をすることはありません。
その省の行政が滞るだけではなく、省庁間の利害を調整する事務次官会議を欠席するわけにもいかないため。
事務次官会議というのは、法律上の設置根拠はありません。
省庁間の調整は「閣議」の役割。しかし、実際は、事務次官会議で了承されない案件は閣議には諮られていません。
「脱官僚」を掲げる某党はマニフェストで事務次官会議廃止をうたっています。また、「与党議員が100人以上、大臣・副大臣・政務官等として政府の中に入り、中央省庁の政策立案・決定を実質的に担うことによって、官僚の独走を防ぎ、政治家が霞が関を主導する体制を確立します」とのことです。
中立性にこだわるあまりに押しつぶされそうだった官僚の責任が緩和されそうです。
「責任」の所在は与党に大きくシフトします。
政権を取り政治主導を実現された暁には、選挙だ、外遊だ、と職務を長期間放置されることなきよう、お願いいたします。

誰?
菅さんですか
ゆめタウン 人が集まりはじめてるらしいですよ

ううん。たぶん桝添さんだよ。
あちらこちらに看板がたってた。
西鉄久留米駅前広場で演説があるらしい。
混んでるだろうなあ。

国政の方向付けは議員どのの重要な役割でありますが、その方向付けもじつはけっこう官僚が下案をつくってたりするっちゃないと?本質的な問題点を明確にさせるのは官僚たちのはず。じゃあ、国会議員の実質的な役目はなんなん?と、冷たい目で国民はみています。

舛添さんだったね、厚労省だいじん。笑

はなしを連句的にころっとかえますよ。

調さんがなぜ今とびこんできたのかを考えてる。
後鳥羽院と小侍従との血。
わたしはそれは真実だったとおもうのよ。
歴史の表面にでることができる事実は限られているんだということが最近、身にしみておもわれるから。
こないだ事務所の応援する前代議士の講演を聴きにいった常務が話してくれた。はとやまさん。兄は本妻の子、じぶんはめかけの子だったので、兄よりずっと苦労している、ということを支持者の前で話されたらしい。この話、きいたことある?わたしは初めてきいた。ああ、だから似ていないんだってこれで納得しましたよ。
そういうプライベートなことは人は隠しているものなんですね。でも、血は隠せない。あらわれる。
それとおなじ、いやもっともっと重大な秘密事項だったのでしょう。いのちのかかった。

今朝の読売新聞によれば、舛添さんは西鉄久留米で演説をなさったようですが、夢タウンには、官さんがお見えになったようです。どちらも観衆が多かったようですね。

きのうボスや顧問に、大臣がくるって、だれでしょう?ってきいたら、ゆめタウンに換算がくる。ってへんじだったのよ。まあ、そんなかんじなんで、だれが現職のだいじんで、だれがやとうの民主で、なんてちいとも思っていないよ、草の根レベルはね。ごめんね。でもそんなもん。

元官僚のおつしろうが憤慨したって、政治家ってそんなもんなんじゃない昔からずうっと。草の根もこんなんだよ。てえげまんげ、。

それから伊勢をしらべていて(ったって「お伊勢まいり」を読んでるだけですが、ぼちぼちと)、ずうっと昔の千年前くらい昔の研究者(どうも官僚みたい)も、みるとこ、きっちりみてたんだな。って感心するようなことが書かれていました。
ねえ、伊勢神宮って皇室のうじがみさんだっていうふうにいいますよね?だけど、皇室がはじめてお伊勢さんへ参宮したのは、明治天皇が最初なんだよ。そしてそのときの絵を描いたのが、民俗学者・柳田國男の弟で日本画家の松岡映丘(聖徳記念絵画館蔵)。

では、きょうも元気でいってきます。

2009年8月26日 (水)

丘の上の建物

丘の上の建物

たとえば、こんなこと。
ビルの最上階の角部屋に住んでいるのは過去からきた宇宙人で、アンドロメダ星人。
ときどきうちの窓をのぞきこんでいる。
わたしもときどきのぞきこんでいる。
目があう、と、すべてがみえる。

(そうだよ、くうそうだよ。)でも、そんな雰囲気しない?
こないだ、この裏側を通った、偶然。
おなじ建物を反対側から仰いだ。
写真を一枚撮ろうと思ったけど、信号が青になった。

農家の中庭

農家の中庭

我が家ではここを「中庭」と呼ぶ。
どこが中庭、って思うでしょう。
軽トラのむこうは大きな冷蔵庫、むかし、イチゴを冷蔵してた。
ここに馬がいたんです。
馬小屋だった処。ですから、中庭。

2009年8月25日 (火)

調一族の血 しらべさんからの手紙 2

きのうセイコさんところへイチジクを持っていったとき、調さんのことを話しました。
知り合いに黒木町の調さんがいるとのこと、だけどあまり黒木には調姓はおられないそうです。歴史的な意味合いがあるのでしたね。(しらべさんのお便りの中に少し触れられている、朝倉の入地って地名が関係するんでしょう。)

調さんの手紙に対してのかささぎの返信は省略します。
と思いましたが、初めてのかたのために、引用します。
調さんとの縁は「黒木城哀話」を引用した所からですので、それ以前の伏せんを。

調  様

さっそく返信をいただき、ありがとうございました。
読んですぐ、なるほどとすうっと腑におちました。
あの黒木城哀話を書き写しながら、なにか奥歯にものが挟まったようなかんじといいますか、
隔靴掻痒感めいたものを感じました。それは、小侍従のおなかの子はだれの子だろうか。

という疑問です。後鳥羽院とすればいっそすっきりとほぐれるのになあ。と思いましたもの。
琵琶法師の語る物語では恐れ多くてそこまではいえなかったのでしょうか。
物語の中では、後鳥羽院というお名前さえぼかしてあったような気がします。
わたしはそれとはまったく別口で、ちょうど塚本邦雄の後鳥羽院の歌に関する本を読んでいまして、
だからはっきりと書いてくれてたら、もっと黒木助能の一族の物語について興味が湧くのになあ。
と、まずそのことを思ったのでした。あれをブログに書き写したときに。

ところで、調様は八女が本籍なのですか。
本籍が福岡にあるということは、何かにつけ、福岡の本籍地へ戻らねばなりませんね。

こんど、秋に戻られるときには、ご連絡ください。
なにか、お会いしたい誘惑に駆られます。笑
えーっと、私のほうの因縁ですか。
これはです。書けば書くだけつらいものが湧き出てきますんでちょちょっと。
ざざっと書けば、私は八女市内に住んでいますが、昔は母親の親里で
出産したでしょう、だから母の里の黒木(笠原、八女茶発祥地)で生まれたのです。
ずっと母は黒木が里と思っていました、ところがよく聞けば、母の父も母の母も星野村の
出だったことが解りました。谷一つしか違わないところではありますが。
で、その先祖に拘る猫のひたいほどの土地があって、それが公道になるために私の一族の
印鑑を集めなければいけなくて、それを依頼に星野村役場の人たちと星野村黒木谷の製茶業をされている原口さんとおっしゃる方ともう一人が我が家にお見えになったのです。
これが一年半ほど前のこと。うちの母が最長老になっていましたので。それで私もその印鑑証明を集める手伝いをして、最後の一枚を福岡まで行ってもらって来、星野の役場にだしました。
それでやっと公道ができたという次第です。ちいさな道いっぽん作るのにすごい苦労。
この公道が、「高野堂」への道だと原口さんから聞き、もともとそういうことに興味ありますんで、
高野堂とはなにか、私は一人で見に行った、それはブログで写真をアップしています。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b7a9.html

星野黒木谷、高野堂、で検索すれば出ると思います。五枚くらいの写真。
で、ひとことでいえば、高野堂は「行空上人の墓」でありました。
その小さな祠の横に、星野教育委員会が書いた看板があって、写真をアップしたのを引き伸ばして
読んだところ、黒木太夫とか待宵小侍従とか書かれています。
まっさか、うそでしょう、って気分なわけです、だって小侍従といえば、あのとっても有名な小侍従しか知りませんもの。

それに、ブログにも書きましたが、お墓を実際に見に行ったら、
天文十六年、とあるんです。
天文年間、それは私がこの十年間、ずっと調べている八女戦国百首和歌の詠まれた年代です。
本こそ出してはいませんが、九州俳句誌(俳句の超結社誌です)に「暦論」を四年間連載したとき、
その中で、歌のよみをやりました。天文二十四年癸卯、卯月二十五日の記入がある百首和歌、しかし
その年号はおかしいのです。えとと年号があわない、という謎をひめている。
そういうこととか、その和歌を預かっておられたのが吉田山(岩戸山古墳)の伊勢宮の人だったこととか、
いろいろとつながっていて、ずるずると入り込んできている、という次第です。
おおやけの書類では、あまり肝腎なことは載っていないようですね。

しらべさん、このメールの内容はどこまで書いていいんですか。
かささぎのきわだつ特徴として、なんでも書いてしまう癖があります。
あまり隠し事は得意ではありません。ですから、絶対に秘密にしなきゃいけないことは、
教えないでください。
長くなりますから、この辺で。  

                 かささぎの旗、ひめのより

姫野 さん。

こんにちは。

私の本籍は星野ではなく福岡の朝倉入地になるのです。
実はこの朝倉の地にも先祖にとって別の深い意味があるのですが。。

ご存知かもしれませんが、星野氏は島津方につき豊臣連合軍によって
滅びました。その後は鍋島、有馬、久留米、黒田藩等々に散らばって
いくのです。ちなみに蒲池家もそうですね。蒲池家とも調家は深く
関わっています。
(全く何一つ知りません。歴史音痴です。姫野脚注)

行空上人の事は把握していませんでしたが、平安後期から鎌倉初期の
方となっていますね。

#どうも件を見ると空也上人にだぶり気になるのですが。。。

平安後期だとすると助能と小侍従の時代で間違いはないでしょう。
高野山は小侍従の一族ゆかりの場所です。
そこから現在までの高野山と縁ができたと聞かされています。
確か本覚寺は小侍従が建立させていましたね。。うろ覚え。。

六地蔵はその場所に星野ゆかりの墓があったのではないでしょうか?。
現在は一箇所に集められたと聞いていますので。

#今度是非案内お願いしますね。(^ ^;

星野氏の里に古くは行基や柿本人麻呂等々も訪れ滞在していました。
もっと古くは景行天皇。。
また懐良親王、長慶天皇、楠正行一族、前田一族も(尾張→加賀)
訪れそれぞれ匿っています。

表に出ている歴史年号も事実とは限りませんし、多少ずれが生じている
ケースもあると思います。
この場合は多少のずれではありませんが、意外と同じ名前を引き継ぐ方も
いらっしゃるので、断片的な年号だけでは判断しづらい面もあります。

#ただ、いずれ明らかになりすっきりしますよ(笑

因縁とは不思議なもので何か明らかにし無ければならない祖先からの
メッセージだと思っています。自分では意識していなくても何か取り組む
理由が隠れていると思います。
そして姫野さんのご先祖様と私のご先祖様にはつながりはありますね。
因縁も共通部分があるような気がします。


ですので、こうして行動されている事は非常に重要な事ですので引き続き
粘ってお願いします。

#個人的にはインスピレーションが大事だと思っています。
私も直感から事実にたどり着いた内容が多々ありますので。

     調 

1 調さんがお願いされた六地蔵への案内、わたしもまだ行ったことがないです。
しかし、場所はだいたいわかる、黒木とありますんで。荘厳寺境内。
六地蔵つながりで、広川村、熊本にちかい鰐八、そしてここ。
そういえば、文化財課の古賀の音彦さんがいってた、地蔵信仰は十四世紀にいちばん盛んになる。だったっけ?十三世紀だったかな?ああもうわすれてる。あたまわる。
 しらべさんが、今度の連句合宿にいらっしゃれば案内できますが。黒木でやりますんで。それまでに調べておきます。
2 柿本人麻呂。この人、きたのですか?
そういえば、竹橋乙四郎が以前かいていたような。人麻呂神社があるって。

2009年8月24日 (月)

調一族の血 ー しらべさんからの手紙1

しらべさんからのメールをご紹介いたします。

一切、差し障りなどには配慮はいたしません。

けれども、もし何かございましたら、全ての文責はかささぎの旗が負います。

以下、しらべさんからのメール全文です。

私の本籍は福岡なのですが、残念ながら住まいは九州ではありません。
横浜に在住しています。故あって私も以前からいろいろと調べていました。

簡単ですが調一族に関する説明をしますね。内容は一族に伝わる家系譜に
よるものです。

助能には三人の子供がいました。

・黒木氏(猫尾城)→黒木四郎 (父)助能(母)待宵小侍従

・川崎氏(犬尾城)→川崎三郎定宗 (父)助能(母)築地姫(島津忠久の養女)

・星野氏(妙見城)→星野胤実 (父)後鳥羽上皇(母)待宵小侍従

黒木町にある物語のおそらく元となっている「黒木物語」等に出てくる
記述は多くは当時の琵琶法師によってかたり継がれていたもので、
現在のマスコミのような役目をしていた琵琶法師は知られてはなら
ない部分だけは改ざんして一般受けするように脚色したのだと推測
されます。
※そのような話は全国にもありますので。

この三家を総称して調一党と呼んでいたのは事実ですが、調姓はその
特殊な事情から後鳥羽上皇の子供である星野胤実のみ引き継いでいます。

#ただ、この後に黒木家と星野家は血縁を結んでいきます。

私の姓も調ですが、正確には「調姓星野氏」となります。
昔は姓(かばね)は名乗らず氏を名乗っているのが通常でした。。
元々黒木助能から始まった調姓ですが、星野氏もこれは天皇から賜った
特別なものなので、江戸中期までは調姓は使っていませんでした。

小侍従ですが、これも確かに諸説いろいろあるようですね。
ましては当時文学的に重要な方だったので、現代の第三者が考えると
今で言う京のスターが片田舎に落ちていくイメージを覆すものが
見当たらないかと思います。

年代も年齢が合わないと言っているようですが、
元々高倉天皇に御仕えしていた小侍従は待宵の歌を歌った小侍従とは
別人で彼女の母親のようです。
小侍従(阿波内侍)そして待宵小侍従は(貞政院)となっています。
親子なんですね。二人を一人と見られておかしいと言っているようです。

#ただ詳しい年代は私も資料が乏しくこれから調べてくとこです。

待宵小侍従(貞政院)は母親の小侍従(阿波内侍)と父親は源頼政となって
います。

黒木助能自身は摂津源氏の嫡流で多田蔵人行綱の子供なので、同じ摂津源氏の
本流である頼政の血筋と縁談があってもバランスを考えてもおかしくはないと
思えます。

#助能は別に単なる地方の田舎侍ではないのです(苦笑

また助能は幼児期に島津忠久に預けられ、その縁で築地姫と夫婦なのですね。

また、当時の天皇の背景には政治的には非常に複雑に微妙な状態でした。
天皇の側室の子供の存在はあまり表には出さないのでしょう。

お聞きになっていた六地蔵の件ですが。。残念ながら私は現地事情を把握して
いません。何か場所や手がかりになるものはありますか?場所が星野村に
あるとするならば、星野村は元々星野氏(調一族)が統治していた地域なので
何らかの関わりはあると思います。

#少し調べてみます。

ちなみに星野村には散らばっていた星野氏の先祖の墓が集められています。
星野氏が滅んだ後の調姓星野氏の墓は朝倉の入地にあります。
私も常日頃一族の事をもっと掘り下げたいといろいろ調べているのですが、
遠方でなかなか現地に足を運べずいつも歯がゆい思いをしています。

