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2009年7月21日 (火)

日食談義

北九州の主婦の方が考案された新聞バッグ。前から興味がありました。
今度見せてね。
日食の記事にも興味あり。
22日はお天気が悪いみたいですね。
お店には毎日日食を見るグラスのことで問い合わせがあります。
もう入ってこないんです。
残念でした。

こんにちは
日食グラス>>私もまだ用意してません。
前回のときはセルロイドの下敷きを2枚重ねて見た様な記憶が、、。場所は学校の校庭で同級生達とわいわいしながら^^☆
あと、ガラスにローソクの炎ですすをつけたり、、。
でもテレビで今のローソクはすすがあまり出ないとかは言ってましたが、、。
娘が子供時代の部分日食のときは磨りガラスのコップで見たとか言ってたけど、、。
カメラで収める方法もまだ調べてないし、、。
とりあえずはお日様が出ますように、、

>前回のときはセルロイドの下敷きを2枚重ねて見た様な記憶が、、。
>場所は学校の校庭で同級生達とわいわいしながら^^☆

乙にも同じような記憶があるのですが、それに該当しそうな日食記録がないのです。
太陽の半分以上が欠けるような部分日食は、前回は昭和38年7月21日。
ただ、この時は、食が最大だったのは日の出の時刻なので、同級生たちとわいわいする時刻ではありません。
その前には、昭和33年4月19日に記録があります。土曜日の昼なのでわいわいできる時刻ですが、この頃の記憶があるはずがありません。
記憶にあるのは太陽の一部が欠けるだけの日食だったのでしょうね。

今回の日食は、八女あたりでは22日の9時37分過ぎくらいに欠け始め、10時56分に91%くらい欠けます。欠け終りは12時18分です。

次回は、3年後、2012年5月21日に日の出の時刻に見れます。八女あたりでは今回と同じくらい、91%くらい欠けます。早起きしましょう。

八女あたりの部分日食(10%以上)を調べてみました。
昭和33年 4月19日 11:04-14:41 87%
昭和40年11月23日 11:55-14:07 21%
昭和44年 3月18日 14:52-16:09 14%
昭和53年10月 2日 15:38-17:22 29%
昭和56年 7月31日 11:39-14:13 43%

小学校の記憶は、昭和40年の21%部分日食でしょうか。
しかし、この日は勤労感謝の日で休み。
学校の校庭の記憶が矛盾。

調査追記。
昭和38年7月21日の前回の皆既日食(北海道)の時は、八女付近では日食は観測されていません。
よって、小学校時代で該当する記録は昭和40年の部分日食のみです。

ぼん。新聞バッグ、北九州の人が考案したのですか。全く知らなかった。握るところを補強したら長く使えるそうです。英字新聞のもきれいでした。こんどもっていきましょうね。
鍬塚さんは戸畑ですけど。
この写真の背景の白い壁はチチが去年塗ったものです。でこぼこがあるけど写真ではでない。
鍬塚さん、ご自分でつくってくださったのですが、絵柄をちゃんと考えて新聞を選んでありました。月特集。裏もちゃんと月。おなじころにおなじマヤ暦にこっていたっけな。というより、旧暦に。ひさしぶりでしたが、鍬塚さんと会うと、昔の話ができます。鍬塚さんがいなければ、私は「樹」に入ってなかったし、石橋秀野も調べていなかった。てことは、八女のみんなも俳句に誘っていなかったんだよ。
ということを思うとき、このかたは、恩人なわけです。

おお、天文写真家えめさん。日食みたことあるのですか。
へえー
どんなんやろ。それみたらいいことある?
写真にとるとき、眼がやけどしない。

おつしろう。あなたはほんまに、せっせとしらべるひとですねえ。
こどものころに記憶がある?自分はない。ただ光を集める実験の記憶はある。
黒い点が燃える。昭和四十年といえば十一歳、小学五年。
そのころ、小川先生に連れられて、みんなで下横山小学校まで三里か四里かの山道を歩かされた、蝶採りで。その記憶だけが鮮明であります。
おつしろうとはクラスがちがかったよね。
こないだ、らんちゃんと星野村に行空資料をあつめにいったとき、ついでに、らんちゃんが行ったことないというので、足をのばして、おぼろ大橋までいきました。そしたら通り過ぎて森林公園までいきそうになった。
あのおぼろ大橋のある付近が、下横山なのでしょうか。八女もひろくて、まだよく知らないところがいっぱいです。

だんだん思い出してきた。
小学校の時、セルロイドの下敷きを重ねて見たのは、単なる太陽の観察。
日食を見た記憶は1980年代以降、就職してから。
ふたつの記憶がごっちゃになってた。

だんだん思い出してきた。
小学校の時、セルロイドの下敷きを重ねて見たのは、単なる太陽の観察。
日食を見た記憶は1980年代以降、就職してから。
ふたつの記憶がごっちゃになってた。

こんばんわ
おぼろ橋が左へならぜぜん社へは右へ行って行き止まりの場所。
学業、就職(わが家の場合)などなど。。
是善公=菅原道真のお父様を祀ってあります。
目的方向の道を間違えていつのまにかこの社の前に到着。偶然、娘の受験の最中でした☆
集落も深閑としてきれいで癒されます。
反対側の山手、上横山の奥の滝宮不動尊もすばらしいですよ^^

そのときにこういうこともした。
髪の毛がたちあがる実験。
コメントがエコーしてる。


セルロイドの下敷は便利なものだったんですよね。。今にして思うと☆
おねどしの夫も学校でみんなで観察した記憶があるようですが、私といっしょで何年生だったのか覚えていない模様。
ちなみに「ガラスにすす」で観察したらしい。
観察する道具を用意してないので、明日めぼしそうなものを見つけに文具屋さんや100キンをうろうろしてきます

新聞バッグはここで教えてもらいました。丁度1年前。三苫の循環生活研究所での講座でした。
http://www.pepa.jp/g-betta.com/shinbun.html

今調べてみたら四万十川の道の駅が発祥?

