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2009年7月18日 (土)

繁二郎、連句的

sunおはようございます
青木繁と坂本繁二郎>>終生のライバルで終生の友人と昔ドキュメンタリーで見ました。
表には出てきてない色んなエピソードがありそうですね。
お二人のご生家があいついで改築復元されてうれしいことです。
青木氏の「わだつみのいろこのみや」と「海の幸」は以前石橋美術館で見ました。すばらしかったです。。とくに、わだつみ・・☆
繁二郎さん、アトリエ公開の日に中に入りました。
内部写真も写させていただきました。
室内のイーゼルに写真家土門拳氏撮影の繁二郎さんが立てかけてあります。
ものごとの深い部分をみているような凛とした表情のとてもいい写真です。

うわ、それ聞いて俄然いってみたくなりました。
あたしは八女堺屋の蔵の『夢中落花文庫』の入り口においてある、山本健吉のモノクロの等身大写真がすきで、持って返りたいなといつもおもう。

art年に数回公開日があるから是非☆
天井の低い2階部分が吹き抜けの南に付いています。
上には上がれませんがのぞかせてもらいました。
ほんとに素敵なアトリエです。
青木氏も八女とは深いかかわりがあったのでしょうね☆

繁二郎の結論。

「結論的に言うと西洋と日本の違いは教会の鐘と寺の梵鐘の音色に象徴されます。多くの鐘がぶつかり合いジャランジャランと鳴る向こうの鐘は音は面白くてもただそれだけ。日本の鐘はごうーんと打てば余韻じょうじょう、その響きは遠く深くしみこんでいきます」

たは。鐘で結論づけてたとは。

強固はん。
坂本繁二郎の作品が八女、久留米のどちらに保存されようとも、坂本繁二郎はこのちっご地方のタカラであることには変わらないのだと思いますよ。この偉大な画家の残した足跡は、地域人の心から心へ継承されていくべきでもありましょう。と、やけに、優等生的発言のせーこはんであります。

濃い薄いはともかくとして、杉山先生は坂本繁二郎に師事、乙は杉山先生に師事。よって乙は坂本繁二郎の孫弟子。
mariさんは別の孫弟子の弟子の親。ひ孫の親は孫。よってmariさんも(義)孫。
かささぎさんは杉山先生と犬猿。犬の親は犬。犬の子も犬。よってかささぎさんは孫たちとも犬猿の運命?
変な三段論法でした。

mariさんはひ孫の親でなく孫の親?

ネットで拾った杉山先生の話題。

杉山さんは仕事の傍ら絵画をたしなみ、一九五二年から八女市に在住していた洋画家坂本繁二郎に師事。五八年に仕事を辞めた後、自宅で絵画教室を開いた。現在も約百人を教えており、これまでの教え子は千五百人以上。「技術重視の芸術家としてではなく、人間性を育てる教育者として絵を教えなさい」という坂本の言葉を心に留めて指導してきたという。

「灰皿はそこになければいけない。」
画家の故坂本繁二郎は弟子だった杉山洋氏にそう言った(『新日曜美術館』)。日常会話をしながらも坂本は灰皿の位置が許せなかったのだ。

はい、息子は洋先生、亜土先生両方から教えてもらいましたので、孫弟子とも、ひ孫弟子ともいえますね。Butうちにはもう一人孫弟子がおります。主人は小6まで杉山先生の家で絵を習っておりました。もしかしたら乙さんと机を並べたことがあったかもしれませんね。

せいこさんへ。
おとひこさんが「繁二郎をくるめにとりもどす」っていわれたのをきいたとき、なんだかとっても大切なたからをとられてしまいそうなきもちになって、さみしいなあ。と初めておもった。これは縄張り意識とはちがうんだよ。
はじめて杉山おんじいのこころがわかった気がしたものね。このお方は、とっても大事にされていますからね、すべての資料を。あたしゃさいしょのころ、それでどんだけどなられたことか。することなすこと調べて書くことぜーんぶ、がががーっとどなられて。でも、それもこれもみなだいじなおもいでであります。

おつしろうにまりさんへ。
三段腹論法はただしいか?
うーん。自称がはくのでしのすぎやまひろしはかささぎはとってもにがてだけれど、坂本繁二郎を尊敬しています。中学時代、やはり画伯の弟子であったらしい杉森麟校長せんせいからたびたびお話を聞かされて育ったので、。
ということはどうなるかな。ひまなひとは考えてね。笑

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コメント

いや、それでは計算がまったくあわない。
父が17,8のときは昭和21,22年です。
ということは、画伯はいくつ。
ここで年譜をたしかめる。
緒玉移住はもっとずっと以前です、1931年、49歳のころ。
あ。そうか。かささぎがおっちょこちょいだった。
1952年は杉山先生の絵画元年でしたか。

まりさん、こんどの会にはこれないみたい。
学長のこんどのテキストではないですが、「これからの病院は複合経営」を地でいって、正式名称をしらないのですが、ケアプランを作成するところを今月たちあげたそうです。備品を買いにいったり忙しいて。
残念でしようがない。ほんのちょっとでもいいから、きてほしい。こないだの原爆忌のたからさんの句、覚えています。まさに俳諧の一句。

 きのこ雲薄らぐ夏を恐れけり  澄 たから

こわいのは、原爆が落ちたこわさを忘れることなのだ。とこの一句は言っている。忘れない限り、われらの頭上にきのこ雲はありつづける。とも。きのこ雲は蓋です。この蓋精神がずうっと続いていることを確認する手段としての俳句大会であるような気がかささぎはしますです。
たからさんの近況報告。
↓にかいてます。

なぜここを開いたのか申せば。
坂本繁二郎の絵を久留米に返した、その理由が詳しく語られていたので、それを貼り付けたかったのです。杉山先生の筆で語られています。ここ。↓

ぬすと生きの記憶も薄らぐ夏です。

消しゴムが正義の味方のふりをして
    生きた証の過ちを消す (乙)

今朝ここ、。どなたか存じませんが、有難うございました。
延長線上に眞鍋くれおがいることに、気付きました。
いよいよ、花火、買って読まなきゃ、と思う。

いま、皆さんのありがたいコメントを読んで、はっとした。
たからさんの原爆忌俳句、やはりよくできてます。
乙四郎さんが書いてる歌もいいと思う。
ぬすと生き、たしかそれで一句出した。思い出せないが、こんなだった。

我ら皆ぬすと生きして原爆忌

ぬすと生きとは、盗人生きです。

おすぷれいおしいただくしかないような政する生きかたのこと。

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