今年は涼しくなってから久しぶりに星野村を訪れるつもりですので、そのときに
お会いできるかもしれませんね。

#メールでは書ききれません。

調(しらべ)は(つき)とも呼びますね。これは時代が更に遡り、東漢氏と西漢氏の
調氏(つきし)に由来するものです。(つき)とはみつき。。つまり天皇に貢物を
意味するものです。これも長くなります。。

姫野さんは因縁と言っていましたが、どのような因縁なのでしょうか?
差し支えなければ教えてもらえないでしょうか?何か手がかりがわかるかも
しれません。

またご連絡下さい。

    横浜市在住  調

参照記事:

東漢氏考:http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-19.html

博才とはなにか。

博才=ばくちに勝つ才能。

長男へ言い聞かせたことの一つに、自分の小遣いは自分で稼ぎなさい。
ということがあった。
これは最重要項目であることを何の苦労も知らない青年に解らせた。
結果、彼は週に二回、コンビニで深夜バイトをするようになる。

あたりまえのことだ。
父親が失職して、無収入なのだから。
学費はなんとか母が工面してあげるけど、生活費はあなたが稼ぎなさい。

むすこは二年前、派遣社員として岐阜に行っていた時期がある。
そのころパチンコをして、勝って、株をやっていたらしい。
いや、なにも話さない。でも、部屋を片付けていたら出てきたのだ。
通帳。すぐ撤退したようだったが。

本を買っている。

たとえばこんな。

「なぜ投資のプロはサルに負けるのか?」 藤沢数希

「マンガでわかる株式投資!ー女子高生株塾」 ホイチョイプロダクションズ

「他人を見下す若者たち」 速水敏彦

ライトノベル作家の上遠野浩平が好きな長男。誰よりロマンチストなんだよ。
兄ちゃんは何を考えてるのかわからない。
と弟に思われているけど、やはり兄は兄なんだな。と、さいきんおもう。
父の仕事をしてくれる。米のすりはぎ係、運ぶの重いんだよね。

博才とは何か。

それは負けを察知したときに、冷静にさっさと撤退する才能のこと。

むすこには、どうやらその博才があるような気がする。
(ばどさん、うらやましかろ)

あきれた母親だとじぶんでもおもうとります、はい。
どうか、ぶたないでください。

テゴマスのコンサート

金曜日娘と行くはずだったサンパレスでのテゴマスのコンサート、母は仕事で行けず。

とっても楽しかったらしい。キャー!!っていって発散したんだろうね。

テゴマス、Miso Soup: http://www.youtube.com/watch?v=mOrZX2858e8

きっとマスダって子が好きなんだろな。

椿油のリンス

オフ会でぼんちゃんにめざとく発見されたかささぎの毛玉。
おやさしいエメさんに椿油リンスというのを伝授されました。

やってみました。

すすぎにお湯割りの椿油を少量。

ほんとだ!
おちつきましたよ。

髪が一本ずつ別方向むいていたのに、言うこときいてくれました。

ありがとうございました!

2009年8月22日 (土)

吉田村岩戸山

吉田村岩戸山

2009年8月21日 (金)

えめさんとらんちゃんから預かったもの

えめさんとらんちゃんから預かったもの

黒木氏のこと

こんどの国民放送の地域ドラマが黒木だそうです。
黒木氏関連の記事を連句的にまとめてみました。

これ以外にもあるかと思いますが、とりあえず。

1黒木町城山(調山)哀話 上
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-df56.html

2 同  下
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ff3b.html

3 天文年号誤表記の謎解明まであと一歩:コメント欄
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-b955.html

2009年8月20日 (木)

昼ごはん

昼ごはん

明治屋のお惣菜。オクラと山芋のっけそば(おいしい!)と、レバニラ炒め。
レバーが嫌い、でもこれはレバーに片栗粉をまぶして揚げてあるので大丈夫。
バテ気味でした。元気が出ました。
週の半分は自分のお弁当、あとは買ったり、食べに行きます。
明治屋のお惣菜では、中華丼の味が好きです。
でもチャーハンに掛けるのだけはやめてほしい。白ご飯じゃなきゃ。

そば:298円、レバニラ炒め:196円、合計494円也。
レバニラのほうには、もやしとにんじん、レタスも入っていました。

追記)

夜に国民放送で『毎日がイタリアン』って料理番組を母と二人でみた。
そしたら、あこがれの「乾燥いちじく」が使われました。
シロップで乾燥いちじくを煮て、やわらかなジャムにして、ナッツの粗刻みを入れて、地方色豊かな長いパンのスライスの上にのせて、さらに山羊だったか羊だったかのややこしい名前のチーズものせて食べる。
かりっとやいたパン、お盆にみた『西の魔女が死んだ』でもふんだんに出てきました。
とてもおいしそう。

乾燥いちじく、いちど作ってみたい。干し柿みたいにやるのだろうか。
おととい、又城島から三潴あたりをうろうろしていたら(「東京物語」を借りに三潴図書館に行ったので)、我が家みたいにいちじくをたくさん植えた畑がありました。かささぎは、きっといちごからの転作じゃなかろうか。と思いましたよ。
かれらはすべて、生食用に出荷しているのだろうか?
乾燥いちじくにしたらいいのじゃなかろうか。需要はあると思います。
生ではさほど食べられるものではありませんから。ひとり一個どまりで。

うちはまったく出荷していないのですよねえ。趣味の園芸。

アフガンの選挙  日本の選挙

 竹橋乙四郎

今日(20日)は投票日。
といってもアフガニスタンの話。
大統領選挙ですがこんなことになってます。
14日、カブール市の空港地区にロケット弾が打ち込まれる。死傷者なし。
15日、カブール市の国際治安支援部隊(ISAF)本部前において、車両を用いた自爆テロが発生し、7人が死亡し、91人以上が負傷。
18日午前、カブール市の大統領官邸近くに迫撃弾2発が着弾。被害等は不明。
18日午後、カブール市の主要都市道路で車両を用いた自爆テロが発生し、7人が死亡し、50人以上が負傷。
ここに書いてある場所が報道映像で流れていますが、いずこも見覚えがあります。
あれから何年も経っているのに、一向に平和が訪れないのがもどかしい。
復興支援の仕事やってると、銃声が身近です。
パン、と短い乾いた音。

  かささぎの旗ひめの(わたし愚物です)

公示日の数日前、マイボスが、「もうじき告示日ね。」といわれた。
えっそれはなんですか。とあほかささぎが聞くと、
「事務所に並んで受付をしてもらうのよ、立候補できる資格があるかをみせて、それが終わったら、もう運動ができるってことよ。順番があってね。」
へーえ。そうだったんですか。なんにも知らなかった。
「父がなんども選挙を戦ったからね。いまも告示日が近づくともうそれだけでドキドキするとよ。」

(公示は告示といっしょみたいね。)

十八日お昼、近くの公園での出陣式の警備を請け負う。
「姫野さん、いきたいならいってきてもいいよ。わたしはいかない、暑いから。」
えっそうですか。竹ちゃんいこうか。あ!でもその分、時給から引きますか。
「そりゃあ引くわよ。当前、その間は仕事しないんだし。」
ここでみんなが、うわー!!
結局いかなかった。ちょっといきたかったな、写真撮りに。
(去年は行った、ボスもみんなも全員で。お給料もくれたし)

今そんだけきびしいってことなんだよ。まったく余裕なし。

連句的リンク:

ファクタあべしげさんのブログ記事。

「中国に抜かれる日本のGDP」http://facta.co.jp/blog/archives/20090803000885.html

その肝どころをコピペしときます。

文章:阿部重夫

日本は逆転を覚悟しなければならない。前に進んでいるようで実は後じさりする故マイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーク」のような経済では、追いつかれるのは当然だろう。なのに、悲憤慷慨はもとより起死回生策の揚言すらない。とうから諦めた顔である。

末端では、補助金漬けで崩壊に瀕した農村をどう立て直すのか、さっぱり知恵が働かない。政権の座につきそうな民主党は、前代表肝入りの戸別所得補償で「アメを与えて安楽死させる」だけ。片や自民党農水族も、落選を恐れて大盤振る舞い、減反見直しなど石破農水相の改革検討を封じこめて得々としている。

ラクイラのサミット(主要国首脳会議)では、世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)を来年妥結させることで合意したのに、日本の農水守旧派は「WTO脱退」と息まく。待ったなしの現実に目をつぶっているにすぎない。

もちろん、脱退などしたら、日本の輸出産業が立ちゆかなくなる。隣の韓国は欧州連合(EU)と自由貿易協定(FTA)を締結する交渉が妥結、サムスンや現代自動車など韓国の工業製品は世界第2の市場である欧州で、3年以内に9割以上の製品の関税が撤廃され、5年以内に全面撤廃となる。農水族の抵抗でEUとの貿易連携協定(EPA)交渉が進まない日本とは対照的だ。今後はパナソニックやソニー、さらにトヨタなど日本のメーカーが高率関税の障壁で不利になることを意味する。

経済大国は一場の幻だったのか。日本は「中国に負けたのではない、高齢化に負けたのだ」と負け惜しみで自分を納得させるのか。

『ディア・ドクター』の結末に観客はかすかな慰籍を与えられるが、沈みゆく日本にニセの処方箋を与えても息を吹き返すことなどありえない。

天は自ら助くる者を助く。

2009年8月19日 (水)

きのう、ガストでオフ会

かささぎはガスト上津店に十五分前についた。
テーブルを予約していた。係に頼んで二つをくっつける。
ファミレスだし、ざわついてもいるのですが、気のはらないところがいい。
なんにしろ、高校生気分で入れる。しかも安い。
でも、あんまりお酒好きには向かない。

まず、ぼんが到着。そうこうするうち、仕事帰りのぼんのご主人、彦山さんがオートバイで到着された。いま玄関で呂伊利さんにあったよ、といわれる。そして本当に呂伊利さんがひょうひょうと入って見える。初夏に会ったときより、さらに細いかんじ。
ちょっとしてセイコが着き、最後にみんなより三十分遅れてエメさんご到着。
(ここで、うわーきれいねえ!!の声があがる。)

さすがにじいばあなため(笑)、和食系を食べつつ、話があっちこっちへ。
うーん。なにをはなしたんだべな。
覚えているのは・・・彦山さんの趣味、謡曲のはなし。四つか五つだかの団体に所属しておられて、年に十回の公演があるそうです。では月に一回?と聞けば、そうではない、春と秋に偏っている。とのこと。へーえ。それはいつか見学にいかなきゃね。
で、呂伊利さんは筑後川マラソンに十月十一日(日曜日です)出て、フルマラソンの四十六キロ余りを走るんだって。ひえ~!!
「けさも十二㌔走ってきた」と何気なさげにおっしゃった。
だからこのひとは余分なお肉がないんだな。
体重をきくと、57キロって。わたしが今56㌔、ほぼおんなじ。げげ。
ちなみに呂伊利さんは背が高いよ。

せいこが畑を作るときにご主人とやり方でもめた話をしてくれた。
ご主人は苗か種かを植えるとき、きっちりと間隔をとるため、採寸をしてやる。
せいこは目分量でてえげまんげでやる。どうせ採れるのはおんなじではないか。
といって喧嘩した、という話。

それにエメさんやぼんや彦山さんが入って、「いや、畑が道のそばなら、それなりにきっちりと植えなければいかんよ。隣近所の目があるから」なんていうのです。

はーあ、そういうものなの。そこまで気をつかうの。

やっぱりあたしはぜったい農業はせんめ。と固く心に誓う。
(せんめ=すまい。打ち消しの意志をあらわす)

ほんとは、うらやましかったのかもしれんのやけどね。

ほかに呂伊利さんの欧州旅行のことや欧州へ初めていくならどこがいいかなど、盛り上がった。(ろいりさんおすすめはぽるとがるだったよ。カステラがたべれるからね。うそうそ)

えめさん得意の安くてお得な旅のしかた。ってのもレクチャーしてもらった。
壱岐の島のふつうのおうちの神棚は、こちらの家の床の間くらい大きいって話も。
ぼんが昇給試験に合格したはなしも。時給で五十円もあがるって。

十時になり、デザートのあんみつまでたべて解散しました。
また会いましょうね。

写真は今回ありません。撮る暇なかった。
おつかれさまでした!








くるめウスって何?

▼「くるめウス」の名称

 「クルメウス」は、ニッポンバラタナゴ(学名:Rhodeus ocellatus kurumeus)の別名です。
久留米市周辺では「シビンタ」とも言っています。
 春になるとバラの花のような虹色に輝いてとてもきれいな魚です。
1900年代のはじめに久留米市の筑後川で採取され、基準の標本となったことから「クルメウス」という名前がつけられました。
 昭和28年の大水害から50年の節目につくられたこの筑後川発見館は、愛称募集により「くるめウス」と名付けられました。
(以上、どこかからのコピペ。)

昼はゆめタウンの筑後川に向いた駐車場でお弁当を食べた。
そこからこの建物がみえた。
ずうっと前からそこに何かがあるのは知っていたけど、今日まで、これが昭和二十八年の久留米大水害を記念してできたものであることをしりませんでした。

2009年8月18日 (火)

保健医療経営大学パンフレット

大学の宣伝入りのティッシュを、うちの事務所の竹ちゃんが柳川駅頭でもらった、といって、私にみせてくれました。

竹ちゃんはかささぎの隣の席のまじめな一休さん。

社長は、「おい、たけ!」と呼び捨てしてる。笑

あたらしい視点を教わる。

さいきん、秋色紫陽花っていうのがはやっているんだって。

神崎さくらさんのブログでおしえてもらいました。

なんのことはない、そのまま紫陽花が枯れていくまでの色の深まりを愛でるものらしいのですが、さくらさんの写真でみせていただくと、とってもきれいなんです。これです。

あきいろあじさい:デジカメ日記http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/e/c9e04970b5e698136290f29afdc7d2bd

それから、希望さんのブログであっと驚くことを教えてもらいました。

これです。

http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/frame/big-photo.htm

このちょうちょ、よく日陰のくらい陰気なところを陰気な顔でとんでいますよね。
でも、名前すら知ろうとしませんでした。

きれいなもの、はなやかなものにばかり、目がいって。

ひめじゃのめ、という名前なのですね。ありがとうございます。覚えました。

大江希望さんの留め書き引用:
(ひめじゃのめの交尾写真)

蒸暑い日中、ヒメジャノメが突然現れて、道の脇の草に止まった。たいてい薄暗い木陰にいる蝶なので、よいシャッターチャンスなのだ。よく見ると、交尾行動のカップルだった。それで、いつもと少しちがったふるまいをしたのかも知れない。
海野和男が「訪花することはきわめて稀で、果物などから吸汁することが多い。イネ科の雑草をより好む」と書いているが(『フィールド図鑑 チョウ』)、この場合もネコジャラシか何かのイネ科の葉に止まっている。

8月1日撮影 於小金井市

では、今日も元気にいってきます。

みんな、夜七時だからね。ガスト、ね。ガスト、ってどういう意味かしら。
忙しくてこれないって人たちも、かたづいたら、きてよ。

2009年8月17日 (月)