日食って新月の時に起こるんですね。
11時35分に新月になるらしいから、それから8時間以内に白い紙に願い事を10個書きます。願いが叶うと信じながら。
10も書けば7割方はかないますよね。
お試し下さい。
信じるならばですよ。

エメさん

太陽を直接見ることは目に悪いので、安易な道具で見ることは避けたほうがよろしいようです。
使い古しのテレフォンカードに針穴を開け、白い画用紙とかに太陽光を映し出してみるのが良いようです。麦藁帽子の隙間や、木漏れ日の間から差し込む光線をうつすのもいいそうです。
以上、ズームインからの情報です。

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コメント

勘違いなのかどうか、私も小学校の時、日食観測を学校でした記憶があります。ガラスにすすをつけて。
あのわくわくをもう一度と、木曜日に星の文化館まで日食グラスを買いに行きました。電話で聞いたら「2日前に200個仕入れたら、1日で100個売れました。すぐ来たほうがいいですよ。」と言うので。帰ってから長期天気予報を見たら、22日は雨マーク。がっくりしていましたが、今、明日の予報を見たら、何と「晴れ」!降水確率ゼロ!見れるかもしれませんね。

2年続けて皆既日食が観察された年があります。
西暦247年3月24日の夕方。
太陽が欠けながら沈み、月明かりもなく夜通し真っ暗闇。さぞかし人々は、先行き不安になったことでしょう。
天文計算上のことですが、史実として、この日に日食があったことは『魏志』斉王紀に記されているようです。
計算上、インドから韓国あたりまでが皆既日食で、福岡では93%、奈良では56%の部分日食だったそうです。地球の自転が少しずつ遅れてきているそうなので若干の計算誤差があり得ます。皆既日食帯が九州北部くらいまでずれていた可能性はありますが、奈良では世界を暗くするほどのことはない程度の日食でインパクトは弱いでしょう。
翌年、西暦248年9月5日の朝。太陽が欠けたまま昇ってきました。
福岡では84%、奈良では42%の部分日食でした。
これらの年は卑弥呼の死亡推定年です。
卑弥呼は日食を予測し損なって権威失墜し失脚したという説(ネット上にたくさん出てきました)がありますが、卑弥呼の死と日食との関連が深いということであれば、九州説が俄然有利となってきます。

まりさん。今日上司(えーと65くらい)が「じぶんも小学校低学年のとき、運動場で日食の観測をした思い出がある。唐津小学校」というはなしをしてくれました。今六十代の人の低学年のころっていつだろ。
おつしろうが書いてくれた資料のきっと昭和33ねんのだ、と思ったけど、計算があわないな。

星の文化館までも買いにいったの。すごいね。久留米のほうが近くない。六月だったっけ。らんちゃんと星野へいったとき、そこまで登った(車を途中にとめて)けど、あのとき、たくさんアプローチに見事なヤマボウシが咲いていました。みずきの花とにてるけど、真っ白でね。きれいかったよ。

まりさんが記憶してるってことはよ、わたしたちより一学年下だし、ひょっとしたら、おつしろうの記憶もほんとうにあったことかもしれないね。

おつしろう。
ひみこの時代の日食をしらべてくれてありがとう。
九州説はゆるがない。

今日の講演会は盛会だったそうで、おめでとう。
そのうち、親衛隊ができるかもしれないね。
いちどもきいたことがないので、きいてみたかった。
せっかくだから、ここに代表で東妙寺らんのコメントを、出血大サービス。やきもちを焼く御仁もいるかもしれんけど、かんにんえ。

「章さんの講座とても解りやすく良かったよ!
この世界から戦争をなくすために~
老婦人たちにも評判良かったみたいよ。また機会あったら講座受けたい(ぴーすさいん)」

イモトアヤコよりたくさんの国を訪問した・・・

のツカミで老婦人たちにわかってもらえたかどうか。
アフリカ植民地支配
ロシア語講座
タイ語講座
カンボジア国史
磐井の虐殺
ヒンズー教講座
ユダヤ教講座
イスラム教講座
国際協力論
・・・こんだけの話題を80分間にぎゅうぎゅう詰め込みました。

イモトアヤコさんのお名前が出たとき、あちらこちらで、「ああ、あの眉毛がつながってる人」のリアクションが出ておりまして、マスメディアのちからってすごいなと妙なところで感心しました。
おばちゃまたちからも、わかりやすかった。もう少し聞きたかった。また聞きたい。の声が主催者のほうへ届けられたと聞きました。
まったく眠気を感じさせない80分。
乙さん、学長はさすがですねえ。

井本あやこさんて、このひと!

このところ、このページが読まれている。
あとでアクセス解析をやりますが。
文中乙四郎があす朝早くの日食についても紹介してるね。いまごろ気づいた。まったくおつしろうの頭の中は伏線だらけだ。
そして、今日、あたらな気づき。
かささぎのおとうとが死んだ日。
昭和53年10月 2日 15:38-17:22 29%
日食の日でした。この日のお昼。十三時半ころ。祖母をつれてエーコープに行こうとしてた。

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