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2009年7月17日 (金)

父と母

父と母

父、昭和四年生まれ。
母、昭和五年生まれ。

待合室で父の診察をまっていたら、天野おとめ(連句人、これは俳号)さんとばったり会いました。
おとめさんは車椅子のお父上といっしょに診察を待っていました。
うちの父がちゃんと彼女を覚えていて、「おお、たかくらさん(おとめさんの本名)じゃなかね」と声をかけました。ひさしぶり、彼女は元気そうでした。お父上にもはじめてお会いしました。


このあと、検査の結果をみんなできいた。
若い先生が詳しく説明してくださった。

二日つづけて絶食の重い検査をやって、次の日は草刈をしてた父。

今日は、胃カメラ。
さすがにぐったりとして、三時過ぎ帰宅。
ごはんをたべたらすぐ父はねてしまいました。
それはそうです、三日間あまり食べていませんから。
検査とはものすごい過酷なものなのですね。



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コメント

私の仲のいいいとこはかささぎさんと同い年で、その母(親しいおば)は昭和5年生まれです。
鶯色の服のお母さん、まだ若いですね。

お父さんは戦争に行かなくて良かったぎりぎりの年ですね。
検査の結果が無事でありますように。

さくらさん、今日戦争関連の番組がありませんでしたか。見ようと思っていたのに、見そびれてしまいました。
おじの遺品をなにかないかと仏間をさがしていましたら、支那事変軍功記念品のような小さな勲章をみつけました。
しなじへん。いつでしょう。26歳でガダルカナルで戦死のおじ、しなへもいっていたのでしょうか。たずねたくても、ねんねばあちゃんはもうこの世にはいない。こういうとき、うちの父はまったくなにもたよりになりません。慰霊もしないんです一切。まるでうらみでもあるかのように。なんとなくそのきもちがわかるから、なにもいえないですけど。
そんなにいくつも戦争に駆り出されていたなんて。
ではなくて、転戦していった、ってことなんだろうか?
うーん。よくわからん。はなしも聞いてこなかったことがくやまれます。
りかさんのおおおじさんについて書かれているくだりを読みますと、転戦していって、さいごがガ島なんです。
↓しなじへん。

支那事変、まず「しな」という漢字がほとんどネットから消えてることに驚いた。
昭和12年に、まずしなとの戦争が始まっています。
うちの父は昭和10年に20歳で海軍に入っているから、昭和12年といえばそこそこの軍人になって、晴れてしなの戦場に参戦しました。
その時の勲章を私も持っています。
色がきれいなので、孫のRちゃんが気に入っておもちゃにしていました。
その頃は勝った勝ったで祝勝ムード一色で、父はお土産に、黒檀の硯箱や水牛の角で作った工芸品などを買って帰っています。(硯箱は今私が持っています)
この頃の上海の街の写真などもかなり持っています。

その後戦況が悪くなって、兵隊はみんな南へ南へ行くことになったので、ガダルカナルへ行かれたのでしょう。
中国に残ってた人達はロシアに捕虜として連れて行かれたのです。
戦場があまりにも広範囲なので面食らってしまいますよね。
絶対そのことを話さない風習のようなものがあるんですよ。特に九州の人に多い。
必ずしも恨んでいるわけでもないと思います。

お父さんはとっても丈夫で年中働いている人によくある体型ですね。
無駄な肉がない細身ではないですか?
結果が良いといいですね。
この写真だと思ったよりとても若い感じなので、まだまだ強固さんの相談相手になって下さりそうに見えます。

さくらさん。ついほだされてしまいます。
慰霊のことは、そういうことをやっている暇もなかった。というのが父の正直なおもいでしょう。おっしゃるとおり、とにかくよくからだのうごく、働き者です。いつ死んだとて、思い残すこともなかろう。農のあとつぎがいないことが心残りとも思わぬだろう。これまで諦めるための時間はたっぷりあったので。

これまで具体的なイメージがなにもうかばず、伯父のことを慰霊しようにも、雲をふむようなかんじだったのが、少しずつつながりかけてきました。
父に今朝きいたら、ずっと二十歳のときから戦争に行ってたんじゃないか。といいます。だけど、さくらさんの話ですと、途中で一度帰宅しておられる。
この違いはなんでしょう。
所帯もちと独身のちがい?
坂本繁二郎をしらべていたら、久留米の肉弾三勇士を顕彰する絵を制作していたころがあった。そういう時代だった。
しなじへんという字さえ、出すのに苦労します。
支をだして、那を出して、くっつけなきゃ出ません。
こういう激しい日本という国の転換がまったく信じられない。だから外交官には常識の「非核三原則は当初から踏みにじられている」とこのごろ騒いでいることも、国民をばかにしているとはまるでおもわない。そんなの、戦争にまけた国の常識じゃないか。とおもう。だから米国の核の傘に守られているのでしょう。まったくうそばかりのくに。
嘘つかぬ国でありたし原爆忌
というのもつかれる。
そんなふうに考えるより、政治のことはみなお上にまかせてだいじょうぶな国である、という安らかな国民感情の国、絶対他力のお委ねの国、とおもっていたほうが、きもちはいいですね。

しなじへんの勲章は小さかったけど、色がとてもきれいでした。ほんとうに!こどものおもちゃですか。笑
そういうことに使うしか他に使い道はないですね。

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