おさななじみに会う

昨日は一日親戚のほとけさまめぐりをした。
午前中は市内、母をつれて。午後からは久留米方面に一人で。
これまで父がひとりで済ませてくれていたことがふしぎ。

夕刻、タッコが来た。来てくれた。父の見舞いに。

十五分ほど近況を聞いた。

親の介護話。いろんなはなしを聞かせてくれた。

すごく苦労している。たいへんなんだ。

仕事をこなしながら、嫁ぎ先の親の介護と自分の親の介護の両方をやっている。

そういう時代なのだな。それができるしくみになってもいるのだな。

とてもきついよ、といいながら、とっても明るい。

タッコ、あなたはすごいね。
そろばんすみちゃんもがんから再起したかずちゃんもえらいけど。

その元気をすこしもらった。
さあ、私もへこたれないで今日から仕事、がんばる。

2009年8月16日 (日)

戦国百首の地名入りの歌と遣唐使と官僚について

三十三  泉   宗房
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

宗房の「いづみ」は和泉式部を連想しました。待っているものが来るのを今か今かと待っている。

待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮

わきて、を、わいてと書いていましたね。
訂正しました。ありがとう。

和泉式部。恋歌ですね。

ゆふそら。でおもいだしました。
ゆふそらにかかるれいんぼう。かぜがはこんでくる。
これは大貫妙子の歌。
穴井太師に花一匁の句、記憶では
ゆふそらの雲のおばけへ花一匁
しかしどうも間違っているみたい。季語がないもの。
夕焼けの雲のおばけへ花一匁  太
これが正解か。
引き鶴の空に湿りや花一匁  瀧春樹
瀧春樹師はときにとても心ひかれる句をだされる。
いちばん好きな句は、
暗緑の雨冠の山懐史   春樹
あんりょくのあめかんむりのさんかいし。
さっきの花一匁ですが、季語が二つあるのを、湿りというきわめて日本的な情緒の色っぽくさえあることばで、まるでほどよい粘りの付箋ののりみたいにくっつけ、なんともいえない感覚を残す。
鶴が北へ帰ったあとの空。どこか凹んで湿っている。
その湿りは花一匁の湿り。
では、花一匁とは。
わたしは単に花びらをかき集めて手のひらにいっぱい握っているんだというイメージをおもうのですが。
でも、花一匁というわらべ歌はそういう無邪気なものではなく、娘を売買していたころの時代の記憶の歌だそうです。
以上、ゆふ空からの連想で俳句の師二人の句を紹介しました。

地名では「二見の浦」もあります。伊勢神宮の近くの浦。

四十二    鴈(雁)   弘智
いつもきくここちこそせで玉手箱
二見の浦をわたる雁

本歌はこれだと思う。

いつしかと雁はきにけり玉櫛笥(たまくしけ)
二見の浦の明け方の空[藤原俊成]

きおくでしかものをかかなくなる。これではちゃんとしたものかき失格。いま、上のじぶんのかいたものをみて、おかしくなりました。めっちゃまちごうとる。なかでも、穴井先生の花いちもんめの句は花が季語でちゃんとあるのに、、、へんなあたま、われながら。あれは童心の句でした、ひらかなだった。
句をよむとき、なにかで学んだ俳句のよみかた、たとえば切れ字があれば全く上と下はきれているものだなどの約束事は、まったく意識していないものだな。とおもいますね。それは連句でも同様であって、ゆきてもどることなし。なーんていいますが、常に常に過去を気にして、過去中心に付け進むってことにおいては、もどりまくりやもんね。

で、おつしろう。
それらの地名入りの歌の土地へ、作者たちは行ったことがあった。とおもいますか。
伊勢、二見浦、難波津、くるす野、。

わたしはぐうぜんきのうからのコメントと意識の流れをみていて、こんなことをおもった。
中山そらんブログで芦北ってところが海の近くとしりました。そこには歌の碑がある。長田王のだったっけ。廃校になる海の上の学校、で、荒井由実の歌を連想し、それを第二校歌にした学校があったのを思い出し、どこだったか検索すると長崎は五島の島でした。そこらへんには、遣唐使に船出したときの歌があったりする。
えーっと。
なにかがみえそうでみえない。
っていうより、することがいっぱいあって考えがついていかない。こういうところ、だんだん年ですね。笑
遅刻坂連句会、たぶんわれらより五歳上かな、二泊三日で百韻興行合宿を無事おわられたそうです。
いつかしたいですね、百韻。おもて8句、裏14句だったかな。ながながとえまきものみたいに。むかしのひとのきもちをおもうことです。

荒木田守武が1549年に没し、山崎宗鑑が1553年に没し、松永貞徳は1571年に生まれています。
16世紀後半は俳諧史上「空白の半世紀」ですが、橋爪鑑実について「元亀二年 (1571) 正月に俳諧を興行」というのがあります。
鑑実らに俳諧文化を伝えたのは誰?
やはり伊勢からの客人たちでしょう。
客人たちの来訪目的は何?

ところで地名についてですが、いくら創作とはいえ、まったく知らない地名を知ったかぶりで使うのは後ろめたい気分がしますよね。戦国武士たちもそうでしょう。
枕詞としての地名はともかくとして、情景を伴う地名については、そのあたりを旅した経験がある人が詠んだのではないかと思います。
八女戦国百首で遠方の地名を詠んでいる人たちは、客人たちでしょう。
ところで地名で気になるのが、守武千句の中のこの句。

涼しとやぶんごの国にくだるらん
わづらいならぬたびは夏なり

守武自身が豊後へ行くのか、使者が行くのか、いずれにせよ何かの約束で夏に豊後まで旅をしなければならない事情がありそうです。

契しをものにたとへばことし竹
こと/\"しかる夏のタぐれ

刀を見て夏を思う句があります。

道のべの刀をみればあふひにて
夏きにけりとはふもみえけり

刀といえば、こんな句たちがありました。

そゞろには成もはる/\"太刀はきて
天神さこそつらきみちのく
きるといふこともいはぬはみやこ人
旅と太刀とのゆくゑしられず
鷹が音やあかつきをさしてかへるらん
はげたる太刀のつぼめ鳴ころ

「たち」(「立」)と「雁」については八女戦国百首にこんなのがありました。

十二  帰鳫(帰雁)  鑑冨
見るうちもたちぬかずとや天津雁
雲間にきえて立かへるらん

「たち」と「夏」についてはこんなのも。

二十  更衣     鑑實
たちきつる春の袂のおしければ
ぬぎかへがたき夏ころもかな

八女の人たちは、「たち」が帰ってくる夏の日を、今か今かと待っていたのでは。
ところが、その約束をした守武が亡くなってしまい、かといって死者に鞭打つようなことは武士としてできず、思いの丈を歌に託して伊勢の客人たちに伝えたのでは。
歌が詠まれたのは天文24年ですが、できればこの歌は存命の守武に見て欲しかったとの意を込め、干支をひとまわりバックさせたとか。

八女戦国百首「夏日待」には「松」(=まつ)を含む句が8句もあります。

能の鏡板に描かれている影向の松。
橋掛かりにも三本の松。
松は降臨するたましいのよりしろとなる。
陰陽五行の意味がある。吉野裕子の本が役立つ。
十八公というのは松の字を分解したものですが、十八公という名の連句形式もあった、たしか。
わたしは一度も能をみたことがないのですが、あ。あった!
二千一年元旦、岩戸山古墳でのお能、翁。あれもまた、ふしぎなはなしだった。みれてよかった。千年に一度のお能でした。だって、新千年紀を祝うというお能だったから。でも、なんでまた岩戸山古墳の伊勢宮でだったのだろうねえ。わっからん。

かささぎは雑食性なので漫画もたくさん読みます。
まじめによみます、ほかの小説や評論などとおなじくらいの熱心さで。自分で買うことはあまりありません、ほとんど三人の子たちのだれかのお下がり。
これは娘がくれた本で、以前「NATURAL」という漫画を描いておられた成田美名子さんの「花よりも花のごとく」。能楽師漫画です。専門的なことがわかるので、面白い。かささぎは、喧嘩別れしてしまいましたが、冬樹れいに一冊を送ったことがあったな。娘の本なのに。

こうやの宮の正式名称は「磯上物部神社」とか。
磯上は石上と同義。石上神宮と通じる。
物部氏は磐井を鎮圧した豪族。
磐井から七支刀を強奪して石上神社へ奉納した物語が人形になっているのかも。

昭和十七年
父小野氏母石ノ上氏
初ひゝな陸奥と大和の御祖かな  石橋秀野
(はつひいなおくとやまとのみおやかな)

これは秀野さんが安見さんを出産したときの句です。前書つきです。母はいそのかみ氏の出だと誇らかにいってる。
では父は。陸奥の小野氏といっています。戦国時代に系図を買うことがはやったそうですから、本当かどうかはなぞながら、おののたかむらの一族につながると自負している。星野教育委員会に行ったとき、下さった資料の端っこについていた、小野神社。それとは関係ないのだろうか。星野出身なんで気になる。(健吉の一族がです。私の母方も星野)
遣唐使を命じられて断った人、小野篁。おののいもこの子孫なんだね。
遣唐使とか遣隋使とか、どこから船出したのでしょう。しらべたことがない。熊本とか長崎とか鹿児島とか博多とか港はいろいろあったろう。瀬高はなかったのかな。

石上氏は物部氏の直系。
すなわち、大虐殺した側。
八女には、大虐殺された側の末裔とした側の末裔とが混在している。
おそらく、ほとんどのヤメリカンには双方の血が流れているのでしょう。

遣唐使の航路。
   ↓

Wikiの「遣唐使」にあります。海の神様(住吉神社)にお参りしてから住吉津(大阪)からの出航です。

そこで住吉の神様がでてくるのですね。
もし、遣唐使にえらばれたら、喜んでいくだろうか。
いやだとおもいそう。
おつしろうさん。あした十時から二時間ばかり暇とれますか。ろいりさん、ぼん、せいこさんとかといっしょにおふ会しませんか。こないだは四人だけでした。
今からせいこさんちにいちじくやってくる。ひょっとしたら、あるかもしれない。あそこのおうちも、なんでもあるから。ぼんちには又いずれ。雨でぶちゃむくれになっとった。それをかささぎがつついてた。

小野妹子の遣隋使は、出港は難波津で帰港が住吉津だったようです。
航海は1か月。

疑問なのは、言葉の違いをどう克服したのか。
政府派遣の遣中使として中国へは何回も行きましたが、通訳なしにはまったくコミュニケーションできません。
昔の中国だと漢字筆談でできたかも。

それにしても、髭面のおじさんが、なぜ「妹」で、なぜ「子」なんだろう。

一ヶ月も船にのっていたのか。
おののいもこ・・・。
ああいかん。おもいだしてしまった。
じゃーじをはいたおののいもこ&しょうとくたいし。
あたまだけはあのぼうしをつけてる。
なんだったっけ。そうだ、ギャグマンガ日和だ!

むかしもきっと通訳つきでしょうよ。

おつしろう。このぼんちゃんちに書いたかささぎのコメントを読んでん。
前からいおういおうとおもっていた。
保健医療経営大学はとても政治的なところで成り立つ学問をまなぶところだよね。もろ、政治だと思う。
おつしろうは元官僚だし、この時代のなにをどうかえたら少しはましになると思っているのか、それをきいてみたいよ。でも政治家みたいではなくふつうに。世間話のように。おふ会、でてきてほしいよ。

物言えば唇寒し秋の風

政治の季節、特定の候補者や政党の肩入れも批判もしにくい。
日本の政治家は一部の声の代弁者。
誰を代弁するかで政党の色が出てくる。
大きい声の代弁者が政権を取ることが多い。
多数決原理の民主主義。
小さな声の代弁者が政権を取ったら困ったことになる。

日本の官僚は、いくつもの声の調整者。
官僚には色がつきにくい。
官僚には、大きな声と小さな声との格差を調整するベクトルが働く。

政治家が、意思決定より執行に興味を示し、それを「政治主導」と称して官僚の調整力を削いできた。
政治主導で勝ち組と負け組を峻別するベクトルが生まれるのは必定。

三権分立を義務教育の社会科で習った。
立法は政治家の仕事。
行政は官僚の仕事。

ところがこの国は、法律のほとんどは官僚が原案を作る。
そして政治家は行政執行への口出しに力を注ぐ。
おかしい。

国の大きな方向付けは政治家が行い、行政は官僚に任せる。
そんな国であってほしいと思う。
まずは、大きな方向付けを誤らない政治家を選ぶことから。

おつしろう。といつも呼び捨てにして悪かった。
でもたぶんこれからもする。対等にたちたいから。
七月はじめころのそらんさん事件のとき、(そらんさんは被害者なのにこのいいかたはない、でもほかによびようがない)あなたは現場監督みたいな顔で私をしかりつけましたね。それを実はずっとうらみにおもっていた。でもおかど違いだったとおもう。すみませんでした。
さかうらみしていたことをおわびいたします。
そうですか、調整役ですか。
大きな方向付けが正しいか間違っているかは、あとになってしか見えないことのほうが多いと思いませんか。この世は善悪では動いていないから。それに方向付けがまちがっていたとして、引き返すことができればいいが、そのままいけるだけいくのが現場であろうとおもいます。なるべく責任の所在をぼかしながら。それも大事な官僚のしごとなんでしょうね。

色がついていない、か。このいいかたはいいな。
あなたのいろにそまります、ってうわーきもちわる!
でも、政治家の色にいちいちそまってはいけないんだろうね、優秀な官僚は。

日本国憲法第15条2
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

色にそまらないことが憲法で守られています。

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2009年8月15日 (土)

帰路は三号線で

15日(17:39:49)

着いてすぐ夫の家に行き、亡父と亡祖母へお花をあげてくる。
ふたりとも、とてもかわいがってくださった。
土砂ぶりだったので、お墓参りは断念する。

それから、鍬塚さんの住む浅生三丁目へ。
これまで五回以上は行っているはずなのに、毎回わからない。
ふしぎなところなのだ。でも、番地まで覚えて行ったので、着けた。
どなたもいらっしゃらなかった。
もう斎場へいっておられるのだろうか。

斎場はすぐにわかった。大通りに面していた。
車は斎場の前に横付け、三階の控え室で鍬塚さんに会う。
話をきいた。

ここには書かない。

なぜか鍬塚さんとはふしぎな縁がある。
実のお父上と初めて会われる場面を思い出していた。
その父上は再婚して熊本におられたが、俳句をなさっていて、その俳句を通じて聰子さんに人生でふたたび出会われたのだった。そのころ八十をとうに過ぎておられたが、毅然としたりっぱな方だった。わたしにしばらく絵と俳句入りの賀状をくださった。律儀な方だと敬服していた。

鍬塚さん。
ご主人がなくなられる直前に信州までの長い長いドライブができてよかったですね。
ことばではできない会話がたくさんあったのでしょうね。

ご冥福をおいのりいたします。


八女~戸畑 5

15日(15:12:21)

車が雨の中で渋滞します。
坂をおりると道がちがっていることに気づきました。
ここで引き返します。

ふと上を見たら、工事途中らしき高架。

坂の上まで引き返し、200号線と三号線の交差点まで戻り、
そこから左へ折れたら、左に井筒屋のいつも通る三号線に出ました。
ということはここは黒崎?八幡?

