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2009年7月11日 (土)

足立攝さんからのお便り

昨日、帰宅すると、大分の足立攝さん(あだち・せつさん。俳句誌『樹(たちき)』同人『九州俳句』所属)から、桜島での写真とお便りが届いていました。
ありがとうございました。
攝さんは会がおわったあと、花束を抱いた中山そらんさんを囲んで山下整子、東妙寺らんと姫野の四人を記念に写してくださったのです。

わたしは攝さんについてはあまり知らないのです(攝さんがご夫婦でたちきに入ってみえて間もなくして私はたちきを引いたから)が、父上の足立雅泉さんはよく存じ上げております。植物好きなやさしいお方で、たちきにも花や草や木のことを詳しく調べたエッセイを連載されていたし、本もだされています。独特のスピード感とリズム感ある写生句を得意とするベテラン俳人で、人のお世話の行き届くかたです。

自分が長らくいた俳句誌の同人からお便りをいただいたのは初めてでした。

読んでいましたら、なんだか切ないきもちになりました。
できればもう一度帰ってきてほしいと思っています。
と書かれていたからです。

たちきをひいたのは、物理的にできなくなったからです。
連句を残して俳句誌はやめようとおもいました。
いくつも入っている余裕はなくなったからです。
俳句に経済的な負担はないと思い勝ちですが、実際はちがいます。
交際費がかかります。礼を尽くさねばならぬ時がある。
それができないなら、やめるほかない。ときめたことです。

足立攝さんのお便りは真心のこもったあったかいものでした。
パソコン関連のお仕事をしておられるらしく、俳句も文章も一本すじの通った毅然としたものを出される人です。句歴が浅いのにそこらのベテランよりも「立った句」を書かれますのは、お父上の読者であられたからなのでしょうか。さすが雅泉さんのむすこさんだなと思って遠くから眺めておりました。

ところで、攝さんがお手紙でとりあげてくださった拙句(2008年2月号「樹」より)の解説を読んで、えっと思いました。
その部分をそのまま引きます。

● 熊本の義肢製作所はだかの木    恭子

 はだかの木は「裸木」で冬の季語。葉を落とした木々は寂しげであり、どこか滑稽であり、その滑稽さが人間のようでもある。虚飾を捨て、裸になった人間は哀しいほどに小さい存在なのだ。しかし、その小さな人間には血が流れ、心が通い、熱い魂が震えている。人間の尊厳などと安っぽく語りたくはないが、人間を小さな存在と知った時、本当の尊厳が見えてくるのかもしれない。
 熊本は愛知県などと並んで、義肢製作の先進県。義肢を作る仕事は、実は人間を作る仕事だと、裸木を見ながら思うのである。(足立攝)

攝さん。ありがとう。こんなに深く読んでくださって。
熊本の町を通過中、目に付いた看板をそのまま詠んだ句でした。
季語をとりあわせるのに何をもってくるか。それも実景でありました。
「義肢製作所」という看板のそっけなさとあったかさとリアル感。
それが虚飾をそぎおとした人間のぎりぎりで生きる実在感みたいなものを示唆してくれました。わたしは御手紙を読むまですっかり忘れていましたが、このような句を詠んでいたこと、そしてそれを読んで何か深いところで感じてくださっていたお方がいらっしゃったということを、とてもうれしく、幸せに思います。
(愛知県と並んで熊本は義肢製作の先進県。というのも、初めて知りました。)

まずはネットでお礼、申し上げます。

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コメント

ありがとうございます。misakiこと足立攝です。
姫野さんにお礼を言ってもらえると、くすぐったい気がします。光栄です。
ブログはよく読ませてもらっているのですが、コメントは初めてです。ちょっと緊張します。

「九州俳句」の「風媒花」も取りあげてくださりありがとうございます。ぼくは俳句歴が浅いためか、俳句に対しての疑問がたくさんあって、それを先輩に聞くのですが例外なく??って顔をされます。そんな質問聞くのは初めてのようなのです。

類句類想問題もネット上にたくさんあります。岸本さんの事件や「生き生きと死んでいる」問題も、たくさんのカキコがありました。しかし、どんな論点も見当違いに見えるのです。小説ほどの文字数があれば、「盗作」は歴然と判ります。しかし全長十七文字前後の俳句では偶然の要素が高すぎるのではないでしょうか。上五に季語を持ってくれば、5÷17で約30パーセントの類似。あと少し表現が似れば50パーセントなんか簡単に突破します。

