無料ブログはココログ

« 歌集『チョコレート革命』と映画『TANNKA 短歌』とかささぎと | トップページ | 雲のクロール »

2009年7月29日 (水)

病院玄関前

病院玄関前

(『回帰』椎窓猛先生の詩碑があります。)

父、術後一週間。
傷跡がきれいになっていました。
お風呂に今日は入れたそうですし、食事も今日から普通食になりました。
研修生がずいぶんよくしてくださるそうで、介護の母も助かっています。
病院のちかくの学校に通う次男がまめに父を見舞ってくれます。
これは意外なことでした。
とにかく、よかった。
この調子ですと予定より早く退院できそうです。

« 歌集『チョコレート革命』と映画『TANNKA 短歌』とかささぎと | トップページ | 雲のクロール »

コメント

oh,父も貴方もご無事であったか。
安心しました。退院早まりそうで、良かったね。
連句の会にはいけるけど、泊まりはねえ。
夜通ししゃべるってのにも憧れてはいるんですけど。なんか修学旅行みたいジャン。

経過良好のようですね。
孫が毎日顔を見せてくれる。
お父上にとっては、なによりのお薬でしょう。
孫って、じいちゃんばあちゃんには
やさしいのよね。
母にはちっともやさしくないのに。
あ、うちだけかしら?それって。

きのうはさむかった。
父から看護婦さんを通じて夜の電話あり。
寒いから長袖をもってきて。と。
三枚もっていった。
かぜひかなくてよかった。
咳がでたら傷がひらきますからね。
そういえば、きのうはヒグラシがないてました。

順調回復のようでよかったですね。

男の子はそんな時妙にやさしくなるんですよね。

こっちも変な天気、秋のような空に、朝夕は涼風が吹きせみの鳴き方が秋っぽいです。

ありがとさんにござんす。
日曜には退院らしいです。はやいです。子の盲腸はなんだったの、ってくらい。(ひとつきちかくも傷がなおらなかった。)

いま、ひぐらしがないてる。

梅雨明けの後は猛暑。
今日は風が少なくて暑いですね。
八月にもなっていないのに、アキアカネが飛び回っています。年々アキアカネが出没する時期が早まってるような気がする。

お父さん、もう退院なさるんですね。
よかったじゃないの、順調で。
後は、日常生活そのものがリハビリというところでしょうね。無理をなさいませぬよう。

うーん。。。こまったこまった。
いまにしておもえば惜しきベッドかな。
フランスベッドの上等のがあったのに、祖母が死んでしまったとき燃やした、邪魔だっていって。
たしかにベッドは場所をとりますが、病人にはふとんよりずっと便利です。

ベッド、いるんですか?
我が家にもあったんだけれど、子供たちとそのお友達で、トランポリン代わりに遊ばれて、使えなくなりました。
TVの通販で売っている折りたたみ式のベッドはどうですか?間に合わないかな。

つぎはぎだらけのくたびれたフランケンシュタインみたいな家にいますが、家中段差だらけ、おちおち年もとっておられん。
ふるい家のそれぞれの部屋の呼び名がすきです。
みそべや。うまごや。なかにわ。おへや(父母の寝室)。ごんぜん。いたばり。だいどこ。おざしき。なや。
このなかの、ごんぜんということばとか、さいこうっす。

うちの古い家もそう呼んでいた。
ごんぜん、ぶつま、かわや、ねどこ。もちろん、うまごやもあった。
馬小屋の名残りはいまも残ってる。様子をうかがう小さな窓がついてる。くどのあった部屋から覗くの。くどのあった部屋、はなんて呼んでた?だいどころではなかったね。炊事場?でもなかったような。

今から短歌会に行ってくる。
オトヒコは欠席らしい。
ま~た、ふぬけがひとりでけた。笑

脚注)
おとひこって人は、ぼんのご主人である「彦山」とはちがう人です。ねんのため。(ひめの)


様子をうかがう小さな窓がついてた。そういえばそうだったね。あちこち忘れています。
わたしが今でもなんで変えたんだろうって残念でならないのが、たたきです。玄関はいってすぐ広いたたきがあって、ごんぜんにあがるためのあがりだんがぐるっとついていた。その上がり段、ほんとは上がり框っていうのでしょうが、そこに腰掛けて靴をはいた。もういちどくっつけてほしいくらいなつかしい。

そうそう。あれはたたきとは呼ばなかった。
土間。どま。ごんぜんに上がるところの板は黒光りしてたっけ。で、隙間のたくさん空いたべんがらいろの引き戸があった。冬はそこからすーすー風が入ってね。あの引き戸を格子戸と呼ぶんじゃなかったっけ?
田植えのとき、雇われのおばちゃんたち(田を植えてくださる人)にお昼を食べてもらうとき、あの土間に長い机をおいて、片方は長いす、もう片方は上がりがまちに腰掛けて食べてもらっていた。みんな泥だらけのままご飯を食べるから、決まって土間が』昼食会場になってた。なつかしい記憶だ。これこそセピア色の風景。でも、なぜか、鮮やかに蘇る。

土間。
水屋だったかもね、台所の流しがあったとこ。
それとも、みずやってとだなのことだったかな。
その土間に木の長い飯台をおいて向き合って食べていた記憶はおなじ。うちは土間が台所まで続いていて、小学生のころから木の高い飯台と長い椅子で食事をしていた。椅子がつながっていたベンチみたいに。手作りの椅子だった。土足で出入りできるようになっていた。しょうゆのにおいがしてきそう、作っていたの、おぼえている、においで。

ああ、そうだった。
土間はおくどさんのある下炊事までつながっていたっけ。その左奥に納戸と呼ぶ、今で言うところの「食品庫」があって、ここに黒砂糖のはいったいっとがんがおいてあったとじゃった。
すぐちかくの「かねしゃんばーちゃん」はこの土間の引き戸を開けて「もーし、おんのー」と言いながら入ってきてたなあ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 病院玄関前:

« 歌集『チョコレート革命』と映画『TANNKA 短歌』とかささぎと | トップページ | 雲のクロール »

最近のトラックバック

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31