八女~戸畑 4

15日(15:02:56)

国道200号線の終点(始発点)がみえています。
青い案内板をみれば、三号線ともうじき交わり、その交差点で右へ曲がれば戸畑へ行けると解るのに、かささぎあたまではこの案内板を見ても戸畑という字がないため漠然としすぎていて、右か左かがとっさにはわからず、まっすぐ行ってしまいました。
そしたら、斜め左へ上る道があって、次の写真。

八女~戸畑 3

15日(14:44:06)

どこか不明。信号の地名、離れすぎてわからない。

八女~戸畑 2 

15日(14:15:40)

冷水峠では大雨。前回200円とられた通行料が只でした。

嘉穂劇場:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%A9%82%E5%8A%87%E5%A0%B4

八女から戸畑まで  その1

15日(13:43:20)

国道200号線(八幡西区~筑紫野)の始まり近くのところです。(じゃなくて終点ちかく)
北九州までいつも高速道路ばかりで行っていたのをやめて一年。
三回目の今回は200号線の終点(始まり)がどこかはっきりわかった。
写真をとったし、迷いもしたから、もう次からは大丈夫。

200号線は旧長崎街道の一部だった、とあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93200%E5%8F%B7

終戦記念日ミニ句集

第56回長崎原爆忌平和祈念俳句大会への奉納句
この夏も思い出すのは祭りの場   丸山消挙
近所では民を飢えさせ核実験
祝い膳ややこめでたや豆ごはん   青翠えめ
散りゆきてふたたびの幽花の川
散りぬれどプラハ便りに青葉吹く   竹橋乙四郎
幻の玄孫(やしゃご)賑わう盆踊り
歪めてはならぬことあり原爆忌    山下整子
ああここは被爆歌人が生きる街
銃弾を引く身受ける身哀しかり    東妙寺らん
万物に親愛の礼明日草
朝涼の腕の淋しさ天の風
雨の中光を放つ花樒  
雪に焚く牡丹の如き業火かな     姫野恭子
ナガサキ忌もっと遠くへもっと遠くへ
夏の朝貴女が置いた月見草     林 ばど
逆縁の父は蚊さえも生かしおり   八山呆夢 
賑わいの通りを抜けて地蔵盆

さくら語録  最近のコメントから

 さくらさん、今日戦争関連の番組がありませんでしたか。見ようと思っていたのに、見そびれてしまいました。
おじの遺品をなにかないかと仏間をさがしていましたら、支那事変軍功記念品のような小さな勲章をみつけました。
しなじへん。いつでしょう。26歳でガダルカナルで戦死のおじ、しなへもいっていたのでしょうか。たずねたくても、ねんねばあちゃんはもうこの世にはいない。こういうとき、うちの父はまったくなにもたよりになりません。慰霊もしないんです一切。まるでうらみでもあるかのように。なんとなくそのきもちがわかるから、なにもいえないですけど。
そんなにいくつも戦争に駆り出されていたなんて。
ではなくて、転戦していった、ってことなんだろうか?
うーん。よくわからん。はなしも聞いてこなかったことがくやまれます。
りかさんのおおおじさんについて書かれているくだりを読みますと、転戦していって、さいごがガ島なんです。
(ひめのブログ記事『父と母』http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-247f.htmlにつけた7月15日コメント)

▼ 神崎さくら(上記への返信)

支那事変、まず「しな」という漢字がほとんどネットから消えてることに驚いた。
昭和12年に、まずしなとの戦争が始まっています。
うちの父は昭和10年に20歳で海軍に入っているから、昭和12年といえばそこそこの軍人になって、晴れてしなの戦場に参戦しました。
その時の勲章を私も持っています。
色がきれいなので、孫のRちゃんが気に入っておもちゃにしていました。
その頃は勝った勝ったで祝勝ムード一色で、父はお土産に、黒檀の硯箱や水牛の角で作った工芸品などを買って帰っています。(硯箱は今私が持っています)
この頃の上海の街の写真などもかなり持っています。

その後戦況が悪くなって、兵隊はみんな南へ南へ行くことになったので、ガダルカナルへ行かれたのでしょう。
中国に残ってた人達はロシアに捕虜として連れて行かれたのです。
戦場があまりにも広範囲なので面食らってしまいますよね。
絶対そのことを話さない風習のようなものがあるんですよ。特に九州の人に多い。
必ずしも恨んでいるわけでもないと思います。

▼ 石原莞爾のこと

>こんどのれぎおんに・・・・石原莞爾のことをかいておられました。(ブログ記事「ひさかたの(枕詞じゃないよ)乙四郎語録のまとめ」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-cf1b.html8月5日ひめの

石原莞爾をよんだセイコ短冊が背景に写っている:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/07/21/sn3d0720.jpg

神崎さくら
(上記への第一信)8月5日

うんうん私は明確にそう思ってる。
昨日もNHKテレビの深夜番組で、ビルマで戦った龍兵団(久留米の師団で屈強なことで有名、篠山神社に慰霊碑がある)の生き残りの人達が久留米弁でコメントしよんなさったけど、あの年代のおじいちゃんたちは本当に今も屈強で、あきれるくらいなんだけど、その屈強な人達が80歳を超えると次々に死んでいく。
ほんとに80歳を境にがくっと折れるように弱られる。
80歳はそんな年齢だと思う。

第二信:8月14日

正直な感想を書くね。

あの文章は後味の悪い文章でした。
片方は持ち上げておいて、片方を奈落のそこへ突き落とす教授の言った言葉をそのまま取り上げてあるんだろうけど。
軍人に限らずどこの世界にもライバルというのはいて、相手を蹴落とすためにはどんなことでもしてるのが世の中です。
軍人を極悪人と決め付けてレッテル貼ってた時代の学校の講義風景だったのでしょう。
その前の文章の内容(後で生徒が傷つくから男女ともにゼミの成績は優にした)とか、なんともゆるい先生なのに、ある軍人の一部分を取り上げて「教室大爆笑」が気に食わない。

かささぎの旗ひめののコメント:

さくらさん、良くぞ言ってくださいました。

そういう本音をこれまではだれもいいませんでした。
でも、いわなければいけない時代になっている。
もうゆるくてゆるくて、どうしようもないところまでいっている。
その結果が、橋爪章氏が書いている学長ブログにあるような借金だらけのいきづまり国家です。

2009年8月14日 (金)

中山宙虫・第41回九州俳句賞受賞作品

第41回九州俳句賞(応募総数24)

包み

 中山宙虫(なかやま・そらん)

末黒野にあるという鬼の本籍地
ゆすらうめ咲いて小さな事故がある
うららかやみんなが落ちる街の穴
やわらかな風は田螺を眠くする
さえずりの山頂やがてくる沸点
あめんぼを散らして森の水を汲む
店の名はQではじまる驟雨かな
人間が呼び合うことのない水田
手をかざし邑の終わりを見る七月
炎昼の裏から街の循環バス
風尽きて村につぎつぎオクラ咲く
とうきびが刈られて青い封書くる
柿赫くひとは小さくなってゆく
栗売らる地下には地下の風溜まり
源流のそのまた源流木の実落つ
秋風や歩いて埋まる人類史
ラジオから罪状聞こえている冬田
少年の影がこぎだす冬のブランコ
風花の僕に都合のよい記憶
冬眠のものたち雨を聞いている

中山宙虫
略歴:1955年生まれ
1999年より俳句に関わる
俳句誌「麦」「霏霏」同人
現代俳句協会会員

【受賞のことば】  

        中山宙虫

 十年。俳句に出会っての月日。それまでの人生に文芸に関わることは全くなかったが、十年続けてきて、ひょんなことから「九州俳句賞」をいただくことになってしまった。
 振り返ってみれば、五里霧中とでもいうのか、何ひとつ思うように見えない日々が大半だった。光が差したかと思えば、あっという間に迷宮に。形がありながら形が見えない。
 自分の俳句の行く末に何を見たかったのか。こうしてこの場に立った自分の足跡は、趣味という整理をし、自己満足という整理をして結論づけてきたもの。この「九州俳句賞」はまさかの世界。明日からのプレッシャーだ。
 ここまで、つかみどころのない私の俳句をこつこつと指導してくださった成清先生。俳句の座の素晴らしさを与えてくださった星永先生。大分県現代俳句協会はじめ九州内の諸先輩。連句の仲間たち。インターネットで関わった方々・・・。私には礼を言わなければならないたくさんの人がいる。

  『九州俳句』誌 155号より引用
   2009・8・15発行

〔批評文〕

『中山宙虫 「包み」を読む』   西口裕美子

 涼しい。中山宙虫の俳句に触れた時の感覚である。どこかで水の音がし、どこからか風が吹いてくる。
 難しい言葉を使わず、俳句の型、正確に言えば、作者自身の俳句の型になじむ言葉を選び抜く。季語も然り。自分なりの“消化”をした上での季語を使う。つまり、自分の感情に根ざした表現を彼は自分の俳句に試みているのである。やわらかで、したたかな中山宙虫。彼の俳句の魅力をそこに見る。
 俳句は、作り手と読み手の共同作業で成り立つ。十七音の詩だからこそ、読み手をはぐらかすことは簡単である。しかし、それをしてしまえば、二者の関係は成立せず、俳句を味わうことを難しくしてしまうのだ。読者に自分の句を委ねる時には、作者は潔く“鍵”を渡さねばならない。
 中山は優しく微笑みながら、自分の鍵を我々読者に手渡してくれる。そして、私たちは彼の肉体から生まれた句を心地良く読むのだ。静かで優しいその調べは、まさに中山そのものだ。そう私たちに感じさせる。しかし、実はそれだけではない。

 
末黒野にあるという鬼の本籍地
 人間が呼び合うことのない水田
 手をかざし邑の終わりを見る七月

 これらは静かな〈不在〉を表した句だ。在るべき場所に〈不在〉なものを見詰める作者の目は笑っていない。〈今〉をじっと見詰めているだけだ。見えない、不在なものの中に今を感じ、表す。それが中山宙虫の句の真骨頂なのだ。末黒野のあの辺りに鬼の本籍地があるという。今ここに鬼がいるとは詠んでいない。水田に在るべき農民の姿。邑に在るべき人々の営み。作者はそういった〈不在の今〉を手をかざして見ている。ものとの距離感。これもまたこの作者の魅力だろう。対象にぐっと近づき、そのものを描く。そのことで自分を描く俳句。ところが、この作者は既に感じとっているのだ。ものと自分とが必ずしも一致するものではない、ということを。そこに一致を見出せない時には大概、その対象を創作のステージから下ろす。だが、中山は敢えて下ろさずに、今、目の前に在るもの、在るべきはずのものを距離を置きつつ見る。見えるまで待つ、という姿勢で。

 ゆすらうめ咲いて小さな事故がある
 風尽きて村につぎつぎオクラ咲く
 とうきびが刈られて青い封書くる

 俳句における「て」。この作者の上手さは例えばこういうところにある。激しい衝撃を避けて二つのものを柔らかくぶつけ合う。徹底して事を叙しながら、読者に情を持って読ませるように仕掛ける。小さな花をぎっしりとつけた山桜桃。その花が咲くことと小さな事故。この句の「て」はあるいは「~ので」と読ませるのかも知れない。風が凪ぐ時、次々と咲くオクラ。静かな村の時間が流れてゆく。安らぎの向こうに小さな狂気が見えるのは、「つぎつぎ」にやわらかな淡い黄の花が咲くからだろう。とうきびが刈られてから来る封書。夏が終わる頃にやって来る手紙の中にある小さな不吉。青い封書がいつか赤紙に変わる日が隠れているようで、うっすらと怖い。そうなのだ、言葉の中に小さな軋みを感じとり、そっとそれらを並べてその場から立ち去るのが、この作者だ。自分の体験をどのようにして言葉に託すか。そこに個性が出てくる。この小さな詩を、この作者はぎりぎりまで考え、作り上げてゆく。

 柿赫くひとは小さくなってゆく
 栗売らる地下には地下の水溜まり
 源流のそのまた源流木の実落つ

 

 赫く熟れた柿は実景。対照的に小さくなってゆく人はこころの目に見える内容。地下の風溜まりも心で見るもの。だから「柿赫く」「栗売らる」で切れる。そう読んでゆくと、三句目は「木の実落つ」もしくは「源流のそのまた源流」が実景。「源流のそのまた源流に木の実が落つ」とは詠んでいないのだ。源流にいて、どこかで落ちる木の実の音を感じるのか、木の実が落ちるのを見て、遠い源流の果てを想うのかのいずれであろう。みえるものを叙して見えない心を詠むというスタイルを敢えて選ばない、中山宙虫的スタイルなのだ。
 タイトルの「包み」をどう解釈するか。外からはわからないよう、見えないように包むもの。それは、例えば、「うららか」さ。「秋風」、「風花の記憶」、田螺を眠らせる「やわらかな風」、冬眠のものたちが聞く「雨」の音。見えないものを見えるまでじっと待ち続ける作者の孤独。その寂しさを癒してくれるものたちを、「包み」と呼んでいるのかもしれない。
 九州俳句大賞受賞を心からお祝いします。

俳句誌 『霏霏(ひひ)』 第六十一号 秋
2009年10月5日 星永文夫・編集発行

2009年8月13日 (木)

『お伊勢まいり』  西垣晴次著

あった荑

朝、この本が足元におちていた。
結構あることです。
読んでおくれ、とあちらから肩をとんとんと叩くみたいな。
かささぎの机はいつだってごちゃごちゃしてる。

んで、ぱっとひらいた頁が15世紀の山田と宇治の抗争時代。
神人(じにん)=神職集団と神役人(じやくにん)=御師が醜い争いをする。血で血をあらう。
外宮と内宮の争い。

荒木田守武については直接載ってはいないみたい。
でも、さっきのところに、こういう記述がある。

「そうして、神は高いところから降りてこられるし、別の処から飛んでこられるのだと考えられていた。飛び神とか飛来神とかよばれるものである。そうした神が出現するのが影向(ようごう)であり、影向石とか影向松にまつわる伝説は各地に多い。影向したり、飛び来たった神がその地に定住するようになると、その地に昔からいた神は片隅におしやられてしまう。」
  中略
さて、「今神明(いましんめい)」という狂言がある。
「此頃、宇治へ神明の飛ばせられたが、これを今神明と名付けて、夥しい参詣がある。」
「宇治へ神明の飛ばせられて、申し事が叶うと申す、参詣致そうと存ずる。誠に末世とは申しながら、奇特がござる。」

ここから、宇治に今神明とよばれる社があり、それは神明が飛んできたことによるもので、流行神的に多くの人を集めていたことが知られる。

ところで、この狂言でも神明=伊勢の神が飛んできたことに、別に不審を持ってはいない。伊勢の神が伊勢の地以外に飛んだのは、これが最初ではない。

応永十四(1407)年の二月、若狭(福井県)の小浜に近い白椿上谷に天照大神が影向し、その三年後の応永十七(1410)年、これが今神明と呼ばれ、鳥居と橋が造立され、九月二十六日に供養があったことが記録されている。影向あるいは飛んできた神明が今神明と呼ばれ、供養されるほど人々を集めたのは、宇治の神明と同様である。」(ブルー字は引用)

と、このころ続いてあった、天からの飛来物の怪異とそれについてのまことしやかな噂が伊勢の神の信仰を得る格好のチャンス到来とばかりに広まって、それで民衆の不安な気持ちを鎮めることに成功してゆく様子が描かれます。
中世に多い天から「光りもの」が熱田社に落ちて、それが伊勢の神の影向によるものということにされ、その理由として伊勢の神は山田が不浄であるから、清浄な熱田に逃げていった、というような解釈がなされている。
それが人々にすんなり受け入れられるのは、それだけの背景があった・・・。

(この項、つづく。)