要するに故意か偶然かの判断は客観的にはできないのです。立証はむずかしく、結局当事者の心の問題、内面の問題にならざるを得ません。そんないい加減な根拠で、人を罪人扱いし、あげく筆を折るだの折らぬだのの騒ぎになるのだから、申し訳ないですけれど滑稽だと思ってしまうのです。他人の内面には入り込むことができないという事実を、どうして俳人のみなさんは分からないのか不思議に思います。

そんなわけで、それらの問題は人間ではなくコンピュータにまかせようと提起したつもりでした。実用新案や特許は、昔から届け出制です。前例がすでにあれば「どろぼう」よばわりされずに「せっかくのいい案だったのに残念だっったね」と同情されます。故意に前例のすれすれを狙っても、くぐり抜けて採用されればOKで道徳的な批判は受けません。「特許」にできるのに、何で俳句にできないのだ、と言いたいわけです。

こんなことをいろいろ「樹」の瀧さんや太田さんにもぶっつけて困らせています。季語の使い方を誤っても、文法違いでも、送り仮名違いでも、「未熟な作品」として尊重されるのに、何で現代仮名遣いと歴史仮名遣いの混同だけは、どこの結社でも目の色を変えて絶対に許さないのか、そんな問題も抱えています。投句用紙に現代仮名遣いと歴史仮名遣いのどちらかに○をつけるようになっている時には、その下に「ミックス」と書き足して○をつけたりもします。

新人のくせに生意気三昧だと自覚していますが、性分だから治りません。

「熊本の義肢製作所はだかの木」は、とてもシンプルで「配合」が俳句の本質であることの教科書のような作品だと思いました。こんな作風の人は身の回りにいなかったので、少しカルチャーショックを感じました。

姫野さま、これからもよろしくお願いします。

有難うございます。
まさきというのが本当のお名前ですか。類似句 特許制は朝日俳壇などでやっていませんか。先行作品があるとわかり次第 入賞を取り消すのもその延長にあることだと思います。
無意識のうちに同じ句を出すのはあり得ることで 自分も全くひとと同じ句を同時期に作ってたことがあります。知らずに同じ句を出す経験は韻降る円座かもねある種の。
別段悩むことではなく もっといい句を書けというサインだと思えばすっきりします。
仮名遣いのことは連句でもあたま痛い。俳句の一句に現代かな旧かな混在するのは違和感がありますが、連句はそれぞれの句がもつ雰囲気が己れを強く主張してどちらかに表記を統一するのを拒否することがあります。たいがい旧かなで巻いてますが 文体が現代かなにしてくれと叫んでる句まで旧かなにするのはファシズムだと思う。思うけど統一してる。


まさき ではなく みさき さんでした。

misakiさんこんばんわ
「樹」でお目にかかっている呆夢です。ごぞんじでしたか?
今年こそ九重の句会に行こうと思っていましたが、休みが先輩の結婚式と重なって取れませんでした。足立御夫妻や他のメンバーの方のお顔を拝見したいのですがなかなか実現しません。
俳句を始めたのは摂さんとあまり変わらない時期だと思いますが、最近のご活躍、すばらしいですね。奥様の句も好きで、紙上にはのりませんが、共鳴句として選ぶ事も多いです。
これからもよろしくおねがいします。

アクセスよみました。

ちかごろ勤務先の同僚で耳の不自由な仲間が長期入院をしました。二ヶ月予定、手の指を手術して、リハビリまで。労災ではありません。有給をたくさん使います。
わたしは流れ作業の最後の砦にいるのですが、ということは、ほかの人とは離れたところにいて一人で作業をするのですが、終日だれとも会話しなくても、ぜんぜん平気です。これはそういう性分ですので。
しかし、耳の不自由な同僚は、いまひとりいて、ひとりきりになってる(私のとなりの)作業員さんの孤独を思ってしまいます。
いつも、ふたりで手話で楽しく話されていたのです。
わたしは手話ができません。でもボスや仕事仲間はちゃんと通じる話し方をもってます。
わたしもそれができたら、慰めてあげられるけどなあ。
こころではなす、ということ。
あったかいものですね、ひとによりそうこころは。

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