うたの下にあるもの 

三十三  泉   宗房
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

宗房の「いづみ」は和泉式部を連想しました。待っているものが来るのを今か今かと待っている。

待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮

わきて、を、わいてと書いていましたね。
訂正しました。ありがとう。

和泉式部。恋歌ですね。

ゆふそら。でおもいだしました。
ゆふそらにかかるれいんぼう。かぜがはこんでくる。
これは大貫妙子の歌。
穴井太師に花一匁の句、記憶では
ゆふそらの雲のおばけへ花一匁
しかしどうも間違っているみたい。季語がないもの。
夕焼けの雲のおばけへ花一匁  太
これが正解か。
引き鶴の空に湿りや花一匁  瀧春樹
瀧春樹師はときにとても心ひかれる句をだされる。
いちばん好きな句は、
暗緑の雨冠の山懐史   春樹
あんりょくのあめかんむりのさんかいし。
さっきの花一匁ですが、季語が二つあるのを、湿りというきわめて日本的な情緒の色っぽくさえあることばで、まるでほどよい粘りの付箋ののりみたいにくっつけ、なんともいえない感覚を残す。
鶴が北へ帰ったあとの空。どこか凹んで湿っている。
その湿りは花一匁の湿り。
では、花一匁とは。
わたしは単に花びらをかき集めて手のひらにいっぱい握っているんだというイメージをおもうのですが。
でも、花一匁というわらべ歌はそういう無邪気なものではなく、娘を売買していたころの時代の記憶の歌だそうです。
以上、ゆふ空からの連想で俳句の師二人の句を紹介しました。

地名では「二見の浦」もあります。伊勢神宮の近くの浦。

四十二    鴈(雁)   弘智
いつもきくここちこそせで玉手箱
二見の浦をわたる雁

本歌はこれだと思う。

いつしかと雁はきにけり玉櫛笥(たまくしけ)
二見の浦の明け方の空[藤原俊成]

きおくでしかものをかかなくなる。これではちゃんとしたものかき失格。いま、上のじぶんのかいたものをみて、おかしくなりました。めっちゃまちごうとる。なかでも、穴井先生の花いちもんめの句は花が季語でちゃんとあるのに、、、へんなあたま、われながら。あれは童心の句でした、花いちもんめはひらかなだった。
句をよむとき、なにかで学んだ俳句のよみかた、たとえば切れ字があれば全く上と下はきれているものだなどの約束事は、まったく意識していないものだな。とおもいますね。それは連句でも同様であって、ゆきてもどることなし。なーんていいますが、常に常に過去を気にして、過去中心に付け進むってことにおいては、もどりまくりやもんね。

で、おつしろう。
それらの地名入りの歌の土地へ、作者たちは行ったことがあった。とおもいますか。

わたしはぐうぜんきのうからのコメントと意識の流れをみていて、こんなことをおもった。
中山そらんブログで芦北ってところが海の近くとしりました。そこには歌の碑がある。長田王のだったっけ。廃校になる海の上の学校、で、荒井由実の歌を連想し、それを第二校歌にした学校があったのを思い出し、どこだったか検索すると長崎は五島の島でした。そこらへんには、遣唐使に船出したときの歌があったりする。
えーっと。
なにかがみえそうでみえない。
っていうより、することがいっぱいあって考えがついていかない。こういうところ、だんだん年ですね。笑
遅刻坂連句会、たぶんわれらより五歳上かな、二泊三日で百韻興行合宿を無事おわられたそうです。
いつかしたいですね、百韻。おもて8句、裏14句だったかな。ながながとえまきものみたいに。むかしのひとのきもちをおもうことです。

2009年8月12日 (水)

入江たか子林泰文テゴマス佐藤春夫荒井由実。談義。

ここ数日のはなしを編集しました。(かささぎの旗姫野)

 かささぎさんが間違えて見ようとした「東京物語」が、尾道→大林宣彦→柳川→「東京日和」&「柳川堀割物語」とつながっているとは、さすが!
 入江たか子の娘入江若葉は、「転校生」以来、大林映画の常連だけど、「時をかける少女」や「廃市」に母親も出ているというのは忘れてた。戦前は華族の娘として映画デビューし、三代美人女優と言われたらしいが、戦後の一時期は「化け猫女優」と呼ばれたらしい。ところで、なぜ化け猫といえば佐賀藩が有名なのだろう。小城羊羹でも食いながら調べてみるか。

ろいりさん。
入江若葉はどんな顔。しらん。でてた?さあ。
むすめなのか。へえ。入江若葉って山田五十鈴の娘かと思っていた。じゃだれ。山田五十鈴の娘。

文化学院はお金持ちの子弟のための先進的な学校で、もともとは西村伊作がじぶんの子たちのために造った。先生たちがすごい。高浜虚子与謝野晶子与謝野寛石井柏亭。石井はくていの弟は坂本繁二郎の親友だった石井鶴三。石井つるぞうは吉川英治の『宮本武蔵』の挿絵を描いた東京パック時代以来の繁二郎の友人。
藪秀野(山本健吉の最初の妻、のちの石橋秀野)は中学部から入江たか子と同級だった。秀野は奈良天理の庄屋の娘で父がロビイストみたいなことをしていて、たんぼを全部売り払って東京へ出てきたのです。姉あぐりは茶道家、妹恒子は歌人で恒子の夫が漫画家清水昆。健吉も清水こんもどっちも若き日左翼活動をしています。とことん突っ走ってる。健吉は逮捕され拘置所に三十日近く拘束された。

秀野のことをしらべていたときが幸せだったなあ。
すべてを忘れられた。おっともこどももなにもかも。まだこどもは五つだったにもかかわらず。→末子はすみたからさんちのよしくんとよく遊んでいた、たからさんちへ毎日のように御世話になってましたね、たからさんありがとう。いつもお礼もいわないでごめんなさい。ついでにかきこみました。
化け猫は根子岳にもありますね。

投稿: ひめの | 2009年8月 9日 (日) 22時48分

こんばんわ
尾見としのり氏と大林監督>>次女が中高生から大ファンで、
出演作は全部いっしょに見ました(見させられた?)
で、尾道は娘の憧れの地で、大学生の時「受験のときの恩返し」といってたまったバイト代で旅に連れて行ってくれました。
二日間ガイドブックを片手に隅々まで歩き通しました。坂という坂、たくさんの階段、、路地裏、瀬渡し船で向島へ、、。
映画に撮られたシーンでは必ず記念撮影☆
旅館は大正時代か昭和初期の建物で(偶然この場所を)時代の作家が慰留してあったとか。
林芙美子関係の記念館も見てきました。
こちらぜひぜひおすすめの地です。
やっぱり桜の季節が最高でしょうかcherryblossomcherryblossomcherryblossom

sunおはようございます
↑訂正>>娘が好きな俳優さんは尾見さんじゃなくて、「林泰文さん」でした(^_^;)
では今日もお気をつけて~car

えめさん

大丈夫ですか。
電話でも咳がきつそうでした。
さっき行ってみましたが お留守だったので もしやまだ病院にいらっしゃるのではと心配になりました。ご無理なさいませぬように またたずねますね

heartイチジク>>さきほどはありがとうございました。
5、6回もお尋ねいただいてほんとに何度もすみませんでした。
さっそくみんなで冷えたものを頂きました。
完熟でほんとに甘いですね。
夜はサラダに使おうと思います♪
今夜のメインはマーボー豆腐です。
昨日から韓国の男の子が遊びにきているので、久々にお料理の作りがいがあります。

えめさん、思ったより元気そうでよかった。
ぼんやせいこさんとこへもそのうちもっていくから。おつしろんちも、きらいじゃなかったらね。ていうのも、うちはみんないちじくがきらいだけん。たいがいからだにいいのがきらいで、からだにわるそうなんをこのみます。まあ、あてにしないでまっとって。
わたしは、干しいちじくってのに興味があるけど、すぐ虫がつくし、干すなんてこと考えられんよ。だれかやってみたことがあったら、おしえてください。
干したの、とてもからだにいいってきいたから。

我が家もいちじくが大豊作で、実は、連日食傷気味でござる。

 あの~、昨日の入江たか子や入江若葉や、かささぎさんが疑問に抱いた山田五十鈴のコメントはどこに消えたのでしょうか?取りあえず質問への回答、山田五十鈴の娘は嵯峨三智子、容貌と演技力に恵まれながら、いわゆるスキャンダル女優として数々のトラブルを起こし、母親より早く死んでしまった人です。入江若葉は『転校生』以来、主人公のなどの母親役をやることが多かった。
 林泰文は「野ゆき山ゆき海べゆき」に子役でデビュー、「青春デンデケデケデケ」で初の主役だったのかな?
 それにしても不思議なコメント消失、まさか私の頭がボケてるのではおまへんな。

ぼけ。

ここです。
嵯峨美智子、ああ。
エメさんのおじょうさんのお好きな役者さん、見たら知ってるのでしょうけど。
わが娘は27にもなって、ジャニーズのテゴマスって二人組が大好きでよくコンサートにいきます。あやうくつれていかれそうになった。

テゴマス、かわいいじゃん。歌も上手いよ。変な題名の歌を歌っていて、フランスで人気があるんだよ。ようしっとろうが。隠れジャニーズファンです。

「野ゆき山ゆき海べゆき」

この言葉は昔、雑誌の付録についていたソノシートで聞いたことがある。
「真昼の丘べ花を敷き・・・」が続いたような気がするけれど後は忘れた。読み手も石坂浩二だったと思う。女学生の友か中3コースか中3時代か、赤いシートで何回も聞いていたから覚えていた。誰も知らないだろうね。へんなことばっかり覚えてる。映画のことは何も知らない。

ソノシート。なつかしいです。女学生の友!少女フレンド、マーガレット、セブンティーン。夢中になって読んでいました。

(さっき、はるふみとやすふみをまちがえました。
すると山下奉文大将が連句的にでてきました。)

長崎忌のきのう、九州俳句八月号が届きました。
長崎忌の作品集はまだですが、いずれ届きますので、おまちください。
ご参加ありがとうございました。

 おのれ、こしゃくな!ここかと思えばまたまたあちら、という分身の術を使いおったな。いや、私が場所間違えただけか。
 「野ゆき山ゆき海べゆき」が佐藤春夫原作というのは何となく覚えていたけど、調べてみたら、「少年の日」という題の詩だった。
             ※「殉情詩集」(大正10)所収
  1 ・
野ゆき山ゆき海辺ゆき 真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに うれひは青し空よりも。
  2 ・
影おほき林をたどり 夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ 花を敷き、あはれ若き日。

  3 ・
君が瞳はつぶらにて 君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり 月夜の海に石を投ぐ。

  4 ・
君は夜(よ)な夜(よ)な毛糸編む  銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸  そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。

 ぼんさんがよく使う言葉だけど、こちらが逆に「よう覚えとらっしゃるね」と感心。確かM高校の校歌も佐藤春夫の作詩じゃなかったろうか、これは凡作だと思うが。ソノシートと言えば、私は数カ月前、神田の古レコード屋で赤木圭一郎のソノシート・ブック3冊を買って帰り、ヨメからあきれられた。
 明日、新幹線で久留米に帰ってきます(今日でなくて良かった、いやもう明日は今日か、ややこし)。それから親族会議ならぬ姉弟甥会議が待ち受けておる。

佐藤春夫が明善の校歌さくし。へえー

ぼんもようおぼえているね。
すごいね。
はじめてしりました。
校歌といえば、わたしは中山そらんさんブログの芦北ってとこの写真があるサイトで、もうすぐ廃校になるらしい海のなかの小学校をみました。それをみてたら、荒井由実の「瞳を閉じて」が自然に口からわいてきました。http://musinandanikki.at.webry.info/200901/article_9.html

風がやんだら 沖まで船をだそう
手紙をいれた ガラスびんを持って
遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度とどくように
今 海へ流そう

風はどこから吹いてくる空はどこへと続いてる  八女戦国百首

写真の解説で、永久寺(廃寺)の拝殿を移築したもの、とありました。

なんと、その永久寺の廃寺跡に、芭蕉の句碑があるのです!

”うち山やとざましらずの花ざかり”

この拝殿は出雲建雄神社の拝殿ということですが、永久寺の当時は住吉神社の拝殿とか。

猶すみよしの神や守らぬ(八女戦国百首、)

蛙が瑞垣へ飛び込んできたのは1914年のこと。

これですね。
うた、意味がいまいちつかめません。とざましらずってなに。
水沢周さんの初盆になにかとおもって、過去のれぎおんをあさっていたら、「目摩膾(めすりなます、めこすりなます)」の句があった。さる歳時記の芭蕉の例句(真贋はなぞ。)

蛙子は目すり膾を啼音哉  芭蕉

「蛙を熱湯につっこんで皮をむき、芥子酢に和えた膾、あるいは手足がでたところのオタマジャクシをそのまま芥子酢にあえて、オタマジャクシが目をこすっているところを食うという、というものだそうで、この『歳時記』の作者も、また解説で引用している江戸期の筆者も未見、未食のものらしいのであるが、・・・略。」水沢周

とざま・・・は外様でしょう。他所から来た何かと言う意味かな。ここでは木、種、そんな仲間と読みましたが・・・

芭蕉と守武とのつながりを検索してたら、「荒木田守武神主四百年祭」の巻が出てきました。
この巻名の由来の「花の香に四百年祭厳に」という花句にびっくり。
堺屋での「五百年」の巻の花句は「五百年花の香残す言の葉に」でした。
   ↓

ただいま。

おつしろう。それ、すごいですね。
やはりなにかあるんでしょう。そういうことがあると、過去から呼びかけられた気がしますよね。もっとわたしたちの知らないなにかがあってそれにきづいてほしいといわれたような。伊勢神宮荒木田守武と久留米高良山との関係。そして神道にひきいれられてしまった芭蕉(神として祭られる意味)。
おつしろうがはじめて堺屋で詠んだ花の句、さりげなくていい句でした。さらっとシンクロしてましたね。
私もほとけぶちさんや高木さんといった達者な方たちと巻かせて頂いただけでも名誉なことなのに、ああいう、あんまりポピュラーではない俳祖を祭る忌日の大会に応募でき入賞できたこと(ちょうどそのときが450年忌という節目の年だったことも含め)、そのときはなんてことも思いませんでしたが、こうすべてがずらずらとつながっていては、逃れたくても逃れがたい俳縁を感じざるをえない。しやなかたい。

ところで。

くるめ上津荒木(こうだらき)信号の下を、ダイソーからてくてく新道を右へ、auショップまで歩きました。
電池切れで携帯が使えず、それでも息子と約束していたので、どうしても電池をいれねば困る。
こんな経験はありませんか。わたしは結構ある。で、どうしようかとない知恵ひねって、コンビニにいき、携帯電源いれさしてください。とおねがいしましたが、だめ。つぎにホカ弁屋。ここもだめ。でも、auの店をおしえてくれた。助かった。ついでに安心接続サービスなる不便なものをはずしてもらいました。自分のブログにつながらんというとんでもないサービスでした。

ああ、しまった。
今、あんまりポピュラーでない。と守武のことをかいてしまって。海外では有名らしい。高橋睦郎先生の『百人一句』の守武の項、エズラパウンドたちのイマジズム運動に影響を与えた。と書かれています。
落花枝にかへるとみえて胡蝶かな
たしかこんな句。

でもほんとに日本ではポピュラーじゃないよ。
ためしに「朝顔忌」で検索してん。でないから。
かささぎの旗が一ケでるくらい。
俳祖の守武忌のことなのにね。

嵐竹の教養

35番の嵐竹の秋風
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空

の本歌はこれでしょう。
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の
簾動かし秋の風吹く
(額田王)

嵐竹が受けた、33番の宗房の秋風
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

の中の「ゆふ暮の空」は29番の鑑教から受けています。
うき草にやどる蛍の影もいま
なえをはなるヽゆふ暮の空

宗房の「秋風」と「ゆふ暮の空」は39番でまた鑑栄が受けています。
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

この中の「あだ」は、24番の覚元と
えにしなき身ハあだ波の菖蒲草
たが家づとのつまとならまし

27番の嵐竹を受けています。
山川のあさせも此の五月雨に
よしあだなミはたヽじとぞおもふ

この嵐竹の本歌はこれでしょう。
そこひなき淵やはさわぐ山川の 浅き瀬にこそあだ波はたて
(太田左衛門大夫持資[道灌])

「あだ」は、46番の嵐竹でも出てきます。
あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花

「あだなりと」で始まる歌は伊勢物語にあります。

あだなりと名をこそたてれ櫻花
年に稀なる人も待ちけり

この歌は、能「井筒」で紀有常の娘(幽霊)が詠んでいます。
「井筒」は乙が初めて能舞台で観た能です(眠かった・・・)。

紀貫之と紀有常については、守武千句に実名登場句があります。

松かぜはきのありつねが夕にて
花のちるをやつらゆきもみん

おつしろうはまったくためらわずに、こんなおそろしいことをへいきでやる。こわいよ。どれがどれの本歌取りっていう考察は。もろ自分の教養を試されるから。でも、それが乙四郎がここへ来た理由。ありがとう。嵐竹のうたの整理。
むずかしいことはさっぱりわからんけど、かささぎ的嵐竹の意義はひとつぴかぴかに光っている。それはなんどもいいますが、恋の歌で、逢うということばの意味をきっちりおとしまえをつけてくれたこと。むかしの歌人にとって、「逢う」っていうことは、ずばりねるということなんだ。それをおしえてくれた。目がさめた。へ?って目をしろくろさせてくれた。それが嵐竹の来て逢はざる恋の庚申の歌。あれがあるから八女戦国百首は価値があるといってもいい。はあ、すんまへん。なにしろ、げひんなかささぎですからね。

でもさ。この戦国百首、どれもどこかでみたような歌だな。っていうのは、すぐにかんじたことです。さあ、ちょっと上品になりますよ。
なかで、じぶんは次の歌にみょうにひかれた。こんな歌が新古今になかった?そっくりな歌が。それは思い出せませんが、

33番、宗房。泉。
をのづからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

空のなかのいづみ。いづみのように初秋の風がわいてやってくる。

ほととぎすそのかみ山の草枕
ほの語らひし空ぞわすれぬ  式子内親王

宗房の空は式子内親王のこの空をつれてくる。
式子内親王は賀茂の斉王だった人。葵の歌もある。
伊勢。
伊勢をよんだ歌が一首ある。八女戦国百首に。
19番、孫七。
 三月尽
伊勢のうみや波よるもくさかきためて
暮らす神代の春はいく春

もう一つ伊勢がよみこまれているのは、伊勢の神垣。白ゆふかけて。あまてらす月。だれだったかな。
地名がでるのが、伊勢と難波と小野(炭)、くるす野。そのくらいでしたか。

式子内親王の歌。このひとがきになる。
ひまなときに目を通そう。せめて、このなかの「葵」の歌だけでも。↓

2009年8月11日 (火)

八女の農道

納楚ー宅間田間の農道。
向こうが北東でしょうか。

子の成長、母の成長

先日娘が帰省したとき、すっかり落ち着いていたので安心しました。
初夏に天神で会ったときは、勤務先の病院の経営者がかわってからの愚痴がたくさんでましたが。

有給休暇がなくなったこと、給料が減ったこと(住宅手当)、一日の拘束時間が長くなったこと(娘は週に二回ほかでも働いているのでこれが一番困るらしい)。

でも、いまはそれに耐えるしかないよ。というような話を、母の職場話なども織り交ぜて現実的な助言をしたところ、転職は思いとどまったようです。

探せばもっと高いお給料でやとってくれるところはあるかもしれない。
でも、お金ばかりではない、世の中は。

こんなことを言ってました。
経営者がかわって全体の会議があって、あなたたちの待遇はこうなります、って説明があった。そのとき、じぶんたち調理師は下から二番目だった。お医者さんや看護婦さんやいろいろ上から順にずらずらっといて、下から二番目がわたしたちなのよ。

そうなん。一番下は?
掃除のひとたち。
そう。
下にいくほどお給料は安いけど、病院は上がないと下のない職場だからね。
お母さんたちの職種は建設業のなかで一番下だけど。
毎日とってもやりがいがあるよ。地道にやってる。たのしいよ。
ボスが厳しい人でいつも気がぴんとたっていてね。
一枚の紙も無駄にしないし、備品管理も徹底してる。
おとこたちをあごでこきつかってるしね。笑
ユニフォーム代、備品代、すべて隊員持ち。お給料引き。
私も五分でも遅刻しようものなら、三十分単位で時給カットされる。
お茶代(コーヒー代)も月五百円各自の給与から天引き。
ガソリン代は走行表書いて請求しないとくれないし、それも15リットル券支給の形。
人件費以外入ってこない職種だし、それに引き換え経費がかさむ。
一年を通じて帳簿をつけていると、いやでも見えてくるのよ。
マイボスがしまりやだから、隊員を飢えさせずしのいでいけてるってことが。

ことしは殊に仕事がなかった。どこもそうだったらしい。
三月までで忙しい時期がおわると、四、五、六月はかつてない赤字だった。
それでもボスはちゃんとみんなにお給料わたしてくれた。
隊員さんたちにはみえない部分のマイナスのお給料を貸し与えてくれた。
これができる人なんです、わたしはマイボスを信頼している。
安くてもいい、ちゃんときちんきちんと支払ってもらえること。有り難い。
ここにきて、甘えない生き方をはじめて学んだ。

むすめの成長とわたしの成長に感謝。

連句的:

保健医療経営大学学長ブログ「医療費の動向12」

http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/927


2009年8月10日 (月)

東妙寺家の猫その1

東妙寺家の猫その1

東妙寺の家には十匹以上のねこがいる。
いつも別のねこがおでましになり、この日はこれでした。

なまえ、わすれた。ごめん。とりあえず、こっちで勝手につけちゃろう。
お前じゃりんこチエの小鉄ににてるね。忠犬八こうにもにてるけど。

どっちがいい。こてつかはちか。

こてつ!

丸山消挙の歌

忘れた頃にくる同級生丸山消挙の返信。
歌をご紹介いたします。だんだんまとも。

天頂が寂しくなって降り始め雨滴の感触じかに伝わる
時計見るまだ11時前ネットするペンシル握り句作に励む    会社にて
週末は髭もそらずに朝からビールたった二日の自由な時間
山崎をロックで楽しむ余裕ができたレッドツェッペリンを聴きながら
「丸山君?友達以上恋人未満」ってそれ絶対俺のこと馬鹿にしてるだろ  整子ちゃんへ

ギシギシと鳴る椅子に座り観る映画雨が降ってる途中で切れる

ぎょ!ヤマシタセイコとちゃん付けでよびあうんだ。(幼馴染って。)

映画の歌がいいとおもいました。
遠い自分の記憶の映像を自分で鑑賞している趣があります。
現実の歌、こどものころの記憶、だけどどこか雲を踏むような。

あーでも、あれか。
危うい感じなのは、サダコがでてきそうだからかも。

歌をなぜブログアップしたのかといいますと。
同世代の男の普段着生活がのぞけるとおもった。
それで、映画のろいりさんを連句に口説こうと思いました。
歌って俳句って連句ってちっとも身構えるものじゃないですもん。
だれでもさらさらよめますって。
こんな風に普通に口語でいいんです。

袖の歌が七つも!八女戦国百首

 

 竹橋乙四郎

七支刀がある石上神宮の所在地「布留」ですが、地元の万葉集歌碑には「袖」が冠されていたりします。

未通女らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我れは  巻4-501
我妹子や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや  巻12-3013

八女戦国百首にも「袖」が多く登場します。99分の7。

二十八  盧橘(ろきつ)   宗右
夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
四十四     雰(霧)   鎮光
明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ
五十二    紅葉     頼運
玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
六十五  鷹狩    鑑栄
ふる雪に狩場の鷹の一つがひ
花をはらへる袖かとぞ見る
七十二  不逢恋   鑑冨
今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
九十二    離別    覚元
中々にうき旅人にともなひて
わかるヽときの袖のくやしき
九十四    樵夫     宗房
けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき

石上神宮の象徴として「袖」を眺めると、七支刀が見え隠れ。
28番「たち」=太刀
44番「うちはらう」
52番「をらぬ紅葉」=7支
65番「はらえる」
72番と92番と94番で、七支刀が石上神宮へ持ち去られる悔しさ。

石上神宮に石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)があります。
中央の馬堂と呼ばれる通路が特徴で、日本最古の「蛙股」があります。
“柱の上に虹梁を渡して、まさに蛙が股を広げたような広がりの大きい細い線の蟇股を飾って棟木を支えている”とあります。
この石上神社の手前に、布留口池があります。
そして、石上神社には、神宮のご神体を埋めた「瑞籬(みずがき)」という石垣に囲まれた禁足地があります。
近くに芭蕉の句碑もあります。

昔からある水溜りを、古海とも古湖とも古沼とも言わないのに、なぜ芭蕉は「古池」という表現をしたのか。

布留池や蛙とびこむ瑞のおと (とんでも乙解)

▼かささぎの旗ひめののコメント

おつしろうのこの文章をよんで、かささぎはすぐ誰が書いておられたのかは忘れてしまったのですが、袖振り考というタイトルの一文を思い出しました。
それはもしかしたら、連句人・故・水沢周だったかもしれません。『青木周蔵』上下巻の著者です。
で、内容は。ごめん。ぜんぶすっかりわすれた。
さよひめのどうのこうのでどうしたこうした。ってのだったような。もっとずっとふかくてややこしい話ですが。
思えば水沢周って人もふしぎな人だった。いくつかとてもだいじなことを教えていただいた記憶がございます。れぎおんで。

『青木周蔵』は上下巻じゃなくて上中下巻でした。

2009年8月 9日 (日)

東京日和と東京物語をまちがえた。談義。

sunおはようございます。
「れぎおん」届きました。どうもありがとうございます。
さっそく目をとおしました(一部)
またゆっくり読ませていただきます。
映画>>
「東京物語」はまた別の映画よ。
柳川のは「東京日和」です☆

は。
うっわーはずかしいーーーたちあがれん。どのくらいちがう映画だろ。

えめさん、ウエザーマンみた?にこらすけいじの。
あのなかの風景シカゴの、さむそう。
十月でも十度。冬は氷点下。

ではいってきます。

slate小津安二郎の東京物語なら、これは必見!!ぜひ☆
古い映画なんだけど、現代にも通じる親子間、兄弟間、嫁間、、色々でてきます。
今の時代だと両親はこんなに年寄りではないと思うんだけどね。
では、今日もお気をつけて~memocar

slateウエザーマン見てません。
ニコラス氏>>なんか不思議な方ですよね。。
本日から公開の「GIジョー」が見たいです^^thunder

えめさんただいま
とめてる車の中何度くらいあるんだろ。

今日は市役所駐車場に駐車してた業者の車から発火、警備士は消化活動もしたみたいです。ライターをたくさん積んでいたんだって。自然発火するんだね、ライターって。なに積んでるかわからないってことがこわいです。

ウエザーマンはとてもしょぼい映画です。にがい。

sunおかえりなさい。おつかれさまでした。
ライター>>知人は胸ポケに入れていたライターが自然発火して大火傷をしました(皮膚移植まで・・★)
smoking愛煙家のみなさん、胸ポケライターは危険ですよimpact
今日もバリ暑かったね!!!

 「ウエザーマン」か、やはり見てない。この3年以上映画から離れていたもんな、と言いつつ月3本以上は見たが。
 小津安二郎を最初に見たのは20歳の時で、何と4本立て、しかも全部で8時間以上だったと思う。しかし、若気の至りで溝口健二や成瀬巳喜男の良さはピンと来なかったのに、なぜか小津安二郎の世界には、退屈も疲労感もなくとけ込めた。
 「東京物語」について、朝日新聞の土曜特別版「be」の「うたの旅人」7/31版に記事が載っていました。原節子はもちろんいいけど、個人的には香川京子にひかれた。尾道が舞台で、尾道といえば文学好きには林芙美子でしょうが、映画ファンにとっては大林宣彦、尾道を舞台にした傑作がたくさんあります。大林監督は、福永武彦が柳川を描いた小説『廃市』も映画化してますが、これはムチャクチャ暗い、柳川市民が怒りそうな映画だった。これについて面白いブログ?があったので一応ご紹介。

ろいりさん、
ありがとう。ご紹介の文章、よみました。
連句的ってことと時間論について書かれていますね。
映画や小説が時代をこえて人のこころを介して韻をふんでゆく。時の水をきる小石のように、しゅっしゅっとすべってゆく。
福永武彦の「六の宮の姫君」を以前よみました。
赤木かん子のリトルセレクションシリーズがこどもむけに出ていて、その中の一つです。このシリーズはほぼよみました。面白い。
六の宮の姫君は、今昔物語の原作から、芥川龍之介、山岸涼子の漫画、そして福永武彦のものと四つあつめて編集され、赤木さんの解説をつけたものです。これに、北村薫の同名の推理小説を読めば、より万全。芥川と菊池寛の確執、張り合いが描かれる。北村薫は「読み」型の人ですね。
おめでとうございます、菊池賞。審査員になかよしの宮部みゆきがいたからというより、六の宮の姫君を書いた時点で賞はとれていた、とかささぎは思ったよ。
あれ。なんばかきよったっちゃろ。
こんな夜更けにおきだして。
きのうは慣れない畑仕事をしたら疲れてしまいばたんと眠ってしまいました。
草むしりといちじくちぎり。想像以上に畑が広くて、。
 
話が拡散したので、まとめます。
『廃市』の役者さんのなかにみつけた、
入江たか子、尾見としのり。どちらも、この中に。

小男鹿の得ざる妻  (八女戦国百首) 

「小男鹿の得ざる妻」

  竹橋乙四郎

橋爪鑑実がこんな歌を詠んでいます。

四十三     鹿     鑑実
さをしかの妻こふ野路の朝な/\
咲ける小萩の露こぼるらん

そして、鑑実はもう一度「萩」「露」を詠み、「秋風」で受けています。

四十五     露      鑑實
をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ

「秋風」は33番から39番までひとつ飛びに吹いていました。

三十三  泉   宗房
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空
三十五  立龝    嵐竹
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空
三十七    萩     覚元
ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
三十九   薄       鑑栄
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

「萩」と「露」は、37番、41番、43番、45番と、これも奇数番で続いていました。

四十一   萩    鑑述
龝の野や千草の色にひきかへて
錦をかざす萩の白露

このように、八女天文百首には、いくつかの語彙の組み合わせの集中が見られます。
1番、2番、3番と、81番、82番、83番の6首もそうです。

一    立春      鑑述
君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ
二     子日        鑑教
さゝれ石の庭に小松を引き植ゑて
苔のむすまで友とこそ見め
三    霞         鑑實
朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき
八十一  松   弘智
得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ
八十二   竹    宗房
きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思
八十三   苔    鑑栄
千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる

「秋風」をリードした宗房という人物が気になります。
それなりの立場の人でなければ、後がこんなに続くことはないでしょう。
やんごとなき、遠来の客人ではないかと思います。
そして宗房の「秋風」を受けた「嵐竹」は随行の学識者ではないか。

四十六    槿(あさがほ)  嵐竹
あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花
七十三  来不逢恋  嵐竹
とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな

他の人と違い、嵐竹は本名ではなく、ペンネームくさい。
あさがほといい、嵐(=荒木)といい、竹(=武)といい、庚申といい、守武を意識せざるを得ない。
最近亡くなった守武を偲んで臨時に命名したのではないか。*
宗房も、81番の 神や「守」らむ に82番を「竹」で継いでいる。

当時、松木宗房(まつきむねふさ)という人物がいました。公卿。藤原氏。権大納言飛島井雅教の男。権中納言宗藤の嗣子。
1537年生まれなので天文24年には、まだ18歳。しかし、この方、天文13年、7歳にして従五位下の位が与えられています。
82番の「たけの台」は、京都御所の清涼殿の東庭にある呉竹の台と河竹の台の通称です。

松木宗房と一字違いの松尾宗房は一世紀後の芭蕉のこと。
松木宗房にあやかって命名した、なんてことはなかったろうか。
そして、松木宗房の近くにいた嵐竹にあやかって、蕉門の1人に嵐竹の号を与えたのではないか。
芭蕉も守武も同郷(三重県)。

*

▼かささぎの旗ひめののコメント

守武は天文18年没、なのでまだ死んではいない。
ただ、戦国百首の干支が正しいとすると天文12年、
その場合はいえるかもしれない。

八女戦国百首和歌『夏日侍(なつひまち)』
      : 天文二十四年
癸卯四月二十五日

荒木田守武:1573(文明5年)-1549(天文18年8月8日没)

吉田兼好:1283(弘安6年)-1352(文和元年/正平七年ころ没)

松尾芭蕉(芭蕉庵桃青):1644(寛永21年)
- 1694年(元禄七年)10月12日没
嵐竹は存在感がある。
当時の文化人はどのくらいの歌を読んでいただろう。
図書館なんてなかったろうし。**
戦国時代ですからね。でも、だからこそ、という何かがあったにちがいない。
吉田兼好の歌集などは当然頭に入っていたろう。
じゃないと、こんな歌がこのような席でさらっとできるわけがない。
先日押入れ片付けをした結果、こんどは「荒木田守武」が行方不明。
その荒木田守武はだれかの歌集をまるごと写していたっけな。年譜をよんだ。

その手がある。
いや、その手しかないんだ!

**

『ヒストリエ』をよむと、大昔の欧州にはすでに図書館があるんだよ。
ヒストリエ、岩明均。

イチジク畑

イチジク畑

「しめごろしのいちぢく」どす。

(しめころしのいちぢく・・勢いがありすぎて、ほかを殺してしまう)

これは、先日ちょこっとたからさんのコメントに出てきた、山口の山本伽具耶さんから教わった。

ののさまと風のかたちで咲く菊と   山本伽具耶

いちごを三十年近く一人で(ほんとは一人じゃない)栽培してきた母は、すんなりと農業をやめることができず、つぎに手がけたのがこれでした。いちご、いちぢく、いちゐの実・・・なにか句がよめそう。

山本伽具耶さん近況:

「週に二日はパンやケーキを焼き、配達しています。
英会話も再開し、パン教室やお菓子教室にも通い・・・」

かぐやさん。また連句をしようよ。俳句、とってもセンスあるよ。
たからさんが覚えていてくれたものね。

どうぞ

どうぞ

除草剤かけてくれたる見舞あり     恭子

前掲のふうちゃんは叔父である私の父の入院に際し、この広い畑に除草剤をかけてくれました。手術の日、疲れた顔で病院の家族待合室に現れて、「おっちゃんな草取りの気になっておちおち寝てもいられらっしゃれんじゃろうち思うて、除草剤ばかけてきた」といいました。

その後、きれいにトラクターで鋤いて、整地してくれた。

はい、どうぞ。なんでも植えてください。

ふうちゃん

ふうちゃん

遠景のふうちゃん。中央に一輪車をおしてゆく姿。

2009年8月 8日 (土)

朝顔忌はまだですが。

朝顔がさいてると荒木田守武を連想する。

旧暦の八月八日が守武忌。(新暦だと9月初旬)

八女百首の嵐竹の歌を竹橋乙四郎が論じてくれたことを思い出した。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-04da.html

その件について、最近きづいたことをかく。

嵐竹の恋の歌、「来て逢はざる恋」。

とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな   嵐竹

庚申の夜には信仰上、一晩中おきていたことがこの俳諧歌の背景にあるのだが、そのことに付け加えて、つぎの吉田兼好の歌にみられるような掛詞的な連想(かの、得ざる)もあったのではなかろうか。いや、たぶんそうに違いない。歌に余裕のようなものが感じられるのは、きっとそのせいだ。すごい歌の知識があった人だったんじゃなかろうか、この嵐竹って人は。

 たまたまネットでみつけた、秦恒平の兼好のうたの読み。
出色ですので、そのまま冒頭を丸ごと引用させていただきます。

兼好の思い妻
     
  
秦 恒平

久しぶりに『兼好法師自撰家集』を読みかえしていて、前半、それもわりに早い部分に、前後を「恋」の歌に埋められ、なにげなくこんな歌の織り込んであったのに気がついた。

  つらからば思ひ絶えなでさをし
かの
     えざる
妻をも強ひて恋ふらむ

 たんに「かのえさる」と題してあるのは、「庚申」の歳に詠んだ述懐歌なのだろう、歌のなかに、きちんと題が詠みこんである。「小男鹿の得ざる妻」に重ねて、どうやら「かの、得ざる妻」という痛嘆があらわれている。
 つらくなると、あきらめきれずに、それ、山の小男鹿がまだ逢えぬ女鹿を、あんなに恋いこがれて啼いているよ──というのが表むきの意味だろう。
 だがほんとうは、そんな小男鹿と同じように、あの、とうとう得られなかった思い妻、心の妻のことを、今も恋しく思い出しては泣けてしまうよ──と作者は詠んでいるらしい。
 兼好法師が、名高い『徒然草』を著した人であることはまちがいない。彼が俗名を卜部兼好といったこともまちがいない。官位は従五位上左兵衛佐にまで至ったらしいから、けっして身分の低い存在ではなかった。吉田神道の家に生まれ、異腹と思われるが兄弟に比叡山の大僧正になった者もいる。五位をかりに山の五合目と下から眺めれば、まずは文字どおり雲上人にちがいない。兵隊の位でいえば堂々たる聯隊長格、麓はおろか地下の衆庶からは仰ぎ見るほどの、末流ながら貴族の一人であった。
 兼好は生涯に二度関東へ旅しているが、そうして地方へ出て来られると、彼ていどでも地元ではもてなすのに重荷だったふしが見える。
 だが、都では、ことに宮廷をめぐる貴族社会のなかでは、五位やまして六位蔵人ていどの兼好は結局は「高貴」に仕える「従者」の地位を脱け出せないさだめを負うていた。卜部兼好は年少の頃から大臣堀川(源氏)の諸大夫であった。内大臣まですすんだ堀川具守の家司であった。わかりよくいえば家来、側近の一人として官途にも推挙された末輩の一公家にすぎなかった。
 それがいつか出家をして『徒然草』を書いた。のちに和歌四天王の一人に挙げられる歌詠みとして知られ、晩年に兼好法師家集を自撰した。ただし、とくに他に業績らしいものもない。著述も伝わらない。バサラ大名高師直の人妻への横恋慕を手伝って、艶書を代筆したといった醜聞も脚色されているが、真っ赤なウソで、取るに足りない。
 『徒然草』があっての兼好──というに結局尽きている。それでまた十分、十二分なほど『徒然草』の価値は高い。
 『古事記』『万葉集』『源氏物語』『平家物語』の四冊で、ある時代までの「日本」はほぼ代弁できるだろう。『今昔物語集』や『梁塵秘抄』を加えてもいい。中世に入ると思想的に内容が拡大するので簡単にはいかないが、その中でも『徒然草』を落とすことはけっしてできぬとだけは言いたい。『徒然草』にまったく学ぶことなしに「日本」は語れない。

続きが読みたい方は、:

http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/hata-kouhei16%8C%93%8DD%82%CC%8Ev%82%A2%8D%C8.html

2009年8月 7日 (金)

昨日の家の月

昨日の月

きのう、博多から娘がもどり夕飯作って又帰りました。
三時間近くかけて作ってくれた。夏野菜のにもの、じっちゃんに。
ありがとう。母(私)の愚痴もきいてくれ、励ましてくれた。
おかあさん精神病院いったほうがいいよ。というのは余計だけど。
それで!夕観音さんをすっかり忘れていました。
おもいだしたとき(これを撮ったあと)にはもう終わっていた・・
(また西鉄久留米駅まで送り届けて、家の月を写す。
ほくろみたいな星、なんて星かな。しりうす?いやそれは冬)

2009年8月 6日 (木)

軍手とノンフィクション

夏は運転する手が日に焼けるので、軍手をします。

二の腕までの専用手袋があるのになぜかこれが気分的に合う。
夏は運転しながら、しろくまくんをたべたり行儀が悪いからね。

城島へ行った後、三潴まで足をのばしてみました。
ぼんの家までしか行ったことなかったのですが、うろうろしてたら、新茶屋みたいな地名の三叉路に出て、そこをあっちへまがって横道にしゃかっと入れば、あった!何の案内板も出ていなかったような気がします、公民館としか。それが図書館なんざます、ほんとにねえ。
ここにはビデオやDVDが割とそろっていました。
『東京物語』、貸し出し中でしたので予約をいれてきました。

久留米図書館城島分館

酒蔵かとおもった。

とてもすてきな図書館でした。
『砦に拠る』松下竜一著(ちくま文庫)が閉架にあった。

筑後平野の夏木立

城島のきれいな体育館で、久留米図書館の城島分館はどこですか。
と尋ねたら、そこにいた人が「わたしのあとについてきてください」と車で先導して、親切に教えてくださいました。

2009年8月 5日 (水)

ひさかたの(枕詞じゃないよ)乙四郎語録のまとめ

勘違いなのかどうか、私も小学校の時、日食観測を学校でした記憶があります。ガラスにすすをつけて。
あのわくわくをもう一度と、木曜日に星の文化館まで日食グラスを買いに行きました。電話で聞いたら「2日前に200個仕入れたら、1日で100個売れました。すぐ来たほうがいいですよ。」と言うので。帰ってから長期天気予報を見たら、22日は雨マーク。がっくりしていましたが、今、明日の予報を見たら、何と「晴れ」!降水確率ゼロ!見れるかもしれませんね。

2年続けて皆既日食が観察された年があります。
西暦247年3月24日の夕方。
太陽が欠けながら沈み、月明かりもなく夜通し真っ暗闇。さぞかし人々は、先行き不安になったことでしょう。
天文計算上のことですが、史実として、この日に日食があったことは『魏志』斉王紀に記されているようです。
計算上、インドから韓国あたりまでが皆既日食で、福岡では93%、奈良では56%の部分日食だったそうです。地球の自転が少しずつ遅れてきているそうなので若干の計算誤差があり得ます。皆既日食帯が九州北部くらいまでずれていた可能性はありますが、奈良では世界を暗くするほどのことはない程度の日食でインパクトは弱いでしょう。
翌年、西暦248年9月5日の朝。太陽が欠けたまま昇ってきました。
福岡では84%、奈良では42%の部分日食でした。
これらの年は卑弥呼の死亡推定年です。
卑弥呼は日食を予測し損なって権威失墜し失脚したという説(ネット上にたくさん出てきました)がありますが、卑弥呼の死と日食との関連が深いということであれば、九州説が俄然有利となってきます。

まりさん。今日上司(えーと65くらい)が「じぶんも小学校低学年のとき、運動場で日食の観測をした思い出がある。唐津小学校」というはなしをしてくれました。今六十代の人の低学年のころっていつだろ。
おつしろうが書いてくれた資料のきっと昭和33ねんのだ、と思ったけど、計算があわないな。

星の文化館までも買いにいったの。すごいね。久留米のほうが近くない。六月だったっけ。らんちゃんと星野へいったとき、そこまで登った(車を途中にとめて)けど、あのとき、たくさんアプローチに見事なヤマボウシが咲いていました。みずきの花とにてるけど、真っ白でね。きれいかったよ。

まりさんが記憶してるってことはよ、わたしたちより一学年下だし、ひょっとしたら、おつしろうの記憶もほんとうにあったことかもしれないね。

おつしろう。
ひみこの時代の日食をしらべてくれてありがとう。
九州説はゆるがない。

今日の講演会は盛会だったそうで、おめでとう。
そのうち、親衛隊ができるかもしれないね。
いちどもきいたことがないので、きいてみたかった。
せっかくだから、ここに代表で東妙寺らんのコメントを、出血大サービス。やきもちを焼く御仁もいるかもしれんけど、かんにんえ。

「章さんの講座とても解りやすく良かったよ!
この世界から戦争をなくすために~
老婦人たちにも評判良かったみたいよ。また機会あったら講座受けたい(ぴーすさいん)」

イモトアヤコよりたくさんの国を訪問した・・・

のツカミで老婦人たちにわかってもらえたかどうか。
アフリカ植民地支配
ロシア語講座
タイ語講座
カンボジア国史
磐井の虐殺
ヒンズー教講座
ユダヤ教講座
イスラム教講座
国際協力論
・・・こんだけの話題を80分間にぎゅうぎゅう詰め込みました。

イモトアヤコさんのお名前が出たとき、あちらこちらで、「ああ、あの眉毛がつながってる人」のリアクションが出ておりまして、マスメディアのちからってすごいなと妙なところで感心しました。
おばちゃまたちからも、わかりやすかった。もう少し聞きたかった。また聞きたい。の声が主催者のほうへ届けられたと聞きました。
まったく眠気を感じさせない80分。
乙さん、学長はさすがですねえ。

井本あやこさんて、このひと!

参照リンク記事:

「戦争をなくすために」31文字倉庫(山下整子ブログ)
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-25e1.html

先進国とはあまり縁がないのですが、ザルツブルグへは2回も行きました。
2回目の訪問は8月でした。ザルツブルグ音楽祭の開催中で、和服姿のセレブも見かけました。
サウンド・オブ・ミュージックを観てなかったら、おそらく訪れることはなかったであろう古都です。映画の影響って大きい。
八女の町並みはこの数十年ですっかり変貌してしまったけれど、この古都は何世紀も前からずっとそのままであるかのよう。少なくとも、50年前のスクリーンで観た町並みはそのままでした。魔女の宅急便の町並みもそんな感じ。あれはタスマニアがモデルだったっけ。
こういう街に住みたい。
星野村の風景、おさなごころに刻まれています。50年近く行ってないけど、そのままだろうか。行ってないのは失望するのが怖いからかも。

おつしろう、星野村に五十年近く行っていないって記憶してるところがすごいね。じゃちいさいころの記憶が強く濃くあるのですね。それはなんで?
八女百首にも行空の碑にもたまたま行きがかり上出合ってしまって、どっちもまだよく調べてはいないけど、とっても地域にとってはだいじな文化財であり、きっちりともっとわかればいいなあとおもう。
投稿: ひめの | 2009年8月 5日 (水) 05時03分

ジャズとかフレンチポップスとか映画とか

30年以上前、由紀さおりの「アズナブール流しながら、この手紙を書いてます…」という唄がヒットした(タイトルは失念)。それをアホな友人が「あずなぶる」という枕詞があるのだと勘違い。おいおい、枕詞は名詞の前に来るものだろう、と笑いつつも、こりゃネタに使えると、「あずなぶる 流るるセーヌの 川岸に 一人たたずむ 伊達男」というのを披露したら結構ウケて図に乗り、セロニアス・モンク、こつの名も枕詞っぽいな、そういやマイルス・デイビスと仲が悪かったとかいう、半可通なジャズの知識で作ったのが昨日の戯れ歌。おっとセルジュ・ゲンズブール(ゲンスブール?)、こいつで3匹目のドジョウ狙い、こんなのはいかがでしょう。
   げんずぶる 娘のなまいき シャルロット
   今や三十路も 超えてアラフォー
 すいません、ジャズやフレンチポップス&シネマファンにしかわからないようなマニア・ネタで。でも歌の意味はちっともえっちっぽくありません。ゲンズブールは父母・娘ともえっちっぽいけど。
 また話ワープして「柳川堀割物語」、そういや20年以上前の夏帰省した時、たまたま久留米図書館で上映会があり見に行った。池町川も昔は魚が泳いでるほどだったのに、高度経済成長期にドブ川になり、暗渠化して駐車場にという提案もあったようです。それがいつの間にかきれいに整備されている。市役所も、やればできるじゃないかいな。
  

 さっきの「あずなぶる…」は、最下の句が7・7になってない、ということは記憶違い~なんせ二十歳の頃、まだ長髪なびかせていた頃のことだからうろ覚え。

 再度訂正、「最下の句」ではなく「下の句」です。ではこうしておきましょう。
   あずなぶる 流るるセーヌの 川岸に 
   一人たたずむ 粋なパリジャン

ほお。
ちゃんとかっこがついてますね、きのうよりも。

ろいりさん、わたしはぺっとときくとどうもそのあのこころここにあらず。ですみません。
いま、ずっとあれをみてました。
人生はくそだ!とおやじがいった。
かっこいい台詞、心がひりひりする映画だった。
また寒いシカゴがでてきた。さあ、この映画はなんでしょう。

ぼん。今日れぎおんが着いた。
あしたもっていけたらもっていきます。
ついでに三潴分館の場所おしえて。城島のもね。
作品(今回は「兵六玉」のみ)に参加してくださった方々にはお送りしますが、ろいりさんとか、えめさんとかさくらさんやばどさんや丸山消挙とかにも、おくりたい。よんでほしい。とばしよみでいいから、あちこち読んで好きなとこから。そしたら、だんだんみえてくる。連句に参加できる。
ろいりさん、住所と名前を教えてください。しらん。

 「人生はくそだ!」、どっかで聞いたセリフだけど、何の映画かわかりまっしぇん、よかったら教えてください。 
 考えたら「せろにあす…」も下の句が字足らずだった。ジャズ通の知り合いによると、この2人のセッションは、後世に喧嘩セッションと呼ばれるほど敵愾心むき出しのものだったらしいので、次のように訂正しておきます。
   せろにあす もんくあるかと ピアノ弾きゃ
   ペットでまいるす 喧嘩セッション
 これで呂伊利のエセ枕詞風戯れ歌3部作打ち止め、蛇足ながら用語注を。セロニアス・モンクとマイルス・デイビスは省略。
*シャルル・アズナブール…シャンソン歌手・俳優、「アイドルを探せ」を作詞、エディット・ピアフの若いツバメの時代も。私の高校時代には深夜放送で「イザベル」という曲がよくかかっていた。
*セルジュ・ゲンズブール…音楽家・映画監督・俳優、「夢見るシャンソン人形」など作曲。ジェーン・バーキンとの間に生まれた子がシャルロット・ゲンズブールで、14歳?の時に主演した映画が「なまいきシャルロット」

 投稿: 呂伊利 | 2009年8月 4日 (火) 22時18分

ああそうか。つばめってその意味があったね。
解説ありがとうございました。
しるびいばるたんのアイドルをさがせって歌は知ってますが、題があんまりぴんとこないなっていつもおもってた子供心に。いや少女心に。
ちなみに。つばめからの連想。
『きみはペット』ってドラマがあるのを全巻みました。
小雪さんと松本潤の。
あの関係っていいなあ。年下のきれいな子を愛人にして自由にめしつかうっての。笑

映画の題名、おしえんどこう。
にこらすけいじが主役の映画でした。

ぼん。きのうは丁度帰ろうとしてるとき電話してくれてありがとう。
やはり行かなくてよかった。
ものすごく混雑してたらしい。
隊員さん全部投入してたもの。
明治通り完全封鎖。パレードがあったみたいで。
みずまいくには、あのなかを通りぬけていかんといかんけん。
東合川のセブンでメール便おくりました。

2009年8月 4日 (火)

山下整子の留め書きをアップしました。

れぎおん夏号掲載の亜の会歌仙『兵六玉』、留書をアップロードしました。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-2.html

2009年8月 3日 (月)

夕観音さん

となりぐみちょうのいとこのおよめさんから、

「六日がゆうがんのんさんだけん、お参りにきてね」

といわれました。わすれそうなのでここにメモ。

夕観音さんとは:

夕方、女達だけでお宮の観音さまにお参りし、お接待をうける。

「針は真っ直ぐ正直に」、映画のはなし。

広報やめを見てたら、福島高校が松山で開催される「俳句甲子園」に出るらしいよ。8月7日に。

へえ。
高校生の俳句と批評か、たのしみだね。
その映画、おととしだったかな見ましたが、おもしろかった。「恋は五七五!」いつもトップをきそうのは東京の進学校だったような。
ながさきげんばくきへ毎年句をだされる長崎工業高校でしたか、あそこもとても上手です。
まりさん、きのうはどうもありがとう。
あのまんまブログアップしました。
文責、すみたから。

私も福島高校の記事、読みました。
後輩たちも頑張ってますね。
八女は文武両道の教育が行き届いているんではないかと思います。
文化的地盤がすでにできている。
良いところに住んでますね。

松山には一度いってみたい。函館にも。
うどんがだいすきだから。
それと先日まりさんにいただいた俳菓のタルトが上品でおいしくて、その上へんてこなコピーが忘れられません。
時計の針はきっかりまっすぐ。てなの。
それはどういう意味やねん!ってどつきたくなる。腹時計のことやろか。

六時屋タルトなので、六時きっかりにコマーシャルがあったような覚えがある。
六時は長い針と短い針が真っ直ぐになるから、「針は真っ直ぐ正直に」のコピーになったんじゃないかな。
後から出来たライバル社の一六タルトがチェーン店を展開してきて、老舗の六時屋は一時期針が傾きそうになったけど、道後温泉の人気復活によってまたしゃきーんとなったようです。
道後温泉にも入ってきたけど、、若い人もいっぱい来ていて驚いた。入湯切符を買うのに並ばないといけないくらいの盛況ぶり。千と千尋のお陰かなあ。昔のようにのんびりとはいかなかったけど、故郷の賑わいはやっぱりうれしい。
福島高校の面々もきっと道後温泉に入ってくるだろうし、松山城もいくのかな。
恋は五七五みたいに。

その道後温泉、行きましたよ~。
もう随分昔ですが、レトロな雰囲気の大きな温泉旅館がありました。
駅前のにぎやかな音楽の鳴るからくり時計。あら、なつかしい。
mariさんのふるさとはそちらですか?

seikoさん、そうです。松山はわたしのふるさとです。
道後温泉本館は子供の時からよく行きましたよ。
2階の畳の大広間で子供用の浴衣を出してもらえるのがうれしかった。
湯上りにお茶とお菓子を頂いて、汗が引くまでゆっくり涼んでから帰っていましたが、今は盛況のため時間制限が出来てました。まあしかたないかな。
道後温泉のどこかの旅館で、あのお笑いの友近さんが仲居さんをしてたそうです。
あの人のイントネーションがまさしく松山のものです。
ほうなんよー。

ほうなんよー。ですか。
ことば、北九州とおんなじところもあるよね。
きれいかったってことを、きれいなかったよ。って打ち消していいませんか。あれにはびっくりします。意味がつうじなくて。
ところで、まりさん。
「センセイの鞄」小泉今日子主演映画は、レンタルにはありません。
それと柳川掘割物語は柳川図書館にビデオがあるみたいです。
市民じゃないと貸してくれないみたいだけど、そこでみることはできる。

nightこんばんわ
お父様は順調な退院でおめでとうございます。
長引かなくてよかったですね。 でもしばらくはお大事に☆

柳川の風景がとても美しい「東京日和」はお気に入りの映画です。
アラーキー氏がご自身の奥様との日々をつづられた内容だと聞いています。
後半の柳川の川くだりや沖の端の舟だまりなどすばらしく叙情があります。 
中山美穂さんが奥様の役です・・☆

えめさん、ありがと、その映画の題名がわからなかった。
事務所のとなりの席の子が教えてくれてたのですが、こんど借りてみます。
柳川掘割物語も見たい、宮崎駿さんと高畑勲監督のドキュメンタリー。
となりの席の子のチチが川くだりの船頭見習い中で、そういう話をくわしく教えてくれるもので。

 お久しぶりでございます。
オーストリアのザルツブルク近郊で「サウンド・オブ・ミュージック」の世界に浸ったりして、ボケーッとしとったら、ウィーンの地下鉄でスリにあってさあ大変。
失意とともに「第三の男」に出てきた観覧車に乗って、落ち込んだ気分を紛らわし、テーマ音楽を口ずさめばヨメはそれをヱビス・ビールのコマーシャル・ミュージックとしか思とらんし。 
 そういうわけで、何とか映画と関連づけてここにコメント書き込みます。
「柳川堀割物語」も「東京日和」も図書館にVTRやDVDがあるじゃんね、と思ってよく考えたらそれは八王子図書館だった。やはりボケとる。
今日は早朝から仕事行って、しかもその後10日間休みなし。
でもこんだけ休んだからしょんなかね。
久留米図書館調べたら、三潴館に「東京日和」のVTRはあるようです。
私は封切りの半年後ぐらいに見たけど、いい映画です。でももう12年も前の映画か、年とった。髪の毛だけ竹中直人のごつなってしもた。ありゃ、それはその頃からか。
 映画についてもう1つ、松山の話題でなぜか田中麗奈の顔が思い浮かんでたけど、そうそう「がんばっていきまっしょい」が、松山東高校をモデルにしたものだった。私の元同僚がその高校出身、ありゃりゃ、この映画も11年前。
 そういうわけで、脳天壊了状態、久留米には8/11頃帰ってきて、10日間ほどいます。
今は年休ちゃんと取れるのだけが取り柄の仕事かも。
筑後川マラソンは10/11、なんでわざわざ久留米に帰ってまでの出場かというと、その理由はまたの機会に。
  全く無関係ながら、昔作った戯れ歌を一首
  「せろにあす もんくあるかと ピアノ弾きゃ
   ペットでまいるす ジャム・セッション」

まいりました、うたぴあのととらんぺっとのじゃむせっしょん。
ろいりさんはやっぱり二上がりもんだね。

欧州旅行おかえりなさい。すりにあっても、ちゃんと帰ってこれるものなのですね。
ろいりさんが奥さんのことを、うちのよめが。というのはなかなかいいですね。
だれもそんなふうに妻のことを呼ぶ人はいないから。
これが逆のパターンだとどうなる。うちの宿六が。かな?
嫁の対語は婿だけど、ふつううちの婿が、とは妻はいわない、それだと養子のしゅうとになってしまうから。

柳川掘割物語、じつはおととし八女図書館にいれてくださいとリクエストしました。
でも没だった。
久留米図書館の貸し出しカードを作ってもらったので、行ってみよう。
小説『砦に拠る』松下竜一は城島分館、DVD『東京物語』は三潴分館、DVD『柳川掘割物語』は柳川図書館。
以上、整理してみました。

マラソンは十月十一日、その日は日曜ですか。

2009年8月 2日 (日)

道路案内の看板

父、退院。

7月22日に胃がんの摘出手術を受けた父が今日退院します。
全摘ではなく、胃は五分の一残してくださいました。
最近の病院はすごいです。
以前の治療方式とはまるで違う。
手術は組織検査をしながらのもので長い時間かかったのですが、もう翌朝には父は歩かせられていました。そういう方針であるらしく、翌日朝からリハビリが始まりました。本当にびっくりしました。しかし、おかげでトイレもすべて自力ででき、介助は全くいりませんでした。

入院期間中、父がベッドにおとなしく寝ていた姿は一度みかけたきり、私が行くとたいがいベッドに座っていました。孫が差し入れてくれた藤沢周平の文庫本を二冊読んだらしい。

子が数年前まで毎年ぜんそくで入院していましたので入院慣れしてますが、今回のようなちゃんとした病気の入院は初めてでした。得がたい経験でした。

それに、乙四郎が今学長ブログに連載で書いている難しいことが実感としてわかるようになった。ことに高齢者医療の経費。
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/category/health-m
退院が近づき母は治療代がいくらだろうとそれを心配していました。
予想では数十万円かかるような気がした。
ところが、なんと十万円以下なんです。
入院期間は13日間、胃がん摘出術がなんと十万以下!

驚きました。なんでこんなに安いのでしょうか。

それは一割負担だからです。後期高齢者医療という制度のおかげです。
制度が始まったばかりのときは、保険料天引きで支払うことの不満のみに意識が集中していましたが、おかげさまということであります。
八万円が一割ということは丸々自費の十割だと八十万円てことです。
うわあ、保険というのはなんと有り難い制度でしょう。

ところで、はじめて父が入院して、いろんなことが見えました。
まず近くの親戚がずいぶんよくしてくれたこと。
うれしかった。
また、こどもたちがちゃんと育ってくれているのがみえて、うれしかった。
長女長男次男まるで性格がちがうので、やりかたは異なるのですが、それぞれに心配してくれた。次男のは目にみえるやさしさ。
いちども病室に入って来なかった長男は、へんなやさしさ。笑

長男と最近めったに顔をあわせませんが、学長ブログの用語がわからないのを尋ねると、ちゃんと教えてくれた(被用者保険=他人に雇われている人の保険)。
勉強しているふうではないけど、経済面ではふしぎと自立できている。
平行して自分の意見をはっきり言うようになった。
これも保健医療経営大学のおかげだと思っている。

以下、きのうの例。
私「今日etcをつけてもらった」
奴 「お金がないっていってたやん。その割りにすることが矛盾しとるね」
私「親戚のとこに言ってみたらたまたま一台あるっていうから。でも民主が政権とったらつけてなくても高速只にするっていうから無駄かもね」
奴「あーだけどいつになるかわからんやん。それにそんなこと言ったって財源はどうすん。あてにならんよ」

2009年8月 1日 (土)

連句合宿がしたい。

連句合宿がしたい。それも一番暑いときにしたい。
とずっとこのふた月ほどいい続けているのですが、だーれものってくれません。

えーなんでやねん!

(あんたら自分の用事ではあちこちようけ行ってるやんか。
そんなら連句のために一日半くらい、あけてくれてもいいやろ。)

これ、かささぎのこころの声。

なんだか段々あったまにきた。
十年以上若かったときから連句合宿をしてきた。
おなじ目的だけのためにおなじ釜のめしをくうってことがとても大事なんだ。
剣道部や裁縫部や空手部野球部サッカー部ソフトボール部といっしょ。
これをやりたいのです。っていうか、前田師を通じて、連句道みたいなものをからだに各自流しこんでもらいたい。それがかささぎのねらい。

前田師をずっとみていますと、その生き方がみごとです。
連句のためならすべて手弁当で必死でなさいます、決して人さまに負担をかけさせないようにそれはそれは心を配られます。
連句を通じて、人とのつきあい方を学ぶ。
つきあいとは、句のつけあいに通じます。
連句人は連句の座が済めば、あとはさっさとはいさいなら。の世界です。
その切り替えが実にみごと。

かささぎの決意はかたい。

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